出発
むかしむかし、あるところに、、、。
「マチルダ、いるかい?」
ウッドコール村の外れ、めったに人の訪れない森の奥深くにその小屋はあった。
「ジェイムかい?開いてるよ」
中から声がして「ジェイム」と呼ばれた老人は小屋の中に入る
「これ、いつもの」
そう言いながら、ジェイムが持っていた革袋をテーブルに置くと、奥からエプロン姿の若い女性があらわれる。
「いつも悪いわね、ありがと」
女性の声は、年若い外見に似合わぬハスキーボイス、もっと言えば老婆のようにしゃがれていた。
「風邪でもひいたのかい?」
「あたしも、もういい年だからね。体調くらい崩すさね」
「そうは見えないよ。君はいつまでも若々しいな、マチルダ」
「そう見えてるだけさね」
テーブルにティーカップを並べながらマチルダはお茶をそそぐ。
「まあ、せっかく来たんだ。ゆっくりしていくといい」
「そうさせてもらうよ。さすがにこの年になると森を歩くのも一苦労さ」
二人はフフと笑いあった。
マチルダは革袋の中から、何やら“石”を取り出し、拡大鏡で観察を始めた。
「純度が高い、、、良くないねぇ、、、」
「純度が高いとダメなのかい?」
「いや、ダメってわけじゃないさね。むしろ魔法使いにとってはありがたい。ただ、、、」
マチルダは急に立ち上がり
「ジェイム、悪いけどあたしゃちょっと用事ができた。これから旅に出る!」
マチルダの声は、それまでのしゃがれた老婆の声から、見た目相当の若々しい声に変わっている。
「相変わらず、切り替えが早いな君は、、、」
ジェイムはやれやれといった感じでお茶をすすりながら苦笑いを浮かべた。
真っ黒なロープをまとい、真っ黒なとんがり帽子をかぶり、うねうねと蔓の巻き付いた杖を片手に、箒にまたがったマチルダ。
「、、、そんな、いかにも『魔女でござい』みたいな格好で大丈夫なのかい?」
心配顔のジェイム。
「大丈夫、大丈夫!この“魔女の正装”は、関係者以外には隠蔽効果でみすぼらしい老婆か、あるいは黒猫の姿にしか見えないんだ」
(“魔女の関係者”ね、、、)
ジェイムには、老婆にも黒猫にも見えない。
「それじゃジェイム、気を付けて帰るんだよ。来週までには戻ると思う」
「君も気を付けてな。“おたずね者”なんだから、目立つ行動は控えろよ?」
「わかってるさ、あたしが何年“魔女”やってると思ってんだい?
そんじゃ!ハイヨー、シルバー!」
その掛け声で[SilverBaretto.Mark2]と刻印の入った金属プレートが埋め込まれた竹箒にまたがった魔女が空高く舞い上がる。
太陽は西の空に傾きかけていた。
ーー小国ソルエンルナ公国の東の外れ、隣国との境界線上に位置するウッドコール村と「帰らずの森」。そこが魔女・マチルダの縄張りだった。
彼女は定期的に出現する魔獣を狩ることを生業にしている。
魔獣は資源の少ないウッドコール村にとっては貴重な収入源であった。
獣型魔獣の毛皮や鱗は防具や服飾品に、その骨や植物型魔獣の硬い部位は圧縮加工して武具や道具として都市部の商会や外国に販売、輸出される。
肉や内蔵は貴重なタンパク、ビタミン源として食肉加工して村人の生活を支えた。
魔獣の肉は独特の臭みがあるので食用としてはほとんど流通しないが、ウッドコール村には特殊な食肉加工技術を持つ職人が何人もいて、村の名物になっている。この独特の肉の味にハマった元冒険者やゲテモノ食を嗜好する好事家たちがお忍びで訪れる“知る人ぞ知る”隠れた観光地、それがウッドコール村である。
それらの技術は全て、50年ほど前に帰らずの森に住み着いた魔女・マチルダによって村にもたらされた“恩恵”だった。
「帰らずの森」はかつて、魔獣が徘徊する立ち入り禁止の名もなき危険地帯だった。
100年ほど前「次元断層」と呼ばれる未知の空間異常が森の奥深くに突如発生し、そこから定期的に「魔獣」と呼ばれる危険な獣が出現するようになったのだ。
その次元断層は長さ約1mほどで、人体に害のある毒素を緩やかに吐き出してくる空間の裂目。
そこから魔獣は這い出してくる。
魔獣は通常の野生生物の何倍もの運動能力、殺傷能力を人間に対して躊躇なく奮う怪物だった。
その魔獣によって他の在来生物種は駆逐され、近隣に住む辺境の人々の生活はおびやかされた。
元々、ウッドコールは魔獣を森から出さないように要塞化された武装地区として、隣国サンアンドムーン王国との共同で作られた“ウッドコール要塞”と呼ばれた軍事施設だったのだ。
ソルエンルナ公国はサンアンドムーン王国の属国という立場から、半ば押し付けられるように「魔獣発生源の森」の管理を委託され、手に余った公国議会はウッドコール地域を“見捨てた”。
