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壊れた少女の後日談  作者:
第一章 化け物の産声
6/20

先輩、悪夢を見たなら添い寝しましょうか

 ――カレンに一体なにがあったというのだ?


 ベッドに腰掛けたシュウは、こめかみに手を当てながら、深く息をついた。



 普段ならば、シュウは自室で物思いに耽けることはない。


 理由は単純――自分の部屋で、くつろぐことができないからだ。


 生徒会長なだけのことはあって、シュウの寮室はまるで王族の寝室のように豪勢な部屋である。

 寮といっても、もとは王城の客間だったところを改装したものなので、他の生徒たちの部屋も広い。しかし、シュウの部屋は主賓客の部屋なので、格別に華々しく、勢の尽くされた部屋なのだ。


 精巧な彫刻が施されたマホガニーのベッドや、黄金の細工がはめ込まれた壁紙、豪奢な黒檀のクローゼットに、真紅のドレープカーテン。


 残念ながら、そのどれもが、シュウを落ち着かなくさせた。

 進級して生徒会長を任され、この部屋に案内されたときは、すぐさま辞退を申し出たくらいである。前任の会長曰く、威厳というものが必要らしく、受け入れられることはなかったのだけれど。

 あまりに落ち着かないので、カレンにたしなめられるまでは、最高級の献上品だという絨毯の上に布団を引いて寝ていたくらいだ。


 だから、シュウは考え事をしたいときは、生徒会室に向かった。

 そこへ向かえばカレンがいて、ふたりで仕事をしながら話をして。そうしているうちに、頭の整理も自然とついてくる。


 しかし、いまやその安息の地は失われてしまったのだ。


 


「――無理?」


 シュウは自分が耳にした言葉が信じられず、復唱した。


「ええ、無理です。だってそんな面倒なことやってたら、また同じことの繰り返しでこの一周が終わってしまうじゃないですか」


「君はこれから起こりうる危機を私や学園に知らせるために、自らが時を廻っているということを明らかにしたのではないのか」


「え、違いますよぅ。私があまりにも様変わりしたら、先輩は絶対に誰かに相談しちゃいます。それをやめてと頼むために私はわざわざあんな証明をしたんですよ? みんなの前では普通に振舞いますから、先輩も合わせてくださると嬉しいです」


「しかし、生徒たちに危険が及んでいるというのにそれを見殺しにするというのは……」


「やだもう、先輩ったら物分かりが悪いんですから。そんなとこもキュートですけどね」


 口元に手を当てて上品に笑ったカレンは、傍のテーブルに置いてある果物ナイフを手にすると、雪のように白く細い首に当てた。


「なにをしているんだ、カレン!?」


「あんまり先輩が面倒なお願いをするようなら、もう最初の日に戻るようにします。いいから、私のことは放って置いてください、ね?」


 つぅ、と鮮血が一筋、カレンの首を伝う。


「分かった、分かったから、そのナイフを下ろしてくれ」


 カレンはあっさりと血のつたうナイフを下ろすと、白いレースのハンカチーフで切っ先をふいた。


「私は本気ですよ? 先輩があんまりめんどくさいなって思うこというのなら、最初の日に戻ります。自分を殺すのって、なによりも簡単ですからね」


 


 夕方のことを思い出すと、頭痛がさらに酷くなった。

 口外すれば死ぬ、そうカレンは宣言したようなものである。あの時のカレンの瞳にも、腕に入れた力にも、まったく迷いがなかった。その場で首を掻き切るくらい、どうとでもないというように。


 そこで、定例の放送が、シュウの頭のなかに直接流れてきた。


『こんばんは、生徒のみなさん。就寝の時間となりましたので、灯りを消して、ベッドに入ってください。寝る前のホットミルク、チョコレート、アロマなどが必要な方は、ベルを鳴らして手伝いのものを読んでください。一式、取り揃えてあります。新入生の子たちは、勝手がわからない子も多いと思いますが、その際は……』


