7.憂鬱とお見合いの真意
声の主はリサ先生だった。
先生の顔はなんだか元気がなく、どんよりとした曇り空のような表情を浮かべていた。
何か困った事があったのは一目瞭然で、あたしもお遊び気分からピリッと背筋を伸ばして話を聞く体制を作る。
「ビアンカ様……申し訳ありません」
突然、リサ先生はそう口にした。
あたしには謝罪されるような事をされた覚えはなかったし、スザンヌ先生からもトラブルの報告は受けていない。だから、先生が謝罪をしてくる理由に思い当たる事はなかったけれど……あたしはこの切り出し方に覚えがあった。
「リサ先生……どうしたのですか?」
あたしはまるで定型文のようにその言葉を口にする。
そして、その後にもらう返事に心構えをした。
「誠に勝手で申し訳ないのですが、今日でこの園を辞めせていただく事になりました」
……ああ。やっぱり。
あたしは天を仰ぎ、目を瞑る。
――――そう、あたしはこれと同じシーンをすでに何回も経験していた。
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『ここ数か月のうちに、複数の職員が退職している』
今まで働いていた先生が辞めるのはリサ先生で五人目だが、採用が決まっていたのに辞退をされた事を含めるとその数は十を超えていた。
もともと多めの人員で子供を見ていた為、最初の先生がお辞めになった時も慌てることなくゆっくり後任を探していのだが、これがまずかったのかもしれない。
なんと、最初の先生の後任を見つけたと思ったら辞退され、その間に別の先生がお辞めになったのだ。
スザンヌ先生を除き、五人いた先生が三人になりあたしは慌てた。
すぐに新しい先生をお願いしたが、採用が決まった後、何故か断られてしまう。そのとき必ず「申し訳ありません」と、言われるのだ。
もちろんあたしも「そうですか」と、引き下がっていた訳ではない。
『辞退する理由を教えてほしい』『こちらに不手際があるなら直したい』
そう言って、理由を聞き出そうとしたが皆一様に「申し訳ありません」と、言うばかり。
埒が明かなかった。
その間にも先生が二人辞め、普段授業を担当していた先生はリサ先生だけになった。
スザンヌ先生も園内の仕事をしつつ、授業をする事になった。
そしてあたしも新しい先生を探しつつ、時間を見つけては園に顔を出し、子供の相手をしている。
それがこの園の現状だった。
「リサ先生……理由は教えてもらえるのですか?」
「…………申し訳ありません、ビアンカ様」
謝罪まで他の先生と一緒だった。
その事実がこの一連の退職および辞退が無関係ではないと感じさせる。
どこからか圧力がかかっている。
ただ、それが分かっていても誰が何の為にしているのかなんて、あたしには分からなかった。
あたしは拳をギュっと握りしめる。
早くこの圧力をなくさないと園の存続が危ない。
そうは分かっているものの、何もできない自分に腹が立つ。
「……申し訳ありません……!!」
あたしが黙っていたのを怒っていると勘違いしてしまったのか、リサ先生が目に涙を浮かべ、また謝罪を口にした。
「……ち、ちがうんです!! リサ先生!! あの、今までありがとうございました!!
ああ! そうだ! 今日は、いっぱい皆で遊びましょう!!」
慌てて誤解を解くと、リサ先生は指で涙を拭い「はい……!!」と、言ってくれた。
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と、いう訳で、午後の授業を変更して今日は園内を使って遊ぶ事にした。
缶蹴りにおにごっこ、そしてだるまさんが転んだ。
大人数で、且つ、外での遊びは大いに盛り上がり、リサ先生も子供たちに囲まれて楽しそうに笑っていた。
そして今、最後であるかくれんぼをしている。
さすがに子供達は遊び疲れてきたせいか、その殆どが捕まってしまった。
しかしそんな中でも、あたしは本気だった。
(ふふふ……雲隠れのビーを舐めてもらっちゃあ困るわ)
幼少の頃のあだ名である。
元々身体を動かす事は好きだし、こうして身を潜めているのも結構得意だったりする。
ちなみに鬼はフェイスリート様で、リサ先生は見つかった子供達を連れて、教室に戻っている。
え? じゃあ適当に見つかってもいいんじゃあ??
