侯爵令嬢付きのメイドはお嬢様と戯れる
「お嬢様〜、どこっすか〜っ!?」
ある春の日。暖かい日差しが差す中、1人のメイドが主を探して屋敷のなかを駆け回っていた。中庭に出たとき、薔薇の花壇の向こう側に探し人の髪色が見えた。
彼女は日傘をさし、一人で歩いている。メイドが近寄ると、彼女はあら、と言いながら振り返った。対するメイドは少々口を尖らせている。
「お嬢様ぁ〜、一人でウロウロされるのはおやめくださいと何度も言いましたっすよね?」
「あらタルト。あなたが側にいなかったんだもの。仕方がないじゃない」
ぷにぷにと頬をつついてくる主に、メイドは肩を落とした。
「アタシがいなかったら、他の方に声かけてくださいっていっつも言ってるっすよ。なのにお嬢様は毎回毎回……焦って探し回るこっちの身も少し気にかけて欲しいっす。ねぇ、マリベス・クラエット侯爵令嬢様?」
そんなタルトの様子を見て、マリベスはコロコロと笑う。人差し指で俯き気味だったタルトの顔を上げさせ、目線を合わせた。
「あなたはわたくしの専属メイドだというのに、何処かへ行っているのが悪いのよ」
「それはないっすよ……頑張ってお嬢様のために苺のタルトを焼いてたんすよ?」
「まあ。なら、部屋に用意して頂戴」
がくり。今日も口喧嘩には勝てず、タルトはやけくそ気味に日傘を奪い取った。
「日傘は持つんで、早く室内に入ってくださいっす。日焼けしたら大変なんで」
タルト。彼女はクラエット侯爵家が長女、マリベス・クラエットの専属メイドである。
平民の身でありながら、侯爵令嬢に仕えることは、本来あり得ぬこと。だが、彼女の並外れたある能力がそれをあり得ることにしていた。
「さーて。さっきはよくもやってくれたっすね?」
「ヒッ!」
蝋燭の光だけが照らす、薄暗い牢の中。にやり、と手にダガーを持ったタルトが、四肢を拘束された男に近づいた。男は暴れるが、それしきのことで拘束が外れることはない。
「んじゃ、キリキリ吐いてくださいっすね。早く吐いたほうがアンタも痛い思いせずに、アタシも早くお嬢様のトコに戻れるんで」
ぎゃああああっ!と男の声が人知れず響いた。
数時間後。タルトは紙に記録をつけながら、スンスンと己の匂いを嗅いでいた。鉄臭い。当たり前か。
「ふう、意外と粘ったっすね。もっと簡単にしゃべると思ったんすけど」
「タルト」
薄闇の中から髪をきっちりまとめた、無表情長身の女性がぬうっと現れた。常人ならば悲鳴ものだが、タルトは悲鳴一つ上げず、女性へ向き直る。
「あ、メイド長。お疲れ様っす」
「ああ、そうそう。あなたのこと、またお嬢様が探していたわよ」
手についた血を拭いている手を止め、また?と首を傾げた。はて一体何の用だろうか、と考えるが心当たりはない。
「『ホットミルクが飲みたいから、持ってきて』だそうよ」
「……今、何時っすか?」
「夜中の2時ね」
がくり。膝の力が抜け、壁にもたれ掛かる。お嬢様……流石に人使い荒すぎるっす……
頭を抱えて呻いていると、メイド長が僅かに口角を上げた。
「まあ、頑張って頂戴ね。今のところ、あなたが一番お嬢様のお気に入りなのだから」
実のところ、クラエット侯爵家には国内外問わず敵が多い。侯爵家でありながら、王家にも劣らぬ影響を持っていることが原因である。よって、侯爵だけでなく、一人娘のマリベスにも暗殺者が放たれるということは割とよくあった。
それをほぼ一人で凌いでいる実力者が、タルトであった。
今から7年前。孤児である、名も無い少女を拾い上げ、名を与えた。……タルトという名はどうかと思うが。聞けば『お前の髪色はタルトにそっくりだからよ。そして、タルトはわたくしが最も好きな菓子の名前よ。光栄でしょう?』とのこと。確かにタルトの髪は地味な茶髪である。深紅の髪であるマリベスとは正反対だが……
