第16話 水神様への願い事
闇神殿に向かう道すがら、そう言ってみたら。
デゼルが息をのんで僕を見た。
「――だめ。」
血の気を引かせたデゼルが、すごく困った顔で僕を見た。
僕の思いつきは、すごく駄目だったみたいで。
今日は僕がデゼルに教えるんじゃなくて、僕がデゼルから教わることになっちゃった。
**――*――**
闇神殿は涼しくて、夏は過ごしやすい。
ふだんは口にできない、おいしいお菓子や飲み物を出してもらえるし、神官長のマリベル様も、侍女や侍従の人達も、みんな、優しくて親切だから、居心地はすごくいい。
ステンドグラスから差し込む光がとっても綺麗で、夏の陽射しをコップが弾き返して、キラキラ、眩しかった。
「あのね、サイファ様。公国の滅亡を阻止するために、これから、デゼルとサイファ様でたくさん、身分の高い人達に会いに行かないとならない。だけど、サイファ様の身分は高くないから、話しかけられたら答えなくちゃいけないけど、サイファ様から話しかけたら、それだけで不敬罪、死罪なの」
「えっ……」
「闇主であるサイファ様は、闇巫女であるデゼルの後ろにお話が終わるまで黙って控えて、だけど、いつ、話しかけられてもいいように、お話そのものは聞いていなければならないの。それは、たとえ、二時間とか三時間とか、すごく長い時間がかかったとしても」
わ、大変だ。
闇主って、本当ならおとながするお仕事だから、すごく、大変みたい。
僕、大丈夫かな。
僕から話しかけたらいけないってことは、意味のわからないお話になってきても、どういう意味ですかって聞いたらいけないんだよね。困ったな。
「ふけいざいって、なに?」
「ええとね、身分の高い人に失礼なふるまいをしたっていう罪のこと。皇子様が相手じゃ、その場で首をはねられてもおかしくないの」
デゼルって、すごい。
まだ七歳なのに、たくさん、勉強してるんだ。
どうしてそんな、話しかけただけで殺されるなんて悲しい決まりがあるのかわからないけど、知らないままだったら、僕、きっと、殺されてた。
「それからね」
デゼルがきゅっと、両手で僕の手を取って、僕の目を真っすぐに見詰めたんだ。
わぁ、どうしよう、どきどきする。
デゼルの澄んだ蒼の瞳がすごく綺麗。
「水神様に殺戮を願ってはいけないの。それだけじゃなく、たとえ、水神様に願えば叶うとしても、絶対に、敵国の人達を水底に沈めることができるなんて、言ってはだめ。公子様が暗殺されてしまう」
「えっ……」
僕、びっくりしてしまって。
ええと、神様に殺戮を願ってはいけない理由は、なんとなくわかるんだ。
自分でも、きっと悪いことだと思ったもの。
だけど、悪いことを言った僕じゃなくて、公子様が暗殺されるって――
デゼルはすごく、真剣で。
デゼルの真剣な蒼い瞳を見ていたら、――急に、わかった。
公国が水底に沈められて滅びるとしたら。
公国を滅ぼされたくない僕達は、きっと、滅ぼしてやると言った人じゃなく、滅ぼす力を持っている人をどうにかしようとするよね。
だから、何の力も持たない僕じゃなく、水神様の加護を授かった公子様が暗殺されてしまうんだ。公子様には何の罪も落ち度もないのに。
僕、今になって、胸がドキドキしてきた。
闇主って、僕が考えてたより、ずっと、責任の重い役職なんだ。
過失で公子様のお命を左右できてしまうくらいには。
だけど、それって、闇巫女様がもっと大変だよ。
デゼルは一生懸命、まず自分が間違えないように努力してるのに。デゼルがどんなに努力して、間違えないようにしても、僕が間違えたらおしまいなんだ。
デゼルの手、震えてる。
僕が、しっかりしてあげなくちゃ。
僕が、デゼルを守ってあげなくちゃ。
「デゼル、ごめんね」
抱き締めたら、うなずいたデゼルが泣いてしまって。
すごく怖い思い、させたんだ。
「もう、言わないから。大丈夫だよ、泣かないで」
「うん」
可哀相に――
公国が滅びるのはデゼルのせいじゃないのに、闇巫女様に生まれてきたばかりに、まだ七歳のデゼルが頑張らないといけないなんて。
だけど、他の人じゃ駄目なんだ。
大人でも、デゼルの代わりにはなれないよ。
三年後、公国を滅ぼしにくるのは大人の人達で、帝国には公国の三十倍の大人の人達がいて、軍隊も強いって聞いたもの。
もしも、運命を変えられる誰かがいるとしたら、闇の神様の双翼、闇巫女様と闇幽鬼様の他にはきっといないんだ。
せめて、闇幽鬼様がいてくれたら、デゼルが一人で頑張らなくてよくなると思うんだけど。いないものは仕方がないから、闇幽鬼様の分まで、僕がデゼルを守って、支えてあげるしかないよね。
闇主である僕が、闇の神様の神殿でそう願ってしまったからなのか。
夏休みに入ってすぐ、オプスキュリテ公国に闇幽鬼様が誕生する惨事が起きて、僕は鮮血の真紅と絶望の漆黒から悪夢が生まれる瞬間を、目の当たりにすることになったんだ。
口で言うのは簡単でも、誰かを守ることって、絶望的に難しかった。
覚悟が足りなかった。
力が足りなかった。
努力が足りなかった。
僕には何ひとつ、デゼルを守ってあげるために必要なものが足りてなかったんだ。
土壇場になってからじゃ、遅かった。
誰かを守るためには、あらかじめ覚悟して、たゆまぬ努力を積み重ねて、その時のために必要な力を手に入れておかないと、何にもならなかったんだ。
僕はまだ、知らなかった。
デゼルと出会ってからの満ち足りた時間を、ぬくぬくと享受して、お菓子がおいしい、デゼルが可愛い、もう、ひとりぼっちじゃなくて嬉しいって、癒されてた。
――でもね。
デゼルは言うんだ。
サイファ様の立ち回りは闇主として最高だったって。
ひとつも間違っていなかったって。
その意味が、僕にはまだ、わからない。
僕にとっては、闇幽鬼様が誕生した夜は、ただ、悪夢の夜だった。







