万屋 一月二十日
「よう」
ふいに空間が歪んで、大きな何か、が現れた。首から下は筋骨隆々な成人男性だが、背中には大きな翼が生えている上、首から上はライオンのような頭が乗っている。
「ちょっと。ちゃんと玄関から入ってきてよね」
「いいじゃねぇか。人間用だろあれは」
突然の客人には目もくれず、店主は爪紅をさしていた。今日も変わらずその「万屋」にはたくさんのランタンが配置され、ぼんやりと室内を照らしている。昼か夜かわからなくなるような、ぼんやりした光たちと花の香り。
「無視かよ。相変わらず変な店続けやがって」
「失礼ね。趣味と実益を兼ねてんのよ」
「結局、客は喰ってんだろ。あくどい商売だぜ」
「全部じゃないわよ。あんまり言うなら頼みなんか聞いてあげない」
うん、と白く滑らかな手を眺めてから、店主は面倒臭そうに客人を見遣った。
「どうせ何か欲しいものがあって来たんでしょ」
「いやぁ、お前に会いに?」
「嘘ばっかり。で、何なの」
無駄話はいいから、と言わんばかりの冷たい視線を浴びて、ライオン頭の男は首をすくめた。
「本当可愛げがねぇな。まぁいい。若い人間の脳味噌が欲しいんだよ。早めがいい。手に入りそうか?」
「……何に使うのそんなもの。あなた別に人間なんか食べないでしょ」
否定のない返事を了承と理解して、男はにやりと笑った。
「まぁいいじゃねぇか。要るもんは要るんだよ」
じっと男の目を見つめる。男はにやにやと笑みを浮かべて、上着のポケットに両手を突っ込んだまま動かない。
少し考えてから店主は答えた。
「んー。ちょっと惜しいけど、いいかな。ここ最近通ってくる若い子がいるのよ。明後日くらいにはまた来ると思うからそれでよければ」
「へぇ。通わせるなんて珍しいじゃねぇか」
「まぁね。気分?」
「怖ぇ気分だな。じゃそれでいいから頼むわ」
「はいはい。お代は鈴蘭ね。銀のやつ」
背を向けてほぼ帰りかけていた男は勢いよく振り返った。
「はぁ!?」
「いいじゃない。あなた持ってたでしょ」
「ふざけんなよ!ぼったくりだろ!」
「くれないなら、いい。他当たって」
「首から下はお前の好きにすればいいだろ!それはねぇよ!」
「なぁに?惚れた女にでもあげちゃった?」
ぐ、と喉を詰まらせて、男は肩を落とした。明らかに落胆した表情で店主を眺める。
「わかったよ……お前にやるから」
「そう」
歓喜するでもなく、勝ち誇るでもなく、まるで表情の変わらない返事だった。
「……」
「何?」
「いやぁ。俺の元嫁は相変わらずだなと思って」
つぅ、と羽織の端から覗く尻尾をうっとり撫でる。
「触んないでよ」
「あんまこっちの世界に溺れるなよ」
「余計なお世話よ。用が済んだなら帰って」
「惚れた女なんかいねぇよ」
「あっそ」
おー怖い怖い、そう言って男は来た時と同様に帰っていった。
「…………腹が立つわ」
店主は顔をしかめて、ふん、と毛並みのいい尻尾を揺らした。