まあ、そんなわけで侯爵家に拾われたタルトという名の少女は、メキメキとその腕を上げていった。格闘術、剣術、弓術。暗器の扱いもお手の物である。勿論、メイドとして、令嬢の身の回りの世話に必要な『お茶を淹れる』『ドレスを着付ける』『髪を結う』等々のスキルも磨き、ついでとばかりに、一流職人顔負けの『菓子作り』『刺繍』スキルも身に着けた。因みに、それを見た各専門職の方々がタルトに見えぬところでそれはもう盛大にプライドを折られ、卒倒している。
口調を除けば、タルトは上級メイドとして十分な素質を持っている。口調を除けば、だが。
侯爵家の使用人たちがどう頑張っても、この口調は直らなかった。しかし、それをマリベスが気に入っていると分かった途端、『タルトの口調矯正会』は即座に解散した。マリベスの感覚は未だに謎である。
「お嬢様〜、ホットミルク作ってきたっすよ……ってアレ。お嬢様、どこにいるんすか?」
部屋に入るが、マリベスの姿は見当たらない。はて、と思っていると浴室から物音が聞こえた。見ると、浴室の隅っこに縮こまった主の姿が。普段ならば絶対にしないであろう姿、ネグリジェで膝を抱えて座り込んでいる。
「え、何してんすか……?」
「……あれ、みて」
「? なんすかこの手紙。こんなの屋敷には届いて無いっすよね」
開けろ、との手振りの指示に従うと、中から出てきたのは―――
「な……ッ!? なんじゃこりゃ!?」
「…………そういう反応、するわよね……?」
珍しく弱気な主の原因は、とんでもない内容の手紙だったらしい。
内容は、やれ《君の瞳を舐めたらどんな味がするのだろうか》、やれ《君の髪でマフラーを編んで巻けたらどんなに幸せか》。極めつけは《君を僕の人形にしたい。一生、いや死んでも愛するよ》である。
―――完全に、ヤバい。この手紙を書いた奴は頭が逝っている。ネジが何本か緩んでいるどころの話ではない。すべて外れている。
思わず汚い雑巾を掴むようにして手紙を持つ。正直、今すぐ破って燃やしたいが、我慢である。
「え、お嬢様……コレ、いつからあったんすか……?」
「……さっき起きたらよ。机の上にあったわ」
「…………」
確か先ほどは他のメイドがマリベスの部屋の前の窓を開けていたはず。その時に入られた線が一番濃厚だろう。迂闊だった。
ひとまず、犯人特定と報復は後にして今は主に寝てもらうことが先だ。
そうと決まれば、行動せねば。
「……お嬢様」
「何よ」
「コレは処分しておきますんで、もう寝ないっすか? ホットミルク飲むっすか?」
冷めることも考慮してかなり熱めにしておいてよかった。のむ、と返事をし主が近づいてきたので、浴室から出し部屋の椅子に誘導。マグカップを渡すとちびちびと飲み始めた。ちょっと可愛い。
「……なに」
「いえ、お嬢様が可愛いな〜って」
「……ふん」
満更でもなさそうだ。
空になったコップを回収。ベッドへ連れて行こうとしたら、拒否られた。腕をつかまれ動けない。
「え、どしたんすか?」
「――て」
「え?」
「寝れないから、一緒に寝て」
「……………!!??」
吃驚仰天な要求に思わず目を瞬かせる。聞き間違いか、と悩んでいると追い打ちが。
「一緒は、駄目……?」
「ヴッ」
上目遣いは無理である。タルトはアッサリ陥落した。
ベッド前にて。
「え、同じベッドで寝るんすか?」
「そう。じゃなきゃダメ」
「でもお嬢様。アタシ、体洗ってないんで汚いっすよ」
「なら一緒にお風呂入るわよ」
「あっ、それはダメっす。貴族令嬢とメイドが同じ風呂はダメっす」
「……命令。一緒に入りなさい」
「…………ハイ」
浴室内にて。
「え、お嬢様、何するつもりっすか……?」
