プロローグ ある少女の決意
静寂な深夜の森の中、空は曇天に包まれぽつりぽつりと雨が降りはじめていた。そんな森のなかに一家の山小屋があり、私ことシルヴィ=オズワルドはそこで生活をしている。
昼間のうちに森で回収した薪を暖炉に焼るとぼんやりとしていた火がバチバチと音を立てて強くなり、私は母のために山で取れた薬草のスープの製作に取り掛かった。
指で金色の髪をかきわけスープの味見をしてみると、ほのかに喉の奥が温まる感じがした。一通り出来上がり、味を整え、蓋を閉じる。
「ル…ルヴィ…シルヴィ…どこにいるのですか…」
「はい、お母様。わたしはここに」
呼ばれた私は作業をベットで病により弱っている母親の側へ寄り、手を握る。
母はベットに寝たきりな状態のまま、視力や筋力が衰弱しており、手を握っていても母から手に伝わってくる力はとても弱々しく、両手で握らないと手が滑り落ちてしまいそうだった。
「ああ…良かった、あなたに話が……ごほっ!」
「お母様っ!」
母は苦しそうに咳をし始める。私は急いで暖炉の中にある鍋の蓋を取り、さきほど暖炉で温めておいた、スープを器に入れ、母の口元まで運び、飲ませた。症状が治ることはないが、喉の炎症を抑える効能があるタイムという薬草を入れたスープなので、少しは喋りやすくなるだろうとの考えがあったためだ。
「……ありがとう少し楽になったわ……」
咳がやんだことにより私はホッとしていた。母は呼吸を整え、改めて私の顔をまっすぐ見つめて語りかける。
「今から話すのは、過去のこの世界の歴史についての話よ。」
母から聞いた話によると、種族戦争というものが起きたのは今から百年も前の話らしい。
このハイルランド大陸では様々な種族が住んでいる。だが文化の違いや、思想の違い故にその種族戦争は勃発したのだという。戦争時は何百ものの死者と被害を出し、いかに激戦であったかは数字を聞けばひどいものだと想像がつく。
その戦争を終焉に導いたものは六英雄と呼ばれ、同時に種族間に同盟を築き上げ、一時世界は平和になったのだという。
「……もっとも私がこんな状態でなければ、あなたとともに村などで暮らしていけたのにね……」
「母が苦しんでおられるのに私一人だけ人間の町へ暮らすなんて考えも致しません。ですから早く元気になってお母様も一緒に――」
この山小屋で暮らす前は、いろんな村など旅をしていたが、母と娘だけの親子なだけでも怪しいのに母が不治の病持ちだと知ると、村人達は表情を変え、泊めさせもらう事はできても長期滞在はさせてもらえなかったのだ。そのため、私たちは旅をし続け村や街などを転々とし、やがてこの山奥にあった空き小屋を見つけ、暮らすこととなった。
これまでも薬草やハーブなどで病の進行を遅らせてみてはいたものの、それももう限界である。多分目を離してしまったらもう二度と会えない、そんな気がしていた。
「よく聞いて、シルヴィ。あなたがこの家を出たら東の方に進みなさい。あの方角に人間の村があったはずだから、まずはそこに行くといいわ、私はもう駄目みたいだから……」
その言葉を聞き、私は涙がこぼれそうなところをぐっとこらえ、母の話を聞いていた。
「ごめんね…私が不甲斐ない母親で…」
「.................」
「……ごめんなさい」
以前は優しい笑顔が絶えない母であったが、父を亡くしてからというものの、母の口癖はいつも謝ってばかりいて、悲しい表情が多くなった気がした。
そうなった理由も私は知っていた。だがそのことを口にすることはなかった。
ただでさえ病気で弱っている母を傷つけることになってしまう。そのことを恐れ私は黙り続けていた。言葉に出すことを恐れ私は、話を聞き、母の手を握りしめることしかできない無力な自分を多分、一生後悔することとなるだろう。
「きっとあなたなら人間とエルフの両方を繋ぐ架け橋となれる。だからこれから先どんなに辛い現実や脅威が待っていても、できるはずだわ」
その言葉を最後に母は静かに息を引き取る形でこの世を去った。
早朝に母が亡くなったことがわかった瞬間、私は泣き続けた。濃緑色の瞳からとめどなく涙が溢れ出し頬を伝う。泣き続けて、嗚咽が出続けてもなお泣き続けた。顔や耳まで赤くなり目が腫れて痛みが増す。
母の土葬が終わると、私は母の言葉を思い出しながら、部屋の片付けを行う。すると、村の方向を示す方位磁石と地図を見つける。
母はきっと自分がいなくなることを想定し、私が道に迷わないために用意したのだ。
シルヴィ=オズワルドは旅に必要な身支度を済ませ、父の形見の勲章と母の細剣を手に取り、母の思いと夢のために私は歩き出した。