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さくっと読めるお話たち

目覚めて見えた、金の泡が舞う光景

作者: 藤沢みや




 目が覚めた。



 ミルシェリカはぱちりと瞬くと、天井を見上げた。

 やわらかな薄桃色の薄布が垂れている。

 ……この布は、十八歳の成人を迎えた時に変えたはず……

 起き上がり、周囲を見回す。

 低めの白い棚にはお気に入りのおもちゃが並んでいる。

 十八歳の淑女が部屋に飾るには、幼過ぎる……陶器で出来た人形、犬や猫のぬいぐるみ、紙で作った花籠、手作りのヨレヨレの服を着た編んで作られた少年少女の人形など。


 亡きお祖母さまのくださった、おもちゃたち……の周囲に黄金色の小さな泡のような物が舞っている。


 ミルシェリカは起き上がって、その人形たちを手に取ろうとして違和感に気が付く。

 足の裏が、床に付かない。

 目を下げると毎日見えていた、邪魔な肉の塊がない。

 手のひらを見る。


 小さい。


 女性にしては大きくて指が長い、そんなあまり好きになれなかった手が、子供の頃のふくふくとした手になっていた。





 え?




 動きを止めて……もう一度、目を瞬かせて。そして鏡を探す。

 小さな頃に使っていた、綺麗な石を散りばめた可愛い花模様の手鏡を裏返す。


 あ……


 想像は付いていた。

 だが、本当に十二歳頃に戻っているとは思わなかった。

 ……戻って、いる?

 頭が痛い。






 ◇


 ミルシェリカ・バシュトヴァーは、バシュトヴァー伯爵家の嫡女だ。

 兄や弟たちはいたのだが、残念ながら幼児期に亡くなっている。母は五人もの子供を産んだが、成人まで生き延びたのはミルシェリカだけだった。

 これは、ミルシェリカがやや丈夫で、他の子供がややひ弱で運が悪かっただけだ。

 手を尽くしても、子供はすぐに死ぬ。

 たまたま、偶然、ミルシェリカが生き残っただけ。

 ただ、そうは言っても周囲は声を揃えるのだ。


「男が生き残れば良かったのに」

「女が生き残っても……」

「男の子も生まれていたのに……残念ね」

「女なんかが伯爵家当主になれるものか」


 ミルシェリカは懸命に勉学に励んだ。

 両親に、自分が生き延びて良かったと思ってもらえるように……

 周囲に気を遣い、寄親のバシュトヴァーエアル侯爵家から迎える予定の婚約者にも気を遣って、気を遣って、気を遣って、気を遣って……


 覚えているのは、十八歳の誕生日。

 その日に、婚約者のヨナーシュ・バシュトヴァーエアルが婚約を破棄してきたのだ。

 曰く

「女の癖に生意気だ」

「女の癖に気を遣えない」

「女の癖に冷たい」

「女の癖に学力をひけらかすな」


 無能な男の遠吠えだとしか思えなかった。


「男の癖に女々しい」

「男の癖に度量が粉末一粒」

「男の癖に細か過ぎて気が滅入る」

「男の癖にがむしゃらに努力も出来ないのか」


 言い返したら屈辱からか顔を真っ赤にして、眦には涙が浮かんでいた。

 みっともないし、気持ちが悪い。


 婚約者の誕生日パーティーに、春を売る女を隣に並べて嘲笑あざわらう男を見て、ミルシェリカは吐き気を堪えるのが大変だった。

 ここまでは覚えている。




 その後がわからない。




「お嬢さま……もうお目覚めですか?」

 侍女のレンカがにっこりと微笑みながら声を掛けてくる。

「おはよう、レンカ」

 声は……やや高い?

