心とカラダ Part3
「――聞いてますかっ!?」
いいえ、聞いてません。ふと気付けば、俺の太股に何かが乗っている感覚がある。恐らくはハルの手だろう。俺は正体を確かめるために空いている手をその上に被せた。それから、気持ちよくなっている頭をどうにかハルの方に向けようとした時だった。俺の腕側面に決して重いとも言えない、重みが倒れてきた。
「私、悪い子なんです……」
「へ……?」
俺は何とかしてソファの背もたれに乗っけたどうしようもない頭を起こした。その起こした頭をハルの両手が包み込む。そのまま俺の頭は倒れるようにハルの元へ誘われるのだった。
汗と香水が混ざり合ったような悩ましい香りが鼻孔深くまで送られてくる。意識にかかる靄が晴れていくにつれて、俺の唇に伝わる何とも幸福な柔らかい感触の認識が進んでいく。
これまで生きてきた中で、これほどまでに柔らかな物が自分の粘膜に触れたことなどあっただろうか。噛んだらプチンと破れて弾けてしまいそうなそれは、小刻みに震えていた。鼻と頬の間に吐息が当たる。俺の吐息もまた、ハルの顔に当たっているに違いない。暖かくも冷たくもないその少し湿った唇は、やがて俺の元を離れて俺の瞼を開けさせた。ハルのうっすら開けた眼が実に艶めかしく俺を見つめていた。
「……ねぇ……シましょ?」
その官能的な吐息は一瞬俺の理性を奪いかけた。しかし俺の人間的な部分は見事に野獣を押さえ込むことに成功した。
「……でも……セイカが戻ってくるのでしょう?」
「来ませんよ」
そう、うっとりとした顔で言い放ったハルは片手をソファの下に伸ばした。
「実はこの部屋は、ビンテンさんの名前で借りてる部屋なのです」
右足、左足とハルは器用に靴を脱いでいった。まるで今日一日の働きを労うように。
「――だから、誰も来ませんよ」
やられた。そうか、だからベッドが一つしかないのか。耄碌も大概にせねば。ハルがこんなに大胆だったとは……。
「今夜は、私を好きなように……してください」
足が伸びてくる。ハルは後ろに倒れて頭を長いソファの肘掛けに乗せた。その小さな両足を俺の背中と腹の前に滑り込ませる。
俺は目の前に提示されたハルの体を見た。足の甲から脛、太腿とそれを辿った付け根。腹から胸にかけて。胸の上には大人しく両手が置かれている。その向こうには瞳を潤ませた火照った顔がある。ワンピースによって隠されてはいるが、体の凹凸は確かにそこにあった。手を伸ばせばすぐ触れられるそれは、神々しいまでに――とても魅力的に感じられた。俺は生唾を飲み込んでから始めることにした。
ハルに片手を差し出すと、応じたハルの手が乗せられる。俺はダンスフロアへエスコートするようにハルをベッドのもとへ案内した。ベッドの長辺にふわりと座したハルは、透き通った人形のようであった。隣に座ると俺の重みでベッドがずしりと沈み込んだ。
「ハルさん」
――わからないよ。
「なんでしょう?」
ハルが手を強く握ってきた。
――どうして君が……死地に向かう君が、この期に及んで体の関係を求めてくるのか。
「この行為の先に、私達の“これから”はありますか?」
「……そんなこと、どうでもいいじゃないですか。忘れさせてください」
――俺にはわからない。……けど。
「もし、“これから”がないんだったら……」
「――嫌なこと全部」
――この気持ちだけは譲れないよ。
「私はしたくありません」
ハルの手により強い力が加わる。
「……なさいよ……いいから」
ベッドが跳ねてベッドカバーの擦れる音が加勢をする。
「――何も言わずに抱いてよ!」
俺は静かに首を横に振った。
「……お願いだから……」
「ごめんなさい。無理です」
「どうして!?ここまで……ここまでやったのに!」
「本気だからです!……遊びだったらどんなにいいかと思いますよっ!」
こちらを見ていたハルは背を向けて枕の方へとその身を放った。掛け布団が溜息でもつくように、空気を一杯に吐き出す。ベッドにうずくまるハルの肩が震えている。
「ぐすっ……今すぐ……消えてしまいたい……」
「……私はハルさんに消えて欲しくありません」
「私が昔何をしたか知らない癖に……」
俺は自分がいたたまれなくなった。俺が何を知っているというのだ?ハルのことを何も知らない。けど、だからといって諦める気はもうとうない。
「ええ、知りません。知りませんとも。……私が知ってるのは、私を救ってくれてからのハルさんだけですよ!」
もう言ってしまおう。俺の心を内をさらけ出してしまおう。
「私はこの世界に来る前、とんだダメ男だったんです。仕事もできない、人付き合いもまるでダメ。体中悪いとこだらけだし、良いところなんて一つもない。クソみたいな人生歩んでたんです。自分が嫌いで嫌いでたまらなくて、ある日自殺しようと決めて――」
思いもよらず手が震えた。なんだこの汗は!?体が熱い。
「高いところから飛び降りようとした時、この世界に召還されたんです。正直ラッキーだと思いましたよ。命拾いしたと――だから、竜が見たいだの世界を見たいだの言って、なんとか時間稼ぎしたんですよ!元の世界に戻ってたまるかって!」
部屋中に俺の声が反響する。
「でもね、ハルさん。きっかけはそんなだったけど、私は凄く満足してるんです。ここまで来る途中に出会った人達一人一人が、一生懸命生きてたんです。皆、悩んだり苦しんだりしながら精一杯その日を生きてた……そんなこの世界を見れて、私は……かけがえのない時間を過ごさせてもらった――そう思うんです。今だったら、元の世界に戻っても何とかやっていけそう……そう思えるようになった。死ぬことしか考えてなかった一月前の私からは想像もできませんよ。今私の心は感謝でいっぱいです。ここまで来れたのは全部ハルさんのお陰なんです!……私がそう思えるようになったのも……こんな気持ち……こんな本気の気持ちになれたのも、全部ハルさんがいてくれたからなんです!ハルさんが今まで生きてくれていたからなんです!……誰がなんと言おうと私はハルさんの味方です。過去にどんな罪を犯していようが、私はハルさんの味方です。例えハルさん自身が、どんなに自分自身を嫌いになっても――私は……ハルさんの……味方ですよ……」
俺はいつの間にか立ち上がっていた。ぐちゃぐちゃな顔を腕で拭う。ハルは背中を向けたまま何の反応も示さない。手を伸ばしてイルーを掴んで小脇にかかえた。
「今日はありがとうございました。もう寝ます。おやすみなさい」
俺は背中越しにそう伝えると、部屋のドアノブに急いだ。動作を止めないように、スムーズに続くように注意を払って通路へ出た。顔には雫が流れたが、気にとめることなく部屋へと急いだ。
「……早かったな」
ベッドに寝ころぶロアがそう問いかけてきた。ロアに顔を見られたくなかった俺は、幻灯虫の照明によって作られる影を頼りにした。俺は自分のベッドに腰掛ける。
「ロアさん。……もっと殴らせろなんて言いませんから、私に仕事を紹介してくれませんか?」
「なんだそりゃ?」
「日雇いで構いません」
月明かりが優しく窓枠を照らしていた。
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