EP:2 哀れな王子
ほのかに甘い香りを放つベッドから抜け出て、俺は自分がイヴという名前であることを聞いた。
深紅をベースに、襟元、袖口、裾に真っ黒なレースを蓄えたワンピースが俺の身振りに合わせて揺れている。
歩く度に随分と風通しの良い衣類だこと……と遠くを見ながら、随分と背の高いアゼルの後ろを追いかけた。
彼は俺の執事であるらしく、元は奴隷で売られていた身を、俺が買い取ったらしい。
そしてそこから約100年ほど共に過ごしたようだ。
「100年も…!?」
「それもお忘れでしたか……少し寂しいですが、仕方ありませんよね……」
そう寂しそうに眉をひそめて笑うアゼルの顔を見て、随分申し訳なくなった。
彼の見た目はどう見ても20代頃だが、実年齢は200歳ほど過ぎているらしい。
エルフというやつだろうな、尖った耳がそれを物語っている。
長い耳の縁に沿うように輝いたシルバーの装飾と、ちらちら揺れては陽の光を反射するエメラルドの着いた耳飾りは、すごく似合って馴染んでいた。
赤くて長いカーペットの敷かれた廊下を暫く歩いている。
広い屋敷だなぁ、と辺りを見回す。
等間隔に置かれた窓の先には、生い茂った緑が生えている。
木と、名も知らぬ花が揺れては生きていると言わんばかりに彩色を放っていた。
「そもそもどこまでイヴ様は覚えてらっしゃるのでしょうか、必要であれば俺が説明致しますよ」
その言葉で思わず口を噤む。
全部知らないと言ったらドン引かれたりしないだろうか、なんだコイツと言わんばかりの目で見られようものなら謎の不甲斐なさと謎の申し訳なさで心が折れる。
だがしかし黙っている訳にも行かず、何度か自分の黒い紙を指でといてから答えた。
「全く覚えていない……です…。そもそもここがどこなのかとか、私がどんな存在なのか、とか」
自分で言っていて思うのは、途方もない情報不足である。
きっとこの世界は日本とは全く違う場所で、言葉は日本語に聞こえるし日本語で話せているが、国や法律、マナーなんかが違うとくれば、俺はそれを学ばなければならないのだ。
日本にある自分の体に帰れるかも分からないので、この世界に慣れておく必要があった。
アゼルは自分の顎に手を当てて、うーんと呟きながら天井を仰いだ。
そして少しだけ顔をこちらに向けて「図書館へ行きましょう」と微笑むのだった。
♦︎♦︎♦︎
その後ろ姿を追いかけ続けて、どれ程だったか。
あちこちを右へ左へ曲がり、一度外へ出て、またしばらく歩き、着いたのはパッと見は植物園と言った感じの建物。
全体的にドーム型をしており、不思議な虹色を放つガラスのような物質で覆われていた。
蔦が絡みついた扉をアゼルが押し開く。
その先について行くと、沢山の植物と、そこに共存する沢山の書物が並べられた本棚があった。
真っ直ぐに伸びるベージュ色のレンガ道を挟むように、均等に本棚が陳列しており、真ん中にはしんみりと水を流す丸型の噴水。
そして何よりも目を引いたのは、プロジェクションマッピングのように宙に浮いている、大きな時計。
枠はない、基盤もなければ、背面もなく、ただ刻まれるための数字と針が金色の淡い光を放って浮いていたのだ。
それを見つめる今も尚、チクタクと秒針が刻む音を立てている。
どういう技術なのだろうかと感嘆しながら、その美しい光景に目を奪われていた。
「イヴ様、こちらです」
アゼルに声をかけられてハッと我に返る。
いつの間にか前の方にいた彼は不思議そうに俺を見つめて、立っていた。
なんだか気恥しくなりつつ、慌てて駆け寄ると、アゼルはしょうがないなと言わんばかりに俺の髪を撫でた。
「髪が乱れていましたよ」
「あぁ、ありがとうございます」
そういう事か、突然のイケメンムーブに心臓飛び出ちまうかと思った…。
また歩き出したアゼルは、本を探しながらいくつかの本棚をめぐり、目的の本を取り出す。
