ためらいの丘
ためらいの丘
男の名はジェイクといった。一際小柄で、狼男のように毛むくじゃらの立派な灰色の髭を蓄えたその男は、鶏が鳴くよりも早く目を覚ますと、手早く朝食を済ませ、色褪せしわの寄った麻の衣服に着替えると、空が薄明るくなりかける頃に、自分の背丈と同じくらいの使い古しのスコップを携えて、穴を掘りに出かける。
ジェイクは王都から半日ほどの人通りの少ない街道沿いに建つオンボロ小屋に住んでおり、隣には大きな穴が無数にある広大な荒れ地がある。荒れ地に開いた穴々は、全てこのジェイクが掘ったもので、その大きさは、王国の屈強な兵士数人がすっぽりと収まるほどの大きさで、横には掘り返された土が山の様に積まれている。そんな穴が、この荒れ地に見渡すかぎり無数にあるのだ。
ある春の日、ジェイクがいつも通りせっせと穴を掘っていると、偶然街道を通りかかった旅人の若い男が声をかけてきた。リュートを携えた彼の羽織る黒い外套は、未だ土埃ひとつ付いていない。どうやら駆け出しの吟遊詩人のようだ。
「そこのご老人、少しお伺いしたいことがあるのですが」
澄んだ通る声だったが、ジェイクは振り返ることもなく一心不乱に穴を掘り続ける。
「もし、そこのご老人」
吟遊詩人はさっきよりも声を張り上げて言った。
「聞こえとる」
ジェイクは穴を掘り続けたまま、不機嫌そうに答えた。
「ああ、良かった。お伺いしたい事があるのですが、こちらに来ていただけませんか」
「お前がこっちに来い。俺は今手が離せん」
ぶっきらぼうにジェイクがそう言った。吟遊詩人は、穴だらけで足の踏み場が殆どない荒れ地に少し狼狽えたが、心を決めると、穴と土の山を避けながら恐る恐る進み、ようやくジェイクの隣までやって来た。
「して、ご老人。私は東の港町まで行きたいのですが、この街道を歩いていけばたどり着くでしょう・・・うわっ」
ジェイクは掘った土を旅人に思い切りかけると、しわくちゃな顔をむけて怒声を浴びせた。
「わしはまだたったの八十二歳、老人ではないわ!」
吟遊詩人は土を払いながら慌てて謝罪した。
「こ。これは失礼しました。貴方はドワーフでしたか」
ドワーフとは鉱山に住んでいる誇り高い小人で、人間よりもよっぽど寿命が長い。人間にとって八十二歳は十分老人なのだが、ドワーフにとっては、せいぜい中年程度の年齢にすぎなかった。
ジェイクは吟遊詩人が認識を改めたのを見て取ると満足そうに頷き、視線を戻すと、また一心不乱に穴を掘り始めた。旅人は外套にかかってしまった土をあらかた払い終わると、気を取り直して再び尋ねた。
「ドワーフの御仁。東の隣町までは、この街道を進んでいけば辿り着くでしょうか」
「ああ」
無言。荒れ地には土を撫でる風の音とジェイクがスコップで土を掘る音だけが空気を伝わる。あまりにも呆気ない返答に、吟遊詩人は初め、自分が欲していた答えを得た事に気づかなかったが、ジェイクの言葉が耳に染み入ってくると、年齢の件で失礼なことを言ったかもしれないが、突然土を浴びせかけられ、一張羅の外套を汚されたにも関わらず、こんな短いやり取りで会話を終えてしまうのが、悔しくてたまらなくなった。何でも良いから、この偏屈なドワーフについて秘密を浴びてやりたいと思った時、ふと、一つの疑問が湧いた。目の前のドワーフは、狂ったように穴を掘っているが、この荒れ地の穴は全てこの男が掘ったのだろうか。いったい何故、こんなに穴を掘っているのだろうか。強烈な好奇心が、いつの間にか吟遊詩人の心を支配していた。
「・・・それにしても、すごい穴の数ですねぇ。これは全部貴方が掘ったのですか?」
「・・・」
「何で貴方は穴を掘っているんですか?」
「・・・」
「好きなんですか、穴を掘るの」
「・・・」
「え、もしかしてこの荒れ地にお宝でも眠っているのですか?」
「・・・」
「・・・・・」
「・・・・・・」
ジェイクは吟遊詩人に目もくれず一心不乱に穴を掘り続けている。どうやら穴に関する質問はこのドワーフの関心を引くことはできないと悟り、別の方向から攻める事にした。
「そういえば、こんなところにドワーフが居るなんて珍しいですね。あ、あそこに小屋がありますね。あそこに住んでいるのですか?」
「・・・」
「ドワーフは大概、鉱石のほれる洞窟の中に住居を作って暮らしますよね。この辺りにはそういった洞窟は全くないからドワーフは居ないんですよ。王都にも、取引のために隣国の山脈を超えてやってきたドワーフの商人が年に一回か二回来るかどうかと言ったところです。そんなドワーフの貴方がなぜ、こんな地上で暮らしているのですか?」
ドワーフの少し穴を掘る手が緩んだ気がした。この話題だ!そう感じた吟遊詩人は捲し立てる。
