夜襲
女は、座り込んだ俺を見ていた。
近くでは、いびきを立てて寝ている奴すらいる。もっともな疑問に思えた。
「一緒に寝ている奴が多いと、敵が襲ってきた時に生き残れない。」
戦争が始まって直ぐの頃、俺はその中を運よく生き残れた。
その時、同じ陣の中に居た連中で、今も生き残っている奴は恐らく居ない。
多くはその夜に、敵襲に巻き込まれて死んだ。
俺と同じ様に生き残っても、その後の戦争で、どこかの戦場で死んだ。
或いはどこかで生きているかも知れない。逃げたのかも知れない。
逃げた先で飢えて死んだのかも知れない。
少なくとも俺は、自分が寝る時間について、よく考え、そして何より自分のために寝た。
今、眠らないのは、今、寝るべきではないと思った以上の理由はなかった。
「そうですか。ごめんなさい。こんな戦争に巻き込んでしまって。」
女はそう言うと、僅かに俺に頭を下げた。
「戦争があるから、俺は今日まで生きている。俺は、生きるためにここに居る。」
俺がそう応えると、女は頭を上げ、静かに首を振った。
しかし、それから続く言葉もなく、女は顔を背け、留めていた足を再び動かす。
『もう だいじょうぶ ここにいるから』
『もう おやすみなさい またあした』
女の姿が遠ざかると共に、また、歌声が聴こえ始める。
やはり、あの女が歌っていたのだろう。
その歌声もまた、しばらくすると聴こえなくなった。
寝入っていた連中のいびきが収まり、月が真上を照らす頃。
チラホラと、起き出した連中を見て、俺はそろそろ眠ろうかと思っていた。
立ち上がり、陣内の安全な場所を探して回る。
良い場所は大抵先客が居たが、幸いにも寝起きだったのか、その内の一人が立ち上がり、俺に場所を譲ってくれた。
丸太の防壁を背に、俺は再び座り込む。
入れ替わるように、男はどこかへと歩いていってしまった。
目を閉じれば、そのうち、眠気がやってくるだろう。
そう思っていた俺の耳に、風を切る音が入る。
特徴的なその音は、矢が飛んでくる音に間違いがなかった。
トッ!
目を開けたその場、その前に、地面を突いた矢が落ちていた。
やがて、その音は数を増す。防壁の丸太にも矢の突いた音が無数に鳴り響く。
陣内にも矢が何本も落ちてきていた。
「敵襲!」
俺は叫んでいた。陣の中で誰かが叫んだ言葉も、ほぼ同時だった。
「敵襲!」
陣内で呼応するように、次々と同じ声が上がる。
慌てて起き上がった連中ばかりだったが、運悪く落ちてきた矢に射抜かれた、死んだ奴も居た。
矢がどれだけ続くか解らなかったが、この後は、敵が一斉に飛び込んでくる。
俺は給兵の置き場に駆け出したが、もうそこは他の連中が群がっていて、槍と弓、矢筒の取り合いとなっていた。
その中から、どうにか一本、槍を取り上げると、俺はそこを急いで離れ、敵が現れるだろう場所を見定め、位置を取る。
「狼狽えるな!交戦の準備をせよ!」
指揮官の声らしきものが上がる。
まさか寝入っていたのだろうか。
指示の遅さに不安を感じながらも、俺は槍を手に周囲を見回す。
「陣の防壁に火矢をかけられている!敵が走ってくるぞーーーー!」
誰かの叫び。
幾人かの指揮官が呼びかけ、集まった連中が整列を始めていた。
俺も慌ててその中に交じる。
「敵を迎撃しろ!決して誰も陣の中に入れるな!」
こんな指示など、意味がない事は知っている。
生き残るために敵を殺すか、敵に殺されないように上手く逃げて回るか。
それ以上の何も無い。
どこに進めばいいか、持っている武器で何をすればいいのか。
この指揮官は、駄目だ。直ぐに分かった。まだこんなのが生き残っていた事に驚いた。
それでも、俺たちは整列を終えて動き出した。
その夜、数度、そんな事があった。
実際に陣の前まで敵が迫り、交戦になったこともあれば、矢が打ち込まれただけの事もあった。
その度に号令が鳴り、整列し、敵に備える。
少しだけ、陣内に集まった兵士の数が減った。それは確かで、同じく負傷者も出ていた。
空が白み始め、周囲が明らかになった時、陣の周囲には幾つもの敵軍の集団が見えていた。
それが、攻めて来るでもなく、じっと待機している。
陣内で遺体の片付けが行われている中、いつからか大声で叫び散らしていた指揮官同士の声がようやく収まった。
「全軍聞け!これより我軍は、この陣を抜け、敵の包囲を抜け、この戦場を脱出する!」
白い胸甲を着込んだ指揮官が、中心に立ち、声を張り上げている。
「直ちに整列し、号令に従って行動せよ!弓を扱う者は、特に、指揮官の指示を待て!」
弓を持った連中が、手を掲げている指揮官の周囲に集まっていく。
俺は槍を持っていた。
そこには合流せず、見知った、信用できるだろう他の指揮官の顔を探す。
先程、これからの行動を伝えていた胸甲を来た指揮官の直ぐ側に、女の姿が見えた。
昨晩見た、あの詩を歌っていた、「皇女イライザ」だという女だった。
「おい!エアダル!お前、こっちこい!」
俺に声を掛ける奴が居て振り向けば、そこには昨日、俺に芋をくれた男が立っていた。
俺はよく考えず、ただその声に答えて、駆け出した。




