先輩、お顔を傷つけられちゃダメですよ
「ふざけやがって!!」
重い一撃を頰に喰らって吹き飛ばされたシュウは、箪笥に強かにぶつかって倒れる。口の端から血を滲ませながらも、シュウは嗚咽一つ漏らさずに静かに立ち上がった。
「なにが生徒会長だ! てめぇのせいでまた五人も失踪したんだぞ!!」
怒りを露わに、拳を振り上げて近づいてくるアシュリー。
その後ろにいるディーデリッヒは冷静な態度を貫きながらも、嗜めることはない。シュウもまた、抵抗せずに殴られていた。
――正当な怒りだ。
生徒がまた失踪してしまったという報告をしに役員がやってきたとき、シュウは泥酔して眠っていたのだ。学園の生徒会長として許しがたい、無責任極まりない所業だ。
失踪事件について朝早くに相談しにわざわざ生徒会寮まで足を運んだアシュリーとディーデリッヒからすれば、殴りたくもなる話だろう。
そう理解しているからこそ、シュウは黙って拳を受け続けていた。
「やめてください!!」
と、涙に濡れた制止の声がかかって、アシュリーが動きを止める。朦朧としながらも、シュウは声のする方へと目を向けた。
「会長さん、大丈夫ですか!?」
昨日寮の部屋に送ったはずのルナが生徒会寮にいて、シュウは驚く。
ぼろぼろと大粒の涙を頰に伝わせたルナは駆け寄ってくるとシュウの前でかがむ。そして怒りに濡れた目でアシュリーを睨むと、シュウをかばうように前に出た。
「どうして……どうしてこんな酷いことするんですか!? 生徒が消えているのは、会長さんのせいじゃないのに!」
いいから、そこを退いてくれ。
そうルナに言おうとするけれど、痙攣したように顔が痛むばかりで、声を出すことができなかった。
「生徒会長の責任は後で追求するとして、確かに今はこんなことに時間を割いている場合ではない。彼を殴ったところで、なにも生産的ではないからね」
冷たい瞳でそう言い放ったディーデリッヒは、部屋から出て行く。
大きく息をついたアシュリーは怒りを鎮めようとしているのか震える拳を握りしめる。そして深い息をつくと、ドアに向かって歩いて行った。
しかし最後に振り向くと、侮蔑をありありと浮かべた目でこちらを見て、
「――優秀な副生徒会長さんも消えちまったわけだ。酔っ払いの会長一人じゃ、なにもできないだろうな」
その言葉に、心臓に氷の針を突き立てられたような心地を覚える。
副会長が、消えた?
その言葉の意味を解りかねているうちに、アシュリーはさっさと部屋から出て行ってしまう。
代わりに事情を説明したのは、昨日と同じ、伝達係の生徒会役員だった。
「五人の生徒のうち一人は、副会長だったとの報告を受けました。副会長だけは、生徒会寮から出て行ったことが記録に残っていたのですが……いまはもう、<魔鼓>は感知されていないようです」
報告に来ていた彼は言葉につっかえながら説明すると、頭を深々と下げた。
「ご報告が遅れて申し訳ありません。どう会長に説明したものか、わからなくて……」
くちびるを噛み締める彼に、なにか声をかけるべきなのだろう。
「すまないが……一人にしてくれないか」
しかし口から滑り落ちた言葉は、そんなものだった。
気遣わしげにこちらを見るルナたちに、シュウはもう一度いう。
「頼む、少しでいい。一人にしてくれ」
どんな表情を彼らがしていたのか見る余裕はなかった。
遠慮がちに部屋から出て行く足音と、ドアの静かに閉まる音。
「クソッ!!」
荒っぽくそう叫んだシュウは床に拳を打ち付ける。
床が軋み、ひび割れる音が聞こえたが、痛みはまったく感じなかった。
「役立たずの、クズがッ! なにが生徒会長だ、なにが当主だ、なにが……!」
――世界で一番大切だと思っていた少女ひとり守れないで、なにが。
もし叶うならば、自分をめちゃくちゃに傷つけてやりたかった。
