亡国の長 Part1(≠学びの園)
「過労による貧血ですな――」
横たわった俺を診終わった白髭の医者が、ハル達に向かって言った。
「一日体を休めて、しっかり食べれば治ります」
ユガインさんとロアに担ぎ運ばれた病院のベッドで、俺はほっと胸をなでおろす。どうやら何ともないようだ。
「誠に申し訳ありません」
ハルがまたもや頭を下げた。何度目だろう。
「いえいえ、いいんです。大したことないんですから。私の方こそ、自分の体調を推し量れなくてすみませんでした」
「そう言っていただけると気が軽いです。ですが責任は私にあります。お詫びとして、付きっきりで看病させてください。片時も離れることなく、快復するまでお世話させていただきます」
そんなに責任を感じなくても良いのに。ただでさえ我が儘を聞いてもらっている身だ。そこまで至れり尽くせりだと、かえって気を遣ってしまう。
俺がなんとかハルを遠ざける方法はないか考えていると、ドタドタと騒がしい足音が聞こえてきた。
「脈を測るよ!さあお嬢さん、どいたどいた!若いもん同士いちゃつくのは構わないけど、治療の邪魔はしないでおくれよ!」
年配の女性看護師が部屋に入って来るやいなや、ハルは一気にまくし立てられた。
「べ、別に私達はいちゃついている訳では……!」
「それと面会時間は守っておくれ!ここはあんた達だけの病院じゃないんだ!ずっと居て騒がれちゃ、塞がる傷も塞がらないよ!」
「……」
「大丈夫だぜ。俺がちゃんと見とくからょ」
流石のハルもぐうの音も出ず、「明日また来ます……」とだけ言い残して去っていった。グッジョブだ!看護師さん!
しかし一同が居なくなった途端に暇になった。なんせスマホはおろか、テレビもラジオもクロスワードパズルもないのだ。
「イルー、しりとりでもするか……しりとり」
「なんだょぉ……りんご」
「ゴリラ」
「ら……」
「……?」
イルーを見ようとしたが、今まで浮かんでいた場所にいない。俺はもしやと思いベッド脇の床を見た。案の定イルーが泡を吹いて倒れている。またか……。俺は仕方なくイルーを拾い上げて膝の上に置いた。
改めて周囲を見渡す。大広間に数十のベッドが並べられているが、実際使われているのは数台だ。こんな広い空間を独り占めしていると見るか、広い空間が自分をいかにちっぽけな存在か知らしめてると見るか――。
そこへ遠くからさっきの看護師さんと、若手の看護師さんのやり取りが聞こえてきた。
「しっかりしとくれよ。昔はもっと忙しい中、これくらい一人でやってんだからね?」
「はい、申し訳ありません」
「頼りにしてるんだからね。頼むよ」
ここをこうしてからこうする、と手際よく教えた後、ベテラン看護師さんは下がっていった。うーん、暇だ。結局俺はワープロに精を出すことにした。何でも良いから兎に角、打って打って打ちまくるのだ。
・
・
ガタンッ。
不意に鳴った鈍い音で俺は目を覚ました。頭の下をまさぐると、手触りの良い“もふもふ”が敷かれているのに気付いた。何かと思い掴み上げると、未だ意識を戻すことのないイルーであった。いつの間にか枕にしてしまっていたようだ。今は夜半時ぐらいだろうか。あまり寝た気はしない。広い院内は幻灯虫の照明器具が天井に数箇所灯されているだけで、大分暗い。
上半身を起こした俺は、ベッドの縁――丁度俺の足の傍らに、人の手が置かれているのを目撃した。その手はシーツをギュッと握っていた。ここからでは見えないが、恐らく誰かがベッドの下から手を伸ばしているのだろう。
誰だか確認しようと体を起こそうとした時だった。そのやけに青白い手が不気味に蠢いた。指の一本一本がまるで個々の芋虫のようにうねうねと動きだす。俺はあまりに突然動き出すものだから、「ひっ」と高いかすれ声を出してしまった。人の手の可動域を超えて暴れ回るその指は、一頻り動いた後突如ピタッと停止した。安堵と共にもう動かないでくれと祈る気持ちが湧いてくる。
