マージル王妃という人 Part3
「猿がいないんですよ……」
「さ……る……?また面妖なことを言い始めたわね……」
「全ての生物は環境の変化に合わせて、長大な時間をかけてその姿を変貌させていく――というのが、地球で定着している“進化論”という考えです。生物は何万年という長い時間をかけて姿を変えていくのです。魔物のように即座に形を変えたりはしません。地球には人間と同じ祖先を持つ猿という種が、それこそ世界中の至る所に生息しています。毛皮を被った人間の子供のような姿で、木登りが上手です。顔は人間によく似ていて顔の正面に目があります。人間ほどではありませんが、手先が器用です。群れを作ります。……旅の道中にも、動物園にもいませんでした」
「おさるさん……。そう言えば、コア・マグアに来てから見たことも、聞いたこともない」
俺はハルに続いてお后様、ヨキルア侍女長の順に目を合わせていった。
「……」
「……いいえ、存じ上げません」
「地球ではあれだけ繁栄を誇っていた猿が、この世界には全くいない。環境に適応できずに絶滅したのでしょうか……?いえ、恐らく違います。猿はもとより、我々の祖先である類人猿も、そもそも始めからこの世界にはいなかったんです……。だとしたら、どこから人間は来たのでしょうか?」
「……地球……なのね?」
「……お后様の思考の柔軟さには感服いたします……恐らくそうです。この世界の人間は全て、落とし子の子孫なのです。そこで睨みをきかせているツツエさんもエンペさんも、ヨキルア侍女長も……勿論、お后様もです。先祖を辿れば、最初期の落とし子に行き着く。そう私は読んでいます」
「本当だとしたら、まさに目から鱗ね……帝国の聖職者が聞いたら卒倒するわ」
「私達落とし子とあなた達は根本的には何も変わらない。同じ人間です。私はそれを知っています。落とし子を迫害してきた歴史?風習?畏怖の感情?これまでのことなど、知ったことではありません。大事なのはこれからです。もし罵詈雑言を浴びせられるようなことがあっても、私のこの考えは変わらないでしょう」
「茨の道ね……。……ふぅ。でも、ミストさん。あなたが言うアイデア、どれもこれも一朝一夕では実を結びそうにないものばかりよね?私、そんなに気が長い方ではないのよね……」
おいおいおい……これでもダメなのかよ……。まさか落とし子が祖先だなんて言われて、気分を害したか?悪手だったか!?
「他に……何か、こう……ないかしら……?もっと私を楽しませてくれるような……何か……」
お后様は上半身を前のめりに倒した。顎に添えられた指の間からは、意地悪な口元が姿を見せる。物腰が柔らかであるように見えて、実のところ大胆である。最初から手のひらの上で踊らされていたのではないかと疑心にかられる。
俺は冷や汗を垂らしながらハルを見た。もう何も残されちゃいない。いや、ひねり出せ。膝の上にある俺の手にハルの手が優しく重ねられる。俺は必死に鼻水が垂れてくるのを堪えた。どうした!?こんなものだったのか?やれることはまだあるはずだ!目頭が熱い。
「うふふ……なんて、ね」
そう笑った淑女は上半身を起こして背筋を伸ばした。
「もう何もないようね……。最後にひとついいかしら?……あなたの幸せって何かしら?」
幸せか……そんなの決まっている。ここ最近――日本にいた時には忘れていたことだ。今ならはっきり言える。俺には好きな人がいるのだから。
「好きな人が、笑顔でいてくれることです」
「――少しお待ちになって」
お后様の衣服と座っていたソファが音を立てた。そのまま階段を上がり、机の反対側に回り込んで引き出しを開ける。
「ごめんなさいね。元から許可は出すつもりでいたのよ。けれど何か引き出せないかと思ってね。鎌をかけたの……私の悪い癖」
お后様は椅子に腰掛けると筆を執った。さらさらと筆を踊らせる音が部屋に響いた。
・
・
「――これをお持ちなさい」
お后様はハルに丸めた紙を手渡した。施された封蝋がオレンジの照明に鮮やかに照らされた。
「勅命に次いで権限のある下命です。誰も異議を唱えることはないでしょう」
「お母さま……っ!」
「それと、ミストさん。これだけは勘違いしないで頂戴ね。先程ああは言ったけれど、私はこの子を初めて見た時から今日に至るまで、この子を“落とし子の特別な子”だと思ったことは一度もありません。一人の人間――そして大事な娘。そう思って成長を見守ってきた。それは間違いなく真実よ」
「お后様、尊大な物言いばかりしてしまい大変失礼致しました」
「いいの。けしかけたのは私だもの。それより早く行きなさい。扉の向こうで今か今かと吉報を待ち望んでる人達がいるでしょう?」
「はいっ!感謝致します!」
「ありがとうございました!」
「んーなんかモヤモヤすっけど、じゃぁなっ!」
俺達は慌ただしく部屋を飛び出す。扉を勢いよく開けるものだから、オグナバス団長は目を丸くした。しかし俺達の表情を見るや、全てを察したように微笑んで見せた。
「やったのですね、ハル!」
「はいっ!ミストのお陰で!」
「それなら、行きなさい。あなたの家族が待っています」
ハルは例の敬礼をすると、俺達がもと来た道ではない方向へ駆け出した。
「勇者ミスト!」
後に続こうという俺をオグナバス団長は呼び止めた。
「ありがとう」
突き当たりの扉を開けると、そこは昼間のように明るく照らされた部屋であった。数名の人影があったが、一際目に付くのは見覚えのある巨漢の男だ。
「ウォッズ!!」
「……っハル!」
ハルは勢いを殺さず、そのままウォッズに飛びつく。ウォッズは堂々とハルを受け止めると、再会の喜びを腕に込めた。
「何だよ、おめぇ!遅かったじゃねぇか!!」
「ごめん!でも、これでも急いだつもりなの……」
「ここまで来れたってことは――」
「この通り!」
ハルは満面の笑みでお后様から頂戴した文書を、これ見よがしに掲げて見せた。
「でかした!おめぇらよく聞け!今より勇者ミストの護送任務は、“新陽の雷霆”が引き継いだ!段取り通りいくぞ!」
一様にウォッズを眺めていた影達から歓喜の相槌が漏れた。
「まだ喜ぶのは早いような気がするなー」
「そだな。まだミストの魔王化の真相が解明された訳じゃねぇしな」
俺達のひそひそ話をウォッズは聞き逃さなかった。
「なぁに言ってんだ!研究所に入っちまえばこっちのもんだろ!?」
ウォッズはその逞しい腕で、俺の首から胸にかけてをホールドしながら歓声を上げた。
「へっへっへ……ミスト~!流石は俺が見込んだ男だ!よくやってくれた!恩に着るぜ!!」
「あはは……お久しぶりです」
そしてウォッズは上下の歯茎までしっかりと見えるように、これでもかと笑顔を作るのだった。無邪気に微笑むその顔を見ていると、海賊王を目指す麦わらの少年の顔が頭をよぎった。
「魚の精霊もありがとなっ!」
「魚じゃねぇっ!」
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