分け目
美容室に入ると、全員の視線が一瞬だけ集まった。
すぐに逸らされたけど、なんとなく分かる。
ああ、ここ“そういう店”だ。
「ご予約の方ですか?」
やけに落ち着いた声で聞かれる。
「はい、えっと……カットで」
言いながら、少し不安になる。カットでいいんだよな。ここ、カット以外に何かあるのか。
席に通されて、鏡の前に座る。
美容師が後ろに立った。
「今日は、どの方向でいきますか?」
方向。
なんだそれ。
「えっと……普通に、短く」
美容師は少しだけ考えて、うなずいた。
「かしこまりました。“現実寄りショート”ですね」
初めて聞いた。
鏡越しに自分の顔を見る。いつも通りの自分だ。特に“現実寄り”でも“非現実寄り”でもない。
ハサミが入る。
周りの美容師たちが、こちらをちらちら見ているのが分かる。
「今日のオーダー、現実寄りらしいよ」
「へえ、最近少ないよね」
「でもあの人、前は“希望強め”じゃなかった?」
なんの話だ。
しばらくして、美容師が手を止めた。
「すみません、一点だけ確認よろしいですか」
「はい」
「“現実寄り”ですが、“優しさを残す”か、“完全に割り切る”かで分かれます」
分かれるのか。
「えっと……違いは?」
美容師は少しだけ困った顔をした。
「こんな感じでガラッと雰囲気変わります。」
雰囲気。
鏡を見る。さっきと何も変わっていない。
「……じゃあ、優しさ残しで」
「かしこまりました」
周りが少しざわついた。
「そっち選ぶんだ」
「意外だな」
「今日、攻めるね」
攻めてない。
その後もカットは続いた。見た目は特に変わっていない気がする。でも美容師の動きは真剣で、何か大事な作業をしているようにも見える。
やがて、仕上げに入った。
「最後に分け目ですが、“現状維持”か“未来志向”でお選びいただけます」
なんだそれ。
「違いは?」
「現状維持はこんな感じですね」
「未来志向はこっちがこんな感じになります」
美容師は実演してくれたが違いがわからない。
少し考えて、なんとなく言った。
「未来志向で」
一瞬、店内の空気が変わった。
「……出た」
「ここでそれ選ぶ?」
「今日、だいぶいくね」
だから行ってない。
美容師は静かにうなずいた。
「承知しました」
仕上げが終わる。
「いかがでしょうか」
鏡を見る。
いつもの自分だった。
どこが変わったのか、全く分からない。
「……いい感じです」
とりあえずそう言うと、美容師は満足そうに微笑んだ。
会計を済ませて外に出る。
風が吹く。
前髪が揺れた。
その瞬間、通りすがりの人がこちらを見て、少しだけ驚いた顔をした。
小声でつぶやく。
「……あの人、“未来志向の優しさ残し”だ」
何もしてないのに。
家に帰って、鏡を見る。
やっぱり、何も変わっていない。
でも、なんとなく。
新しい自分に出会えた気がした。




