誰がために Part4
俺はしゃがんで、その血が滲む手に手を重ねた。温かい光が俺達二人の顔を照らす。体の組織がすぐ再生することはないだろうが、治りは早まるだろう。俺はその体勢のまま静かに問いかけた。
「あなたには選択権があります。このまま首を斬られるか、この雇用契約書にサインするかです」
その子はしばらく、何の反応も見せなかった。目の前に置いた二枚の紙切れを見ているのかさえ、俺には判断できない。
「……私があなたの雇い主になります。あなたは私の代わりに荷物を持って旅に――」
「ふざけるなよ!!ゴホッ!ゴホッ!……はぁはぁ……今更何なんだよ……?もうおせぇよ……。もうこんなあたしで……。もうこんな世界にはいたくないんだよ……」
「……惨めでしょう。悔しいでしょう。誰かのせいにしたくてたまらないでしょう。今この瞬間、どこかにいるであろう幸福な人を呪ってしまいたいでしょう」
「拉致された住民だと……?そんなの一人もいやしねぇよ!あいつ等は喜んで差し出したんだ……!最も愛すべき家族を……!たった、たったこれっぽっちの、はした金と引き換えに……っ!グズ……お願いだから終わりにしてくれよ……」
「私には、あなたが死ぬ必要があるとは思えません」
「っ……もう終わりに……」
その子は顔を地面に付けて塞ぎ込んでしまった。
「もしも……もしもですよ。誰もあなたのことを知らない。知り合いなんて誰もいない。そんな場所を思い描いてみてください。あなたの過去も、あなたの過ちも、全てない世界です。そんな世界で、普通に生きていける。普通に食べて、寝て、なんだかんだで世話してくれる人がいて……少し心細いけれど、新しい出会いもあって。将来に不安はあるけれど、どうにかなりそうな気持ちになれて……そんな世界で、今と同じ気持ちになると思いますか?」
「……そんな世界は……ない」
「もしもの話です……。そんな世界に行っても、まだ死にたいと思えますか?」
「……」
「私がもしそんな世界に行ったなら……きっと生きたいと思うでしょう。前の世界で犯した罪を二度としないと誓って。……それはいけないことでしょうか?」
「……」
「――もし、あなたがその世界を――そんな異世界を、頭の中で想像することができたなら……死ぬ必要なんてない」
「……うぅ……えぐ……」
伏せた顔から嗚咽が漏れる。
「……とりあえず……生きてみませんか?」
その子はやっと顔を上げた。殴られた跡で膨れた顔は、俺と同じで涙でいっぱいになっている。その子はペンを手に取ると、長い時間をかけて名前を書いた。「くそっ」「くそっ」と何度も口にしながら、ミミズの這ったような字を書いた。出鱈目な持ち方で、下手くそな名前を二回書いた。
「ミスト殿、感謝する」
ムンノット衛兵長がしおらしく言った。
鉄格子は一旦閉められた。今日から俺の被雇用者になったその子には悪いが、出られるのは明日の朝だ。闇夜に紛れて逃げられでもしたら一大事だと、三人で相談して決めた。俺はなるべくその子のそばにいようと、この牢獄で一夜を明かす覚悟だ。ハルかロアにベッドを空けると告げるため、宿屋への往路に着こうという時だった。
「私もあんな年端の行かない者に、剣を振るのは忍びなかったのだ。恩に着る」
「……」
「――この村とこの村の人々は、かつて奴隷を売買する側の立場だった。それなりに村は賑わい、豊かな日々が続いた。しかしそれが法令で禁止になった途端、一気に凋落した。挙げ句今度は、売買される側として狙われ利用されている。加害者だった者が被害者になった途端、声を荒げて助けを求める……はぁ……どうしようもない村だ。富に目が眩んで、信仰していた神すらも冒涜した。この村のそんな歪みが、あの子を生んでしまった気がしてならない」
日が暮れる。歪な牢獄を染めていた橙の光が、上へ上へと追いやられていく。
「だがそんな村でも、俺はこの村を守りたい。ミスト殿の主義に反するかもしれないが、これが私の優先順位だ」