「おはようございます。お嬢さま……もう少しだけならお休みできますよ?」

 まるで内緒話をするように二度寝を勧めてくる侍女に、ミルシェリカの胸が温かくなる。

「ふふ……今日は珍しく、目覚めがいいの。もう起きるわ」

「まあ、今日の洗濯物は気を付けないと洗い直しになるかもしれませんね」

 軽口を叩く侍女は、自分の乳母子めのとごでもある。

 返事をしようとして、遠くから聞こえる子供の声に顔を上げた。

「あらあら、坊ちゃんは朝からお元気ですね」

「……え?」

「最近は夜ではなくて、ルミール坊ちゃんは朝泣きが多くなっているんです」


 末っ子のルミールが、生きている!


 ミルシェリカは、遠くから聞こえてくる元気な泣き声に、目をみはった。






 ◇


 あの子が……ルミールが生き延びれば、前の、面倒な人生をやり直さなくてもいいのでは?

 前の?

 夢?

 既視感?

 何でもいいし、そんなことはどうでもいい。

 あの面倒な目に遭わないかもしれないというだけで希望が湧く。


 ミルシェリカは、天啓を得たかのように大きく目を見開き、両の拳を強く握る。


 生かさなければ。

 あの子が生きていれば、私は嫡女じゃない。

 無能ヨナーシュを婿に迎えなくてもいい。


「レンカ、ルミールのところに行ってくる!」

「お嬢さま!?」

 素早く着替えると、ミルシェリカはルミールのところに駆け出した。

 ルミールが生きている!

 それだけで嬉しい!

 子供が生き延びるのが難しいとはいえ、やはり己の血を分けた兄弟だ。生きていてくれれば嬉しいし、やっぱり可愛い。

 ふぎゃふぎゃと泣く赤ん坊は、ちっちゃな手を握り締めて、懸命に生きていた。周囲に金の光が舞っているようにすら見えた。輝いている。

 はぁ~。可愛い。

 記憶にあるのはとにかく面倒な人生。

 母と一緒にルミールは死に、父は最愛の妻を亡くして生きる気力を失い魂が体から逃亡した状態。

 寄親から決めつけられた婚約者は、無能で莫迦で節操なしの尻軽ならぬ下半身軽々男。

 領内の執務をし、屋敷の管理もし、婚約者に媚びを売る毎日。辛く、草臥くたびれる日々。

「ぁあうぅ、あう」

 ふごふごと喋る弟の手に人差し指を近付ける。

 するとちっちゃな手で、きゅぅと指を握られた。

「か、かわっっ!」

 胸がきゅんきゅんする。

 こんなに無条件で可愛い存在が、生きていることが奇跡。

 これは四六時中張り付いて、この子を守らなければ!

「あらあら、ミルシェは赤ちゃんは苦手ではなかったの?」

 くすくすと笑いながら母親が部屋に戻ってきた。

 そう、ミルシェリカは小さな子供が苦手で、弟たちとはほぼ没交渉だった。

 夢の中では、そのまま没交渉のまま弟たちが亡くなったことを聞き、現実味のないまま葬儀に参列した。

 貴族の子供たちは、兄弟とはいえ性別が異なれば離れていることも多い。別段、薄情とは思われないはずだが……振り返れば、やはり自分は薄情だとしか思えなかった。

 夢の中では、何度も後悔したものだ。

「お母さま、おはようございます」

「おはよう。どうしたの?」

「芽キャベツが急に食べられたように、急にルミールが可愛くて可愛くて仕方なくなったのです!」

 勢いで本音を述べる。

 可愛い。

 守らなければ。

「ふふ。ルミール~。ミルシェお姉ちゃまが遊んで欲しいんですって~」

 と、母が赤子の頬をつ、と触る。

 ルミールが生まれる前年、弟二人は相次いで亡くなっていた。母の表情はやるせなさを含んでいるようにも感じられた。

 ふにゃりと沈むルミールの頬。

「はわ~、可愛い」

 ぱちくりと大きな瞳で母親を見上げる赤子は、それから母親に抱き上げられ、ご満悦だ。

 大事な宝物を見つめるようなやさしい眼差しの母親。聖母子像がここにある! 煌めいて見える。

「お母さまとルミールは、私が守ります!!」

 ミルシェリカは、声高に宣言をした。






 ◇


 その後、ミルシェリカは弟と母親の近衛騎士のように張り付いた。

 弟の年齢や起きた出来事から振り返って、今の自分は十二歳。なんだか長い夢のような別の人生は、覚えてはいるけれど、壮大な夢を見たような感覚があるため、誰にも公言できなかった。

