第36話 町人Sは公子様を降参させる【前編】
「ガゼル様、先日は不十分なご挨拶となりましたことを、心よりお詫び申し上げます」
七歳だなんて信じられないくらい、デゼルが見事な挨拶をしたためか、ガゼル様が目を見張ってデゼルを見た。
「ガゼル様ほど優れた方から、婚約のご意向を頂きましたこと、身に余る光栄でした。ガゼル様は麗しく、聡明で、やがてガゼル様が治めることになるオプスキュリテ公国に生まれたことは、私にとって望外の幸運であり、闇巫女として、ガゼル様の御代に貢献できるならば、これに勝る喜びはありません」
すごい、ガゼル様。
耳を疑う顔で、デゼルの瞳を見詰めてる。
ガゼル様の目は、デゼルが何を言っているのか、わかるからこそ、驚きを隠せない目だった。
僕はもちろん、わかってるよ。
だって、同じ内容のお手紙を、辞書を頼ったり、デゼルに聞いたりして、時間をかけて先に読んだから。
僕と一つしか違わないのに、こんなに難しい挨拶を聞いただけで理解できるなんて、ガゼル様って絶対に天才だよね。
僕がこれまでに会った、誰よりも素敵でカッコいい方なんだ。
公子様だから、あたりまえなのかな。
「ですが、公国が公家と闇巫女の婚姻を歴史的に推奨していることは承知の上で、どうか、私がガゼル様の御代に政教分離を求めることをお許し下さい。私の肩に公妃としての責務は重く、至らぬ私を支えるために、ガゼル様がその責務を十分にまっとうできなくなることは、私にとって、つらく悲しく、耐えがたいのです。ガゼル様のお傍に立てば、私は必ずや、この身の至らなさを嘆き、自ら崩壊してしまうでしょう」
デゼルも本当にすごい。
この内容を、ガゼル様の瞳をまっすぐに見詰めて挨拶してのけて、全然、途中でわからなくなったり、怯んだりしないみたいなんだ。
すごくお似合いなのに、デゼル、どうして僕がいいのかなって、理由は聞いたし、納得もしたはずなのに、何度でも不思議に思えてくるくらい。
「なぜなら、些末な諍いのたびに心労から体調を崩し、伏しがちな私の傍に、サイファはいつもついて支えてくれますが、同じことをガゼル様がなされば、必ず、御代が乱れるからです。どうか、私がサイファと共に、ガゼル様にお仕えすることをお許し下さい。至らぬ身ですが、闇巫女として生涯に渡り、ガゼル様に心よりの忠誠と献身を誓います」
「――参ったな。デゼル、ラクにしていい」
同じ内容で書かれたデゼルの手紙を受け取って、目を通したガゼル様が首を横に振った。
「その瞳で言うんじゃ、真剣なんだね。許さないとは、とても言えないよ」
ガゼル様が哀切な瞳でデゼルを見た後、その視線を僕に移した。
「サイファ、君は、デゼルの話を聞いてどう思った?」
わ、わ。
ガゼル様の瞳があんまり綺麗で、すごく、緊張する。
でも、何度も練習したから。
僕がお返事しないといけないのは、わかっていたから。
僕がドキドキしながら最敬礼したら、ガゼル様がさらに驚かされた顔で僕を見た。
この前は校長先生にする礼をしてしまって、優しいガゼル様は怒らないでくれたけど、その僕が、きちんと最敬礼できたからだと思う。
「主命に従い、デゼル様と共に、ガゼル様の御代にこの身を捧げます」
デゼルの挨拶の後じゃ恥ずかしいけど、今の僕には、この挨拶がせいいっぱい。
「デゼルと一緒に、ガゼル様に忠誠を誓います」って、敬語だとどう言ったらいいのか、デゼルに教えてもらって覚えたんだ。
もし、さらに何かを聞かれたら、まだ敬語では答えられないから、ただの丁寧語になっちゃうけど。
でも、ガゼル様へのお返事の内容は、デゼルに考えてもらったんじゃなくて、僕が自分で考えたんだよ。
僕の素直な気持ちを伝えていいって、僕が考えたお返事、すごく誠実で素敵な内容だって、デゼルも褒めてくれて。
こんなに短くていいのか心配だったけど、僕は闇主だから短い方がよくて、簡潔に? お答えするのが従者のマナーだって、これはマリベル様から。
僕にならって、ガゼル様に令嬢としての最敬礼をしたデゼルが、ガゼル様の手の甲に、忠誠と献身を誓って口づけた。
それを見た僕の胸に、生まれて初めての感情が芽生えたんだ。
なんだかチリっと、胸の奥が熱いような、疼くような。
――これが、嫉妬なのかな。
内緒だよ。
だけど、ガゼル様は喜ばなくて、片手で顔を覆って天を仰ぐようにしたんだ。
「わかったよ、降参する。二人とも、よく私を支えてほしい」
えぇ、なんで!?
降参!? なんで降参!?
デゼルに? 僕に? それとも、二人ともに?
それから、少し考えているふうだったガゼル様が口を開いた。