つまり、ソルエンルナの中央都市とは砂漠地帯を馬車で3ヶ月かけて移動しなければならない地理・距離的条件に加え、魔獣なる危険な敵性生物が棲息する森周辺を、ある種の“流刑地”としたのだ。
ウッドコール地区の歴史は「見捨てられし者ども」の歴史だった。
それまで魔獣防衛の任にあたっていた兵士に原因不明の謎の流行り病が広まったのもあり、兵士の代わりに罪人が送りこまれ、この時点で多くの流刑者が犠牲になる。
生きては出られぬ森、「帰らずの森」の名前はこうして生まれた。
そんな集落での苦しい生活の中、ある日政治犯としてウッドコール要塞に流刑されて来た一人の男が持ち前の政治的知識でもって罪人達を束ね始め自らを「村長」だと自称した。
「ウッドコール村」の誕生である。
ウッドコール村に流刑されていた罪人達は何とか魔獣と共存する方法を模索しつつ、ある時は大量の犠牲者を出しつつも村の風土病と化した謎の伝染病や極貧の生活の中、なんとか生きのび、罪人の中に農作業の知識を持つ者を指導者として選別し村組織を徐々に作り上げていく。
それでも、やせた土地に実る農作物は村人の生活を豊かにはしてくれなかった、、、。
それから何世代かが経過して、ウッドコール村がかつては流刑地だったという負の記憶も薄れていったある日、一人の魔女が帰らずの森に住み着く。
魔女は嬉々として魔獣を狩り、解体して素材化し村人に分け与えた。
「魔獣はあたしが退治するから、解体と加工はあんたらに任せても良いかい?」
魔女は村の風土病も治療してくれた。
こうして、魔女はウッドコール村の救世主として歓迎され向かい入れられたのだ。
それが約50年前の出来事。
それからのウッドコール村は辺境の惨めな流刑地から、魔獣を素材とする加工品の一大産地として変貌していくことになる。
そして、その魔女はいつしか“村の伝説”として語られるようになった、、、。ーー
そんな伝説の魔女・マチルダは隣国サンアンドムーン王国の地方都市ルナテラ市に降り立つ。周りはすでに夜のとばりが落りていた。
周りに誰もいないのを確認すると、またがっていた箒を片手に持ってブンブンと振る。すると、箒はみるみる小さくなっていき鉛筆サイズに縮んだ。
「さて、、、」
鉛筆サイズの箒を胸ポケットにしまいながら、マチルダは路地裏に歩みを進めた。
行き止まり。そこでマチルダは右に一回、左に二回、回れ右して足踏み三回、、、。
そんな動作をいくどか繰り返しゴニョゴニョと呪文を唱えると、路地裏の行き止まりに扉が出現する。
「マリッサ、いるかい?」
扉をガチャりとノックもせずに開けた。
「へっ、あっ、な、なに?」
扉の中には部屋があり、テーブルに試験管を並べて本を片手に何やら怪しげな作業中だった少女が驚いた様子で振り返る。
「お、お姉様!?じゃなかった、、、師匠。ご無沙汰しております。何ですか突然」
「驚かせてすまない。ちょっと情報がほしくてね。」
マチルダは説明を始めた。
ルナテラ市はマチルダの弟子、魔女見習い・マリッサの縄張り。
田舎暮らしで半ば隠とん生活のマチルダと違い、都会っ娘のマリッサは情報通である。
「いや、なに、ちょっと気になることがあってね、、、」
マチルダの説明はこうである。
マチルダの隠れた内職。ウッドコールの村人にも秘密の、ーー“村の賢者”と呼ばれる村内部で村長に並ぶ権限を持つ相談役を務めるジェイム以外はーー、誰も知らない本来の目的。それが“魔力結晶”の生成である。
魔力結晶は魔獣の眼球を天日干ししてできる“魔石”を“魔素溜まり”と呼ばれる特定の場所に数ヶ月~数年間放置し、魔素を吸わせることで生成される魔力の源。
それを精製加工して魔法具を作る。これが魔女・マチルダの本来の役目であった。
作られた魔法具は魔法秘密結社連合を経由して、各地に縄張りを持つ魔女や魔法使いに高値で取り引きされていた。
その魔力結晶の純度が急激に上がった。
純度が高いにこしたことはないが、それにしても異常な高純度。
ジェイムに回収を依頼していた魔石は、たかが数ヶ月しか魔素を吸わせていない“安物” のはずだった。それがこの高純度、、、。つまり、魔素量が安定していない。
次元断層をかかえる帰らずの森は、異空間に繋がる時空の裂目から絶えず魔素が流出している。魔素は通常は人間にとっては害となる毒素だが、適切に管理すれば魔力に還元して力を得られる上に無力化が可能な万能エネルギーだ。
魔力結晶の生成は、魔素の無毒化の目的もある。もしその魔素が無力化されていなければ、村に大きな被害が出る。ウッドコール村の風土病が復活する。短期間で高純度の魔力結晶の生成は、それを意味していた。