 男の子が着るような衣装を身に纏い、母親と一緒に弟を育てる。

 ぷにぷにのほっぺは触りたい放題。

 可愛い笑顔に癒やされる。

 そんなミルシェリカを見て、母親は苦笑を浮かべつつも父親との時間が取りやすくなったため、家庭内は平和だ。


 この、平和を、維持!! したい!!!


 ミルシェリカは、別の人生? 夢? でなぜ弟が死んだのか思い出そうとした。脳内を探るように記憶を辿ると……三人とも、気が付いたら事故死をしていたのだ。

 四つ下の弟は水死。盥で水浴びをしている時に溺死をした。

 七つ下の弟は、いつの間にかベランダに乗り出して、転落死をした。

 このことは、夢と違っていないことを屋敷の者にも確認をしている。とても悲しくて残念でならない。

 確か……夢の中のルミールは、玄関ポーチに寄せようとした馬車の前に飛び出して、手を繋いでいた母親ごとかれて亡くなった。

 ……ような気がする。


 玄関ポーチは、植木鉢を置いて子供が飛び出せないように工夫をしてもらった。

 他にも子供に危険が起きそうな場所は日々点検して、父親に直してもらう。父親は、苦笑をしつつも受け入れてくれた。

 可愛い弟。

 やさしく笑う母親。

 穏やかで包容力のある父親。

 なくしてしまったものが、ある状況。

 自分が幼い頃に病死した長男、そして次男、三男が一緒にいられないのは悔しいが、今はまだあるぬくもりを守ることに専念をしようと思う。






 ◇


「ルミール坊ちゃん! 待ちなさい!!」

 元気に声を上げて弟を追いかけ回すのは、縁戚の側近候補の男の子たちと騎士の青年。

 ルミールは無事に四歳になった。

 遠く長い夢で見た弟は三歳頃、亡くなったはずだ。

 それを超えた。

 感無量でミルシェリカは両の拳を握り締める。

 響き渡る、弟の元気な声。

「やーー!」

「はいはい、我儘言ってもダメですよ~」

 ひょいと弟を小麦袋のように肩に担いで、少年と青年の狭間の騎士が笑う。

「おーりーるー!!」

 ジタバタと暴れる弟は、心身共に大変元気だ。

 母親とミルシェリカや侍女たちでは、弟の暴れっぷりを抑えられなかった。気が付くと消えているのだ。

 スカートをズボンにしたところで、体力が保たなければ追いつけない。

 父親に相談して、縁戚の一族からルミールの側近候補に二人、護衛に一人雇い入れた。別に大人の側近や護衛もいるが、ルミール専任なのはこの三人だ。

 暴れる登り魚のような弟を担ぎ上げているのが、七人兄弟の長男であるデニス・バシュトヴァー。分家の男爵家長男だから苗字が同じ。近隣に、バシュトヴァー家は山のようにある。

