先輩、セクハラさせてください
世界中の名家の貴族の子女が魔術を学び青年期を過ごす、<魔術師の憩い>。
豪奢な石造りの校舎は、四千年の時を遡れば、今は亡き王国の城であったのだという。
四千年前――いわば魔術師たちの黎明期に建てられたその城には、今の世では考えられないほどの巨額の富が費やされていた。
城の塔はどこまでも高くそびえ立ち、天まで届くことを夢物語だと捉えていない当時の魔術師たちの心のようだ。一本の神樹をくり抜いて作られた螺旋階段は、夜を迎えるとひとりでにそっと輝き出す。内部の壁には惜しみなく金や宝石や魔導石がはめ込まれ、調度品は世界中から集められた選りすぐりのものが使われている。<魔術師の憩い>の校舎は、まさにその時代の魔術師たちの栄華を象徴するようだった。
そんな隅々まで贅を尽くした学園のなかでも、際立って煌びやかな生徒会室では、いま、少女たちがティータイムを楽しんでいた。
「今年の新年生の名簿、みなさんご覧になりました?」
「ええ、それはもちろん」
「美男子ばかりだったわ」
「当たり年よね」
少女たちの熱のこもったうわさ話の声が、生徒会室に響く。
魔術師という存在を神聖視している人間が聞いたら卒倒しそうな内容だが、彼女たちにとって色恋沙汰は一大事なのだ。いかに少女たちが名家の貴族令嬢で、優秀な魔術師で、さらには生徒会役員であろうとも、人の営みというものは普遍なものなのである。
「これで七名家直系のご子息が、この学園に一堂に会したということになるのよ」
「まぁ、素敵」
「けれどみなさん上級クラスを受講なさるでしょうから、お近づきになることは難しいでしょうね」
「ふふ、遠くからお顔を拝見するだけで、わたくし天に昇る気持ちだもの。そんな悩み、贅沢ってものよ」
そんななか、コホンと、遠慮がちな咳払いがひとつ。
少女たちははっと音のした方――生徒会長用の長机に目を向ける。どことなく気まずげな表情の青年が、すまない、とくちびるを動かした。
「か、会長、ずっとそこにいらしたのですか!?」
「淑女の時間を邪魔したくはなかったが、そろそろ三限が始まるのでは、と思い……」
ぎこちなくそう言葉を途切れさせる青年に、少女たちは顔を赤くした。憧れの生徒会長にさきほどの会話を聞かれてしまったのだから、当然の反応である。
「あ、あの、会長、違うんです。わたくしの一番は会長ですから!」
「ちょ、ちょっと、一番だなんて失礼だわ。私の心には会長しかありません!」
「ずるいわ、抜け駆けなんて。会長、私は……」
会長、と呼びかけられた青年は、端正な顔立ちに苦笑を浮かべた。
男が見ても、憎たらしく思うのを通り越して、その美貌に虜になってしまうであろう美青年だった。男性的な無骨さは一切なく、かといって女性的でもないその特別な容姿には、何度見てもため息をこぼしてしまうような魅力がある。
つけくわえるならば、多忙な時期ゆえに、生徒会長である青年はここで夜通し仕事にうちこみ、さきほどまで机にうつ伏せで仮眠をとっていた。
だから、濡れ鳥の艶やかな黒髪はすこし乱れており、どこか冷たさを感じさせる切れ長の瞳は、少し疲れている。普段ならばきっちりと締められているネクタイも、ちょっとよれていて、少しだけ首元の肌がのぞいている。
それらすべてはかえって、青年の持つ精錬された美しさを強調させていた。
「君たち、落ち着いて」
そう青年がかける声もむなしく、少女たちは舞い上がってしまっている。隙のない美貌の生徒会長の思わぬ姿を目にして、完全に高揚してしまったのだ。
――向いていない、のかもしれないな。
そんな少女たちをよそに、青年は心のうちでため息をついた。
およそ美醜といったものに頓着しない青年には、目があうだけで騒ぎ出す他者の心情が理解できてはいなかった。
――こんなざまでは、生徒会長失格だ。
青年には、代わる代わる早口で喋る彼女たちをどうしたら落ち着かせることができるのかも、わからない。
二年生に進級して生徒会長に指名されたものの、肝心の役員との連携がうまくいっていないことは、重々承知していた。こうして自分が声をかけると、いつも役員たちは男子も女子も顔を赤くしておびえてしまうのである。
堅苦しい、真面目すぎる、そういった言葉はよく投げかけられてきた。
きっちりと締めた制服のネクタイを見て、疲れないのか、と心配そうに問われることも度々あった。
確かに自分は几帳面な人間なのかもしれない。
しかし、まったく融通がきかない人間ではないと思う。少なくとも、生徒会役員が、新年生の名簿をちょっと盗み見たくらいで叱ったりはしない。入学式には、どちらにせよ分かる情報なのだから。
