始まりはいつも…
窓から差し込む光は清々しく、空の青さを鮮やかに映し出していた。部屋の扉の向こう側からは幼い子どもたちの元気に遊んでいる声が聞こえ、休日を過ごす幸せな家庭の昼下がりのようでもあった。
だが、一人で窓の外を見る『彼女』の表情は、そんな明るさとは無縁なほど憂いているように見えた。
当然のことではあるが、『彼女』は常にそういった表情をしてはいない。むしろ普段は端正な顔立ちとモデルと思われても遜色のない体型、昔からの『立てば芍薬…。』と言う一文を絵に描いたかのような見目麗しい少女だった。長い黒髪を後ろに束ね、紺の女子校の制服に袖を通していたが、そんな『彼女』が深いため息をつきながら、一つの自問をひたすらに繰り返していた。
『…いつからこんなに考え事をするようになったかな。この前まで大変…、でも楽しい日々だったのに…。』
…正直なところ、彼女に心当たりがない訳ではなかった。いや、実は心当たりどころか自問に対する答えも全て分かっていた。なぜなら、今の『彼女』の立場であれば判断材料には困らないはずだからだ。
しかし、誰にでもあるだろう。何時間、何日間、何年間と自問し続けても正しい答えが出ないことは。そして十分にそのことを理解していて、仮に『正しい』とは言え、受け入れたくないことも…。
『彼女』にとって己の出した『答え』を受け入れるには、まだまだ時間がかかるに違いなかった。
そんな『彼女』の憂いなどつゆ知らず、扉の向こう側から小学校低学年くらいの子どもたちが数人、部屋にノックもせずに入ってきた。
司令官「僕が考えた作戦をやれば大丈夫!」
女戦士「そうかなぁ、わたしはいやだけど…。」
お姫様「にんにんの言うことを聞く〜!」
ツッコミ「一番、言う事、聞いて、ないじゃん。」
作戦を立てた『司令官』とそんな彼を『にんにん』と呼んだ『お姫様』は、どこの公園にでもいるような普通の子どもたちだ。そして、やんわりと拒否をした『女戦士』と『お姫様』を指摘した『お笑い芸人ツッコミ担当』の二人も、やはり『どこにでもいる』普通の子どもたちだ。
そんな幼い子どもたちが揃ってこれから何かを始めようとしているのだから、自分の憂いている顔を見せないためにも、即座に『彼女』は明るく優しい表情をせずにはいられなかった。
彼女「ん?なになに〜?私にも教えて、今日の…作戦?」
目元を緩ませつつも、よく分からないわ、と言わんばかりに首を傾げながら子どもたちに『彼女』は尋ねた。
司令官「あ、えっと、今日の作戦は秘密であります!」
この男の子はTシャツとハーフパンツでこれからサッカーの試合にでも行くかのようだったが、口元に人差し指を立てて丁寧に答えた。
彼女「秘密?私にも?」
興味津々に体を前かがみにした『彼女』に対して、ワンピース姿の一番小さな女の子が一際元気な大きな声で答えた。
お姫様「お姉ちゃんは知らない方がいいんだって!」
彼女「えっ、そうなの〜?」
やや落胆したように『彼女』は尋ねたが、後ろからついてきていたもう一人の眼鏡をかけたショートカットの女の子が呆れたようにつぶやいた。
女戦士「バカ〜、それ言ったらバレちゃうじゃんか。まぁ、スーは最初からやりたくなかったけどね。」
ツッコミ「…うん、最初から、秘密の作戦、あるって、言わないよ…。」
たどたどしい言い方をしたボーッとした表情の一番身長の高い男の子が『女戦士』に賛成する発言をした。
司令官「・・・え?…はっ、しまったー。どうしよー。」
一同「えー!!」
どうやらこの『司令官』、敵に手の内を明かすと言う失態…ではなく、本当に何も知らなかったようで、その場にいた者は非常に気まずい空気に見舞われた。それこそ、オチがなかった間抜けな一発芸のようなもの…。