「わたくしがあなたの背中洗ってあげるわ」
「え、ちょちょ、ダメっすダメっす!! お嬢様は湯船に浸かっててくださいっす!!」
「命令、じっとしてなさい」
「…………ハイ」
ベッドの中にて。
「お嬢様」
「なによ。わたくしのネグリジェが気に入らないのかしら?」
「逆っす。高級な布すぎで、快適すぎで、寝れないっす」
「あら、わたくしと同じね。なら眠くなるまで何か話をして頂戴」
「え、話っすか?」
「そうね、どうせならあなたの話を聞きたいわ」
「アタシのっすか? あんま気持ちのいい話じゃ無いっすよ」
「構わないわ。わたくし、タルトのこれまでのことを知らないんだもの」
うつ伏せになりながらマリベスはタルトの方へ向いた。
「わたくし、タルトとは〝お友達〟になりたいの。そのために、わたくしはあなたのことをもっと知りたいの」
「!」
そうか。彼女は貴族令嬢である前に、ただ一人の人間なのだ。自分と同じように。
勝手に『主』と『メイド』と区別していたのは己の方だったか。
「わかったっすよ」
夜も更けた頃に少女たちの話し声は止まった。
朝、2人が起きてこないことを不思議に思ったメイド長がマリベスの部屋を訪ねると、2人は手をつないで寝ていたという。
後にクラエット家の元メイド長はこう語る。
『苛烈な女侯爵と呼ばれるようになったお嬢様ですが、あの時だけは非常安心したような寝顔でいらっしゃいましたね。今も、現メイド長の前ではあのような顔をなさるときがありますがね』
【緋色の薔薇】の異名を持つ女侯爵、マリベス・クラエット。彼女の側には生涯、茶髪のメイドがいたという。彼女らの話は童話にもされ、男尊女卑という価値観を崩し、女性が社会へ進出、活躍する一歩を踏み出すきっかけにもなった。
大勢の記者が侯爵家を訪れ、女侯爵とメイド長にインタビューをしたが、必ず言及される『2人の関係性』について、彼女らはそれぞれ次の様に語っている。
『彼女がいなければわたくしはここまで成長することができなかったわ。わたくしの優秀なメイドであり、親友でもあるタルトに最大の感謝と親愛を』
『あの方はゴミ溜めにいたアタシを救い出してくれた救世主であり、生涯唯一の主であり、親友っす。あの方のためなら、アタシは何でもできるっすよ』
そして、最後にこう言うのだ。
『この絆は、永遠である』
世界一の広さを誇る大陸〈エレキル〉。その中心部に位置する大森林には、楽園と、それを守るひとりの〝魔王〟がいた。
§
「ゆ、許してくれ、頼む、命だけは……!!」
夕暮の光の中、一人の男が、身体を震えさせながら命乞いをしていた。岩に腰かけ、背を一匹の獣に預けているその相手は男を見下ろし、深くため息をつく。
「『命だけは助けてください』? ハッ。そんな事、聞き入れるわけがないだろう」
「そ、そんな……」
「そうだろう? お前たちは我らの敵、奴隷商なのだから」
どうか、お願いですと必死に食い下がるが、目の前に降ってきた魔法によって口を閉じた。閉じざるを得なかった。
「こんな事をされて黙っていられるほど、私たちは優しくないんでね。徹底的に、抗議するとしよう」
「…………」
どうして、こんなことに。その思いだけが、ぐるぐると頭の中を回っている。
ただ、自分は商品確保のために、いつものようにこの森に来ただけだった。最近は売れ行きが良いため、商品の在庫を確保するために、それがタダ同然で捕まえられるこの場所へ来た。護衛を雇い、馬車を引き連れて森へ分け入った。数時間ほど探してようやく見つけたのは、獣の特徴を身体に宿した〔獣人〕または〔獣人族〕と呼ばれる種族の幼子。
2匹居たそれらを護衛たちに命じて捕らえようとしたとき、異変は起こった。
護衛の手を掠めて、ナイフが地に突き刺さった。ちょうど、自分たちと幼子らを分断するように。
