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壊れた少女の後日談  作者:
第一章 化け物の産声
15/20

先輩、私ちょっとアンラッキーみたいです

 落ちる、という感覚の後、エヴェリンは埃の舞う部屋に放り出されていた。


 窓は一つもない、古びた赤煉瓦の壁に囲まれた手狭な部屋だ。

 真っ暗でよく見えないけれど、どうやら牢の鉄格子のようなものが正面にはあるらしい。


 左手側には小さな子ども用ベッドと机があり、右には猫足の風呂がある。

 煤けたランプが壁にはかけられ、ぼんやりとこの空間を照らし出している。


 さきほどまでと違って、不気味ではあるけれど現実にありそうな場所に思えた。


 そうエヴェリンが考えたとき、天井から冷たい水が首に滴り落ちた。思わず叫びそうになるけれど、カレンの言いつけを思い出して口をおさえる。


 のんきに観察している場合ではない。カレンを探さなければ。


 いまのところ人影は、自分とさきほどまで背負っていた男子生徒以外にはいないように見える。


 背後に視線を滑らせて、エヴェリンは表情を強張らせた。


 床に打ち捨てられたかのように倒れている女子生徒が、いる。

 暗くてよく見えないけれど、彼女のお腹の辺りになにかが顔を埋埋めている。


 まさかこのぐったりと倒れている体は、カレンだろうか。

 そう思った瞬間、エヴェリンは気づいてしまう。


 ここへきてからずっと聞こえていた、ぐちゃぐちゃという汚らしい水の音。

 それは、目の前の物から発せられていたのだと。


 理解してはいけない。

 そう本能は警笛を鳴らすのに、目の前の異様ななにかから視線を逸らすことができない。


 段々と、その姿が浮かび上がってくる。


 とても小さい、裸の赤子だ。

 いや、赤子というよりは、大きな胎児という方があっているように思えた。手や足がまだ小さく、未発達に見えるからだ。


 その奇妙な赤子がもぞもぞと小さな頭を動かす度に、粘っこい水の音が鳴る。

 女生徒の顔は、恐怖と苦悶に濡れている。赤子が動く度に、痛みに悶絶するかのように口を大きく開けた。しかし、その喉から声が漏れることはない。


 なにをしているのか理解したエヴェリンの口から、恐怖に濡れた声が漏れる。


「あ……あ……!」


 それに反応したかのように、赤子が振り返った。

 白目のない、暗闇のように真っ黒な大きな目が、不思議そうに瞬きながらこちらを見た。

 ぐちゃぐちゃと咀嚼する口元の周囲には、べっとりと血と肉片がまとわりついている。


 狂気にかられて叫びそうになった口を、後ろから塞がれる。

 安心させるように穏やかに微笑んだカレンが、しぃっというように指を口に当てていた。

 

 その優しい表情に、張り詰めていた糸がゆっくりと解かれていくように感じた。


『に、げ、ま、しょ、う』


 声を出さずにくちびるを動かしたカレンに、エヴェリンは頷く。


 恐る恐る振り返れば、赤子はまた”食事”に夢中になっているようだった。


 逃げるには、いましかないのだろう。

 隣に倒れている男子生徒を抱え上げると、エヴェリンは見捨てることになる女の子に心の中で謝り続けながら、視線を逸らした。


 カレンの小さな背中は、まっすぐに鉄格子の扉へと進んでいく。


 頑丈な牢屋のような見た目でありながら、扉には鍵がかかっていない。

 か細いカレンの手が押すだけで、キィ、と音を立てて開いた。

 

 そこをくぐると、周囲の景色がぐにゃりと歪んだ。


 気がついたら、エヴェリンは見覚えのある螺旋階段のうえにいた。

 一段下のところで、カレンが「お疲れ様」と微笑んでいる。

 

「ここ、本校舎の中央階段……?」


 豪奢な造りの螺旋階段は、入学式に一番最初に案内されたところだ。

 神樹をくり抜いて造られたのだと、案内の生徒が誇らしげに説明していた。


「ご名答です」


 ――助かった、助かったのだ。


 気が抜けて、エヴェリンは膝から崩れ落ちる。

 背負っていた男子生徒がずり落ちそうになって、焦って担ぎ直した。


「よかった……! ありがとうカレンさん!」

「ええ、どういたしまして」

「早くお医者さんを呼んで、この人を治療してもらわないと」


 そう言った瞬間、数人の生徒たちが上がってくる足音が聞こえた。

 ちょうどいい、助けを呼ぼうと思って顔を輝かせたエヴェリンは、「あの!」と大きな声を出す。


「あれれぇ……誰かいるんですか?」


 帰ってきた甘い女の子の声に、ふと既視感を覚える。

 けれどあまりにも遠い昔の記憶なのか、上手く思い出せなかった。


「あーあ、このパターンですか」


 カレンが、落胆した声を上げる。

 うんざりしたようなカレンの表情に、妙な胸騒ぎを覚えたエヴェリンは、「ねえ、大丈夫なのよね?」と聞くけれど返事はない。


 どうしてだろう、頭が酷く痛む。

 大きくなっていく複数の足音に、ガタガタと全身が震える。


「カレンさん……」


 縋るような声をエヴェリンが出すと同時に、階段の影から茶髪の少女が顔を出した。


「ふぇええ、まさか出てきちゃうなんて!」


 ああ、そうだ。禁忌パンドラのヒロインは、確かこんな可愛らしい声に、茶色のゆるく巻かれた髪をしていた。


 ここではルナというのだと、入学式の日に名簿を見て覚えたはず。


「ル、ルナさん……?」


 知らずのうちに、震えた声がエヴェリンから出た。

 なにを自分が恐れているのかは、まったく分からなかった。


 禁忌パンドラのヒロインは頑張り屋だけれどおっちょこちょいの、明るい女の子のはずだ。

 そんな人畜無害な少女が、なぜバケモノのように映るのだ?

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