異世界 Part5
宴会を彩った旋律がやみ、元の静けさが戻ってきた。
俺は世話を焼いてくれそうなひとりに声をかけ、小さなテントに案内してもらった。小さなとは言っても、足を広げて寝られるぐらいのスペースはある。今日の寝床だ。他の面々は青空教室で雑魚寝がいいところだろうから、ここは当野営地のスイートルームな訳だ。
さっきの人が風邪をひかないようにと用意してくれた数枚の布がある。それを地面に重ねて敷いて寝転がってみた。六畳一間のベッドとまではいかないが、なかなか悪くないじゃないか。さっきの人に感謝だ。
イルーはとっくに夢の中である――精霊が夢を見るのかはわからないが――気持ちよさそうにぷかぷかと宙を浮かんでいる。さぞ腹一杯になって満足だろう。
あの湖での出来事がまだ鮮明に瞼の裏に蘇る。胸が踊り、元の世界のことなどどうでも良くなってくる。今なら思う。俺は狭い世界にいたのだ、と。あの竜が何処までも空の彼方へ飛んでいけそうなのと同じように、今の俺も何処までも行けそうな気がする。まるで就職する前――学生時代に戻ったかのようだ。人生の夏休みとでも呼ぶのだろうか。そうこう考えているうちに夜は更けていく。
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すっかり眠れなくなってしまった。
こんなときスマホがあればと心から思う。いや、スマホと言わず紙のノートでもいい。柄じゃないが、この感動を日記にでも綴っておきたい気分だ。そう思った矢先、俺の目の前に既視感しかない半透明なウインドウが出現した。俺は飛び起きた。
ウインドウのタイトルは“新しい文書”。その下には小さな縦の棒が点滅している。パソコンで文字を打つ時に出るあれである――たしか“キャレット”といったか?俺が目を見開いているとウィンドウの下にこれまた既視感しかない沢山のボタンが表示された。キーボードである。まるでワープロじゃないか。まさかと思い、キーを押してみる。
あ
ちゃんと入力できている。これもイルーの魔法か?イルーは相変わらずテントの中をしんとしながら浮かんでいるが……。そしてウィンドウの右上にはしっかりとバツマークがある。指で触れてみると、保存しますかのポップアップメニューが出た。保存を選択するとウィンドウが消えた。再度念じてウィンドウを呼び出して見たところ、しっかりと打ち込まれた文章が表示されている。
日記のような覚書のような、とにかくこの異世界に来てからのことを綴っていこうと思う。
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小鳥のさえずりが聞こえたのを機に、寝返りをうち疲れた体を起こす。いつの間にか遠くの空が明るくなっている。一睡もできなかった背筋を伸ばし、とりあえず顔を洗おうと仮設の流しに歩を進める。
――どうかあいつがこの先、どうしようもなくなっちまったときは助けてやってくれないだろうか?
脳裏に昨夜の大男――ウォッズといったか?――の声が響く。そんなこと言われてもな……。見たところハルという人物は俺なんかより、よっぽど地に足をつけて生きている。この先、俺が助けられる方が多いに違いない。
――どうか頼むな。
「俺なんかが人を助けられる訳ないだろ……」
「おはようございます」
「だぁあ゛っ!!――ぃでっ!」
ドデッ!
