2通目:佐々木庸介①
愛実から手紙が届くのは大概月曜日だ。
土日は地域おこし協力隊で企画しているイベントや、町に訪れた知り合いのサイクリストと連れ立って出かけることが多い庸介は、月曜日は予定が入らなければ休むことにしている。
なので午後一で届けられる愛実からの手紙はすぐに開封して読めるのだ。
郵便バイクの来る時間に合わせて玄関前に置いてある植木の世話をしていると、顔見知りの郵便局員が手渡ししてくれる。
礼を言い家の中に引っ込むと、上がり框に腰掛けてその場で読み始める。
庸介から一方的にした約束にも関わらず、愛実から必ず月1、2回はこうして手紙が届く。
一旦途切れた縁が、今細く繋がっていることに不思議な絆を感じる。
最後まで読んで、そしてもう一度最初から読む。
末尾の「もうそちらに行けない」という言葉を噛み締める。
何度も愛実の手紙で書いている言葉の意味。最初はわからなかったが、今の庸介は痛いほどわかっている。
彼女の痛みが伝わるような一文を庸介は指でなぞった。
しばしそうしていた庸介は、おもむろに立ち上がって玄関に置いてある墓参りセットを手に取る。
原付バイクにまたがって向かうのは、市営墓地だ。坂の手前にある花屋で樒を買うと坂を登り、ある区画の前で庸介は原付を止めた。
墓に向かう前に水を汲み、目的の場所に向かう。
小さいながらも立派な墓石の前に立つと、軽く手を合わせ、墓の手入れをしていく。
古くなった樒を取り替え、湯呑みを洗い、新しい水を注ぐ。砂利のところの草を抜き、どこからか飛んできた枯れ葉を拾ってまとめてゴミ箱に放り込む。
ある程度きれいになると、庸介は線香に火をつけて手を合わせる。
しばしの間そうしていた庸介だったが、おもむろに立ち上がって残った水を線香の火が消えないように墓石にかける。
愛実から手紙が届いた時に必ず行っているルーティン。直接は会ったことはない彼女の母親、そして祖父母。月1、2度は来ている墓参り。
自身の祖父母の墓参りもこんなにマメに行っていないのに。
きっと天国でヤキモチを焼いているだろう自分の先祖に、次地元に帰った時は必ず会いに行くから、と詫びる。
最後に周辺を見渡して、ゴミが落ちていないか最終チェックをすると、墓に向かって庸介は軽く頭を下げる。
「また来ます」
そう言い残して、庸介は来た道を引き返したのだった。
※
愛実の母、智子には会ったことがない。
愛実との間に結婚の話が出てきた頃、彼女の祖父が亡くなり精神を病んだ智子は、自分の母親と2人の娘を残し入院先の病院で自死したのだ。
付き合っていたとはいえ、庸介は詳細は知らない。
だけど、突然亡くなった母親の後始末に追われている愛実を間近で見ていた。
悲しむ間もなく、祖母の施設の入居手続きや実家の片付け。
水、日休みの愛実は火曜日と土曜日の夜のサンライズに飛び乗り、翌日の最終の電車で帰ってくる日々。
智子の49日が終わる頃には帰省の頻度は少なくなっていたが、一周忌を迎えるまでは気忙しい毎日を送っていたのだ。
近くにいた庸介もできる限り協力はした。だが、まだ正式に結婚も婚約もしていない自分にできることなどたかが知れている。
せいぜい実家の片付けで自宅が疎かになる愛実の代わりに掃除や細々した買い物を代行することくらいだ。
桜を見る前に亡くなった智子の初盆は、49日の後だった。少しだけ落ち着いた様子の愛実と一度だけ一緒に彼女の地元を訪れたことがある。
愛実が長期休みで連泊する時に、新幹線で東京から本州側のスタート地点の駅で降り、そこからレンタカーを借りて訪問したのだ。
「一度あの橋を走ってみたいんだ。愛実はサイクリングしないだろ?」
日中は共に過ごせないから、と遠慮する彼女に気を遣わせないように、そっと申し出た庸介。
愛実はホッと安心したように笑った。
