EP:01 婆さんの向こう側
俺の名前は、田中郁郎。
郵便配達業で働く30代独身。
インターネットにVRゴーグルを付けて美少女に成りすまし快感を覚えるバ美肉おじさんだ。
30代を超えてからというものの、いまさら料理し始めたり釣りしたりなんて趣味が増えることもなく、結婚も諦め始めていた。
ネットの中において、30代をすぎたら年齢は自分からいじりに行くものだと思っている。
そんな物悲しい人生を、そこそこ謳歌していたとき、悲劇は起きた。
会社帰りにバイクを運転していたら、目の前に婆さんが飛び出してきたのだ。
止まれる距離幅は無く、避けることを余儀なくされた俺は必死でハンドルを切り、そのまま用水路に落ちていく。
__ガツーン、と1つ大きな衝撃を体全体に受け、意識は飛んでいくように暗転した。
これは死んだなぁとしみじみ思いに耽りながら、走馬灯というのだろう、パラパラと本をめくるように過去を振り返り、目の前に眩しい灯りが見え始めていた。
ここが天国か、と眩しさに目を凝らしながら開くと見たこともない"イケメン"がこちらを覗き込んでいたのだった。
「うぉぉ!なんだ、誰だお前は!?」
俺が言ったはずの言葉だったが、妙に声が高い。
違和感に気づいて体をまさぐると、随分華奢だ。
目に映る指先は白く、そして細く、爪も長いが綺麗に整えられていた。
極めつけは視線の先に写る、自分の頭部から生えているであろう長い長い黒髪だ。
それを手で掬うと確かに生えている感覚があった。
おかしな行動だと思ったのだろうか、目の前に"イケメン"がいることなどすっかり忘れて自分の体を見ていたが、急に声をかけられた。
「主、まだ少し体に違和感があるのですか?」
「あるじ…?」
青年は俺を"主"と読んだ。
主、それは確か家の主人。また、使用人の主人を意味すると辞書で見た事がある。
目の前の青年は俺の言動がいちいち可笑しいのか心配そうに首を傾げている。
どうやら俺のことを知っているらしいが、俺自身は一切関わった覚えがない。
何故ならば、目の前の青年は白い髪を綺麗に切りそろえ、右側だけ長いもみあげ部分を耳にかけていた。
流すような瞳には長く、髪と同じ白い睫毛がふんだんに蓄えられていて、そこから覗く瞳は、まさにエメラルドの宝石のような美しさを放っていた。
鼻筋が真っ直ぐに伸び、唇は添えるだけのようなサイズでありながら、色気すら感じるようなぷっくり感。
一際目立つのはその肌の色、小麦色の肌をしている。
そんな人間は、地球の日本という場所において一度も見た事がないのだ。
その目に見詰められるのに、何故か緊張してしまい目を逸らすと、ずっと感じていた違和感に気づいた。
先程、間違いなく俺は道路沿いの用水路に落ちたはずだが、今まさに居るのは木で出来ていながらも、高級そうなラグや、宝石の着いた家具が置かれた部屋に居たのだ。
しかもカーテンの着いたベッドの中で寝そべっている。
質の良さそうなベッドのカバーは、華やかなラベンダー色をしていて、所々に丁寧なシルクの刺繍がしてあった。
横を見ると、もう一人身に覚えのない"美少女"と目が合う。
いや、正しくは俺自身が金の枠に縁取られた鏡に映っていたのだが、中にいたのは30年を共にしたおじさんの顔ではなく、10歳前後と言った少女が映っていたのだ。
困惑して自分の顔をぺたぺた触ると、鏡の中の少女も自分の真似をするように顔をぺたぺた触り始める。
間違いない、どうやらこの絶世の美女は俺らしい。
となると……俺は転生したのか…美少女に。
「イヴ様、仕方ありません。魔女という長い寿命を生きられる貴女にとって、定期的な体の変換…つまり代替わりは行わなければならない行事です。その代替わりによって記憶に多少の混濁があっても仕方ありません。大丈夫ですよ、貴女は立派な魔女様でございます。そしてそんなあなたの執事であるアゼルの大切な主君でもあります。」
美少女の魔女に転生したんか。
突然饒舌に話始めたアゼルと、その内容の情報量に頭がプチパニックを起こす。
頭の中で今聞いた言葉を反復し、何とか脳にインプットしていった。
「つまり、俺…いや、私は魔女で、貴方は私の執事であるアゼルさん……」
「アゼルさん!?」
「あ、アゼル!」
どうやら前の俺は彼に"さん"を付けていなかったらしい、とんでもない目で見られたので慌てて訂正した。
相手に違和感を与えないよう、一人称を私と言ってみたが、それで正解だったようだ。
その代わり俺自身の中で違和感がすごい。
私って、たまにおふざけで言ったことがあったがまさかそれをこれからずっと言うのか…?
そもそも俺は死んで転生したということで間違いないのだろうか。
今は意識が混濁した状態で、植物人間にでもなっていたりして、俺自身がみている夢では無いのかとも思う。
試しに自分の手を抓ってみたりするが、ちゃんと痛覚があった。
張り詰めた緊張感の中に、確かに摘まれたときのツンとした痛みを感じる。
一体全体、どうして突然こんなことになってしまったのか。
俺はまず、敵意がないと思われるアゼルにこの世界のことを聞くしか選択肢がないようだ。
「この世界のことをちゃんと教えて欲しい」
恐る恐る呟くと、アゼルはその緊張感と裏腹にニッコリと優しく微笑んで「もちろんです」と告げた。




