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~魂鎮メノ弔イ歌~  作者: 宵空希
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蘇生


潮風が乾いた頬を撫でる。


暗い砂浜に立ち、どこか浮遊感すら感じる。


若干の冷たさを帯びてきた秋の夜の空気も、波打つ音の響きさえも、何一つ届かない。


感覚が役に立っていない、入って来る情報があまりにも他人事のように思えるから。


だから今から自分がしようとしている事に対して、あれこれ考えるのはもうやめた。


ゆっくりとした動作で素足が水を踏み、そのままどんどん引き潮に吸い寄せられていく。


深く、もっと深くと。


恐怖感も罪悪感もここにはない。


持ってきたものはこのいらなくなった身体と、終わりたいと思う心のみ。


学生服が肌に張り付く。


波が顎の先を掠めるも、何を感じる事もなかった。


ただ肩まで海水に浸かった時、目の前の海面を反射する光がやたらと網膜を刺激してきた事だけは気に障った。


だからここに来て初めて感覚が機能したのだ。


大きく映える球体の銀月が、煌々と自分を照らし出している。


まるで今から悪事を働く様を、ずっと見ていると言わんばかりの主張をしているようだ。


不快感が足の動きを僅かに促し、やがて頭のてっぺんまで水の中へと沈んでいく。




真っ暗な闇の世界の海中は、酷く静かだった。


零れる吐息は不揃いなガラス玉みたいで、少しの音を立てて上へと昇る。


水面は揺らめく月明かりで光溢れていた。


ゆっくり、ゆっくりと身体が水底へと沈んでいく。




――……これでいい。


これでやっと、楽になれるのだ。




『――本当にそうですか?』




海中で聞こえて来たのは、聞き覚えのない女の声。


まただ……、といつも通りその“聞こえる筈のない声”に対して聞こえないフリをする。


そもそもその言葉に意味はない。


本当だからここでこうしているのだと、心の底から吐き捨てる様に唱えた。


だが姿も見せない女はそれに構わず続ける。




『本当は、楽になりたい訳ではないのです。あなたはただ、生きる糧が欲しかった。生きていても良いのだと、誰かの許しが欲しかった』




――……違う。


糧も許しもいらない、もう何もいらない、自分の生でさえも。


そう心の内で吐き捨てるのだが、決意が揺さぶられるようで。


本当に欲しかったものとは、何だったっけ。


そんな思考が巡りながらも、徐々に肺にまで水が侵入してくる。


苦しさで胸が圧迫され、酸素不足の脳が考えを上手く纏めさせてくれない。


やがて意識が朦朧として徐々に薄れていき、最後に聞こえたのは途切れ途切れの女の声。




『あなたは……の生まれ……これから……共に…………この恨みを――』




――。









夜のハイウェイは空いているも、中々進まない感覚に焦燥を感じる。


フロントガラス越しに流れていく一定間隔の照明が、一向に終わりを見せてくれない。


藤堂勇太(とうどうゆうた)はひたすらに焦っていた、夜中だからといってこんなにも速度制限を破っているのがその証拠だろう。


自分と彼女の住む町はこんなにも遠かったのかと、勇太は今更ながらに痛感する。


こんな事ならもっと気にしておくべきだった、いやこんな事態になる前に手を打つべきだった。


つい今しがた中学三年生の従妹、夜御坂楓(よみさかかえで)が心肺停止の状態で発見された。


場所は近郊の海辺だそうだ。


恐らくは自殺未遂、もう病院に着く頃には未遂ではなくなっているかもしれない。


そう嫌な想像をすると余計にアクセルを踏まざるを得なくなる。


カーブする度にタイヤが摩擦音を鳴らして、その寿命を縮めていくのが分かる。


だがそんな些細な事など気にしていたら手遅れになるかもしれない。


そもそも勇太が辿り着いたからといって何が出来る訳でもない。


それは分かっているのだが、右足の踏み込みは緩められなかった。




「どうか、彼女を救いたまえ。どうか……」




勇太の呟きは、夜のハイウェイに流れていった。






「手は尽くしましたが、残念です……」




それが病院に着いて早々に聞いた医者の第一声だった。


勇太は膝から崩れ落ち、心の内側までも崩れるような感覚に追いやられる。




(彼女は、楓は死んだのか……?)




理解しようとすればする程、理解が遠ざかっていくようで。


受け入れがたい現実の直視が、予想以上に難しい事を知る。


緊急手術が行われていたこの病棟は実に騒がしいもので、病院など夜間でもこんなものなのか。


だがそんな事よりも勇太が気に入らない点、それは彼女の母親すらこの場にいないという事だ。


知ってはいた、だがまさかこんな時ですら自分の娘に干渉してこないなど普通は在り得ないし、在り得てはならない。


余程家庭環境は最悪だったのだろう、結果が物語っている。


もっと早くに手を打つべきだったと、勇太は嘆く事しか出来ない自分を不甲斐なく思う。


床を見つめながら着いていた両手は自然と拳を握る形になり、今にも爪が立ちそうな程ギリギリと強くなっていく。


たかが“特殊な体質”に生まれただけで、こんなにも不幸な人生を辿る事になるのかと。


勇太はやるせない、けれどもやり場のない憎しみの海に溺れていくようだった。




そんな折。


緊急手術を行った扉の向こう側から、異様な気配を感じ取った。


我に返った勇太は落としていた視線を上げ、よろよろとした動作で立ち上がり扉を見つめる。




「あの、どうかされましたか?」




先程医者と一緒に報告に来ていた看護婦が、不思議そうに勇太に声を掛けてくる。


けれども今、それどころじゃない。


こんなにも強い気配は、生まれて初めてだ。


間違いなく今、楓に何かが起きている。




「先生!患者の脈が戻りました!」




中から出て来た看護婦が慌てた様子で医者を呼び、その医者も驚いた様子で中へと入っていく。


勇太に声を掛けた看護婦もまた、急いで手術室へと駆け出して行った。


一人外で立ち竦む勇太は、神に感謝をする。


と同時に、得体の知れない恐怖も足元から這い上がって来るようだった。


“お祓い家業”の勇太が背筋を凍らせる程の恐怖を感じるなど、実に傑作だ。




「……はは、でも何でもいい。楓を救ってくれるなら、べつに神じゃなくたって……」




勇太はその扉越しに感じる邪悪な気配に対し、まるで冥福を祈る様にして右の手を額へと当てるのであった――。

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