「待ってください、答えなくて大丈夫です。どうせ答えられないでしょうから。当てていいですか。ズバリ、あなた暗いところが怖いんでしょう?洞窟で生まれたにも関わらず、暗いところが怖いせいで鉱石を掘りに洞窟に入ることも出来なければ、ましてや、生活もできないんでしょう?それってやっぱり過去のトラウマが関係しているんですか?落盤事故か何かで生き埋めになってしまった経験がおありだとか、あ、それとも、洞窟内でモンスターに襲われて生死の境を彷徨ったとか・・・うわっ」
ジェイクは、再び吟遊詩人に、先ほどよりも多めの土の塊を思いっきり掛けると、むくれ顔を振り向け、反論した。
「そんなわけなかろう!我々ドワーフが掘る洞窟は決して落盤なんかせん!それにモンスター如きに遅れをとるように見えるか?この腕っぷしを見ても!ええ?」
ジェイクはスコップを地面に突き立てると、袖を捲って力瘤をつくった。ドワーフは自身の体の何倍も大きい牛を持ち上げてしまうほどの筋力を有しているとの噂があったが、この力瘤を見たらそれも頷けると、吟遊詩人はまじまじと見つめながら頷いた。
「これは、確かに・・・私が間違ってました。さすがドワーフ、誇りある小人の末裔ですね!」
「そうだろう、そうだろう」
ジェイクは誇らしげに胸を張り、吟遊詩人の肩をポンポンと叩いた。ボサボサの黒い髭の隙間からのぞいた真っ白の歯が朝日に照らされて輝いた。
どうやらこのドワーフの心を開けたようだ。吟遊詩人は職業柄、人から話を聞く機会が多い。駆け出しではあったが、優秀な吟遊詩人であるこの旅人は、人と打ち解ける術を心得ていた。こういったプライドの高い人物は特に簡単で、相手の神経を少し逆撫でする様なことを敢えて捲し立ててから、それに対して相手が反論をして来たところを、相手が一番言われて嬉しくなるような一言をかけることで、相手の立場の優位性を明確にして安心させる。これがこの吟遊詩人の常套手段だった。こうなれば、相手は何でも答えてくれる様になる。
「そんな誇り高いドワーフの貴方が、なぜこの様なところで穴を掘っているのですか?」
吟遊詩人がそう問いかけると、ドワーフにとっての最大の賛辞である「誇りある小人の末裔」と言われた事ですっかり心を許してしまったジェイクは、柔らかい白の朝日を眩しそうな顔で眺めながらしみじみと喋り始めた。ジェイクの口から発せられた言葉は、今までの刺々しい物言いから一変、今の季節に沿った春の陽気を思わせる声音だった。
「あれは俺が三十歳の頃だった。俺には当時婚約した女がいてな。名をシーナという。毛並みが綺麗な、赤毛の可愛い女だった。シーナは、ドワーフには珍しく植物が好きでな。いつも洞窟を抜け出しては森へ出かけ、よく分からん草を集めて自室に飾っていたものだ。俺にはそういう趣味はなかったから、彼女の好みが理解できなかったが、そんな不思議なシーナがたまらなく愛おしく感じてな。思わず求婚をしてしまったよ。正直な話、顔が俺の好みだったのだ。しかし、彼女は結婚に興味がなかったようで、最初は断られてしまったのだが、シーナの両親が俺に娘と結婚してくれと懇願して来たんだ。どうやら、シーナはあんなのだったから、嫁の貰い手がいないことを両親は心配していたらしいのだ。そんな両親の強烈な後押しに根負けする形で、シーナは私と結婚してくれたのだ」
ジェイクは一息つくと土の山に腰掛けた。掘ったばかりの土は柔らかく、半分埋もれる様になったジェイクは、しかし、まるで玉座に腰掛けているかのような尊大さだった。吟遊詩人は外套に土がつかないようにしてそばにしゃがみ込むと、キラキラさせた目をジェイクに向けた。
「シーナさんとの生活は、どうだったんですか」
ジェイクは、朝日に照らされた穴だらけの荒れ地を、故郷を思い起こすような遠い目で、眺めながら答えた。
「それはそれは幸せな日々だったよ。結婚生活に慣れてきて、シーナが心を開いてくれるようになってからは、本当に幸せだった。俺の家系は、鉱山の地下中層の坑道を保有していて、俺の一族はそこの採掘を生業としていた。俺も日々そこで仕事をしていた。今までは、自宅に帰っても一人っきりだったが、帰ると、シーナがご飯を作って持っていてくれる。陽だまりのような彼女が、家にいる。そう思うだけで、俺の心は安らいだ。ただ心残りが一つある・・・」
「・・・心残り、とは?」
吟遊詩人が問いかけると、ジェイクの表情に影が落ちた。
「シーナと一緒に、外の世界に行けなかったことだ」
突如強い風が吹き、突き立てていたスコップがパタンと倒れた。ジェイクはよっこいしょと立ち上がり、それを拾い上げてまた土の山に座ると、スコップをぎゅっと抱きかかえた。
