北の修道院
天井から下がった何百ものろうそくの光が、大広間の床に金色の波をつくっていた。
楽団の音がやみ、着かざった貴族たちが、いっせいにこちらを見た。広間のまんなかで、王子が胸をはっていた。
「公爵令嬢。本日をもって、そなたとの婚約を破棄する」
令嬢は、ドレスのすそをにぎりしめた。
まさか、と思った。あれほど、手をつくしたのに。
*
令嬢が前世の記憶を思いだしたのは、七歳の春のことだった。
庭で転んでひざをすりむいた瞬間、頭の中に、見たこともない光景があふれだした。せまい部屋。光る板。夜おそく、ひとりで遊んでいた恋愛ゲーム。
『ばらと聖女の学園』
そのゲームの中で、自分と同じ名前、同じ顔の少女が、王子の婚約者として登場していた。ヒロインをいじめぬき、最後の舞踏会で王子に断罪され、北の修道院へ送られる。悪役令嬢と呼ばれる役だった。
七歳の令嬢は、すりむいたひざを見つめながら決心した。わたしは、ぜったいに悪役にはならない。
*
それからの十年、令嬢は自分にできることを、すべてやった。
使用人には、一度も声をあらげなかった。領地の村をたずね、農夫たちといっしょに畑に入った。貧しい家の子どもたちのために、学校を建てた。
十五歳で王立学園に入ると、桃色の髪をした平民の少女があらわれた。ゲームのヒロインだった。
令嬢は、だれよりも先にその少女に声をかけた。教科書を貸し、礼儀作法を教え、ほかの令嬢たちの意地悪からかばった。少女は令嬢をしたい、お姉さまと呼ぶようになった。
学園でも、王都でも、令嬢をほめない者はいなかった。
だから、断罪など起こるはずがなかったのだ。
*
「理由をお聞かせください」
令嬢の声は、ふるえていた。王子は、待っていたように言った。
「そなたは、完璧すぎる。民はそなたばかりをほめたたえ、王家のことを忘れている。これは、王家の威信を傷つける、ゆゆしき罪である」
広間がざわめいた。
「それに、わたしは真実の愛を見つけたのだ」
王子は、となりに立つ桃色の髪の少女の手をとった。少女は、困ったような顔で、令嬢と王子をかわるがわる見ていた。
令嬢は、目をとじた。
そうか。何をしても、むだだったのだ。ゲームの運命からは、のがれられないのだ。
*
北の修道院は、雪にうもれた山の上にあった。
灰色の石の壁は、何百年も風にさらされて黒ずんでいた。馬車をおりると、空気が刃物のように頬を切った。
門の前で、年老いた修道院長がむかえてくれた。背は低く、しわだらけの顔に、するどい目と、おだやかなほほえみを持った女性だった。
「ようこそ。寒かったでしょう。さあ、中へ」
暖炉の燃える食堂に入って、令嬢は立ちどまった。
長い木のテーブルに、灰色の修道服を着た若い女たちが、十人ほどすわっていた。みな、どこか見おぼえのある、気品のある顔だちをしていた。
「あなたも、王子さまの婚約者だったのね」
いちばん手前の女が、ため息まじりに言った。
*
その夜、暖炉の前で、女たちはそれぞれの話をした。
おどろいたことに、全員が前世の記憶を持っていた。そして全員が、自分は恋愛ゲームの悪役令嬢に生まれたのだと信じていた。
ただ、ゲームの名前は、ひとりひとりちがっていた。
「わたしの場合は『星降る王宮』だったわ。断罪をさけるために、剣をおぼえて騎士団に入ったの。そうしたら、『王子より強いのは不敬である』って」
「わたしは『月下の誓約』。早いうちに田舎へ逃げて、畑を作って暮らしていたのよ。それなのに、『婚約者の務めを放棄した罪』で、ここへ」
「わたしは学問にうちこんで、印刷機を発明したの。『王子より目立った罪』ですって」
だれもが、自分の運命のせいだと思っていた。だれもが、自分なりのやり方で、それにさからった。そして、だれもが、同じ王子に婚約を破棄され、同じ修道院に送られていた。
令嬢は、しだいに頭がこんがらがってきた。
「でも、それぞれ別のゲームなのでしょう。それなのに、王子は同じかたなの?」
女たちは、顔を見あわせた。
暖炉のそばで編み物をしていた修道院長が、手を止めずに言った。
「みなさん、むずかしく考えすぎですよ」
*
「わたしには、前世の記憶なんてありませんでしたよ」と修道院長は言った。「ゲームというものも、知りません。ただ、ふつうに暮らして、ふつうに婚約して、ある日の舞踏会で、婚約を破棄されました」
「どなたに、ですか」
「いまの国王陛下に。五十年前のことです」
暖炉の火が、ぱちりとはぜた。
「陛下は、あのあと三回婚約をなさいました。わたしのあとに、ここへ来たかたも、三人いましたよ」
女たちは、だまりこんだ。
運命でも、ゲームでもなかった。
ただ、そういう家系だったのだ。
*
春になり、山の雪がとけはじめたころ、修道院の門の前に一台の馬車がとまった。
おりてきたのは、灰色のマントにくるまった、桃色の髪の少女だった。目をまっかにはらしていた。
「お姉さま……」
少女は、令嬢の胸にとびこんで泣いた。
「わたしも、前世の記憶があったんです。ヒロインに生まれたのだから、王子さまと結婚すれば、ぜったいに幸せになれると思って……。なのに、結婚式の三日前に、『真実の愛を見つけた』って。相手は、旅の踊り子だそうです」
食堂に、重い沈黙が流れた。
修道院長だけが、いつもと変わらない手つきで、新しい茶をいれていた。
「これで十二人目ね」
修道院長は、湯気の立つ茶わんを少女の前に置きながら、窓の外の雪どけの山をながめた。
「この春のうちに、もう一部屋、建てましをしておきましょうか」