「間違っていないと思います。あなたは、あなたの愛する人を守ってください」
人は弱きものだ。自分のために、利用できるものなら何でも利用するのだ。俺は歩きながら、空に漂う幻灯虫を飽きることなく見続けていた。暗闇が村を覆った。
・
・
寝袋で目覚めた時には、朝焼けが綺麗に神殿の跡地を染めていた。お世話になった看守の衛兵に別れを告げて、宿屋に足を向ける。
檻から出たばかりのその子は、おぼつかない足取りだった。人目を避けるため、布を頭から被せてある。よって表情をうかがい知ることはできない。昨晩に続いてイルーは上機嫌である。しかしイルーが世話を焼こうと話し掛けるも、その子は終始無言のままである。俺もなんとも億劫な行事を、これから執り行わなければならない。お喋りをする気にはとてもなれなかった。
宿屋のロビーには、椅子に腰掛けて待つハルとロアがいた。俺がなかなか声をかけられずにしていると、イルーがロアとお喋りを始めた。背中を押された気になった俺は、二人に朝の挨拶をして外へ連れ出す。
「えっと……こちらが今日から逢魔石を持って、私達に付いてきてくれるセイカです」
二人の視線がセイカに注がれる。続いて俺に軽蔑の眼差しが容赦なく襲う。母親に黙って子猫を拾ってきたやつの強化版だ。二人の顔が次第に不機嫌になっていく。
「いや、二人に相談もなしにこうなってしまって、本当にすまないと思っています。しかし私なりに考えに考えて、最善を尽くしたのです。お願いします。許してください。私が面倒みますので!」
「ミスト様、見損ないました。こんなことなら信じるなんて言わなければよかった……!」
「ミスト。お前人として終わってるぜ……!」
『女の子にこんな格好させるなんてっ!!!』
「へ……?」
二人の声がハモった。ゆくゆく見たら、セイカは穴の空いたボロ布を被っただけ。髪はボサボサ、傷痣汚れだらけの、もう見るに堪えない身なりではないか。
「しかも自分の荷物持ちをさせる気なの?バカなの?ぶっxxされたいんですか?」
さらっと酷いことを言われる。
「俺、服屋まわって服買ってくるな!」
「早く昨日のやつやりますよ?私お湯沸かすんで!」
俺はハルに言われるがまま、宿屋の倉庫に飛んでいった。そこから使っていない大きな釜を引っ張り出して、庭の端に置いた。ハルは椅子に座らせたセイカの体を、くまなく治療している。
「闇雲に治癒魔法をかけても、効果はさほどないんです。しっかり受傷箇所を見極めて、対応した魔法を使うのがコツです。あ、早く水張ってください」
「すみません……」
珍しく殊勝なイルーは、すぐさま魔法で釜いっぱいに水を満たした。それを見届けた俺は、自身のお尻が温かいことに気付いた。……というより熱い!俺は体を捻って、自分の尻に火がついているのを確認した。……火っ!?
「あ、すみません~。釜と間違えちゃいました」
俺は慌てて釜に飛び入る。
「……ぷはっ!そんなに怒らなくてもいいでしょう!」
「怒りますよ!ミスト様はどれだけ私を木偶の坊だとお思いですか!!」
俺ははっとさせられる。
「確かに私は王国の騎士としての矜持を持ち、規律を重んじます。しかしそれは仲間のため、ひいては民のためになると信じているからです。今回のように人命がかかっているのなら、私は全身全霊をかけて命を救う道を探ります。今後は包み隠さず、お話しくださるようにお願いします。それとついでですが、使い魔の魔法をあまり過信なさらないように。今発動させている防御魔法も破られることがあるとご承知おきください!いいですねっ!?」
俺はぐうの音も出ず。「ごめんなさい」とだけ言って釜に浸かっていた。
「ほら!レディーの入浴の時間ですよ!?いつまでいるんですか!?」
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