「シーナは、『一緒に隣国の野原へ行きましょう、あそこには色とりどりの花が年中咲いていてとっても綺麗なんです、私の一番のお気に入りの場所なの。貴方にも見てほしいの』と、いつも外へ行くのを誘ってくれた。しかし俺はその誘いを、仕事があるからと断っていた。別にシーナと外へいきたくなかったからではない。ただただ、恐ろしかったのだ」
「一体何が恐ろしかったんですか?」
「日照り病、というのが、ドワーフにはある。太陽の日の光を浴び続けると、身体中にしこりが出来て、やがて死に至るという病だ。俺の曽祖父、祖父、父もその病で死んだ。俺は、日照り病のせいで、シーナとの日々が失われてしまう事を恐れたのだ。しかし、そんな俺よりも先に、シーナが日照り病に罹り、死んでしまった」
風がおさまった荒れ地を、無情な静寂が包み込んだ。
「人生からありとあらゆる色が抜け落ちたような、そんな感覚だったよ、シーナがいなくなってからはな。そしてシーナの葬儀の日、火葬された彼女の遺灰が一族の墓に入れられようとした時、俺は咄嗟に骨壷を奪い取ると、洞窟から飛び出していた。もう、日照り病など、どうでも良かった。ただ、外の世界が大好きだったシーナが、あんなジメジメした洞窟の奥深くに閉じ込められるのが、ひたすらに堪らなかったのだ」
ジェイクは言葉を詰まらせた。その目にはうっすらと涙が滲んでいた。そのあまりにも物悲しい様子に、もらい泣きをしそうになった。息を整え、ジェイクは、また、ゆっくりと話し始めた。
「何の考えもなしに洞窟を飛び出した俺は、シーナが眠るに相応しい土地は一体何処なのかと思案した。そして、ふと、彼女がいつも言っていた事を思い出した。
『一緒に隣国の野原へ行きましょう、あそこには色とりどりの花が年中咲いていてとっても綺麗なんです、私の一番のお気に入りの場所なの』
・・・そうだ、その野原こそが、シーナが眠るのに相応しい。そう思った俺は、しかしその野原が何処にあるのか全く見当もつかなかったから、俺たちドワーフがよく取引に出かける隣国の王都へと向かい、旅人や商人に片っ端からその野原の場所について尋ね回った。そしてついに、それらしき情報を掴んだ。野原はどうやら、王都から東に伸びる街道をずっと進んだ先、港町の手前にあるらしい。それを聞いた俺は、一族に伝わる、ルビーの原石でできた大きなネックレスを売り払い、その金でスコップと護身用の斧と、旅の道具を買い揃えて王都を発った。そして、ようやくこの場所に辿り着いたというわけさ」
ジェイクは、目の前にひらがる穴だらけの荒れ地を、しみじみと見渡した。はじめ吟遊詩人は感慨深い面持ちでジェイクとの視界を共有していたが、ふと、ある違和感に気がついた。
「え、ここがその、色とりどりの花が咲くという野原なんですか?見る限り、花なんて一つも生えていないですけど・・・」
今、季節は春。花が咲く真っ只中の時期であるはずだ。吟遊詩人の質問に、ジェイクは顔を少し赤ながら答えた。
「それは・・・だな・・・。俺はシーナの墓にするために最初、野原の端っこに穴を掘ったのだ。そして、骨壷を収めようと思った時、こんな片隅に埋めてしまったら不便なのではないかと思ってな。穴はそのままにして今度は見晴らしの良い野原の中央に穴を掘ったのだ。そして骨壷を収めようとした時、シーナの声が聞こえたような気がした。『あくまで花が主役なんだから私を真ん中になんて埋めないで』とな。仕方がないから別の場所に穴を掘る。しかしそれも何だか納得がいかなくて別の場所に。そんなことをずっと繰り返していたら、いつの間にか草が生えなくなってしまって、この有様よ」
ジェイクは大声をあげて豪快に笑った。
何と言うことだ。目の前のこのドワーフは、自分の妻のために墓穴を掘っているにもかかわらず、その優柔不断さから穴を掘り続け、しまいには妻の愛した風景を破壊してしまったのか。
「こんなに長い間外に居たら、日照り秒になるんじゃないかと思っていたが、一向にその気配が・・・なんだ、もう行ってしまうのか」
吟遊詩人は何だか興醒めしてしまい、まだ話したりなさそうなジェイクの話を強引に切り上げ、簡素なお礼と挨拶を済ませると、港町へと去っていった。
それからしばらくして、王都ではとある吟遊詩人の、ある優柔不断で間抜けなドワーフの滑稽な物語を謳った歌が大流行した。ジェイクのいる荒れ地はその歌にちなんで〈ためらいの丘〉と呼ばれるようになり、そこは誰しもが知る観光スポットとなった。ジェイクも一躍有名人となり、通りかかる旅人たちにしょっちゅう挨拶されるようになった。今までこのような経験がなかったジェイクは、世間でどのような印象を持たれているかも知らずに、有名になった自分が何だか誇らしくなり、シーナの墓のことなど一切忘れて、今もなお、ただ穴を掘り続けている。