大木に至るまで
少年は困惑していた。
3日前には怒りを表にしていた老人が今度は自分を見て泣いているのである。
「あ、あの」
「何も言うな。君に話そうと思ってたことがあるんだ。君は私にたくさんのことを話してくれた。だから今度は私が君に話す番だ。」
老人の肉声は枯れていて少し聞きづらかった。少年は黙って老人の言葉の1つずつを取りこぼさないように大切に黙って最後まで聞くと心に誓った。
「あれは、私がまだ社会人だったときの話だ。」
老人がまだ身体も言うことを聞いていたときのこと。
彼は平凡な人間であった。学生時代は友人はいたがそんなに深い付き合いがあったわけでもなかった。恋をしたこともあったが何も起きずに流れてしまった。部活には入らず、学校の活動にも参加はせず目立たないどこにでもいる一生徒であった。平均的な高校、大学に入学し、平凡な会社に就職した。仕事にも趣味にも力は入れず、情熱を燃やしたことなどなく、何かをなしたこともない。
自分の人生が空っぽなことに気付いたのは三十代の時だった。語るべきことがない人生。生きているのかもどうかもわからない。いっそのこと死んでもいいのではないか。そんなことばかり考えていた。
ある日、会社の帰り道を歩いていると後ろから女性の悲鳴が聞こえた。ふりかえると後ろには小太りの男が包丁を持って走ってきた。私はそのまま彼に腹を刺された。そのまま彼は包丁を私の身体に何度も突き立てた。
薄くなる意識の中、このまま死ねたのならそれでいいと思えた。
気づくと真っ黒な空間に一人私が立っていた。
死ねたのか。そう思っているとどこからともなく声が聞こえてきた。
「お前はまだ死ねないし転生もできない。
「なんでまだ死なせてくれないのですか?」
「なんでも糞もあるか。お前は現世で何もしていないからだ。人は必ず生きているうちに何かことを成さなければ死ねない。目的を達成しないまま死ぬことはできないんだよ。だからお前はダメだ。死にたいならなにかことを成してみろ。」
次に彼が目を覚ますとそこは病院の部屋の中だった。
「そこからは君も知ってのとおり私は毎日窓の外を眺めては何もできないこのからだと過去の自分を憎んでいた。そうしているうちに気づけば世界最高齡だよ。世界で一番なにもしなかった人間というわけだ。私が入ったばかりの時にはもっと年上の人が多かった。だが彼らも皆何かを成していなくなってしまった。」
少年は静かに最後まで聞いていた。
老人の思いの全てを受けとめるには少年は若すぎる。老人の非現実的な話も普通なら信じられない。しかし、少年には信じれる。
なぜなら少年がこの話を聞くのは二回目だからである。
「僕からもお話しがあります。会って欲しい人がいるのです。」