同時に、森が異常に静まり返っているのに気づいた。夕暮れ時とは言え、何の鳴き声もしないのはおかしい。風の音すら鳴りを潜めているようだった。
異常の正体を突き止めようと足を止め、周囲を確認した時だった。
『おいで。怖かったね』
『ッ!!??』
気配がしなかった。自分はともかく、手練のはずである護衛たちですら声がするまで気づかなかった。
声のした方を見ると、影が幼子らを抱き上げ、傍らの影に預けるところだった。夕日が逆光となり、影の顔は見ることができない。ただ、分かるのは影の頭上には獣の耳と思しきものが生えていることだけ。
『ラノス様。この子たちは一足先に街へ連れていきます』
『ああ、よろしく、アルル』
『はい。では、失礼いたします』
その言葉を最後に、幼子らを抱いた影が掻き消えた。まるで、最初から何もいなかったかのように。
『貴様……何者だっ?』
『…………』
震える声に返答はなく――――
『…………』
『ッ!!??』
笑った。表情は見えないはずだというのに、それだけは理解できた。同時に全身を悪寒が駆け巡る。本能が恐怖するとはこういうことなのだろうか。まるで、背筋に氷の柱を突っ込まれたかのような……
誰も動けない。手足を拘束されているわけでもないというのに、動くことができない。
徐々に沈んでゆく夕日を背に、影は言葉を発した。
『何者か、か。知らないのなら教えてやろう』
トン、と影の爪先が地を軽く叩く。すると、そこの地面だけが隆起した。そこに腰掛けると、どこからか更に影が現れた。そのうちの一つ、四足歩行の獣の影が最初にいた影の後ろに座り込む。影は獣にもたれ、足を組んだ。
完全に日が沈みきり、夕日が消えたことで影の表情が見えた。
『我が名はラノス・カリヴィア。このファウレ大森林の皇帝である』
先ほど起こったことを頭の中で思い返していると、にやりとラノスが嗤った。
「私がいるというのに、奴隷狩りとは。どうやら、あれだけ警告したというのに、足りなかったらしい」
足を組み替え、獣の首に手を回しながら彼女は言う。グルルと喉を鳴らす純白の毛並みの獣は伝説に出てくる姿そのもの。
まさかそんなはずがないと思いつつも、声が止められない。
「その獣……伝説の魔獣、魔孤狼……?」
「おや。知っているのか」
彼女は意外そうに片眉を上げる。その仕草に、クラリと目眩がした。
なんと美しいのだろう。これまで商品として数多の獣人を見てきたが、これほどまでの美貌の持ち主を見たことがない。
長い銀の髪は緩やかに波打ち、空の色に淡く染まっている。瞳は金に光り、柔らかそうな毛並みの耳と尾は背もたれにしている獣と瓜二つだった。
これまでのものとは明らかに一線を逸している。その美貌も、そこから漏れ出る威圧感も。
そして、それは側にいる他の獣人もそうだった。
ラノスよりは劣っているものの、十分美しい。
彼女の左右に控える、男女の獣人。
アッシュグレーの髪から黒の瞳が覗いている。耳と尾は狼のもの。
非常にそっくりな彼らはにやりと凶悪な笑みを浮かべた。肉食獣らしく、獰猛に。それに嫌な予感がし、僅かに身体を後退させる。その途端、彼らの笑みが深まった気がした。
「……なぁ、ラノス。お供の奴らで遊んでもいいか? ちょっと最近退屈だったんだよ」
良い遊び相手ができた。男の獣人が言外にそう言う。
「あら。なら私も良い? 私も動き足りないのよね」
私も混ぜろ。そんなやりとりが聞こえた気がした。実際には何も言っていないというのに、理解できてしまう。
「……いいだろう、好きにしなさい。やりすぎないように気をつけるように」
主の許可が出た。ならばもう、何も我慢する必要はない。即座に彼らの手元に各々の得物が現れた。一瞬で手の中に現れたそれらは男と女で対称の見た目をしていた。
