第一話 鍛冶職人の日常
太陽が上りはじめ、夜明け前の心地よい風と日差しが差し込んでくる。
森の木々からは止まっている小鳥のさえずりが聞こえてくるなか、カーンッカーンッと鉄と鉄がぶつかり、甲高い音が鳴り響かせている。ル・ロンド村の少し外れの森にて一軒の鍛冶小屋にて鍛冶をしている。
アル・ゲネディクト。
明るい赤毛の髪に、タオルを巻き。濃い蒼玉の瞳が水面に映る。工房内は薄暗く高温のため、全身から汗がこみ上げてくる。時折床に汗が滴り落ち、水跡を残す。
額からの汗が目に入り染みていても、無心で熱した鉄の塊をハンマーで叩き続ける。
やがて甲高い音を止め、叩いて熱した鉄の塊をすぐさま水に入れる作業に移る。この作業は焼入れと呼ばれていて、鍛冶において重要な工程であり、失敗するとひび割れたり、質が悪くなってしまうため気が抜けない工程である。前回はそのせいで質が悪くなったため、その失敗を繰り返さぬようによりいっそう気合を入れながら作業をする。
水に入れると、ジュッと音を立てる。水が沸騰することにより発生する水蒸気が目に入っても決して目を離さずに鉄の状態を凝視しながら作業を続ける。
取り出した鉄の塊が道具としての刃の原型が見えてくるのを確認した後、研磨し刃を作り上げる。最後に前もって作っておいた柄の部分に刃をはめ込み、
「……よし、ひとまず完成かな。」
出来上がったのは、農家用の鎌と西洋剣であった。
アルは滴る汗を拭いながら、ふっと息を吐いた。側においておいた水をがぶ飲みし、喉を潤す。
「どれ、出来たのか?みせてみろ。」
工房の出入り口で鍛冶が終わるまで静かに待っていたのは俺の母であり師匠でもあるエルザ・ゲネディクトであった。身長は俺よりも高く、朱色の髪を後ろで結んでおり、職人のため女性ながら体つきはやや筋肉質である。彼女はドワーフという種族であり、鍛冶の技術が高いと言われている。
大の酒好きであり、度々看病する羽目になるのは勘弁してほしいものだが。職人としての腕は一流なため感想をくれることは嬉しい限りである。
「へぇ?あんたにしてはまあまあな出来じゃないか。前みたいにひびやがたつきも無いみたいだ」
普段褒めることが少ない師匠のため思わず。
「そうだろ?自分でもうまくいったと思ってる」
と調子に乗ってみるが、その後に続けて
「だがこっちの剣、これはまあ駄目だな。外見はまあまともだが、強度はてんでダメだなこりゃ」
「まあ、剣の方は昨日私が仕上げたのがあるから、それは護身用にもっときな」
今回も全部がうまくは行かなかったが、作業道具の鎌だけでも合格ラインにいったのだから贅沢は言えない。
「……まったく、これじゃあ鍛冶師には程遠いね」
「鍛冶師ねぇ……」
鍛冶師というのは優れた鍛冶職人に与えられる称号であり、資格があるものに送られる名誉である。鍛冶師になったものは、自分の工房を持ち、職人をまとめあげる権利とともに国からの援助金も付く。
それだけに現在、名のある鍛冶師は20人弱だと聞いているが鍛冶技術が桁違いに違うので、俺なんかでは到底なれるものではない。
「……無理になれとは言ってないよ。お前の将来の候補として挙げただけだ」
「わかってるよ……それじゃあ商品を届けてくるから。いってくる」
「ああ村へ行くなら、依頼の代金で酒と干し肉もついでに買っといてくれ」
本当にこの酒癖さえなければもっと尊敬できるんだけどなとアルは思う。
村へ向かうため、いつもの林道を歩く。
ル・ロンド村。
人口はおおよそ五百人程度であり、大陸内で最も人間が多く住まう村である。
風車が村のシンボルになっていて、自然豊かでありそのため農作物や野菜が村の特産物である。
村に着く頃には太陽はすでに昇りきっているため、市場は人の活気で溢れていた。そこでは服屋や道具屋など生活に必要なものが一通り揃っている。
アルはまず市馬の通りを抜け、鎌を届けに農家のフランクさんに会いにいった。もう一つの依頼品である剣は町の出口の方角なので、村の入口に近い農家のほうが近いためであるからだ。
「ああ、アル君ですか。こんにちは」
「どうも、こんにちはです。毎度ご贔屓にありがとうございます」
フランクさんとは度々、道具の製作や修理などを依頼してくれる。いわゆるお得意さんといううもので、ドワーフの息子である俺を毛嫌いせずに接してくれる優しい人である。
「うん。腕を上げたんじゃないかな?前よりも刃の強度やガタツキもなく使いやすく思えるよ」
道具を褒めてくれたことで自分が褒められる感覚に嬉しくなりつつも、代金を受取り、家を後にする。
村の出口まで歩いていると見慣れた兵士がいたのを気づき、アルは話しかける。
「あれ?ハンスさん、また見張り当番なんですか?」
ハンスと呼ばれた兵士はアルに気がつくと
「ああ最近魔獣の様子がおかしいんだ。前より凶暴になったというか、この前も同僚のマイクが魔獣に襲われて怪我をしたんだよ。そのせいで俺が連日で配属されたんだよ。おかげで寝不足だこっちは」