真っ黒な背表紙に、金色の枠組みが施されていて、色とりどりの宝石が装飾されている。
「それは?」
「この世界の歴史が書いてあります、さてイヴ様……授業をしましょうか」
またまたとっても素敵な笑顔で誘われ、俺は頷かざるを得なかった。
内容は聞いていた通りこの世界の歴史にあたるものだった。
先程取りだしたのは、存在する本の中で、実際に起きたことを1番忠実に記したものと言われているらしい。
それを元に、アゼルはとても分かりやすく説明してくれた。
過去、この世界には武術、戦略、貿易等全般において一目置かれる『アストラダム』という国があったそうだ。
その国は美しい楽園のような場所で生まれ、たくさんの種族と手を取り合い、発展していった。
初代国王、ヴィンセインとその王女、コティの間には、2人の王子が生まれ、国は幸せの絶頂であった。
しかし、国を継ぐとされ、美しい容姿をしていた長男、アグニスは次男、トンスとの平等な扱いに不満を唱え、遂には憤りから実母であるコティを刺し殺した。
目の前でそれを目撃したヴィンセインは、血に濡れた顔で尚、アグニスは美しいと思ってしまう笑顔をうかべていたと語った。
そこからアグニスは鉄製の棺に入れられ、海に沈められたと言われている。
それ以降、ヴィンセインは容姿の整った者の笑顔を見ると吐き気と憤りを感じるトラウマを抱え、それは国民をも巻き込む価値観の変動を導いた。
容姿の美しい者が微笑むだけで国は傾くだの、傾国の罪人だの、関係ない国民たちを迫害し、身分が下げられていったのだと言う。
その無慈悲かつ理不尽な差はあっという間に一市民と、奴隷という格差にまで開いてしまい、ヴィンセインは妻を失った悲しさから何も手ほどきをせず結局自害してしまった。
幸か不幸か、両親に似ないと言われるほどトンスは不細工に当たる顔付きだったため、男性のみ美醜逆転した新しい国で新しい王となったのだ。
そこからトンスは好き放題贅沢をし続け、国の経済を傾けながらも、主に容姿でチヤホヤされたと言う。
家臣の助言を聞き、トンスは下女と3人の子供を作った。
名をロザリア、ベリオネッタ、エシュタ。
3人の姉妹はそれぞれ違う特技があり、それは国の経済を元に戻すほどの実力があったが、価値観の違いから仲がいい姉妹とは言えない関係だった。
トンスが亡くなった後、ロザリアがその国を継いたが、また別でベリオネッタとエシュタが国を作り、3つに分断してしまったのだと言う。
それが現在に残る国の主な3つ。
ロザリアが作った知能と名声の国『ロンザスタ』
ベリオネッタが作った美と富の国『ベリュネ』
エシュタが作った愛と武力の国『エリュシア』
現在、俺という魔女と、アゼルが住んでいるのはどこにも属さず、たった2人しか住んでいない島国。
名を『ユーフォリウム』。
聞き慣れない横文字だらけに翻弄されながらも、アゼルが用意してくれたノートに必死にメモを取り終えた。
パタンと本を閉じながら、アゼルはまだ話を続けた。
「残念ながら、奴隷という文化は根深く残り続け、今も尚俺のような者が苦しんでいます」
「……そうだったのか」
掛ける言葉を上手く見つけられず、その物悲しさを写している瞳を見ていると、彼はふっと目を細めて膝に置いていた俺の手を取り、王子様のように膝を着いた。
「ですが俺はこの世で一番の幸運の持ち主です。偶然にも貴女に出逢い、こうしてお傍に置いていただいているのですから…貴女は記憶を無くされる前も奴隷を大変嫌っておりましたから、そこは変わっておらず嬉しいです」
ふふ、と照れくさそうに肩を竦めて微笑むアゼルに思わず見蕩れてしまう。
男同士にはなってしまうが、その、あまりにも顔面の作りが良すぎて照れてしまうのだ。
コホン、と咳払いをすると、アゼルはハッとして『エリュシア』国の話をし始めた。
「実は、三女のエシュタが作ったエリュシアには現在、アグニスの生まれ変わりと言われている王子が存在するんですよ」