だが、幸いにもすぐにその問題は解決された。
鬼兄「相変わらず珍プレーな事をしてるな、お前ら。」
司令官「あ、鬼兄だ。」
鬼兄「は!?お前、その呼び方はやめろ!…だいたい、何で鬼なんだよ!」
お姫様「だって怖いしねぇ。」
?「ふふっ、ツノ生えてるしね♪」
部屋の外から入ってきた紺のコートを着た『鬼兄』と呼ばれた少年と、数歩後ろを歩いていた白いフードのような上着を着た少女は、『彼女』とさほど年の差は感じられなかったが、やや普通とは『違う』様子が見られた。特に『鬼兄』の両肩からは30センチほどの漆黒の鋭利な角が生えていたので、その様子からも子どもたちが怖がるのは無理もなかった。しかし本人にとっては納得できないことのようで、角のことを指摘した少女に悪態をついた。
鬼兄「お前までくだらないことを言うんじゃねぇ。それにオレが鬼兄なら、お前は鬼ババァだな。」
鬼ババァ「…は!…ま、まぁ、そんな戯言くらいなら、寛大な私に免じて許してあげるけど…」
一瞬驚き、そして『鬼ババァ』少女の目は吊り上がったが、すぐ我に返ったように言葉を穏やかに返した。だが、更に『鬼兄』は追い打ちをかける。
鬼兄「許さなくていいんだぜ、このドMババァ。」
こうなるともうダメだ。『鬼ババァ』はついに『鬼兄』の前に立って怒りの表情で叱責した。
ドMババァ「…!!こ、この私に対してババァと2回も言ったわね?麗しい私に対して無礼な!外に放り出してやるわ!」
両手を自分に向けて臨戦態勢を取る『鬼ババァ』を見ても『鬼兄』はひるまない。
鬼兄「やってみろよ、48歳ババァ。つーか、ドMは否定しねぇんだな。」
48歳ババァ「!!!あ、あんた、歳まで言いやがったな!今日こそ日頃の恨みを晴らしてやるわ!」
…何故『彼女』との年齢が近いのに50代前なのかについては、また後ほど語るとして、…とにかく『鬼ババァ』は『鬼兄』に対して激しい怒りを露わにした。そして、これは毎度の事のようで小さな『女戦士』がつぶやいた。
女戦士「あーあ、また始まっちゃった。」
司令官「うん、…って、お姉ちゃん?」
一同「!!」
…『司令官』が気付き、周りの者も即座に理解した。それは、雰囲気が一番悪くなってしまった瞬間。そこには笑顔でありながらも、うっすらと目に涙を浮かべていた『彼女』の姿があったからだ…。
5月も終わりを迎えようとしていた。窓の外の夕焼けは赤と紫のコントラストが鮮やかだった。そんな様子を横目に少女二人は食器を片付けていた。
無言の二人であったが、その沈黙に耐えられず、ついに口を開いた。
48歳ババァ「…あ、あのさ、さっきはごめんね、あんたのことを泣かせちゃって。みんなそんなつもりはなかったのよ。」
少女は非常に申し訳なさそうに口を開いたが、先程の言い争いからは考えられないほどにしおれていた。しかし、しおれていたのは『彼女』もまた同じだった。
彼女「…うん、分かってる。…それと、『レイナ』ちゃん、ありがとね。…気を使ってくれて、みんなのご飯を作ってくれて。本当は私がやらなきゃいけなかったのに…。」
『ここ』での生活ではいくつかルールが決められていたが、家事全般に関しては『彼女』とレイナが主に行っていた。今日の夕食は『彼女』の当番だったが、少し部屋に籠もってしまい、レイナが代わりに作ったのだ。その事を詫びるために弱々しく頭をさげた『彼女』を見て、レイナは更に続けた。
レイナ「何、お湯臭いこと言ってんの、『御幸』。あんたはいつだって私たちのことを元気にしてくれるんだから、みんな助かってんだよ。
…それに、あいつが余計なことを言うから…。…とにかく、さっきは本当にごめんね。」