男の手には二振りの、短剣というには長く、長剣と言うには短い剣。
女の手には己の身長とほぼ同じであろう大剣。
護衛の人間たちは焦り、剣の柄に手を掛ける。しかし、剣が鞘から抜けない。ガチャガチャと金属音だけが鳴る。
「あっちでやろっか? 邪魔したら駄目だからね」
次の瞬間には、彼らの姿はなかった。女の獣人が先ほどまで彼らがいた場所に立ち、己の主に向かっててを振った。
「じゃあ、ラノス。行ってきます」
その姿も一瞬にして掻き消え、獣とラノス、そして男だけが残された。
もう、どうしようもない。そのことを悟った男の身体が哀れなほど震え始める。
「さて、あちらで遊んでいるだろう彼らには悪いが、こちらはすぐ終わる」
「なっ、なに、を……っ!」
喉がカラカラに渇いて、舌が張り付いて、まともに喋ることができない。そんな男の様子を知ってか、ラノスは更に笑みを深めた。
「安心しろ。故郷には返してやる。そのころには生きてはいないだろうがな。しっかり、情報を吐いてもらおうか」
「ヒッ! い、嫌だっ、だれか!!」
哀れな男の声が木霊する。彼が何かを間違えたとしたら、それはこの森へ踏み入ったことだ。ここは、人間の手に追える場所ではないのだから。
「獣人を、私を敵に回すとは、どういうことかを教えてやる」
「お嬢様〜、どこっすか〜っ!?」
ある春の日。暖かい日差しが差す中、1人のメイドが主を探して屋敷のなかを駆け回っていた。中庭に出たとき、薔薇の花壇の向こう側に探し人の髪色が見えた。
彼女は日傘をさし、一人で歩いている。メイドが近寄ると、彼女はあら、と言いながら振り返った。対するメイドは少々口を尖らせている。
「お嬢様ぁ〜、一人でウロウロされるのはおやめくださいと何度も言いましたっすよね?」
「あらタルト。あなたが側にいなかったんだもの。仕方がないじゃない」
ぷにぷにと頬をつついてくる主に、メイドは肩を落とした。
「アタシがいなかったら、他の方に声かけてくださいっていっつも言ってるっすよ。なのにお嬢様は毎回毎回……焦って探し回るこっちの身も少し気にかけて欲しいっす。ねぇ、マリベス・クラエット侯爵令嬢様?」
そんなタルトの様子を見て、マリベスはコロコロと笑う。人差し指で俯き気味だったタルトの顔を上げさせ、目線を合わせた。
「あなたはわたくしの専属メイドだというのに、何処かへ行っているのが悪いのよ」
「それはないっすよ……頑張ってお嬢様のために苺のタルトを焼いてたんすよ?」
「まあ。なら、部屋に用意して頂戴」
がくり。今日も口喧嘩には勝てず、タルトはやけくそ気味に日傘を奪い取った。
「日傘は持つんで、早く室内に入ってくださいっす。日焼けしたら大変なんで」
タルト。彼女はクラエット侯爵家が長女、マリベス・クラエットの専属メイドである。
平民の身でありながら、侯爵令嬢に仕えることは、本来あり得ぬこと。だが、彼女の並外れたある能力がそれをあり得ることにしていた。
「さーて。さっきはよくもやってくれたっすね?」
「ヒッ!」
蝋燭の光だけが照らす、薄暗い牢の中。にやり、と手にダガーを持ったタルトが、四肢を拘束された男に近づいた。男は暴れるが、それしきのことで拘束が外れることはない。
「んじゃ、キリキリ吐いてくださいっすね。早く吐いたほうがアンタも痛い思いせずに、アタシも早くお嬢様のトコに戻れるんで」
ぎゃああああっ!と男の声が人知れず響いた。
数時間後。タルトは紙に記録をつけながら、スンスンと己の匂いを嗅いでいた。鉄臭い。当たり前か。
「ふう、意外と粘ったっすね。もっと簡単にしゃべると思ったんすけど」
「タルト」