あたしの辞書に手抜きはありません。
ちなみにあたしが隠れているのは木の上だった。
こういう時ってみんな下ばかり見ているから、案外気づかれにくいのだ。
あたしは木の上から園全体を見回した。
囲う様に立つ学び舎とその中にある中庭。
窓からはチラホラ子供達の姿が見える。
そして、リサ先生の姿も。
(はぁ……)
あたしはふと現実に引き戻された。
リサ先生がいなくなれば、明日からはスザンヌ先生一人になってしまう。
あたしだってなるべく園に来るし、新しい先生も探す。
でも、圧力がかかっていると想像できる以上、あまり楽観視できるほど気が楽にはならなかった。
(フェイリスート様……)
あたしは本来だったら今日お見合いしている彼を思い出した。
彼はあたしが縁談を申し込んでいたなんて事知らずに、今日も笑顔で過ごしているに違いない。
そんな彼の笑顔を思い出せば自然と顔が綻んでくるが、実際のところ振り出しに戻ってしまっている現状を思えば、その笑みも苦笑へと変わる。
あたしが無理を言って彼との縁談を進めたかった事には訳があった。
彼の太陽のような笑顔が大好きなのは本当で、もちろん結婚できるならしたいと思っている。
でも、それよりも彼となら婚約してもすぐに嫁がなくてもいいと、いう理由があるのもウソじゃない。
フェイリスート様は今、十二歳だ。だから、結婚できる歳まで後四年ある。
その間にあたしにはいろいろやりたい事があり、そのひとつが園の立て直しだった。
圧力がかかっている以上、それを特定し、排さねばならない。
その見えない敵との戦いにはとにかく時間が欲しかった。
それならば、縁談など発生させる必要がない。と、思うかもしれない。
しかし、これはまた別の事情があった。
あたしはダンスール家の長女。今年で十九。
下には五人の弟や妹がいる。
あたしがいつまでも婚約もせず家にいるとなると、下の子たちの結婚にまで影響しかねない。
それは許されないし、あたしも嫌だ。
だから結婚したいと思ったフェイリスート様に早すぎる縁談を持ちかけて、婚約状態を作りたかった……と、いう訳なのだ。
(あたしって腹黒かしら……)
あのお日様のような笑顔を利用しようとしているのだから、間違いなくそうなのだろう。
そう思うとへこんだ。可愛い子供達と遊ぶ自分も綺麗な心じゃなきゃ……と、思っているのに。
……でも、今のあたしにはそんな黒い方法しか思い浮かばなかったのだ。
不意に「ミシッ……」と、嫌な音がした。
そおっと、木の幹を見やるとあたしが座っている太い枝にヒビが入っていた。
「ち、ちょっとぉ!! それどういう意味よ!!」
あんなに太い枝にヒビですってぇ!?
まるで重量オーバーと言われているようで無性に腹が立った。
「もう、だらしないんだから! 枝!!」
あたしは枝を罵りつつも、そろりと立ち上がり幹の方へ歩みを進める。
頭の中を占めていた憂鬱を振り払い、自身の歩みと周囲の気配に全てを集中した。……が、しかし。
そんなあたしをあざ笑うかのように、「ベキッッ!!!」 と、二度と聞きたくない音がして――――
「き、きゃぁぁぁぁっ!!」
悲鳴は空しくこだまし、あたしは地面に落っこちた。
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「いったぁ…………」
声をあげても返事をする人などいないのに、そんな情けない声を上げる。
お尻に痺れるような感覚があった。しかし、痛くて転げ回るという事はない。
閉じていた目を薄ら開けると、木の枝と葉がクッションになったのかあたしの下でペタンコになっていた。そして木を見上げれば…………なんということでしょう。
見た目が変わっている。それほど大きな枝が折れたという事だった。
「……失礼しちゃう!」
あたしは立ち上がりドレスの埃をはらった。
ドレスはあちらこちらに引っかけた様な裂け目やほつれが見え、思わず「あーあ」と落胆の声を上げる。
「せっかくフェイリスート様の為に用意したドレスなのに……」
汚れとかは落とせば良いけど、さすがに木の枝に引っかけたりしたら直すのに時間がかかってしまう。
「アスナに怒られちゃう……」
一人空しく侍女の名を呟き振り返ると、そこにはフェイスリート様がいた。
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