 弟が当主になるのであれば、私はたぶん分家のどこかに嫁ぐことになるだろう。父親にそう言われている。

 私は結婚しても、きっとミルシェリカ・バシュトヴァーのまま。

 時が流れて、もう十六歳。結婚を考えるには、遅過ぎるくらいだが、まだもう少しこのままでもいたい。

 三人が来てくれてからは、さすがにズボンはやめてドレスに戻っている。時たまズボンの楽さが恋しくて履いているけれど。

「姉さま~助けて~」

 弟があざとい『うるうる顔』で助けを求めてくる。

 ルミールは、自分が愛されていることを当然と思う子供らしい子供として育っていた。それに満足する。

 たくさんの愛を受け取って、そのうち、その愛をただ一人の人に真摯に注ぐ男の人になって欲しい。

 くすりと笑って、肩に担がれたままデニスがくるくるとその場で回るのを喜んでいるルミールに近付く。

「デニス、肩車をしてあげて」

 ひとつ上のデニスは笑って担ぎ上げた弟を肩車にする。落ちないか心配でそわそわする私に向かって破顔した。

「姫さまは、心配性ですね」

 にかりと笑われて、胸が弾む。

 遠く長い夢では起きなかった現象。

「私が心配性なのではなくて、ルミールが元気過ぎるだけだわ」

「ボク、元気ー!!」

 褒めてはいないのだが、ルミールは高い場所でご満悦だ。

 赤子の頃から変わらない笑顔。可愛いぃ。

 私は側近候補のマレクとミハルと手を繋いで館を目指す。

「マレク、ミハル、ずるい!! ボクの姉さまなのに!」

 上から非難の声が聞こえるが無視をする。

 この子たちは、ルミールよりは年上だが、まだ母親に甘えたい盛りなのに伯爵家へ来てくれたのだ。

「今日のおやつは何かしらね?」

 二人に問い掛ければ、もじもじとしながら「クッキー」「チーズケーキ」と希望のおやつをあげてくる。

「僕は、肉がいいですね!」

 元気な声に吹き出す。

「お肉はおやつじゃないんだぞ、デニス!」

 ルミールが正論を声高に叫ぶが、デニスはのんびりと「おいしいものはいつ食べたっていいんですよ~」と笑っていた。


 そして、今日のおやつはミートパイだった。






 ◇


 しっかり平和だ。

 私はミートパイを堪能しながら頬を緩める。

 寄親のバシュトヴァーエアル侯爵家は、変に我が家に口出しをすることもない。

 男だ、女だ。

 以前も面倒だと思ったが、今は『男』の父親が元気に領地をまとめており、『男』の弟が元気に生きている。

 それだけで、世間が放っておいてくれる。

 女だから、統治は無理だろう。

 女だから、当主は無理だろう。

 女だから、男の補佐がいるだろう。

 けっ。


 男が被害に遭えば、迅速に解決される。

 男が病気になれば、特効薬がすぐに作られる。

 男が悩んでいれば、可愛い売春婦が悩みを解決してくれる。


 けけっ。

 あの、遠く長い夢を見てから、私はひねくれ者になっていた。

 だけど、ミートパイはおいしい。


 夢の中の婚約者、ヨナーシュ・バシュトヴァーエアルのことは少しだけ調べてみた。

 調べたという証拠が残ると拙いので、噂を耳に挟んだ程度だが。

 彼……侯爵家三男のヨナーシュは懸命に婿入り先を探しているらしい。

 侯爵家で贅沢三昧をしてきた男が、男爵や子爵の暮らしぶりに馴染めるかは難しいだろう。最低でも伯爵家の婿がねを目指しているという噂だ。

 ルミールのいる我が家は目にも入っていないとのことで、安堵の息を零した。

 そういえば、夢の中ではあの人は婚約破棄をしていたけれど、あの春を売る女……売春婦はどこかのご令嬢だったのだろうか?

 そして、私は婚約破棄をされて、別の婿を迎えることは出来たのだろうか?


 ……夢よね。


 所詮、夢。


 整合性を求めたって夢なのだから、無理な話だ。


 ふわりと黄金色の泡が宙に舞う。

「え?」

 にこにこと笑顔でミートパイを頬張る弟の周囲に黄金色の泡が踊っていた。

「ルミールさまは、好かれていらっしゃいますね」

 隣のデニスが微笑ましげにルミールを見やる。

「え?」

 デニスは小首を傾げて「姫さまにも見えていらっしゃいますよね?」と確認をしてくる。

 こくりと頷けば、「たぶん、妖精たちの寵愛をルミールさまは受けていらっしゃいます」とデニスが呟く。


 妖精たちの寵愛。


 ぞくりと背が粟立つ。

 ――― まさか?