薄闇の中から髪をきっちりまとめた、無表情長身の女性がぬうっと現れた。常人ならば悲鳴ものだが、タルトは悲鳴一つ上げず、女性へ向き直る。
「あ、メイド長。お疲れ様っす」
「ああ、そうそう。あなたのこと、またお嬢様が探していたわよ」
手についた血を拭いている手を止め、また?と首を傾げた。はて一体何の用だろうか、と考えるが心当たりはない。
「『ホットミルクが飲みたいから、持ってきて』だそうよ」
「……今、何時っすか?」
「夜中の2時ね」
がくり。膝の力が抜け、壁にもたれ掛かる。お嬢様……流石に人使い荒すぎるっす……
頭を抱えて呻いていると、メイド長が僅かに口角を上げた。
「まあ、頑張って頂戴ね。今のところ、あなたが一番お嬢様のお気に入りなのだから」
実のところ、クラエット侯爵家には国内外問わず敵が多い。侯爵家でありながら、王家にも劣らぬ影響を持っていることが原因である。よって、侯爵だけでなく、一人娘のマリベスにも暗殺者が放たれるということは割とよくあった。
それをほぼ一人で凌いでいる実力者が、タルトであった。
今から7年前。孤児である、名も無い少女を拾い上げ、名を与えた。……タルトという名はどうかと思うが。聞けば『お前の髪色はタルトにそっくりだからよ。そして、タルトはわたくしが最も好きな菓子の名前よ。光栄でしょう?』とのこと。確かにタルトの髪は地味な茶髪である。深紅の髪であるマリベスとは正反対だが……
まあ、そんなわけで侯爵家に拾われたタルトという名の少女は、メキメキとその腕を上げていった。格闘術、剣術、弓術。暗器の扱いもお手の物である。勿論、メイドとして、令嬢の身の回りの世話に必要な『お茶を淹れる』『ドレスを着付ける』『髪を結う』等々のスキルも磨き、ついでとばかりに、一流職人顔負けの『菓子作り』『刺繍』スキルも身に着けた。因みに、それを見た各専門職の方々がタルトに見えぬところでそれはもう盛大にプライドを折られ、卒倒している。
口調を除けば、タルトは上級メイドとして十分な素質を持っている。口調を除けば、だが。
侯爵家の使用人たちがどう頑張っても、この口調は直らなかった。しかし、それをマリベスが気に入っていると分かった途端、『タルトの口調矯正会』は即座に解散した。マリベスの感覚は未だに謎である。
「お嬢様〜、ホットミルク作ってきたっすよ……ってアレ。お嬢様、どこにいるんすか?」
部屋に入るが、マリベスの姿は見当たらない。はて、と思っていると浴室から物音が聞こえた。見ると、浴室の隅っこに縮こまった主の姿が。普段ならば絶対にしないであろう姿、ネグリジェで膝を抱えて座り込んでいる。
「え、何してんすか……?」
「……あれ、みて」
「? なんすかこの手紙。こんなの屋敷には届いて無いっすよね」
開けろ、との手振りの指示に従うと、中から出てきたのは―――
「な……ッ!? なんじゃこりゃ!?」
「…………そういう反応、するわよね……?」
珍しく弱気な主の原因は、とんでもない内容の手紙だったらしい。
内容は、やれ《君の瞳を舐めたらどんな味がするのだろうか》、やれ《君の髪でマフラーを編んで巻けたらどんなに幸せか》。極めつけは《君を僕の人形にしたい。一生、いや死んでも愛するよ》である。
―――完全に、ヤバい。この手紙を書いた奴は頭が逝っている。ネジが何本か緩んでいるどころの話ではない。すべて外れている。
思わず汚い雑巾を掴むようにして手紙を持つ。正直、今すぐ破って燃やしたいが、我慢である。
「え、お嬢様……コレ、いつからあったんすか……?」
「……さっき起きたらよ。机の上にあったわ」
「…………」
確か先ほどは他のメイドがマリベスの部屋の前の窓を開けていたはず。その時に入られた線が一番濃厚だろう。迂闊だった。
ひとまず、犯人特定と報復は後にして今は主に寝てもらうことが先だ。