親戚が来る前に墓参りをさせてもらい、まだ片付けが残っているからと、申し訳無さそうにする愛実を実家の前まで送るついでにゴミをトランクに詰めてクリーンセンターに運んだり、不用品をリサイクルショップに売りに行くのが、庸介の役目だった。
そんな大した事ない役目はすぐ終わる。
庸介は愛実が夜、ホテルに帰って来るまでレンタカーで、あるいはレンタサイクルを借りて町の隅々まで巡った。
のんびりして住みやすい町。
それが庸介の第一印象だった。
東京に戻り、やっとこさ日常を取り戻した愛実に少しずつ笑顔が戻ってきた頃。
事件が起きた。
智子には姉と弟――つまり、愛実の伯母と叔父がいたのだが、その際に色々確執があったらしい。
智子の49日が終わる前に立て続けに祖母も亡くなり、相続で揉めた末に疎遠になっている、というのを知らされたのは自分の両親からだった。
怒りで体が震えた経験は初めてだった。
「勝手に調べるなっ!!」
自分の両親のした行為への侮蔑と、愛実から祖母の死を知らされていなかった憤り。
吹き出した感情のままに怒鳴りつける庸介に父は淡々と告げた。
「別れろ」と。「彼女と家は釣り合わない」と。
世田谷に住んでいるというだけで、父も雇われだ。代々続く名家でもない。
たまたま父の仕事が官僚でお堅い仕事だっただけなのだ。
庸介は端から父の言う事を聞くつもりはなかった。
だが、次の日に愛実に呼び出され、自分の父が渡したという500万円の小切手を返されながら「別れよう」と言われたのだ。
「なんでだよ!?親とは縁を切るから、そんなこと言うなって!!」
引き下がる庸介に愛実は悲しそうな顔をする。
「だめだよ、そんなの」
「イヤだ!」
つい声がでかくなってしまう。周りに見られている、そんなことは今の庸介には関係がなかった。
言葉を費やし、なんとか愛実を説得しようとするが首が縦に振られることはなかった。
「まだ庸介くんには親がいる。大事にしないと、いつ後悔するか分からないよ。
それに……もう、親類縁者の揉め事に巻き込まれたくないの。煩わしいことはもうお腹いっぱい。
……私は一生結婚もしないし一人で気ままに生きていきたいの」
そう告げた愛実は、なにかを諦めた表情をしていた。
悟ってしまった。食い下がっても彼女はきっと首を縦に振らないだろう、と。
愛実はもう庸介を「煩わしい」カテゴリーに入れているのだと。
わざと突き放しているのは、自分に未練を残さないための愛実の最後の愛情なのだということは、その時の庸介は気づかなかった。
愛実の言葉をそのまま受け取った庸介は、説得することは出来ないと理解するしかなかった。
側で支えたかったのに。ずっと隣にいてほしかったのに。
何がきっかけで狂ってしまったのだろう。
悔しさなのか悲しさなのか、憤慨しているのか。
ブワッと押し寄せる感情の波に、庸介の目から涙がボタボタと落ちる。
愛実はそっとポケットティッシュを差し出して詫びた。
「……ごめんなさい」
震えないように堪えているのか、それとも諦観していたのか。
彼女の声はやけに感情が抜け落ちたものだった。
別れた後も完全に付き合いがゼロになったわけではなかった。
連絡先は消したし、2人きりで会うことはなかったが、学科もサークルも同じなのだ。
別れた、という話はすぐにグループ内に共有されていたが、共通の友人も多いから飲み会で一緒になることもあった。
その時に二言三言会話をする。その度にもう一度付き合えないかと口に出しかけて、何度も言葉を飲み込んだ。
固く結ばれた唇が、庸介にその一言を許さなかったのだ。
救いは庸介と別れた後、愛実が誰とも付き合っていなかったことだ。
それは、愛実が一生一人で生きていくという頑なな決意の表れでもあった。
告白の言葉を飲み込んだ代わりに、庸介は必死に考えた。
間接的にでも彼女を支えられないか、と。
そんなときに見つけたのが「地域おこし協力隊」の記事だった。