「今、すぐに健康被害が出る訳じゃないけど、これは長期的にマズいと思うんだよね」
マチルダは考え込むようにマリッサに告げた。
「お姉様、そう言えば、関連するかどうかはわからないんですけど、、、」
マリッサはつい最近聞いた、「ある街の一角が突如廃墟と化した」という都市伝説をマチルダに語りだした。
「わたしも噂話しでしか聞いてないんですけど、、、」
ある日、何の前触れもなく大きな地震によって一つの街の一区画が壊滅したが、その地震はひどく局所的で隣接する区画や近隣の街は少しの揺れも感じていない。しかも、その滅んだ区画は建物の倒壊以外、住民の怪我人や犠牲者は皆無。と、言うより、住民全員行方不明になっていた。というのである。
「マリッサ、その滅んだ街の場所はわかるかい?」
「さぁ、そこまでは、、、ちょっと待ってて下さい」
マリッサがあわてて隣の部屋から水晶球を持ち出し、テーブルにクッションを設置して呪文を唱えて水晶球をなで回すと、水晶球に一人の髭面の男が映し出された。
「あ?何だ、マリッサか?なんだい急に呼びだして」
「お姉様、彼はユニオンの協力者で行商人のロージェン。先程の都市伝説は彼から聞きました」
マリッサはマチルダに振り向き早口で説明してから水晶球に向き直り「昨日話してくれた都市伝説の場所はわかる?」と聞いた。
その後、ロージェンから大まかな場所を聞いたマリッサは、地図を広げてマチルダに“住民が消えた廃墟の街”の位置を説明した。
「お姉様お気を付けて。ロージェンの話しだと、今回の事件には警察じゃなくて軍隊が調査にのりだしてるって話しです」
「わかった。色々ありがと。また近いうちに顔だすから。それとーー」
マリッサが首をかしげてマチルダを見つめる。
「“お姉様”じゃなくて、“師匠”ね。し・しょ・う」
少女は「あっ」と手のひらを口元にあてた。
「たまには親に顔見せに帰りなさいよ」
「おね、師匠!あたしは家出中!」
「どんな親だろうと、死んでからじゃ仲直りもできないよ」
そう言いながら、マチルダは箒に乗って夜の空に消えて行った。
マリッサと別れたマチルダがその街に着いたのは明け方だった。
廃墟の街、、、。
局所的地震とやらが起こったのが数日前か、あるいは数年前かはわからないが、そこはまさに廃墟だった。
廃墟の入り口に軍服に身をつつんだ兵士が二人、小銃を携えて警備していた。
兵士以外の人影は見当たらない。
マチルダは素早く移動して廃墟に潜り込む。
「あっ!」思わず声が漏れた。街の中央、そこにあったのは帰らずの森にある裂目の数倍ほどもあろうかという巨大な次元断層が中空3mほどの高さに浮かんでいた。
(こんなもの、いつできた?)
マチルダが手製の魔力計測器を取り出し次元断層を調べると、まだできたばかりの裂目であるのがわかった。
ひとくちに次元断層と言っても、その性質には様々なパターンがある。
帰らずの森にある断層は、緩やかに魔素を排出しつつ魔獣が裂目から這い出してくる直結タイプの中型。これの対処方法は人為的に魔素を集める“魔素溜まり”を設置して魔石に魔素を吸わせて無毒化すれば、取りあえず人体におよぼす影響は無力化できる。あとは出てきた魔獣を退治する。
他には、小さな点のような裂目が複数発生して短時間魔素を吐き出し、しばらくしたら自然に消える小型群発タイプ。
そして、ここにあるのが地下にダンジョンを生み出すダンジョン生成タイプ。このタイプは裂目から魔素の排出はないが、その直下の地下を空間ごと歪めダンジョン化し内部を魔素で充たす。つまり、本体は地下に存在し、地上に現れている空間の亀裂は影にすぎない。
ダンジョンは地下に異空間を発生させて階層を構築し、魔素で充たされたダンジョンには魔物が出現するが、ある意味危険度で言えば直結タイプよりは低い。
ダンジョンに近寄らなければ危険は無いとさえ言える。
次元断層によって発生したダンジョンは時空間を歪めているので旧文明の遺跡が半物質化して出現することもあり、それが魔素と反応して天然の魔道具と化していたりする。
わざわざ危険なダンジョンに好き好んで潜る物好きは、その遺跡目的の熱心な考古学者か、お宝目当ての冒険者くらいであろう。
たが、それでも安全とは言えない。
マチルダはここにあるダンジョン・タイプの次元断層に違和感を感じていた。
(「次元断層は人を嫌う」。そんな諺がある。それは次元断層が人里離れた森や砂漠にしか発生しないから言われだしたことだ。それが街のど真ん中に?それに「住民が消えた」というのも不可解だ。みんなしてダンジョンに潜った?何かがおかしい、、、)
マチルダは倒壊した家屋をしらみつぶしに調査した。