そう言ってレイナは御幸に対して軽く頭を下げたので、御幸はあたふたしてしまった。
御幸「そ、そんな、…謝らないで。私もレイナちゃんがいてくれて、本当に嬉しいの。こんなにお話できる友達、正直初めてだったから。」
そう言って、御幸は今日一番の笑顔をレイナに見せた。彼女の表情は決して偽りも屈託もないものだったが、こんなにも優しい笑顔を向けられれば、誰しもが嬉しさ半分、恥ずかしさ半分となるだろう。レイナはうつむきながら視線を外し、小声で答えた。
レイナ「…わ、私を友達だと思ってくれるとか、御幸は変よ。」
その表情は少し赤みを帯びていたが、御幸には意外な答えに聞こえた。
御幸「え…?」
やや怪訝そうに横から覗き込む御幸を見て、レイナは慌てて言い換えた。
レイナ「…だっ、だってさ、私の事を見て怖くないの?フツー、変なヤツって思うでしょ?」
レイナの質問に御幸は首をかしげ、そして、少し寂しそうに言葉を返した。
御幸「そ、それは…、最初はちょっと怖かったよ。まぁ、あんな出会い方だったしね。でも、今はもうそんなことないよ。…あ、レイナちゃんは私のこと、今でも変だと思う?」
不安そうに尋ねてきた御幸にレイナは即答した。
レイナ「思わないよ…。って、そうじゃないそうじゃない。わ、私の事を変なヤツって思うでしょ?そもそも『地球人』じゃないんだし…。」
御幸「そんなの、関係ないよ。レイナちゃんは、大切な友達。」
疑問に思う48歳のレイナでなくても、御幸の正直な言葉を受けて動揺せずに返答できるものはそう多くはいないだろう。レイナはますます自分の顔が熱くなるように感じた。
レイナ「…ふぅ。なんか熱い…。そんなに真面目に言われたら、なんか照れるわ…。
でも、ありがと。御幸。私もあんたのこと、すっごくいい友達だと思ってるよ!」
御幸「ホント!?…ありがとう!」
お互いに見つめあってにっこり微笑み合う二人の頬が赤く染まっているのは、窓からの夕陽のせいだけではなかった。
御幸は大皿をキッチンの棚に片付けながら、つい気になっていたことをレイナに話した。
御幸「でも、『ミーシャ』さん、仲が良くても、さすがにレイナちゃんに言い過ぎだと思うなぁ。」
それを聞いてレイナも大きく頷いた。
レイナ「でしょ!あんなにババァばっかり言われたら、寛大な私でも怒るわよ。さすがにお湯に流せないわ。」
今まで大人しめの口調だったが、再びレイナはヒートアップしてきた。そこに同意する形で御幸は首を縦に振った。
御幸「そうだよね。レイナちゃん、すっごくかわいいのに。」
レイナ「でしょ!!やっぱり御幸は私の美しさを分かってくれてる!まだ会ってから二週間くらいなのにさ。…それなのに、何なの、あいつ!私の美しさにいつもお湯を差すしっ!」
御幸とレイナ。性格は対照的な二人だが、それでも信頼し合える存在の大きさを、お互いが深く理解していた。レイナは右手の拳を握り、力こぶを作るような仕草をしながら、御幸に言った。
レイナ「とにかく、御幸。可愛いもの同士、一緒に頑張ろっ。何か気になることがあったら、ビシッと言って。私も助けてもらわなきゃいけないし。」
ただ、御幸は半分頷きつつ、半分苦笑いしつつ、答えた。
御幸「私、可愛くないよ。…『あーちゃん』や『スーちゃん』の方が可愛いし…。…あ、それより…。」
レイナ「お、なになに〜?」
疑問そうな御幸に興味津々だったレイナだったが、今回は尋ねるべきではなかったようだ。
御幸「…お湯じゃなくて、水…だよね。水に流すとか、水を差すとか…。」
レイナ「え?…あ、あ〜!?」
レイナの頬がまるで火が出たように赤かったのは、間違いなく夕陽のせいではなかった。