 銀の鈴を鳴らしたかのように綺麗な声は、間違いなくカレンのものだ。

 これまでと変わらず、きちんと副会長としての責務を全うしている。


 カレンがおかしくなったといっても、誰一人として信じないだろう。


『それではみなさん、おやすみなさい』


 その言葉とともに、ベルを押していなかった生徒の魔術灯が消えていく。シュウの部屋もまた、だんだんと暗くなっていった。


 ただでさえ連日徹夜していたのだ。悩み事があろうとも、本能には抗えない。

 頭のなかの雑多な考えがひとつひとつ解けて消えていき、シュウはすうっと瞼を下ろした。




――オト、ウサン……。


 真っ暗な暗闇のなかで、舌ったらずな声が聞こえた。赤ん坊のような、若く柔らかい声だ。

 ぴちょん、ぴちょんと、なにかが垂れる音が、遠くから響く。


――ネェ、オトウ、サン……? ハヤク、ク、ムカ、ムカエ、ニキテ。


 悲哀に満ちた赤子の声は、奇妙に震えながら、途切れ途切れ話していく。

 

 視界がなくとも、あまりにも悲しげな様子だったので、思わず返事をしたくなってしまう。

 けれど、言葉が鉛となって喉を塞いでしまったかのように、声が出なかった。


――ボ、ボク、オオナカ、ヘッタ、ヨ、オト、オトウサ。


 悲痛な声だけれど、やはり声をかけてやることはできない。


――オト、ド、シテ、ボク、ステ、オネエチャ。


 そうしていると、柔らかかった声は怒りを帯びて、次第に低くなっていく。

 後ろの水音も、ねばついた液体が掻き回されるような、汚らしい音へと変わっていった。


 やがて酷く耳障りな低い声が、幾重にも重なったように耳元で、


――コッチ、キテ。


 瞬間、胸を切り開かれ、生暖かい心臓をぎゅうっと鷲掴みにされたかのような感覚がシュウを襲った。



「ぐぅっ……!」


 目に映るのは、見慣れた絢爛豪華な天井画だった。

 

