第1話
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
荒い息遣いが、 静かな夜の森に大きく響く。
この息遣いが、相手に自分の居場所を知らせているとわかってはいたが、体が新鮮な空気を欲し、それ以上に疲労と空腹で休息を欲している。
十五、六歳くらいの女子高生らしき制服姿の少女の、肩に掛かるくらいの黒髪には、小枝や葉が絡まり、潤んだ黒い瞳には恐怖が見え、頬には流れた涙の跡が残ったまま暗い森を必死に走る。
背後からはそう遠くないところに、防具の擦れる金属音が聞こえ、複数の追手がいることが分かる。
やはり土地鑑のない夜の森を進むのは非常に厳しい。追手も自分たちの存在を隠す気が無いのだろう、どんどん距離を詰めてくる。
「おじさん」
少女の口をついて出た言葉は、自分を助け出して逃がしてくれた同郷の人物だった。
名前は知らない。しかし衛兵に取り囲まれた少女が「日本人」と分かると、「おじさん」は自分の身の危険も顧みず、迷わず衛兵の囲みを突破して少女を救出、そのまま逃亡を図った。
しかしその計画はうまくいくかに見えたが、最後の最後で小さな不運から敵に見つかり、逃げる途中で大けがを負った「おじさん」は、自分が囮となって少女を逃がそうとした。
「おじさん」の安否は知れないが、あの大けがでは急いで手当をしないと助からないと少女は焦燥に駆られる。
「あっ!」
少女は木の根につまずき、地面に叩き付けられる。派手に打ち付けた膝が痛い。
体力の限界を迎えた体が、逃げなければと分かっていても起き上がれない。
「おじさん、自分には帰りを待っている妻と子供がいるって言ってたじゃないですか……。 絶対日本に帰えれるって信じろ、希望を持てって言ってたじゃないですかぁ!」
少女は全身泥だらけになりながら、地面に突っ伏して泣きじゃくり、何度も地面を叩く。
「逃げなきゃおじさんの頑張りが無駄になっちゃう」
そう気合を入れて起き上がる。
「なんだぁ? まだ走れそうじゃねぇか。 ほらもっと逃げ回れよ、狩りの獲物がこれくらいでもうへばっちまったら詰まらねぇからな」
藪をかき分け現れた体格のいい兵士の男は、黄ばんだ歯を出して下卑た表情で嗤いながら部下らしき男達に指示を出す。この男がここにいる衛兵達の隊長の様だ。
その隊長の指示で他の兵士達が少女を取り囲む。
「いやぁぁっ! 放してっ!!」
少女は必死に抵抗するも、二人の兵士に両腕を抑えられ身動きがとれない。
「へっ! 何が異世界から召喚した勇者だ、てんで大したことねぇな。お偉方もせっかく召喚した相手がこんな小娘じゃ、魔族の奴らを蹴散らして住んでいる土地を奪う目論みも、とんだ期待外れだな!!」
「こちらの意思を無視して誘拐してきて、なに勝手なことを言っているのよっ! あんたたちの都合なんて知らないわよ!!」
隊長の悪態に、少女が精一杯の虚勢を張る。
すると少女を拘束している兵士が、少女をいきなり殴った。
「きゃぁぁぁ!!」
「隊長~、こいつどうせ殺すんですから俺が味見してもいいですかい?」
「最初は俺だよっ!! 手前ぇらはその後だっ! へへっ、異世界の女はどんな味かね」
隊長は少女の服を脱がしにかかった。
「いやぁぁっ! 放してっ!! 誰か助けてぇぇ!!」
少女が泣き叫んで暴れる。
「へっ!! バカヤロウが、誰が助けに来るってんだよ! おとなしくしな、気持ちよくしてやるからよ」
「誰か助けてぇぇ!!」
ズガガガァァァ!!
その時──、兵士達の背後2、30メートルのところに生えていた巨木に、何の前触れも脈絡もなくいきなり雷が落ちた。
「おわっ!」
「きゃああ!!」
「なんだ!?」
それはあまりにも予想外の出来事で、一同が驚きながら巨木を見ると、雷の落ちた巨木は当然激しく炎上し、辺り一面を明るく照らしている。
「ん?」
「え?」
「なんだ、人だと?」
なんと炎上している巨木の中から人影が出てきた。その人影がこちらに向かって歩いてくる。
その人物の登場の仕方に、少女や兵士たちが度胆を抜かれている中、悠然と歩み寄る注目の人物は、一同から10メートルほどの位置に来ると立ち止まった。と、見ていた一同はさらに息を飲んだ。
その人物は年齢は二十歳前後くらい。身長は170㎝ほどのほっそりした体つきで、この大陸では珍しい黒髪黒瞳の人族のようだ。しかし、一同が息を飲んだのは珍しい色のためではなく、その顔立ちが原因だった。その人物の整った美貌は、隊長や兵士たちに美男美女の多いエルフ族を超え、伝説の精霊族かと思わせるほどだった。
その彼か彼女ともつかない人物から、よく通る美しい声が発せられる。
「おい生ごみども、その女の子はこちらで保護すべき人物だ。 さっさとその汚い手を放さないと、ブチ殺すぞ!」
一瞬、何を言われたのか分からなかったのは少女も兵士たちも一緒だった。
だが、隊長や兵士たちはお互いの顔を見合わせ、理解するとともに激怒し反駁しようとする――。
そして同時に、捕まっていた少女も、突然現れた人物に逃げるように警告を発する――。
「ああっ!!? てめぇ、いきなりおかしな登場しやがって、何寝言を抜かしてやが……」
「お願い逃げ……」
ピッ!!
――事はできずに、突然奔った閃光に驚き、反射的に目を閉じる。
「え?」
しばらくして少女はおそるおそる目を開けると、周りの光景に呆けた声を漏らす。それと共に、両腕が自由になっていることに気づいた。
なんとついさっきまで少女を取り囲んでいた兵士たちが、全員地面に倒れうめいていた。よく見ればどの兵士も、腕や足に大けがを負って、立っていられないらしい。
「えっ!!?」
何が起こったのか分からないため、事態の急な変化に対応できずに、少女が再度驚き茫然としていると、フワリと柔らかく手触りの良い毛布が掛けられた。
「手を放せといったろうが! ゴミがいつまで我が同胞に汚い手で触れている気だ、あぁ!? 馬鹿なの、死ぬの?」
その人物は、見た目に反して破落戸のような口調で、ひとしきり悪態をつく。そして少女に目を向けると、一転して優しい口調で労わる。
「大丈夫でしたか? 私が来たからには、もう心配はいりませんよ。 「神崎 真央」(かんざき まお)さんですね、あなたを保護します」
真横にこの事態を引き起こした人物がおり、片膝をついた状態で少女=真央に、心から案ずるよう声を掛けてきた。
「あ、あなたは一体?」
「申し遅れました、私は諏訪要と申します。 私は、日本政府直属の異世界転移召喚事故対策部ファンタジー課・被害者奪回班のエージェントとして、異世界に無理やり拉致召喚されたあなたを、保護しに参りました」
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