 妖精?

 いるわけがない、と遠く長い夢を見る前の私なら断言をしただろう。

 ……だが。


「きっと、光の屈折とか乱反射とか、そういう現象なんでしょうけど……妖精に愛されていると言う方が『浪漫』がありますよね」

 くしゃりと、デニスが笑う。

 背筋に感じていた悪寒というか寒気というかが、霧散した。



 妖精が愛し子を生かしたくて、時戻りをさせた。


 妖精が愛し子を生かしたくて、予知夢を見させた。



「ミートパイ、最高ですねっ!!」

 デニスののほほん声に苦笑する。


 なんだっていい。


 あの、面倒な人生を送らずに済んでいるのだから。




「姉さま~」

 ミートパイでぎとぎとの手を突き出して、可愛い弟が駆け寄ってくる。

「「ぎゃー」」

「はい、ルミールサマ、ダメですよ~」

 マレクとミハルが叫びながら濡れた布を確保し、ルミールの体に抱きつく。デニスは長い手足を生かして、ミルシェリカにルミールが抱きつけないよう頭部をふん捕まえていた。

 ぱちりと瞬く。


 面倒でも、この騒がしい面倒のがいいわ。


 ミルシェリカは声を上げて笑った。








 ◇


 その後、ミルシェリカは父親の補佐をしながら母親の手助けをし、弟ルミールが成長するのを見守った。

 傍らにはいつも分家の長男であるデニスがおり、二人はルミールの祝福を受けて結婚。

 デニスの生家、バシュトヴァー男爵家は本家の庇護を受けて少しばかり発展したが、周囲からのやっかみなどは湧かなかったという。



「デニス、お前、あんな頭でっかちな女を妻にして、息が詰まらねえか?」

 そんな幼馴染みのやっかみ混じりのからかいに、デニスは心底わからないという声音で答える。

「え? 綺麗で可愛くて、弟思いで心配性で、面倒見のいい奥さんが家の執務まで手伝ってくれてるよ。僕程運の良い男っていないと思う!!」

 夫の客人にお茶を持ってきたミルシェリカは、つい廊下で侍女と一緒に立ち聞きという状況になっていた。

 彼女は顔中真っ赤にさせて両手で隠していたため、目にしなかった。


 デニスの周りに、金の光が舞っていることを……







。*゜⌒*。*゜*⌒*゜*。*⌒*。*゜*⌒* ゜*。*⌒*。*゜






 ◆


 ミルシェリカ・バシュトヴァーは、運のない女性ひとだった。

 そんなミルシェリカの夫となったデニスは、せめて少しだけでも彼女が楽になるようにと気遣ったものだ。

 バシュトヴァー男爵家は次男……は、要領よく他家に婿養子に行っていたので三男に任せ、本家のバシュトヴァー伯爵家に婿入りをした。


 それまで、ミルシェリカがどれだけ頑張っても支えようとしなかった分家たちは、分家筆頭のバシュトヴァー男爵家の長男が婿入りをしたと同時に手のひらを返した。


 『男の世界に入ろうとする女が悪い』という謎の秩序を持ち出して、『身勝手な理由で婚約破棄をされ、それでも健気に父親を支え、女手ひとつで領も館も支えようとする女の子』に、冷たい仕打ちをした。


