桜雅楽
◇
鳴咲神社はその昔、豊穣の神社として名を馳せていた。
現代ではパワースポットと呼ばれる地でもあり、様々な恩恵をもたらすとされる『霊脈』が強く流れていたせいか、人々にとっても有り難い場所として受け継がれていた。
だがある時を境にして、恩恵は真逆の厄難に見舞われる事となる。
突如出現した地面の亀裂が、その場にいた人間たちの命をことごとく奪っていったのだ。
生き残った当時の人間は後にこう記述している。
「あれは、紛う方なき災厄である。この国は何れ、災厄に埋め尽くされてしまうであろう」と――。
その姿からして異形はこの神社の神主であったようだ、狩衣に烏帽子を纏った男性である。
だが今はもうその姿に神主を思わせるような情調はなく、肌はどす黒く染まり殺意に満ちた真っ赤な眼を覗かせていた。
背景が一変して赤く染まり、見て取れるくらいの濃い瘴気が地面から漂ってくる、それも若干の視界が奪われる程に。
玖々莉はそんな異形へと向けて足を進める。
確かに恐怖は感じているのかもしれない。
ただの怨霊から感じられる気配じゃない上に、これまで感じて来たどの脅威とも一線を画していた。
玖々莉も勿論異形と認識しているわけではなく、異形自体もまだ謎に包まれている。
が感じる圧迫感は別格のものであり、本物の悪意がここに存在しているのは確か。
だが恐怖とか悪意とかそんなものよりも、それ以上の何かが突き動かすのだ。
それは魂鎮メとしての責務か、霊に対する憐れみか。
いや、どれも違う。
ただ友を守りたいという気持ち、それだけだ。
「ちょ、玖々莉!ダメよ!そんなの相手になんて出来る訳ないじゃない!」
美冬が切羽詰まったように声を上げる。
彼女はいつもそうだった。
何かしらやらかしてしまう玖々莉の心配ばかりして、お節介ばかりやいて。
中学の頃からもうずっとなのだ、よくも飽きずに玖々莉のお守などやっていられる。
他人事のようにそんな回想をする中で、玖々莉は振り返りもせずに言う。
「美冬、そこで待ってて。一緒に帰っておにぎり食べよ」
「玖々莉っ!!」
そして玖々莉は瞳を閉じ、そっと胸に手を添える。
そうして呟くのは文字通り、現役最強に変わる為の呪いの言葉。
「……ふぅー、いくよ。……霊装——残桜」
その瞬間、玖々莉の纏っていた洋服が鮮やかな桃色の和装へと変容した。
花柄の着物に薄桃色の羽衣を靡かせて、髪飾りには蝶と蕾をあしらった長めのかんざしを。
そして両手にはそれぞれ抜き身の脇差を握っていた。
「……玖々莉、あんた……」
どうやら美冬は霊体となった玖々莉の姿が見えているようで、やはり霊感があったという事なのだろう。
でなければこのような事件にも巻き込まれないと玖々莉は予想していた。
もう友人に隠し事をするのはやめたのだ。
振り向きざまに友人へと声を掛ける。
「私、これでもこっちの業界じゃ天才って呼ばれてるの。だから美冬、なにも心配なんて要らないんだよ」
「……そう」
美冬は頭が良いのですぐに察してくれたようだった、何処か微笑んでいるようにさえ見える。
きっと色んな意味で安心してくれたのだろう。
玖々莉はすぐさま視線を戻し、異形へと刃を向ける。
「桜は古来より日本で親しまれて来た春花。故に私は、悠久の時を渡る」
まだ花開かぬ蕾を枝に付けた桜並木の幻想が、突如として辺りに広がる。
その中で聞こえ始めるのは、演奏。
管楽器の笛、弦楽器の琴、打楽器の太鼓の音がそれぞれ調律し、島国特有の音色とリズムを刻み始める。
そうして玖々莉の周りに流れている時間が、一気に遅れを取った。
「『桜雅楽』――桜々伝花」
玖々莉はその特性を行使した。
桜々伝花とは時の流れを変えてしまう技だ。
蕾が花を咲かせるその瞬間まで、周囲の時間の流れは極限までスローとなる。
時の流れに差異が生じる為、周りから見れば一瞬の出来事であろう。
だが玖々莉にとっては桜がゆっくりと咲き始めるような、そんな長い長い時間の始まりである。
美冬も、そして異形も動かなくなった世界の中で、玖々莉は演奏に合わせて子守唄を歌い始めた。
それはいつどこで覚えたのだろうか、気付いたらよく口ずさむようになっていた。
玖々莉にとっては死者への手向け、安らかな眠りにつけるようにと口ずさむのだ。