そうと決まれば、行動せねば。
「……お嬢様」
「何よ」
「コレは処分しておきますんで、もう寝ないっすか? ホットミルク飲むっすか?」
冷めることも考慮してかなり熱めにしておいてよかった。のむ、と返事をし主が近づいてきたので、浴室から出し部屋の椅子に誘導。マグカップを渡すとちびちびと飲み始めた。ちょっと可愛い。
「……なに」
「いえ、お嬢様が可愛いな〜って」
「……ふん」
満更でもなさそうだ。
空になったコップを回収。ベッドへ連れて行こうとしたら、拒否られた。腕をつかまれ動けない。
「え、どしたんすか?」
「――て」
「え?」
「寝れないから、一緒に寝て」
「……………!!??」
吃驚仰天な要求に思わず目を瞬かせる。聞き間違いか、と悩んでいると追い打ちが。
「一緒は、駄目……?」
「ヴッ」
上目遣いは無理である。タルトはアッサリ陥落した。
ベッド前にて。
「え、同じベッドで寝るんすか?」
「そう。じゃなきゃダメ」
「でもお嬢様。アタシ、体洗ってないんで汚いっすよ」
「なら一緒にお風呂入るわよ」
「あっ、それはダメっす。貴族令嬢とメイドが同じ風呂はダメっす」
「……命令。一緒に入りなさい」
「…………ハイ」
浴室内にて。
「え、お嬢様、何するつもりっすか……?」
「わたくしがあなたの背中洗ってあげるわ」
「え、ちょちょ、ダメっすダメっす!! お嬢様は湯船に浸かっててくださいっす!!」
「命令、じっとしてなさい」
「…………ハイ」
ベッドの中にて。
「お嬢様」
「なによ。わたくしのネグリジェが気に入らないのかしら?」
「逆っす。高級な布すぎで、快適すぎで、寝れないっす」
「あら、わたくしと同じね。なら眠くなるまで何か話をして頂戴」
「え、話っすか?」
「そうね、どうせならあなたの話を聞きたいわ」
「アタシのっすか? あんま気持ちのいい話じゃ無いっすよ」
「構わないわ。わたくし、タルトのこれまでのことを知らないんだもの」
うつ伏せになりながらマリベスはタルトの方へ向いた。
「わたくし、タルトとは〝お友達〟になりたいの。そのために、わたくしはあなたのことをもっと知りたいの」
「!」
そうか。彼女は貴族令嬢である前に、ただ一人の人間なのだ。自分と同じように。
勝手に『主』と『メイド』と区別していたのは己の方だったか。
「わかったっすよ」
夜も更けた頃に少女たちの話し声は止まった。
朝、2人が起きてこないことを不思議に思ったメイド長がマリベスの部屋を訪ねると、2人は手をつないで寝ていたという。
後にクラエット家の元メイド長はこう語る。
『苛烈な女侯爵と呼ばれるようになったお嬢様ですが、あの時だけは非常安心したような寝顔でいらっしゃいましたね。今も、現メイド長の前ではあのような顔をなさるときがありますがね』
【緋色の薔薇】の異名を持つ女侯爵、マリベス・クラエット。彼女の側には生涯、茶髪のメイドがいたという。彼女らの話は童話にもされ、男尊女卑という価値観を崩し、女性が社会へ進出、活躍する一歩を踏み出すきっかけにもなった。
大勢の記者が侯爵家を訪れ、女侯爵とメイド長にインタビューをしたが、必ず言及される『2人の関係性』について、彼女らはそれぞれ次の様に語っている。
『彼女がいなければわたくしはここまで成長することができなかったわ。わたくしの優秀なメイドであり、親友でもあるタルトに最大の感謝と親愛を』
『あの方はゴミ溜めにいたアタシを救い出してくれた救世主であり、生涯唯一の主であり、親友っす。あの方のためなら、アタシは何でもできるっすよ』
そして、最後にこう言うのだ。
『この絆は、永遠である』
読んでくださりありがとうございました。
出来ましたら、評価やいいね、感想などをいただけると嬉しいです。