歌声
「エアダル、お前もしぶといよな。こんなクソッタレた戦争でまだ生きてやがる。」
俺が陣の片隅で座っていると、男が一人やってくる。
「この戦争があるから、俺みたいなやつはまだ生きていられる。」
手に持った硬い芋を齧る。それは配給されたばかりの今夜の食事だった。
俺みたいな奴は、この芋を、他の手段で食う事はできない。
家からも口減らしに追い出され、口減らしに追い出されるような奴は、そもそも家の仕事すらわからないまま生きてきた。家の誰かの代わりにすらなれなかった。
そんな奴は、どこに出ても、何もできない。
この戦争が起こった事は、俺にとっては運が良かった。
「数合わせ」の兵は、戦争で生き残りさえすれば良い。
戦争で生き残った奴を並べて、その数が相手よりも多ければ価値がある。
そのために、炊いた湯も、食い物も与えられるし、武器も渡される。
俺みたいなやつじゃ、どれも、自分では満足に用意できないものばかりだ。
「あの皇女様が、この戦争を起こしてくれたおかげで、俺はまだ生きてる。」
士官たちが、皇女様を引き合いに出す事は、それなりにあった。
それこそ、戦争が始まって直ぐの頃は、そんな士官連中ばっかりだった。
皇女様のために戦え。帝国の正しい未来のために勝利しろ。
俺には知ったことではないし、理解も出来ない、するつもりもない。
そんな事は、学のある連中が考えてくれればいい。
俺に求められているのは、「生き残って」居ること。
相手に殺されないこと、そして運が良ければ相手を殺すこと。
それが、国にとって、どんな意味を持つかなんて、俺にはわからない。どうでもいい。
「そうかも知れねぇな。お前みたいな奴はこの戦争で山程見てきた。こっち側だけじゃねぇ、相手側にもいるだろう。戦争がクソッタレてるんじゃなくて、この国自体がそうなのかもな。」
住む場所がない俺みたいなやつは、どうせ冬季が来れば死ぬ。
雪の中で、暖を取る薪さえなく、ただ凍えて死ぬ以外無い。
戦争がある。あるからこそ、その冬季までは生きていられるかも知れない。
「だが、少なくとも、この戦場はもうすぐ終わる。そうすれば、戦争はまた終わりに近づく。敗戦だろうがなんだろうが、戦争が終われば、お前みたいなヤツはどうするんだろうな。」
「他人事なんだな。」
目の前の男が、俺を見て、憐れんでいることだけは判った。
「俺の親は大工だったんだ。煉瓦を積んだり、釘を打ったり、そういうのはできるんだ。家を建てろって言われても困っちまうがな。」
なるほど。戦争で壊され焼かれたものも多い。
こんな陣の設営だって、工兵と給兵の仕事だ。この戦争で気に入られて、腕を買われれば、職にありつけるだろう。
俺にはそれすらもどうすればいいかわからない。
敵と戦って、生きて戻ってくれば、後は、与えられた食事をして、寝る。
そうしなければ、明日を生き残れるかわからない。
怪我でもすれば、尚更だ。その身体で、どうやって生き残るか考え、怪我を少しでも早く治す以外ない。
「なぁ、どうすれば、戦争は続くんだ?」
俺は、自分では答えが出ないそれを、思い切って聞いてみる。
「あの皇女様が生きてりゃ、戦争は続くだろうさ。俺はそう思ってる。詳しい事は俺もわからん。」
男は、少しも考えもせずに、そう答えた。
「なら、俺は、俺が生き残る次に、あの皇女様を守らなきゃいけないな。」
「ははは。そうだな。確かに、その通りだ。お偉方も、そうやって説明すりゃ、エアダルみたいなやつにも分かり易いだろうにな。やる事は同じなのに、なんでそう言わないんだろうな。」
男は盛大に笑った。何が面白いのか、俺にはわからない。
だが、この男はそれがわかっている。それならそれでいい。
その先はこの男が考えるんだろう。
「エアダル。俺の芋も食うか?」
手に持った芋が、もう無いことに気がつく。話の合間に、食べきっていた。
男が差し出してきたそれを、俺は受け取る。
俺の顔を見て、男は笑った。その顔を見て、俺は芋をかじる。
「ありがとう。」
一口かじったそれを飲み込み、それから俺は礼を言う。
陽が落ちてきた。陣の中に人が増え続け、溢れかえっている。
後から来た連中も、芋と炊き湯を受け取り、それを口に入れると座り込んだ。
寝ているやつもいる。これだけ数が居れば、戦場でも安心感がある。
自分が犠牲になる前に、誰かが死んでくれる。
誰かが死ねば、生き残るために何をすべきか、考える時間ができる。
敵が矢を打てば、敵の矢が一本減る。その分だけ、自分が生き残れるかも知れない。
敵が槍を振れば、振り下ろしたそこに槍を突き刺せるかも知れない。そうすれば、敵が一人減る。
そうして今日まで生きてきた。
誰かが、詩を歌っている。女の声だった。
この戦争で、そんな事は始めてだった。そんな事もあるのだなと、俺は思った。
その夜は、何故か寝ている奴が多かった。そんな事もあるのだと、俺は思った。
今夜も、月が出ている。
真っ白な月が、篝火の赤い光とは別に、地面をよく照らしている。
『もう だいじょうぶ ここにいるから』
『もう おやすみなさい またあした』
『もう だいじょうぶ あなたとともに』
『もう おやすみなさい このうでで』
誰かのその詩は、とても懐かしい気がした。
俺もそれなりに眠れそうな、そんな気がした。
歌声が近づいてくる。歌っている女は、この陣の中を唄いながら歩いているようだ。
気が立って、叫び散らしている指揮官も居ない。
俺を呼びつけて叩く指揮官も居ない。
心地の良い夜だった。
誰かが、俺の前に立った。詩を歌っていた奴だろう。
そんな気がして、顔を上げる。
「貴方は、眠らないのですか?」
そこに立っていたのは、月明かりに青白く照らされた、『皇女イライザ』だという、女だった。




