パンドラの箱
20XX年、人類はパンドラの箱を開けた。
いわゆるAI時代の到来だ。
進化したAIは効率性、正確性で人間を圧倒。あらゆる業種、あらゆる場面でAIが競うように導入され、もはやAIなしでは勝負にならず、企業はAIの活用へと傾倒し、次世代高性能AIの開発競争は過熱の一途を辿る。
「くそっ、なにがAIだよ!! あんなのズルいだろうが……」
子どもの頃から絵を描くことが大好きだった俺は、周囲の反対を押し切って美大へ進学。
学費を稼ぐため必死にバイトをしながら夢だったイラストレーターを目指した。
SNSやイラスト投稿サイトで名を売って、コンビニバイトよりも安い時給でイラストを描く日々。
苦労の甲斐あってようやく企業からの初依頼がもらえたときは嬉しくて泣いた。
これでようやくイラストレーターを名乗れるんだって思ったんだ。
だが、すべては変わってしまった。
お絵描きAIの登場だ。
古今東西の画家やイラストレーターを学習したAIは、リアル系からアニメ風まで何でも描くことが出来る。
利用者はキーワードやテイストを指定することで自分好みのイラストを生成することが出来、しかも利用者の傾向を学習したAIはより細かい修正を重ね利用者が望む理想を形にすることが出来る。
しかも……たったの数十秒で。
俺も描くのは早い方だと自負していたが、それでも一枚数時間はかかるし、背景をしっかり描くとなれば十数時間はかかる。
はっきり言って勝負にならない。しかもAIは無料で何度でも描き直しできるのだ。
心の中で筆がバキッと折れる音が聞こえた。
知り合いのイラストレーターも皆同じような状況で、早々に見切りをつけ辞めてゆく。
辞められるものはまだ幸せかもしれない。
不器用なものは人生そのものに見切りをつけた……。
俺は……俺はどうすればいい?
絵を描くことは好きだ。趣味で描き続ければいいのかもしれない。
でも……絵しか描いてこなかった俺には何のスキルも経験もない。
AIの導入で求人は歴史的な低水準。俺が働けるような場所はもうどこにもないんだ。
食べていけないのに、趣味もくそもない。
はは……やっぱり周りの言うことが正しかったのかよ。
絵で食べてゆくなんてやっぱり甘かったんかな……。
でもさ、俺……頑張ったんだよ。他のこと全部犠牲にしても良いって思えるぐらい頑張ったんだよ。
悔しいな……俺の人生なんだったんだろうな。
無力感と絶望感に誘われて、死という言葉が甘美な魅力を増してゆく。
「……死ぬのはいつでも出来る。とりあえず受けている依頼は終わらせないとな」
もし、このとき依頼が残っていなければ、俺はどうしていただろうか?
こんなご時世にわざわざ金を払って依頼してくれているんだ。
絶対に良いものを、俺の持てるもの全てをかけて仕上げてやる。
燃えカスみたいなプライドと最後に残った意地で俺は踏みとどまった。
「ありがとうございます!! 近いうちにまたお願いすると思います!!」
イラストを納品するとそんな嬉しいことを言ってくれる依頼者。
思わず聞いてしまった。
「あの、なんでAIじゃなくて俺にわざわざ依頼を?」
誰だって安くて早くてクオリティが高い方が良いだろうに。
「え? そうですね……私は、絵が欲しいわけじゃないんです。貴方が描いた絵が欲しいからお願いしているんです。それに、私、自分でイメージがあるわけじゃないから」
「俺の描いた絵……だから?」
「はい、だって私のために描いてくれた世界に一つだけの絵ですよ。どんな宝石よりも価値があります」
俺は……何と戦っていたのだろう?
顔も人格もないデータの集積に過ぎないAIと争ってどうする。
電子辞書に知識で勝てないのが恥ずかしいことか?
俺は新幹線に走りで勝てないと嘆くアスリートかよ。
たとえ結果的に同じようなものが出来たとしても、絵には物語があるんだ。
依頼する人、依頼を受ける人、そこにはたしかに魂の触れ合いがあって、その結果生まれた絵には命が宿る。それは……俺が一番よく知っていることじゃなかったのか。
そうだよな。俺は俺にしか出来ないことをやるしかない。
これまでも、そしてこれからだって何も変わらないんだ。
AIはAI、俺は俺だ。俺は勝ち負けで絵を描いているんじゃない。
ふっきれた俺はこれまで以上に魂を込めて描いた。
不思議なもので迷いがなくなった俺には以前よりも依頼が入るようになっている。
「弊社と専属契約を結んでいただけないでしょうか?」
いまや有名イラストレーターの多くはAIに学習させることと引き換えにAI開発会社と契約を結ぶのが当たり前になっている。
が、今回の契約はそれだけではない。
AIが生成したイラストに加筆する仕事も含まれている。
今国会で成立したAI新法にはこうある。
AIで生成した創作物には著作権は認めない。商業利用には一定以上の著作権者の加工が必要。
つまりイラストの場合、人間による加筆がなければ商業利用は出来ず、著作権も発生しないということで、いまや実力のあるイラストレーターはひっぱりだこ。
イラストレーターにとっても、AIとのコラボは新たな可能性をもたらしてくれるものとなりつつある。
「ミューズ、今回の絵、どうかな?」
「うーん、悪くないけど、ちょっと色調が暗いんじゃない? 何かあった?」
「やっぱりそうだよな……よし、もうちょっと頑張ってみる」
お絵描きサポートAIミューズは、今や俺の大切な相棒だ。
冷静に公平にアドバイスや意見をくれるから本当にありがたい。
孤独な創作者にとっては心の支えでもある。
「あなた、コーヒー入れたから休憩しませんか?」
そうそう、プライベートでも支えてくれる人が出来た。
一番苦しい時に、俺の絵が欲しいと言ってくれた依頼人の女性と去年結婚したのだ。
「……美味い!!」
「でしょう? 良い豆が手に入ったの」
「きみ、料理全般苦手じゃなかったっけ?」
「ふふ~、ティアちゃんのおかげですよ」
お料理サポートAIヘスティアのおかげで、料理音痴の妻でも我が家の食卓は充実している。
あのとき諦めなくて良かったな。
AIというパンドラの箱を開けたとき、人類は大いなる痛みと絶望を味わった。
それまで積み上げてきたものは崩れ去り、常識すら通用しなくなる。
そこで退場するか、希望という新たな扉を開いて次の世界へ進むのか。
これからもパンドラの箱は何度も開けられるはずだ。
そしてそこに残された希望の文字を見出すかぎり人類は進化を続けるのだろう。
イラスト/ありま氷炎さま