独り言を呟く俺の真横で突然発せられた声は、昨日と同じく俺を後ろへ飛び上がらせた。慣れない異世界で過敏になっているのだろうか?そんなに怖がりではなかったはずだが……?俺は地面にお尻がついたままもう身支度が済んでいるハルを見上げた。……“ズッコケた拍子に宙を舞って、仕舞いには俺の頭に乗った桶”の端をちょいと手で持ち上げながら。
「大丈夫ですか!?」
ハルの呆れた眼が俺の視線と交差する。
「あ、ははは……おはようございます。早いですね」
「はぁ……驚きすぎですよ。今のは魔法ではないのですから」
ハルが桶を元の場所に戻してから俺の手をぐいと引っ張った。体格差からハルはかなりの体重を後ろにかける格好となった。
「ゴホン……朝食の後、すぐに出発です。それまでに準備をお願いします」
俺はハルがいなくなるまで、その小さな後ろ姿を目で追った。
「ょぉ!相棒!なぁ~に見とれてゃがんだょぉ?」
「イルーか……おはよう。別に見とれてる訳じゃないんだよな……」
俺の命はハルにかかっていると言っても過言ではない。ハルが一声送還の呪文を唱えれば、俺はきっとあの雑居ビルへ帰るのだろう。もし、そうなれば俺は……。
昨日の車上で還りたくないと言い出すタイミングはあるにはあった。しかし、何となくそれを言い出すのは憚られるような雰囲気だった。ハルの確固たる覚悟があの場を支配していたのだろう。
結局俺はモラトリアムを頂いた。旅の終わりに「やっぱりこの世界に居続けたい」とハルに告げよう。ただ、それまでにハルを納得させられるだけの材料を集めなくてならないだろう。どんな仕事に就くか、どんな場所に住むか。決めていかなければならない。
「いただきます」
俺は一新気合いを入れて、昨日の残り物とパンを口へ放り込む。そこへウォッズが一人の男を連れてやってきた。
「おはよう!ミスト。二日酔いにはなってねぇか?こいつが昨日言ってた適当な奴だ」
「なんすかぁ?適当な奴って?」
「この場合の適当ってのは良い意味だぞ」
見たところ二十代後半から三十代ぐらいか?ウォッズとまではいかないが、体格の良いいわゆるイイ男だ。
俺も立ち上がり握手をする。
「ロアディードだ。皆ロアと呼ぶ。よろしくな」
「ミストです。昨日の宴会にはいなかったようですが?」
「ああ、昨日は西のテントで見張り番の後寝てたんだ。さっき団長に叩き起こされるまではね――ふぁぁ……」
「ちょっと人より多く寝ちまう癖はあるが、頼りになる奴だ。どうか役に立ててやってくれ」
「はい、よろしく頼みます」
第一印象の良い奴だ。俺もこんな爽やかな笑顔が出せたら、日本でもっと出世できていたのだろうか……?内心僻みっぽくなりつつ残りの食事を済ませた。
野営地だった森の一角はすっかり片付き、何もない平坦な土地に戻った。新陽の雷霆は俺達と別れた後も王都へ続く帰路を進む。
ハルとロアのニ人は見送りにきた人々と別れの挨拶を交わしている。
「勇者様、まさかその格好で旅立ちになられるのですか!?」
餞別の保存食と少しの路銀を渡してくれた人が驚きの表情で聞いてくる。
「え……?やっぱりおかしいですか?」
「え、ええ……。腕の立つハルとロアですら、最低限の武器と防具は装備していますから……」
そうだよね。気付いてはいたんだけどね……。ハルもロアも全身鎧といった如何にも戦闘員らしい格好ではなく、普通の服の上に革でできたグローブやブーツを装着した比較的軽装である。しかしプラスでハルは右側にだけ金属の肩鎧、腕当てと籠手を、ロアはとても大きな背嚢と下半身を守るためか立派な毛皮のスカートを履いている。そして腰にはただの旅人ではない証拠に立派な剣を佩いている。魔物が出てきたときにあれで撃退するのだろう。
「ぁ~それなら心配するなよ。俺が防御魔法かけとぃてゃるから」
「おお!イルーよ。頼もしいじゃないか」
「けっ!ぉまえの身に何か起こると、俺までぉかしなコトになりそぅだからな!最低限は守ってやるょ。最低限はな!」
「ありがとうよ~心の友よ~」
俺はイルーをギュッと抱きしめて、揉みしだいた。――ただ、触りたかっただけだが。
「ぬぁー。やめれー」
何十本という腕が朝焼けの空めがけて高く上がった。握られた拳は俺達が見えなくなるまで何十本もの陰を作った。後で聞いたが、これはこの世界のさよならの挨拶だという。
今生の別れのような壮行のあと、眩しくないように顔を右に向けながら俺達三人、と一匹は新陽の雷霆とは別の道を歩み始めた。
ご愛読ありがとうございます。新陽の雷霆の名の由来はウォッズのイメージがゼウスとかトールだからです。安直(笑)。深く掘り下げてはいませんが、ウォッズは魔法が使えません。にもかかわらず魔道士団を率いる団長をしています。その風貌通りの頼りになる漢なのです。
追記
ご愛読ありがとうございます!
なんとブックマークに追加すると2PTが!
下の★↓の数×2PTが!
評価ポイントとして入るようです!!
そして評価ポイントが高いほどランキングに入って
皆さんに読んでいただけるということで……ぜんぜん知らなかった(;・∀・)
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