7. 子犬と正体
薔薇の咲き乱れたアーチを潜ると王子を出迎えるべくメイド達が集まっているのが見える。
馬車が止まり、パトリックとセシルが先にコーチから出れば、屋敷の扉が開かれアルフォンスが満面の笑みを浮かべながら歩み寄ってきたようだ。
「セシル殿下、ようこそお越しくださいました。」
その言葉に全く興味がないのか。
セシルの視線はこちらに向けられたままで、私の手を取るとコーチの外へと促す。
それを見計らったかのように飛び出してきた子犬。
一直線に走り寄ってきたかと思うと簡単に腕の中に飛び込んできた。
見覚えのあるその姿に驚いたものの毛並みに沿って撫でてみれば気持ちよさそうにしている。
「ラヴィニア!そんな汚らわしい生き物に触れるんじゃありません!」
「…汚らわしいって僕等に喧嘩売ってるのかな?ねえ、パトリックもそう思うよね。」
「そうですね。私にもそう聞こえました。」
「そんなに怒らせたいの。」
「も、申し訳ありません!」
「次は有無を言わさず食べるからね。」
ギセラは恐れ慄いているようだが、それよりもオスカルの様子が気になると歩き出すとそれを遮るように掴まれた腕。
振り返ればセシルが笑みを浮かべていた。
「なんですか?」
「多分、君が心配していた彼。腕の中にいるんじゃないかな。」
「…何言って…?子犬ではなく人間の男の子ですよ。」
「うん、そうだろうね。」
そう言った彼が子犬に触れると一瞬電気が走り、それと同時に先程の倍以上の重みを感じそのまま後ろに倒れかかったが、パトリックによって支えられたため尻もちつくことはない。
そこには大男の一件があってからベッドでずっと眠っていたオスカルの姿が見える。
「オスカル…?怪我は大丈夫?私のせいで、ごめんなさい。」
「ラヴィニア様!」
「?」
「俺、ラヴィニア様にします!優しくていい匂い。」
「あーあ。彼に好かれると大変だよ。特に群れに属してない犬は飼い主に依存する。」
「飼い主…?どういう意味ですか…?」
「え?まさかラヴィニア。知らないわけないよね?」
彼の驚いた顔に何か忘れている設定があっただろうかと頭をフル回転させた。
とはいえ、断罪された悪役令嬢のその後など描かれているはずもない。
「ラヴィニア様は他国出身ですから、存じている方がおかしな話です。」
「それもそうだね。」
「ごめんなさい。私の知識不足です…。」
「違うよ。僕の言い方が悪かったんだ。」
「ええ。今のはセシル殿下が悪いですからお気になさらず。」
「君に言われるとなんか腹立つけど、まぁ良いや。ここは魔獣の住む国だから皆、何かに変身できるよ。」
「魔獣…?」
「うん。君が心配していたオスカルは魔犬と言って、彼が本気を出せば魔兎に負けるはず無いのに。どうして抵抗しなかったのかな。」
わからない単語ばかりが出てきたことに頭が混乱してきた。
ここが魔獣の住む国?
確かにオスカルが子犬の姿から人間へと変化したのは自分の目で見た事実だから否定するつもりはないが、彼の言葉全てを簡単に呑み込めるほど単純な頭はしていない。
そもそも魔兎って誰のことだろう?
まさかアルフォンスやギセラのことを指しているのか。
ぐるぐると考えていると抱きついていたオスカルが顔を上げた。
「ラヴィニア様みたいな優しい匂い初めてだから…。」
「群れに属さない君にとってはここがその代わりだったわけか。それで?今もそうなの?」
「ううん!ラヴィニア様に手出しする魔兎は全部食べるよ!ちょうどお腹空いてるんだ!」
エヘヘと楽しげに笑うとぺろりと舌なめずりする姿が見え、アルフォンス達は恐怖で変化が解けたのか。
白く長い耳が頭に生え、ぶるぶると震えているようだ。
「さぁ、ここからが問題。今のオスカルを止められるのは僕らだけだと思うけど。君等は何を差し出してくれるのかな。」
「そ、それならラヴィニアの命を!人間を食せば魔獣である我らは…。」
「それ以上くだらないこと言うと"オレサマ"が喰うぞ。」
遠くに居たはずのセシルの姿はアルフォンスの横にあり、耳打ちすると大きな牙を見せながらにんまりと笑みを浮かべる。
彼を本気で怒らせてしまったことを瞬時に理解した彼はその場にしゃがみこんで身体を縮こませた。
「妻の命を簡単に差し出すような輩は国の恥。というわけで、この婚姻は無かったことにするから。ギセラさん、異論はないよね。」
ちらりと視線を向けてみるが、先程のセシルを見てしまった彼女は声も出せずただただ何度も頷いて肯定する。
その姿に満足したのか。
牙をしまうとラヴィニアを連れて城へと戻っていくのだった。