2通目:佐々木庸介⑥
「ようちゃんは、結婚はせんのか?」
シズ子に突然問われたのは、月曜日のことだった。
月に数回届く愛実の手紙を受け取り、墓参りから戻ったタイミングでシズ子にスイカをもらったから食べないかと誘われたのだ。
事前に冷蔵庫でキンキンに冷やされたスイカは火照った体を冷やしてくれる。
お盆前だが既にうだるような暑さで参っている体に沁みる旨さだ。
首にタオルを引っ掛け、三角に切られたスイカをシズ子の家の縁側で食べるのは、田舎ならではのとても贅沢なのんびりした時間。
完全にオフ状態になっていた庸介は、とっさに返事ができなかった。
シャクシャクと口に入れていたスイカを飲み込むと、庸介はゆっくりと口を開いた。
「俺、一度結婚前に破談しているんですよ」
シズ子は静かに頷いて続きを促す。
どこまで話すか。考えるより先に言葉が出てくる。
「母子家庭で育った子だったんですけど、プロポーズしたあとすぐにお母さんも亡くなって。ずっと側で支える覚悟は出来ていたんですけど、俺の両親がどうしても認められなかったみたいで。彼女の家のこと調べて手切れ金渡して「別れてくれ」って言ったんです。
……俺は親と縁を切っても彼女と一緒になる覚悟も出来ていたんですが、「煩わしいのはイヤだ」とフラれました」
「そうなんか」
「その時は気づかなかったんですけれど、彼女なりの優しさだったんですよ。別れ話の時に「貴方のことは好きだけど、ご両親が……」って言われていたら、俺は何としてでも親と縁を切ってでも彼女と一緒になった。片親で母親も亡くした彼女だから、俺に親と縁を切るなんてさせたくなかったんだって。だいぶ後で分かったんですけどね」
庸介は笑う。あの場では分からなかった愛実の愛情に気づいたのは何時だったか。
愛実の件があってから両親の連絡先をブロックし疎遠になっていた。
前職を辞めたことも、地域おこし協力隊でこの町に来ていることも兄経由でしか伝えていない。
彼女が望んでいたのと正反対に歩んでいる自分が滑稽で、幼稚で。
それでも庸介は矛を収めるつもりはなかった。
すべて聴き終えたシズ子は、そっと呟いた。
「愛実ちゃんやんね、相手は」
庸介は言葉を失う。
何で知っているのか、と思うと同時に心のどこかでシズ子は知っていたのではないかという予感もあった。
「何年か前のお盆の時期に見かけたことあったんよ、愛実ちゃんを家の前まで送ってるようちゃんを」
あの夏だ。初めてこの町を訪れて、愛実の母親のお墓参りをして。
忙しい愛実とは反対に、庸介はこの町でゆっくり過ごして、そしてこの経験が再びここに訪れるきっかけになったのだ。
「今でも手紙でやり取りしよんやろ?」
「全部バレているじゃないですか」
庸介は苦笑する。
隠すようなものでもないし、いつでも読み返せるように、彼女から届いた手紙は茶の間のテーブルの一角に無造作に置いてあったのだ。
大家であり、隣の家に住んでいるシズ子とはしょっちゅう顔を合わせるのだ。
片付けてない状態で家に上がってもらうこともある。
どこかのタイミングで愛実の名が書いてある手紙を見られたのだろう。
いや、もしかしたらシズ子には知ってほしかったのかもしれない。
おばあちゃん子だったという愛実の祖母の友人だったシズ子に。
何故ならシズ子以外の人間――例えば武夫――が家に上がるとなった時には愛実からの手紙を見えないところへ片付けていたのだから。
「相手はお察しの通り愛実です」
「そうか」
「別れているのに、まだ未練がましく気持ち残っていて。かと言って両親を説得もできない情けない人間なんです。もう実家はないという愛実がいつかこの町に帰りたくなった時によりどころになりたいという邪な気持ちで地域おこし協力隊に応募しましたし」
洗いざらい話して自虐する庸介にシズ子は、呆れたようにため息をついた。
「ようちゃんは賢く見えるけど案外抜けてるねぇ」
「ぬ、……抜けてる?」
「そうや。遠回しなことせんでも両親を説得したらええやろ。簡単なことや」
「説得を聞き入れるような人たちじゃ……」
「ちゃんと冷静に話したんか?膝つき合わせて」
「……いえ」
両親のした行為が頭に来て、実家に乗り込み怒鳴りつけただけ。
その時に愛実から返された小切手を叩きつけたのが両親と会った最後だった。
連絡先もブロックした上で消したし、やり取りは兄経由でしかしていない。
「こんな田舎で知ってる人もおらん中、新しいことをするよりも両親を説得する方が簡単やろうに」
やれやれといった口調でシズ子が呟く。
「まぁ親やけん甘えとんやろ?そうやって意地を張っとけば、いつか向こうが折れるやろって。意外と子どもやな、ようちゃんは」
シズ子の言い分にカチンとくる。
――今、自分は腹を立てている。
それはシズ子の言い分が当たっていたからに他ならない。
その事実に庸介はひどくイラついた。
せめて反論しようと口を開いた庸介の言葉を封じるようにシズ子は鋭いセリフを放った。
「まだ生きとる間にキチンと気持ちをぶつけぇや。親かていつまで生きるかわからんよ。病気になるかもしれんし。
ようちゃんはまだそれが出来る。愛実ちゃんはもう望んでも出来んのやから」
風船が萎むように怒りが抜けていく。
庸介の上がっていた肩が落ちるのを見届けたシズ子は、ニカッと笑った。
「おせっかいなババアの言い分を信じて一回連絡してみんさい。なっ?」
庸介もつられて笑った。しょぼくれた力ない笑顔だったが、今まで張っていた意地が抜けたいい顔だった。
「……連絡先わからないんですけど」
「なんの、アレがあるやないの」
シズ子は門扉の方を指さす。彼女の指が指し示す先は郵便受けだった。