 男共は、自分たちがどれだけ残酷かは気が付いていない。

 まるで当たり前のことのように、本家の当主を爪弾きにして悪びれない。

 男の世界に女が入ろうとすると、声高に罵る者が多い。

 ならば、誰かが彼女を助けてやればいいのに、それもしないで悪態を吐く様はみっともなかった。

 性別が女であるというだけで入れない豪華な喫煙部屋シガールーム。そこで決められる、当主の知らない物事。

 自分が婿入りをして、男しか入れない空間に足を踏み入れた際は強要される『身分の高い妻に対する侮蔑の言葉』たち。

 面倒だな。

 それを表情に出さずに、空気の読めない男を演じる。

 妻は可愛い。

 頭がいい。

 やさしい。

 どれだけのほほんを演じながら真実を述べても、誰も相手にしない。

 のらりくらりと、当主への悪口を引き出そうとする。

 だが、俺はそんな手口には引っかからない。

 引っ掛かって堪るか。

 笑顔でのほほんと、頭上を通り過ぎる女々しい言葉の数々を記憶する。

 妻に内緒で、排除をするために。






 ◆


 ミルシェリカ・バシュトヴァーと婚約破棄をしたヨナーシュ・バシュトヴァーエアルの人生は、急転落した。

 最高級の物で満たされた生活は最底辺の物に変わり、彼は日々くだを巻いている。

 だが、取り戻そうとした地位には既に俺がいて、取り返せない。

 父親に縋ったようだが、とりつく術もなくあしらわれたらしい。

 手の者が教えてくれた。

 自分から破棄した婚約に縋るなど、侯爵家からしたら大層惨めな所業だ。

 俺は念のためにヨナーシュの敵対派閥に、彼が転落中であることを広めた。

 きっと、あくどい連中に骨の髄までしゃぶられるだろう。ざまあ見ろ。


「デニス、お茶にしましょうか……」

 疲れた表情を隠しもせず、愛しい妻がソファに腰を掛ける。その隣に座って、彼女の頭を肩に寄せる。

「……デニス、お茶が飲めないわ」

 苦笑する妻の目元にはくま

 彼女は一人で立っているしかなかった。

 誰にも頼れない……否、頼らせてもらえなかった。

 足を震わせながら、重い荷物を背に、懸命に歩み続ける様は悲哀に満ちている。

 俺の可愛くて、可哀想なお姫さま。

 俺がもっと勉強していたら、あなたはもっと楽が出来たのに……

 そう謝るのも、彼女に負担を掛ける。

「少し、仮眠をしましょう?」

 やさしく声を掛ければ、彼女は困ったように笑う。

 満面の笑顔を、彼女と結婚してから見たことがない。ただ、あともう少しで見られそうではあるが……






 そんな彼女が、二十代の若さで亡くなった。

 産後の肥立ちが悪く、まだ幼い息子と娘を残して儚くなった。

 義父のようにすべてを捨てて嘆き悲しみたかったが、そんなことをしたら二人目、三人目のミルシェリカが生まれてしまう。

 俺は、歯を食いしばって二人の子供を育て、彼女が育ててきた領官と共に執務を回す。

 ああ、面倒くさい。

 彼女もいないのに。

 でも、最愛の彼女の残した子供たちのためにも踏ん張らないと。





 そして、俺は寝台で大往生。

 いつも周囲にあった金の光がふわふわと舞っている。



 次は、もっと楽で楽しくて、ミルシェリカが笑っている人生がいいな……

 確か、彼女には亡くなった兄弟がいたはず……その子たちが生きていて、俺が男爵家当主で彼女は俺の手伝いをちょっとしながら、子供たちと笑顔で暮らすんだ……

 今世は無理だけど、来世とか、巻き戻ってとか……

 そんな風になればいいのに……



 俺の取り巻きじゃない金の光が集まってくる。



 ミルシェの? それとも彼女の兄弟たち?

 それとも……傍にいる、二人の子供の?





 そして、光に包まれた。







 ◆


 目が覚めた。

 俺は十三歳の体になっていた。

 なっていた? 戻っていた?

 まあ、どちらでもいいだろう。壮大な夢かもしれないし。



 ミルシェリカは、前の人生のことを夢だと思っているようだった……否、夢と思いたいのだろうか。

 ただ、あの人生は余程嫌だったようで、懸命に回避をしようと動いている様は伝わってくる。

 今回の俺……僕は、きちんと勉強をしていた。

 目標は、彼女との幸せな結婚!!