と愚痴をこぼしながら、話し始める。
「へぇ、そうなんですか」
「ああ、幸い魔獣は少なかったから追っ払えたし、もう多分こないだろ」
「なあ、お前も手伝ってくれないか?確か魔獣討伐は得意だっただろう」
「ごめん。この後買い物しなきゃいけないし、今日は仕事で壊れた剣を修理したから届けに来ただけなんだ。はいこれ」
「ちぇ。つれないな。じゃあこれ代金な」
ハンスは修理した剣を受け取ると、アルに代金の入った革袋を渡す。中を確認すると銀貨が5枚ほどと金貨が4枚入っていた。硬貨は3種類あり、金、銀、銅それぞれに価値が決まっている。
ガルドという通貨単位は王都であるミッドガルド王国の商会ギルドが定めた通貨単位であり、おおよそ1ガルドが銅貨1枚であり、10ガルドが銀貨1枚分、100ガルドが金貨1枚分といった相場である。
大体の一日の食費は銀貨3枚程度であり、ガルド換算で50ガルド程度なのでおおよそ一週間は食費に困らない金額である。
アルは工房へ帰る前にに鍛冶の材料と頼まれていた買い物をしに市場へと戻ると、なにやらトラブルが起きたらしく少し人だかりができていて、周りの通行人達がざわついていた。人をかき分けるとそこには、商人とフードの人影がそこにいた。
商人の方はケインズという男性であり、この村の武器屋を営んでいる。
もう一人の方はフードをかぶっていて顔は良くは見えないが、背中にはリュックを背負っているため、旅人であることはひと目でわかる。端から見ればいじめられているようにも見えるが。
「おい!お前がぶつかったせいで商品が駄目になっちまったじゃあねえか!どうしてくれるんだ」
「……ごめんなさい。私、ここに来たばかりだから……そんなにお金持っていなくて……」
商品の持ち運びの際、ぶつかってしまい、商品が丸々ダメになってしまったようである。
「あぁん!どういうことだ」
男は声を荒げ、腕を振り上げそうになる。
「ちょっとちょっとケインズさん落ち着いて」
俺は止めに入る。流石にこれ以上はやりすぎであることが明白であるからだ
「なんだぁ?俺に文句があるのか?ドワーフのできそこないのくせして」
罵倒のような辛辣な言葉をぶつけられ、胸にズキッとした鋭い痛みが走る。
ここまで敵視されるのには、理由が存在し、ケインズの店では元々武器や農村道具なども売っていたが、師匠の鍛冶工房が出来たため、壊れた際には工房に持っていくので新たに製品を買う需要が減ってしまい、いわゆる店敵というやつである。
向こうの店のことを考えると商品の売上が減ってしまうのは心苦しいことではあるが、生産者としては長く道具を愛用してほしいのが職人の心情であるため、中々うまく折り合いがつけずに現在に至るわけだが。
「とりあえず駄目になった商品の代金はこちらで支払いますからこの件は丸く収めましょう」
と革袋から銀貨5枚ほどを出し、ケインズに手渡しで銀貨を渡す。
「……っち今度からはちゃんと前見て歩けよ」
向こうも商品の代金を立て替えてもらったことにより、溜飲が下がったのか、自分の店の方へ歩きだす。
彼も悪い人ではないんだが、怒ると見境がなくなりやすい人なため、店に戻ってしばらくしたら冷静になるだろう。騒動がなくなったことにより、人だかりがなくなりはじめ、いつもの市場の様子に戻った。
ふぅと胸にたまった息を吐き、少し軽くなってしまった革袋を懐にしまい、壊れた商品を回収する。
「あの、私なんかのために、ごめんなさい」
フードの少女がこちらを申し訳なさそうに見上げて、声を上げる。今まで顔が見えなかったがこちらを向いたことにより彼女の外見に目がつく。
金色の髪が太陽の光により透けて見え、澄んだ深緑色の瞳、ほのかに爽やかな香りがしたような気がした。
この村では見かけることのない外見の特異さ故に見とれてしまった。
「どうかいたしましたか?」
不思議そうに首を傾けて、少女は問いかける。
「あっいや、なんでもない。この辺では珍しい髪と目の色をしていたものだから少し驚いてしまって」
と慌てて、言葉を返す。
「そうですか。では私はこれで」
と少女は礼儀正しく会釈をして、さきほど市場で買ったであろう日用品を手に歩き出し、アルの前から姿を消えた。
「さて、俺の方も頼まれていた、酒と干し肉を買うとするか…」
そして道具屋へと足を運び、頼まれていたものを買う。代金は足りたので良かったものの、先程の出費で帳尻が合わないことをあの人は気づくはずなので帰ったら説明しないといけないことに思わず溜息がこぼれる。
道具屋から出ると、村人の一人であろう男が顔をこわばらせながら、アルの方に駆け寄り大声で叫んだ。
「大変だ!兵士のハンスが魔獣に襲われた!多分この前の魔獣が群れを引き連れてやってきたんだ」
この瞬間、村の平穏は崩れ去ったのである――
■ハイルランド大陸の地図