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第2話 やはり殺しておかなければ

 物語は、少し前に遡る。

 もともと彼女は、ヴァレンティナ・グレンテスなどという名前の宰相令嬢でも、王太子の婚約者でもなかった。もっと言えば、18歳の少女ですらなかった。

 令和の東京の片隅で、今日を生きるがやっとの、派遣社員に過ぎなかった。


 その日、彼女は終電に乗り遅れた。

 改札を通ったあと、駅のホームへと続く階段で転倒。最終列車は無情にも、彼女を置いていってしまった。彼女は呆然としながら、転んですりむいた膝をさすりながら、駅のベンチに腰かけた。

 彼女の疲労と心労は、ピークに達していた。そのまますぐにうとうとし、意識が混濁し…気づくと、おかしな夢の中にいた。


 そして、夢の中で、<神様>と出会った。


 実際にソレを目で見たわけではない。彼女の周囲には濃い靄が立ち込めており、視界は非常に悪かった。

 だが、何か絶対的な存在が目の前にいる―…そう確信した彼女がしたことは、<神様>に向かって自分の現状をせつせつと訴えることだった。

 就職氷河期にぶつかり、派遣社員の職しか得られなかったこと。正社員と同じ、いや、それ以上の仕事をしても、正社員の7割にも満たない給料しかもらえないこと。高圧的な上司。無能なくせに偉そうな正社員。押し付けられる仕事。打ち続く残業…


 そんな彼女の訴えを一通り聞いたあと、<神様>は言った。


「それで貴女は、現状を変えるために、何をしたの?」


 <神様>にそう問われて、彼女は一瞬、言葉に詰まった。現状を変えるために、何をしたか?

 …確かに、愚痴る以外、何もしてこなかった。

 会社に直訴するでも、資格やスキルを身につけるでも、転職してみるでもない。言われたことをただ言われたままやって、その現状にたいして、文句を言っているだけだった。

 もし、行動を起こしてみたらどうなるだろう?

 自分の現状を変えるために、今の環境から抜け出すために、少しでも、何かをしてみたら。まだ若いんだし、チャンスはあるはずだ。

 だが、そんな考えにたどり着いた瞬間、疲労感がどっと彼女を襲った。彼女の心に芽吹いた希望は、一瞬で掻き消えた。そして代わりに口をついて出たのは、こんな後ろ向きな言葉だった。


「…でも、どうせ、変えられないから。」


 <神様>は、心底不思議そうに尋ねる。


「変えられない?どうして分かるの?」 

「それは…きっとわたしの、運命、だから。」

「運命、運命…ねぇ」


 <神様>は、反芻するように、一人呟いた。


「じゃあ、戦ってみようか…運命と。」

「運命と…戦う?」


 彼女が問い返すが早いか、周囲の靄が消え、目も眩むような白い光が、辺りを包み始めた。風を切るような音が聞こえたかと思うと、少しずつ大きくなってくる。


「これは…」

「戦ってごらん、貴女の運命と。チャンスは、何度でもあげるから。」


 ごうごうと嵐のような音がとどろく中、<神様>の声が響き渡った。

 あまりの光と音に、もう彼女は立っていられなかった。耳を塞ぎ、その場にしゃがみこむ。


幸福な結末(ハッピーエンド)を迎えたら、元の世界に戻してあげるよ。」


 彼女が最後に聞いたのは、そんな言葉だった。


◆◆◆


 そしてある秋の朝…彼女は覚醒する。宰相令嬢ヴァレンティナ・グレンテスとして。

 17歳を目前に控えた朝…父の謀叛、王太子からの婚約破棄まで、1年あまり…始まりは、いつもここだ。

 今までティナは、17歳直前の朝に目覚めてから、18歳の誕生日に死ぬまでの1年間を、延々と繰り返していた。その回数は、実に101回。

 そして今回、102回目の覚醒の朝を迎えた。


 ティナは覚醒したあとも、ティナはしばらくベッドの上に仰向けになったまま、動かなかった。

 使用人が起こしに来るまで、いっときの間がある。ティナは横たわったまま、考えた。


(やはりエミリア…彼女が問題か。)


 思い出すのは、銀髪の聖女…婚約破棄パーティの際、王太子の隣にいた女性だ。

 今までの101回のループ、そのほとんどで、ティナを破滅に追いやったのは、あの白銀の聖女エミリアだった。もとは下級貴族の三女で、神殿仕えの巫女だが、毎回どこかのタイミングで「神に愛されし聖女」として名を馳せ、台頭してくるのだ。

 本当に彼女に聖女としての力があるのか、ティナには分からない。だが、エミリアが証拠を突きつけて、ティナが破滅を迎えるというパターンが多いのは事実だった。

 ティナはベッドの中で、静かに決意を固めた。


(やはり殺しておかなければ。)


 今までも、エミリアが聖女として台頭する前にこっそり殺害してみたことはあった。そのときは、他のことで結局破滅してしまったのだが(父宰相の直轄領で飢饉が起こり、大規模な農民の蜂起が起こるとか、大地震が起きて館が全焼するとか)、少なくとも今のところ、最も幸福な結末(ハッピーエンド)に近いのは、「聖女エミリアをあらかじめ殺害しておくルート」だろう。

 なにせ、彼女が台頭すれば、間違いなく王太子殿下の心はエミリアに傾き、ティナは婚約破棄=破滅ルートをたどるのだから。


(まずエミリアは殺す。話はそれからだ…。)


 ティナは心の中で、呟いた。

 令和の時代を生きていた頃からは考えられない、殺伐とした心境だった。


(それにしても、聖女を殺すなんて…わたし、悪役令嬢みたい。)


 国家の財を着服し、あまつさえ王家に牙を剥こうとする悪辣な宰相の令嬢が、自分の保身のため、神と王太子に愛される聖女を殺害しようとする。

 この世界の人間からして見れば、ティナのしていることこそ非道な行いであり、ティナこそが悪役令嬢なのだろうと、ふと思った。

 しかし、かれこれ100年に及ぶ孤独なループ生活を思い出すと、すぐにそんな迷いは消え去った。

 ループのたびに、ティナの記憶だけは蓄積されるが、周囲の人間の記憶はリセットされる。だから、せっかく1年の時を過ごして、この世界の父や叔父たちと信頼関係を築けても、ティナが破滅エンドを迎えるたび、彼らの記憶は1年前に戻ってしまう。

 そもそも、「自分はもともと異世界の住人で、ティナに憑依して何度もループしている」という真実を、正直に伝えることもできない。荒唐無稽な妄想だと、狂人扱いされるのがオチだ。ティナは、孤独感にさいなまれていた。

 確かに東京にいたときも、不満の多い人生ではあった。だが、誰にも心を許すことができないまま、同じ時を繰り返すのは、もう耐えられない。しかも毎回、最後は婚約破棄され、ほぼ処刑されるか、自害を迫られるかの破滅エンドを迎えるのだから。


(…今度こそ、幸福な結末(ハッピーエンド)を迎えてみせる。そして、元の世界に戻る。)


 ティナは心に誓い、ベッドの上に起き上がった。

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