だがそれだけでは済まなかった。その手は次にう゛~と低い声で唸り始めたのだ。そして“ぬらり”と手首、二の腕がまるでベッドの下から生えるように、伸びて来るではないか。俺は足を引っ込めて、なるべくベッドの端の方に寄る他ない。
しかも怪奇現象はそれだけではなかった。ベッドの端に移動したことで、他の手がシーツを伝ってベッドの側面を登ってきているのが見えたのだ。一つや二つじゃない。ベッドの別の辺にも次々と手は現れ、あっという間にベッドは青白い腕だらけになってしまった。俺はベッドの中央でイルーを抱きしめながら「あ゛あ゛ぁ~~~っ!イ゛ル゛ー起きてぐれぇぇーっ!」と奇声を上げるしかなかった。
「イヒヒヒヒ……」「くくくくく……」
微かだが、ベッドの陰から笑いをこらえる声が伝わってきた。よく見ると青白い腕達は輪郭がボヤケていて実体のない映像のようなものだとわかった。――まるで蜃気楼のような。
「人が悪いですよ。出てきてください」
俺はわざと機嫌の悪い声で促した。勿論、本当に機嫌が悪い。
「うぃ~……ミストぉ~調子はどうだぁ?」
「いや~申し訳ない……ひっく」
ベッドの陰からはロアが、隣のベッドの陰からはユガインさんが顔を出した。
「まったく、子供ですか?こんな夜中に忍び込んで」
「悪い悪い。どんな顔するかと思ってさ」
見れば二人の顔はまっかっかで尚且相当酒臭い。大分飲んでいる。
「ほれ、差し入れだ」
ロアは小振りな酒瓶と文庫本サイズの本を俺に渡した。
「病人にお酒とは……。ですが、本は大いに助かります。何せ暇で暇で仕方ありませんから」
「そうだろう!?ちゃんと発散しないと体に悪いからな!まっ、その様子じゃあすぐ退院だろうけどな」
俺は前後の噛み合わない会話に疑問を感じながらもお礼を言った。ロアはユガインさんの家に泊めてもらうことやその家の様子などを簡単に教えてくれた。
「……ぐぅ、ぐぅ」
「ああ~ユガインの旦那、もう寝てやがる。困るなぁ~」
ユガインさんは冷たい床がお気に召したようで、ロアが揺すっても叩いても起きやしない。さながらいつもの俺とロアの朝の様子を再現しているようで笑みがこぼれた。埒が明かないのでロアが〈アケアボール〉をユガインさんの顔に直撃させる。やっと目を覚ましたユガインさんは、「どうも、どうも」と何だかわからない挨拶をしながら、ロアに連れられて病院を後にした。
二人が去った後で暗がりの中、本をペラペラとめくってみる。“艶やかなその柔肌に触れて、私の動物的本能は形となって現れた。私のそれを彼女の大腿部に押し付ける――”
「ロアのやつ~」
翌朝、最悪の朝食から一日がスタートした。昨晩の夕食も中々だったが、これはもう規格外だ。何が混ざっているか一切分わからないペースト状の山盛りの何かは、異様な臭気を放っている。しかも青色と紫色が斑に混ざった色をしていて、全く食欲がそそられない。病院食なのだからと仕方なく口にするが、吐き気をもよおす。ハルの作ってくれる食事が懐かしい。
「なぁ、ぃぃだろ?ちょっとだけ♪」
「ダメです。許可が下りてません」
イルーが空腹に耐えかねて看護婦に交渉を持ちかけている。
「俺、ぁいっから離れられねぇんだ。な?ちょっとそこの食堂に行くだけ。あぃっには何も食べさせねぇからょぉ!」
「そんなこと知りません。療養食ならいくらでもありますよ」
「……けっ!なんでぇぃ、ケチンボ!――あー腹がへったょぉ~」
「残念だったな……俺のを分けてやろうか?いししし……」
「そんなん食ぅなら、雑草食ってた方がマシだぜっ」
俺が食べているのは雑草以下か……。
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