前編
ダンジョンが『考える巣』であるとされたのは、ダンジョンに潜ることが一般に広まってから二十年程度のことだった。
それまでのダンジョンというのは『地獄から現世への侵攻』であるとされていた。今でもそれは否定されていない。
しかし昨今判明した、潜る人によって難易度を調整するその仕組みから「ダンジョンは思考する」と言われるようになった。
さて、ダンジョンの探索を生業とする探索者である俺は、しかしその哲学的な思考にあまり賛同できなかった。
「おい、戦斧!ぼさっとしてんじゃねェ!」
と、思考の中に潜り込んでいた俺の事を、剣士は叩き起こした。俺は顔を上げる。薄暗いが狭くはない洞窟の中、剣士は俺の事を睨みつける。本日のパーティは剣士、魔術師、斧使いの三人だけだった。
「悪い悪い。少しぼうっとしてた、長剣」
「敵地のど真ん中でぼうっとする奴があるかァ!お前はヘルプで入ったんだから、ちゃんとリーダーである俺様の指示に従え!」
ソードのとる横柄な態度に、その頭を魔術師が杖でぽかんと叩く。
「ちょっとソード、アックスさんはヘルプに入ってくれたんだよ。そういう横柄な態度をとるなら、あたしの終焉魔術をお見舞いしてやってもいいんだよ?」
と、杖を構えながら言う彼女に、ソードは「分かったって!悪かった!魔杖」と慌てて言う。そんな彼にまた彼女は「あたしに謝るの?」と杖を近づけて言う。そこまでされてやっと、ソードは俺の方を向いた。
「……悪かったよ、アックス」
「いや俺がぼうっとしてたのが悪いんだ。そう謝らないでくれ」
「やっぱお前が悪じゃねーか!」
ぽかん。
ソードは杖で叩かれた頭をさすりながら、俺達の前を歩いた。彼の次にロッドが、一番後ろに俺がついて歩く。ロッドは俺の方を振り向いて言う。
「ごめんね。あいつ、悪い奴じゃないんだけど」
「だろうな。あいつはきっと良い探索者になる」
その返答に満足したのか、ロッドは小さく笑いながら、ソードの後ろに追い付くために振り返って駆けだした。そんな二人の背中を見る。
それにしても、やはりダンジョンは思考しているとは思えない。
一般的なダンジョンで出てくる魔物は弱いゴブリンや巨大蝙蝠、強くても巨大蛇だけだ。こういうダンジョンが世界各地にあるのだから、俺はひたすらにつまらなかった。もっとヒリつく本物の戦闘をしてみたい。そう心の中の炎が言っている。
今回のダンジョンは論外中の論外。ただ薄暗くて少し広い通路がずっと続くだけ。たまに階段はあっても、魔物の一体も見かけない。ひたすらにつまらない。だからこうして思考する暇も出来てしまうのだ。
縦並びになってただ歩く。しばらくした時、一番前を歩いていたソードが止まった。
「…どうしたの?」
「シッ…静かにしろ……魔物がやっと現れやがった」
瞬間、轟音が響く。ダンジョン全体が揺れて、上からパラパラと砂粒の様なものが落ちる。ソードもロッドも武器を構え、臨戦態勢を取る。俺は一旦敵を見極めることにして、斧を下ろして楽にしていた。
赤い皮膚、刃こぼれが目立つ短刀、長い耳、小さな体躯。現れたのは赤色のゴブリンだった。俺はそれを見て、斧を構える。
「……んだよ、ゴブリンか。大山鳴動して鼠一匹。拍子抜けだな」
「ソード!ロッド!気を抜くな!」
俺はソードと赤いゴブリンの間に割り込み、横降りの一撃を見舞う。しかしその攻撃は、ボロボロの短刀によって防がれる。赤いゴブリンは防ぐと同時に後ろに跳んで、衝撃を逃がしていた。
「おいおいアックス、ちゃんと攻撃入れろよ」
「こいつは”レッド”だ!ゴブリンの中でも特別な個体……気を抜いたら一瞬で殺されるぞ!」
ソードやロッドが知らなくても無理はない。この魔物の情報はベテランの探索者の中でしか共有されていないことだ。その手に持った刃こぼれした短刀は、人を殺し続けた結果劣化したものだ。その赤い肌は、浴びた人の血によって変色したものだ。
どうしてそんな強い魔物がいることが全探索者に共有されていないのかと言うと、そもそもそんな強敵が出る様なダンジョンには入場制限をかけているからだ。
今回は完全なとばっちり。俺がいなければこの二人はここで死んでいただろう。
「な……そんなん、あたし達が敵うわけないじゃん!」
「俺が時間を稼ぐ!だからお前達はとっとと逃げろ!」
「おいかっこつけてんじゃねェぞ!俺も……っておいロッド、掴むな!ちょ…おい…!ちょっとおい!!おい!!!!俺にも恰好付けさせろォォォォ…………」
なんて叫びながら、ソードはロッドに引っ張られ、この場からいなくなった。残ったのは俺とレッドのみ。レッドは俺の事を仲間に切り捨てられた可哀そうな奴だと思ったのか「ギッギッギ!」と口角を吊り上げた。
この洞窟は洞窟にしては広いが、戦斧を振るには狭すぎる。あの二人がいたらなおのこと。
やっと邪魔者が―――
「やっと邪魔者がいなくなった……って思ってるだろ?」
声が洞窟ダンジョン内に響く。レッドが喋ったのかと思ったが、違う。声の出どころは目の前ではない。頭上だ。
見上げるが、しかしそこには天井があるのみ。
「おいおいおい、オイラの事を見つけようとしてるのかい。ま、ここで正体を明かしてもいいわけだが、まずはそこのレッドを倒してからだな」
「おい!誰だ!お前は!」
しかしその問いかけに返事は無い。レッドを倒さなければ絶対に答えないという事か。
俺は斧を短く構える。小回りが出来なければ、レッドを相手に的になるのみ。
「お、良い判断だな!」
「うるさいぞお前!一旦黙ってろ!」
踏み切る動作も最小に、一気にレッドとの距離を詰める。振り上げる動作も最低限。それは上げるというより傾けるくらいで、しかしレッドを殺すのには十分だと判断した。そして、振り下ろす。周囲に土煙と緑色の液体が飛ぶ。しかし手ごたえはあまりなかった。
自分の体を軸に、斧で円を描くようにする。土煙は途端に晴れ、レッドの姿があらわになる。短刀を持っていた右腕が無くなっていて、好機だと再び詰め寄る。そして振る。
しかし二度目は無いのか、レッドはその攻撃を避け、こちらに飛び掛かってきた―――瞬間、レッドの動きが止まる。
「俺は片手でも戦斧を振れるんだよ」
レッドの首を片手で鷲掴みにして、もう片方の手で戦斧を持ち直す。そして、もがくレッドの喉元を切断した。
「おー見事だな!見てて面白かったぞ!」
声は賑やかに言う。先程までの緊迫感溢れる状況とは打って変わってこんな態度を取られると、思わずため息が出る。
「教えろ。お前は誰なんだ」
苛立ちながら問いかける俺に、そいつは答えた。
「オイラか?オイラはこのダンジョンの本体さ。ようこそオイラの体内へ」
コアはそう言って、多分笑った。顔が無いので分からないが。