そのままゆっくりとした動作で、逆手に持った脇差で異形を切り付ける。
その様はまるで自由を謳歌するかの如き動きの、回転を孕んだ流麗な舞踊。
桜並木を背景にした歌と演奏と舞、複合するそれはまるで舞台そのものであった。
そこに更に合わさるのは小さな、けれど幾重にも積み重なる斬撃の数々。
そうして時間が経たぬ世界の中で、どれくらいの時間が経過したか。
玖々莉は霊装自体を解除して異形に背を向ける。
「さようなら、名前も知らない神主さん」
そうして世界は思い出したかのように時間を動かし始め、桜並木が一斉に花を開かせた。
◇
「おいおい、マジかよ」
蒼はそう言わざるを得ない。
玖々莉がはぐれた次の瞬間には、もう神社の邪気が晴れていくところであったからだ。
だが一緒にいた手毬は大して驚きもしていなかった。
「あー、玖々莉さんもう終わらせちゃいましたかー。相変わらず仕事が早いですねー」
「早いどころの話じゃねぇだろ。ただの心霊スポットとは訳が違うんだぜ?あの邪気が物語ってた、相当なレベルの怨霊がいた筈だ」
蒼の想定では三人がかりでいけるかどうかの半ば博打であったのだ。
それをたった一人でこうも容易く終わらせられてしまうとなると、立つ瀬がないとも思ってしまうものである。
「そんなの玖々莉さんには関係ないですよー。蒼さん知らないんですか?玖々莉さんはポンコツでも、ただのポンコツではないんですよー?」
「いや、そこは素直に誇っとけよ。何でわざわざポンコツを強調すんだよ」
蒼の最もな意見に、だが手毬は反論してくる。
「いえ、玖々莉さんは人類史上最大級のポンコツです。だってあの人たまに、途中で開け始めるんですよ、ツナ缶を。ふつう時の流れに逆らってまでツナ缶を開けますか?背景で桜が咲くその瞬間、口から出るのはカッコイイ決め台詞じゃなくてモキュモキュした咀嚼音ですよ?」
「あー、そりゃひでぇな。ポンコツなんて生温い」
「でしょー?」
初めて意見が合ったのだがお互い特に何も思う事もなく、やがて神社の門が開いた。
いつの間にか空からは茜色の夕日が差しており、二人は無事生還した二人を迎え入れる。
「お疲れ様です玖々莉さん。あ、初めまして美冬さん。私、玖々莉さんの妹分の甘草手毬と申します。以後お見知りおきを」
「これはご丁寧に。この度は大変ご迷惑をお掛け致しました」
手毬と美冬がそんな挨拶を交わす中で、蒼は玖々莉へと声を掛ける。
「よう、流石は天才と呼ばれるだけあるってか。で、初めての禁地はどうだった?」
「うーん、よくわかんなかった。でも少しだけふつうと違ったかな」
「どういう意味だ?」
「なんか手ごたえが感じにくかったって言うか、空間にズレを感じたから調整しながらやった」
「何だそれ、訳分かんねぇな」
蒼は訊くのも時間が掛かると思い、一旦そこで話をやめる。
念の為みんなで神社内を再度チェックするも、他に人はいなかった。
つまりここに朔耶はいなかった、だがまた次の禁地を巡ればいいだけの話だ。
蒼に諦めるつもりは毛頭なく、朔耶は必ず生きていると信じている。
全員で来た道を戻る事にし、時間は掛かったが車を停めていた場所まで戻った四人。
だがそこに何故か車はなく、蒼は不思議に思いスマホを取り出す。
「どういう事だ?ちょっと待ってろ、今確認してみる。……あいつ、電話に出ねぇな。何かあったのか?」
蒼は運転していた藍葉の者に連絡をするも繋がらないので、一度本家に電話を掛けてみた。
次に蒼は声を荒らげた。
「はあ!?帰った!?俺たちを置いて!?……定時!?おいふざけんな、俺らは会社員じゃねぇんだぞ!」
蒼の怒りで内容が全員に伝わったのか、皆が途方に暮れた様な表情をする。
「あの野郎ふざけやがって!……しょうがねぇ。代わりの者が来るまで歩くしかねぇか」
そう決断するハメになった蒼。
それに対して皆が思い思いの言葉を述べる。
「えー?こんな何もないとこをひたすら歩くんですかー?」
「いやだー。早く帰ってツナおにぎり食べたい」
「ごちゃごちゃうるせぇ!俺だってドラマの録画予約すんの忘れてんだ!」
「はぁ、やれやれ。玖々莉の職場は賑やかそうね」
そうして三時間ほど歩いた挙句、疲れ切って車の中で眠ってしまう面々なのであった――。