11 呪いの深淵
資料室の薄暗い蛍光灯の下で、私は震える手でファイルをめくり続けた。埃と黴の匂いが鼻腔をくすぐる。ページを繰るたびに、嫌な真実が、まるで血のように、私の脳裏に滲んでいく。
「クラスメイト行方不明事件」は、緒川美琴の件だけではなかった。
30年前。さらにその30年前。異界送りは、まるで規則正しい時計仕掛けのように、一定周期で繰り返されてきたのだ。それは、単なる偶然では片付けられない。あまりにも酷似したパターン。生徒の失踪、生徒間の対立、そして、教師の不可解な失踪……。
すべての事件に共通する、ただ一つの要素が、記録の片隅に、鉛筆書きで、しかし明確に記されていた。
『仮面をつけた教師の目撃情報』
その仮面のデザインは、時代を越えて、ほとんど変わっていない。「白い顔」「笑った口元」「感情のない目」。あの、私を嘲笑うかのような、不気味な仮面。
誰かが、いや、何かが、この悍ましい“儀式”を、意図的に続けてきた。私は、背筋に冷たい氷の刃を突きつけられたような感覚に襲われた。
(異界送りは、単なる人の怨念だけじゃない。もっと根源的な、人智を超えた存在によって、引き起こされている……?)
そして、私は、ある事件の報告書に辿り着いた。それは、さらに古い時代、とある中学校で起きた事件の記録だった。
その中学では、女性教師が、自らの手で生徒を“選び”、次々と異界へと消し去っていたという。目撃証言によれば、その教師は奇妙な白い仮面をつけ、夜な夜な校内を徘徊していたらしい。生徒がいなくなると、教師は校舎の屋上から身を投げ、命を絶ったという。その遺体のそばには、「すべては、続けられねばならない」という血文字が、壁に、呪詛のように刻まれていた。
そして、その報告書には、衝撃的な一文が記されていた。「仮面は、次の生者に引き継がれる」。その教師の名前は、緒川 陽子。緒川美琴の、祖母にあたる人物だった。
私は、資料を閉じることもできず、ただ呆然と立ち尽くした。脳裏に、緒川美琴のあの悲痛な声がこだまする。「誰かが見つけてくれるのを待ってた」「私を解放して」。彼女は、この呪いを終わらせるために、私に仮面を差し出した。だが、それは、呪いの根を断ち切る行為ではなかったのだ。
(呪いの根は、美琴ではなかった。もっと前から……)
緒川家に連なる女たち。彼女たちは、代々、異界送りの「器」に選ばれてきたのだ。その理由は、この資料からは読み取れない。ただ、代々続く、深い恨み、底知れぬ悲しみ、拭い去れない孤独、そして、燃え盛る怒り。それが、この「仮面」を生み出し、教師という姿を借りて、この悍ましい儀式を繰り返してきたのだ。
そして今、その仮面は、私に宿っている。
私は、緒川家の血縁者ではない。にもかかわらず、なぜ、私がこの呪いの器となってしまったのか……?
そのとき、ふと、頭をよぎった一つの可能性。
(……引き継がれる条件。それは、“生き延びた者“)
異界送りを生き延び、呪いの存在を見届けた者。その者は、次の「仮面の教師」として選ばれる。まるで、地獄のバトンが、無慈悲に引き継がれていくかのように。
私は、生き延びた。だから今、この呪いの仮面に、完全に引きずり込まれようとしているのだ。
***
自宅のアパートに戻った私は、自らの震える指先を見つめながら、決意した。もはや、逃げることはできない。この呪いに、完全に飲み込まれてしまう前に、戦うしかないのだ。
仮面を砕く。ただ、砕くだけではない。呪いの根ごと、すべてを終わらせる。その仮面が、もはや私自身に宿っているのならば、私自身がその根源に触れ、破壊しなければならない。
しかし、その行為は、異界そのものを崩壊させる危険を孕んでいる。もし失敗すれば、私は二度と現実世界には戻れないだろう。この世界から、完全に消え去ってしまうかもしれない。
それでも、私は、もう「選ぶ側」にはならない。
その夜。深い覚悟を胸に眠りについた私は、やはり、あの暗く、冷たい教室に立っていた。
恐怖に怯える生徒たち。彼らの瞳は、絶望に満ち、助けを求めている。
そして……教壇に立つ、あの「仮面の私」。無感情に微笑む、憎むべき、もう一人の自分。
私は、その仮面の自分へと、まっすぐに、一歩一歩、歩み寄った。心臓の音が、私の耳を、まるで警鐘のように激しく打つ。
「……もう、終わりにする」
私の言葉は、決意に満ちていた。
仮面の私が、ゆっくりと微笑んだ。その笑みは、諦めと、そして、どこか安堵しているようにも見えた。
そして、教壇の上に、白く冷たい仮面が、静かに置かれた。それは、緒川美琴が私に差し出した、あの仮面と寸分違わない。だが、今、それは、私自身を映し出す鏡のようだった。
私は、異界の教室にいた。仮面を前に、立つ。
今なら、壊せる。しかし、それは決して簡単なことではないだろう。
私の決意を感じ取ったかのように、異界全体が、唸り声を上げて、私を拒絶し始めた。壁が脈打ち、床が波打つ。無数の異形たちが、闇の奥から、蠢きながら私に向かってくる。
逃げるか、砕くか。
時間は……ない。この一瞬が、全てを決める。
私は、震える手を、仮面へと伸ばした。
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