tears
───醜い。
私はなんて醜い姿なの?
なぜ私は浜辺で戯れ、甲高い声を上げて男を悦ばせているあの[人]たちと違うのだろう。
羨ましい。
あの小さな眼に浮かぶセピア色の丸い瞳、すらりとした鼻、ぷっくりと艶やかな唇に滑らかで弾力のある肌。
身体を天へと伸ばし、風を追い、水を蹴ることさえも出来る細い四肢。
私のそれらとは全く違い、ただにこりと笑むだけで男を魅了し、腕に抱かれ安らぎを得る。
妬ましい。
だから、溢れるのだろうか。
『ミツキはバカな娘』
『あれらは私たちの敵、私たちを喰おうとする野蛮な種族』
『身を隠さなければ、殺られてしまう』
『奴らに近付いてはいけない』
そう教えられてきたのに、私には憧れであり、羨まずにはいられない。
同じ時期に必ずやって来る彼らを遠くからただただ見詰める。
───美しい[人]。
住み処に居れば溢れていることさえ気付かないのに。
『ミツキ、浜辺に近付いてはいけない。奴らにとって、私たちは獲物』
『私たちの血肉は奴らの妙薬』
『……そう、判っているのなら、もう近付いてはいけない』
母は私を抱きしめて、毎日そう諭す。
私はその言葉を耳にする度に心がさざめいた。
羨ましい。
あの眼にあの鼻、あの唇にあの肌。
[人]は美しい。
なぜ私は[人]ではないのだろう?
大きく縦に伸びる緑色の瞳、のっぺりとした鼻筋に豆粒のような鼻腔が天を向く。
薄紫色の唇に頬まで割ける口と、その中に並ぶ小さくも肉を喰い千切るための尖る歯が並ぶ。
鏡のように澄んだ水面に写る私の姿のなんと醜いことか。
羨ましい。妬ましい。恨めしい。心が荒さむ……
『……あ、りがと……』
息も絶え絶えなテノールに、瞳孔が開き鼓動が跳ねた。
いつもの季節、静かな水面に荒天が襲い来る。
[人]の男を拾った。
燦々と照りつける太陽を遮り、分厚く黒い雲が天を覆った。
大粒の水滴が降り注ぎ、静かな水面を打ち付けた。
海面を撫で上げる風が荒ぶる波を作った。
こんな日に水遊びをする人などいないはずなのに、男は苦しそうに手足を暴れさせ、ゴボゴボと泡を吐き出しながら沈んで来たのだ。
浜辺へと硬く一回りも大きな身体を引き摺り上げると、体内に押し入った水を、体を震わせて外に撒き散らした。
体温が下がり、震える男を岩場の影へと匿まった。
冷たく感じる雨粒が肌に直接当たらなければ死ぬことはないだろう。
男は薄く瞼を持ち上げ、掠すれたテノールを溢すと意識を手離したのだ。
はだけた衣服から覗く厚い胸板が、弱々しくも動く様をみる。
触れた男の肌は私のものとは違い滑らかで、弾力もあり柔らかい。
じっと動かぬ男の身体に触れていると、冷えていた身体に温くもりを感じてきた。
男は生きた。
洞穴で目覚めた男は自身の身体の異常を確かめふらふらと陸へと戻って行った。
その姿をじっと見送る。
長い手足、柔らかく温かな身体。
私とは違う世界に生息する[人]の身が羨ましい。
……見詰めているだけで滴が溢れて零れる。
私は毎日浜辺を見詰めて過ごしていた。
あの姿が恨めしく、波打ち際ではしゃぐ[人]を眺めているだけで苦しく両目が潤んだ。
[人]であればあの男とあのように笑っていられるだろう。
何故、私は[人]ではないのだろう。
「[人]になる方法ならある」
同族の婆がニタリと口を歪めて告げてきた。
岩場の影に身を潜める私を見咎めたのだ。
仲間は口々に非難し、諌めてきたというのに。
「簡単だよ、ただここに戻って来れなくなるだけさ」
婆は嫌味ったらしく大袈裟な身振りで私の心を見透かし惑わす。
その言葉が毒であろうと、私には欲して止まぬ甘美なモノ。
私は周りの警告も介さず婆の言葉を受け入れた。
あの姿が欲しい。
羨ましい。
妬ましい。
恨めしい。
あの姿が手に入るのなら、ここに戻れなくても構わない。
この身体などいらない。
「[人]になりたければ、[人]を喰らえばいいだけのこと」
婆の言葉に息を飲む。
[人]は私たちの血肉を喰らい不死を得ると勘違いをしているとは、昔からの言い伝え。
だから陸へは近付いてはいけない、[人]と関わってはいけないと教えられてきた。
なのに[人]を喰らう?
「愚かな」「偽りだ」「騙されてはいけない」
そう周りは言うけれど、確かめた者はいないのだろう。
ならば私が確かめよう───[人]は季節が巡れば必ず現れる。
その時期に捕らえれば良いだけのこと。
簡単だ。
*****
「うわぁキレイな場所ー!」
「泳ぎたーい!」
「ねえ、知ってる?この浜辺って夏になると人魚が現れるんだって」
いつしかそんな戯言が囁やかれるようになった。
きめの細やかな砂浜に、透明度の高い海水。
ゴミ一つなく穏やかな海流の海岸なのに、誰一人として泳ぐ者がいない。
「人魚?会ってみたい!」
綺麗に整備された、美しい浜辺。
太陽光を反射して誘う波が季節を感じさせ、心踊らせる。
「襲われるかもしれないよ?」
「え?」
「その人魚ね、人になりたくて人を食べるんだって」
通り過ぎる[人]の姿を、波間の影からそっと伺う。
「海に入ってくるのをじっと待ってるらしいよ?」
───後どのくらいの[人]を喰らえば良いのだろう。
季節は巡る。
また水温が高くなり、[人]が涼を求めて水と戯れるのを、私はじっと待つ。
後、少しなんだもの。
後、ほんの少し……
そう願いを抱え両目を潤ませる。
~fin~