 家族にも、本家の姫さまラブ! 本家の姫さま最高! と公言し、あわよくば紹介でも!! と考えての行動だ。

 頭を鍛え、筋肉も鍛え、本家に少しでも僕の良い噂が届くように邁進する。

 俺と言っていたのを『僕』に変え、ちょっと朴訥さを意識してみているのだ。成功しているかどうかはわからない!!

 だが、折々の一族での新年会や懇親会などでは挨拶くらいは可能になった。彼女の脳裏に残っているかは定かではないが。

 今のところ、彼女の輿入れ先としては我が家バシュトヴァー男爵家が有力候補だ。いやっほー! ひゅぅー!!


 さらに幸運が舞い込んで、僕は姫さまの輿入れ先候補としての相性確認&ルミールさまの護衛&バシュトヴァー男爵家未来当主としての研鑽を積むため、バシュトヴァー伯爵家に住み込みで働けることとなった。




 万歳!!





 ミルシェリカさまは最高可愛い!

 そして、ルミール坊ちゃんは生意気可愛い!

 僕はこのチャンスを逃すまいと、必死に食らいつく。

 ここで伯爵さまに認められれば、彼女の夫に近付けるのだ。頑張るしかないだろう。

 庭でルミールさまを担ぎ上げていると、姫さまが寄ってきた。

 ててて、って感じで可愛い。

「デニス、肩車をしてあげて」

 姫さまが笑いながら見上げてくる。

 何度でも言う。可愛い。

 ひょひょいと肩車をすれば、ルミール坊ちゃんが頭にしがみつく。地味に痛い。

「姫さまは、心配性ですね」

 笑えば、姫さまはうっすらと頬を染めてもごもごと話す。

 はっわっ~~~。

 かっわっっい~~い~~~。

 彼女は照れながらマレクとミハルと手を繋いで歩いて行ってしまう。

 胸の中がぽかぽかする。

 彼女がまだ緊張気味の二人におやつについて問い掛ける。その会話に強引に混ざれば、ミルシェリカが吹き出した。

 そんな笑い方をする彼女を、初めて見た。

 嬉しい。


 ぽわり、と金の光が舞う。


 最近、頻繁にこの金の光が舞うのだ。


 今は、大きな口を懸命に開けてミートパイを頬張るルミール坊ちゃん周辺に溢れている。

 ああ、やっぱりこの方が『妖精の寵愛を受けし子』か。

 ふっと胸に落ちるものがある。

 だから、僕の願いが届いたのだろう。


 隣のミルシェリカが目を見開いて見つめている。

「ルミールさまは、好かれていらっしゃいますね」

 ルミール坊ちゃんを見つめながら言えば「え?」と問い返される。

「姫さまにも見えていらっしゃいますよね?」

 念のために確認をすれば、彼女はこくりと頷いた。

 僕は遠い夢の中の彼女を思い出しながら言う。

「たぶん、妖精たちの寵愛をルミールさまは受けていらっしゃいます」

 僕にとっては大事な彼女。

 今の隣の彼女も、僕にとっては大事な彼女。

 あちらの彼女も、こちらの彼女も、僕にとっては唯一人の女性ひと

 だから、不安にするのは本意ではない。

「きっと、光の屈折とか乱反射とか、そういう現象なんでしょうけど……妖精に愛されていると言う方が『浪漫』がありますよね」

 からりと笑えば、姫さまが固まっていた体をほぐすように身動みじろぎした。

「ミートパイ、最高ですねっ!!」

 それを気にしない振りをして、明るく言えばミルシェリカが声を上げて笑う。




 見たかった笑顔だ。

 僕は、涙を堪えて……ミートパイでぎとぎとの手を突き出してミルシェリカに触れようとするルミール坊ちゃんを制したのだった。






おしまい





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