「ああ、やっぱり私たち浮気なんてできません!」
「会長より素敵な殿方がいらっしゃるわけありませんわ!」
収拾がつかなくなりかけた時、
「もう休み時間も終わりが近いわ。みなさん、次は薬学を受講されているのではなくて?」
と、思わぬ助け舟が入った。
少女たちの背後のドアから、生徒会副会長ーーカレンが入ってきたのだ。
「あ、ご、ごめんなさい。騒がしくしてしまって」
「あら、気にしないで。どこかのお寝坊さんを起こしてくれたようだから」
くすりと笑う彼女は、少女たちを萎縮させることなく、自然に次の授業へと行くように促す。
「会長、副会長、失礼しました。それでは」
重厚なドアがゆっくりと閉まるとともに、生徒会室は静謐を取り戻した。
あっという間に場の騒ぎを収めたカレンを見ると、彼女が女生徒の尊敬を集めるのも理解できた。
「いつもすまないな、カレン」
「いいえ。それにしてもシュウ先輩、お疲れのようですね」
シュウ、というのは彼の本名ではない。さらにいえば、彼女の名前もカレンではない。
しかし、魔術師にとって名を明かすことは命を握られることと同義である以上、お互いを名で呼び合うことはないのだ。例えカレンがシュウにとっては、遠縁の親戚に当たろうとも。
「今年の新入生には、なにかと訳ありの者が多いらしくてな。資料に目を通すのに、かなり時間がかかってしまった」
「それはそれは。私にお手伝いできることがあったら教えてくださいね」
「いや、もうあらかたの仕事は終わらせた。それに、会長の役目を君に押し付けるわけにもいかない」
前任は会長の仕事を役員と分担していたらしいが、それはシュウの意向に反する。
「では、ミントティーをお入れしましょう」
そういって小さく微笑むカレンには、頭があがらない。
彼女はシュウの生真面目すぎる性格を理解し、そのうえで適度に息抜きにつきあってくれるのだ。
まるで月夜に輝く湖の光を集めたかのような銀の髪に、陽の光を知らぬ透き通る肌。カレンが聖女と学園で崇めたてられるのも、無理もない話だと思う。
カレンの趣味で買った愛らしい花柄のティーカップに口を添えると、シュウは香り高いミントティーを味わった。
カレンはとなりで微笑みながら、そんなシュウを見つめている。座らないのか、と聞いても、「私はここで会長を見ていたいので」と彼女は断るのだ。
おだやかで暖かい、ふたりの日常。
「ところで、シュウ先輩……」
ふわりとした羽のような、カレンの声。
まどやかな銀雪の瞳を見ながら、シュウは続きを待ち、
「お尻揉んでもいいですか?」
ぶっとミントティーを吹き出した。
「げほっ、ごほっ……」
「いやだわ、先輩」
すかさず差し出されたハンカチを受け取ると、咳を収める。
「いま、なんと……?」
「お尻を揉んでもよろしいでしょうか、とお尋ねしたのです」
一言一言はっきりと、カレンは発音した。なにも間違ったことは言っていない、というような表情で。
――いや、ちゃんと考えろ。
シュウは状況を理解しきれてはいなかったが、それでもカレンの人となりは十分に知っていた。
彼女はけっしてつまらない冗談を口にする人間でも、まして男の臀部を触りたがるような人間でもない。
カレンが「お尻を揉んでもよろしいでしょうか」と聞いたということは、それはもう彼女にシュウの尻を揉まなければならない明白かつのっぴきならない事情があってのことなのだ。いますぐシュウの尻に触れなければカレンが爆発四散するとか、例えばそういった。
「理由を、聞いてもいいだろうか」
「理由……? 異性の体に触りたがる理由なんて一つしかないと思いますが、わかりました。先輩はそういうプレイがお好きなのですね。なら、あえて口にしましょう」
まっすぐな瞳でシュウを見据えたカレンは、
「私が、先輩にムラムラしているからです」
シュウはついに頭を抱えた。
「まだ説明が足りませんか? そうですね。先輩のいつになく乱れた服や髪が情事の後を思わせ、さらに一晩湯汲みをされなかったためか先輩の芳しい匂いが鼻腔をくすぐりまして、私の性的な妄想がかなり充実したものとなったので、ついお尻を揉みたいと口に出してしまいました。それで、揉ませてくれるのですか?」
寝ぼけて幻聴でも聞こえているのか、と思い悩み始めたシュウをよそに、カレンは慈愛に満ちた微笑みを浮かべている。
「これは俺がおかしいのか? 俺の理解力が足りていないのか?」
「まだだめですか? わかりました。まずは一から順序立てて説明しましょう。終わったら、お尻揉ませてくださいね」