「夢、なのか?」


 シュウは、汗の滲んだ額に手を当てながら、息をついた。

 生々しい、嫌な夢だった。この瞬間にも、あの心臓を掴まれる感覚が蘇ってきそうだった。現にいまも、まるで首になにかが乗っているかのように息苦しい……。


 そこまで考えて、シュウは下に視線を滑らせる。

 首のうえには、か細くて色白な腕が乗っかっていた。


「まさか」


 軽々とそれを退けると、シュウは上半身を起こし、無駄に広いベッドの余ったスペースに目を向ける。


「んん、シュウ先輩……かわいい、ですぅ」


 案の定、陶人形のように美しい少女が、うずくまりながらすやすやと寝ていた。


 銀色の長い髪はベッドに広がり、朝の日差しを受けて、宝石を砕いて散らしたかのように輝いている。

 最上質の白磁のように滑らかな肌は、ほのかに赤く染まっていた。


「先輩、ふふ……」


 十年以上の付き合いの遠縁の親戚の少女は、いまにも壊れそうに細い体を、なにやらうねうねと動かしながら、寝言を言っている。


「……カレン」


 這うように低い声を、シュウは出す。


「んぅ? ふぁああ……先輩、おはようございまーす」


 寝ぼけながらもどうにか目を覚ましたカレンは、くぅっと柔らかな猫のように体を伸ばす。

 シュウは正面に指をさすと、自分と向き合うようにカレンを座らせた。


「ちょっと失礼」


 純白のフリルのワンピースが、肩から落ちそうになっていたので、まずはそれを直してやる。


「カレン君、ここは私の部屋だ」


 なるべく落ち着いた態度を、心がけて話した。


「そうですねぇ?」


 カレンが目を擦りながら、眠そうにそう答えた。


「どうして君はここにいる?」

「先輩が怖い夢を見ている気がしたので」


 驚愕に目を見開いたシュウは、注意しようと思っていたことも忘れて、


「それもまた未来予知なのか?」


 人形のように整った小さな顔を、ふるふるとカレンは振った。


「私の愛がそう教えてくれたんです」

「そうか……」


 呆れて嘆息したシュウは、けれどいちおう礼をいわなければならないと、カレンの銀の瞳を覗く。


「ありがとう。心配して来てくれたのだろう? だが、生徒会長と副生徒会長が寮の規則を破るようでは、他の生徒に示しがつかない。これからは控えてくれると助かる」

「心配して?」


 さも不思議そうに、カレンは聞き返す。


「俺を慮って来てくれたのではないのか?」

「ええ、違いますよう。先輩が悪夢にうなされている気がして、来たんです」

「ああ、だから」

「――先輩の悪夢にうなされるお顔を、拝見しに来たんです」

「……」

「おかげで今日は寝不足もいいところですよ。ああ、でも、汗をかきながら身をよじる先輩といったら! ふふ、一晩中興奮しっぱなし……おっと、一晩中愛を感じてしまいましたよ」


 その感激を思い出したというように、ぶるりとカレンは震えた。そして、


「そういえば先輩は、どんな夢をご覧になったのですか?」


 起きたそばから疲れてものも言えなかったシュウは、ため息を吐き出しながら、


「……赤子の夢だ」


 大げさに肩をびくりとさせたカレンは、銀色の睫毛に縁取られた瞳を見開き、シュウを見た。


 尋常ではない反応に心配になり、なるべく穏やかな声で「どうしたんだ?」と問いかける。

 瞬間、カレンはふわりと顔を綻ばせ、細い両腕で自分を抱きしめた。


「も〜! 先輩ったら、赤ちゃんが欲しかったんですか? それならそうと、昨日おっしゃってくだされば、私だって色々……」


 慈愛に満ちた目でシュウを見たカレンは、聖女のような笑みを浮かべている。


「やだな、先輩ったらとんだおませさんなんですから。昨日はあんなに初心でしたのに、実はそういうことに興味津々なんですか? ああ、でも、先輩はなにをなさっても可愛いんですから、まったく罪な人ですね」


 薔薇色に染まった頬に両手を当てながら、恥じらうようにカレンはひとり喋り続けた。


「君がどんな誤解をしているかは知らないが、断じて違うということだけは留意しておいてくれ」

「そんな嘘つかなくていいんですよ、もっと素直になりましょうよ、先輩……」


 でも、とふいにカレンは囁くようにいった。


「でも、くだらない夢でよかったじゃないですか。さっさと忘れちゃいましょうよ、そんな夢!」

「ああ……」


 ――夢、だったのか?


 シュウが曖昧な返事をしてしまう。

 あれが夢だとは、とてもじゃないが信じられない。現実と感覚を共有するほどに生々しく、精神を操る魔術に体制のあるシュウでさえ、おぞましさに身の毛がよだった。


 シュウになんらかの悪意を持つ者、それもとてつもなく強力な術者の、精神干渉魔術か?

 しかしそれならば、どうして赤子の夢なのだ。確実に脅かすには、いくらでも他の手がありそうなものを……。


「ほらほら、いいから朝の一揉みをさせてください!」


 しかし、そんな考えは、すぐにカレンによって邪魔される。


「駄目に決まっているだろう」

「もう、いいじゃないですか、一揉みくらい」


 不穏ににじり寄ってくるカレンと格闘していると、部屋にノックの音が響いた。


「会長、起きていらっしゃいますよね!?」

「あ、ああ」


 ドア越しの生徒会役員のあまりにも動転した声に、シュウは困惑する。

 なにがあったのだろうと身構える暇もないまま、役員は叫ぶように続けた。


「新入生のうち、三人が失踪しました! うちひとりは、あのサヴィレ家のエヴェリン様だと聞きました!」

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