2通目:佐々木庸介⑤
2年目の地域おこし協力隊の業務は、1年目の苦労は何だったのか、というくらい順調に進んだ。
「来たばっかりの人間に任せられんけん」
そう言って笑うのは、顔役の武夫だ。
「何人も協力隊で来たけんど、やっぱりバックボーンがない人間に任せれんこともあるけん。最初はええこと言うけど結局最後までやりきらんと帰りよるけん。その点、あんたは腐ることなく地道に町の人と交流持っとったし、信用に値する人間やと思ったんや」
武夫の言葉に、庸介はハッとする。協力隊として活動した1年を思い返した。
赴任して最初に神野に言われたのは、ここ数年移住者が増えていることもあり、新しい住民の意見も積極的に聞き入れる土壌が整ってきている、と言うことだったのに、実際は真逆だった。
それに対して正直不満を感じていた面もあったけれど、受け入れている方の気持ちを慮ることはなかった。
地域おこし協力隊として受け入れているのは市民側なのだから、自分に力を貸して当たり前とは思っていなかっただろうか。
都会の人間である自分が、田舎の人間に知恵を授けてあげる、と驕った気持ちを持っていなかっただろうか。
自らを振り返った庸介は、反省した。
自分には謙虚さが足りなかったのだと。
そして、庸介はこの町に骨を埋める覚悟で地域おこし協力隊の仕事にまい進することにしたのだ。
するとどうだろう。協力してくれる人が増えたのだ。
「この辺の人間は口は悪いけど、人は良いけんね」というのはシズ子の談。
実際にシズ子の言う通りだった。
元々、穏やかな風土で人好きの市民が多いのだ。
人によってはお節介と受け止められる事柄――例えば庸介が独身と知った近所の人から見合いの釣書を渡されたり――もあったが、庸介は元々細かいことは気にしない質だ。
どちらかというと、町の人のお節介に助けられることの方が多かった。
それは庸介が気楽な独り身で、都会のクールな人間関係より、密接な関わりを持つこの町を自分で選んだからそう感じるだけだろう。
この町で生まれ育ったら、息苦しくて仕方なかったかもしれない。
何々さん家の息子さん、娘さん、お孫さん、お嫁さん、お婿さん。
生まれた時から家柄によって役割が決まっていて、その枠の中で見合った行動をしないといけない。
特に先生と呼ばれる政治家や医者や教師、士業、地元の有力者なら尚の事。
もちろん、庸介が育った世田谷でも同じようなことはある。
だが、都会は近所の人との関わり合いは、あくまで近場のみだ。
家が近所でも皆が皆、地元の学校に行くわけでもないし、親の勤め先同士が近いとか、仕事上でも私生活でも関わり合いが深いとかいうこともない。
だから逃げ場があるのだ。
ここでは違う。
小さい町だから、仕事も近所付き合いも学校生活も買い物すら、すべてが色濃く繋がっている。
下手したら家柄や小学校の頃のヒエラルキーが大人になっても続く。
それは、仕事で成功しているとかではなく、当時の関係がここに住んでいる限り永遠と続く。
更に地域にどれだけ貢献したのかも加味される。
先祖代々地域のために奔走したのかで価値が決まる。
その分、絆は強い。
何かあったら自分のことのように助けてくれる。直接の知り合いでなくても、誰々の知り合いだから、とか、親に助けてもらったから、とかそんな些細な理由で。
きっと都会では、そんな人間関係を築くのは中々難しい。
都会で育った一部の者はこの昔のムラ社会と呼ぶような密接な関係に憧れ来県し、ここで育ったけれど相容れなかった者は大都市に出ていく。
自分の生まれ育った環境にないものを追い求めているかのように。