カレンのことを後押ししたのは、自分だ。
嫌がる彼女に無理やり頼んで、三人のところへ行くことを強制してしまった。
固く握り締めた拳からは血が滴り、絢爛豪華な絨毯を赤く染めていく。
それでもなお、怒りのあまり手に力を込めると、ぼたぼたと血が垂れていった。
シュウは、全然理解できていなかったのだ。
昨日生徒が失踪したと聞いたとき、三人が生きていてくれればいいと心の底から願った。
だが、カレンがいなくなったと分かったいま、そう祈ることすらシュウにはできなかった。
カレンがいまどうしているのか。最悪の想像ばかりが脳裏に浮かんでは、理性をずたずたに引き裂いていく。
カレン達を攫った主犯と、無力な自分に対する狂おしいほどの憎悪が、感情をすべて占拠していた。
「会長、さん……」
いつのまにか開いていた扉の向こうで、怯えて泣きそうな顔をしたルナが立っている。
一人にしてくれと言ったはずだ――そんな冷徹な言葉が一瞬喉元まで迫り上がるが、まるで獰猛な獣を前にしたかのように震える彼女を見て、頭が一瞬にして冷える。
シュウは自分の額を押さえて、絞り出すように「……すまない」とつぶやいた。
ここまで我を忘れたのは、生まれてこのかた初めてだった。感情の抑え方も知らず、物に当たるような真似までしてしまった。
「恥ずかしいところを見せた。すぐに戻るから、しばらく外で待っていてくれ」
なんども頷いたルナは、最後まで気遣うようにこちらを見ながら扉を閉めた。
――絶対に、カレンたちを見つけ出す。
それが最優先事項だ、と冷静に戻ったシュウは決意する。
自分の責任や過ちを悔いるのは、その後でいい。くだらない感傷に身をやつしている暇などない。
今回の犯行は、厳重警戒の体制のもと行われた。どれだけ犯人が慎重な人間であろうとも、必ずなんらかの手がかりを残して行ったはずだ。そこからなんとしてでもカレン達の居場所を手繰り寄せてみせる。
それに、一連の事件の犯人が、カレンのいうループの記憶に関係している可能性は大きい。見つけ出して、すべて洗いざらい吐かせてやる。
制服に着替え、普段の堅苦しい生徒会長の格好に戻ったシュウは、外へ出る。
例え顔には痛々しく殴られた痕があっても、その姿はいつも通り高潔な気品を纏っていた。
「ふぇ、会長さん、あの……」
外で待っていたルナはなにか口ごもり、やがて決心したように声を張り上げた。
「私、見たんです! 昨日の夜、いなくなったっていう生徒さんたちが、廊下を通るところを。えと、一番前には、副会長さんがいて、それで、あの……」
うわずった調子で言いつのるルナは、だんだんと声を小さくさせるとうつむいてしまう。
失踪事件を解決する重要な証言の続きを知りたい衝動にかられながらも、シュウは「ルナさん、それは間違いないんだな?」と念を押して確認する。
「はぅ、信じてください! 絶対、間違いないです!」
「分かった。ありがとう。君のおかげで、生徒たちの行方を見つけることができるかもしれない」
ぱっと顔を輝かせてこくこくと頷くルナに、「けれど、その話の続きは教員室でしてほしい」とシュウは誘う。
「わ、わかりました!」
「ルナさん、危ないから……」
転びそうになりながら小走りで進んでいくルナの背中を見て、シュウは目を疑った。
――制服に刺繍した魔紋の柄が、変わっている。
必要はないけれど念のために施しておこうと入れた呪詛避けの加護が発動した痕があるのだ。
シュウが込めた加護を捻じ曲げるだけの力を持った呪術。
そんなものを扱える人間と対峙したのならば、どうやってルナが無事に朝を迎えることができたのか。
様々な可能性が脳裏をめぐる。しかし、動揺を表に出さない態度でシュウは「ルナさん」と呼びかけると、純真な瞳でこちらを振り向くルナに近づいていった。




