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泡沫 UTAKATA  作者: 未月かなた
9/22

松の門かぶりと石楠花

大園の実家とは、敷地は同じだったが門は別で、大園の実家の門には立派な松の門かぶりが綺麗に整えられていた。庭には、義理の母の趣味の植木や花が四季折々に色づかせる。ちょうど、庭には石楠花が淡いピンクの花を満開に咲かせていた。

愁子は、大園の両親が、席を並べて待ち構えているかと思いきや、家で出向いたのは義父だった。

大園に似た筋肉質の体格、白髪を綺麗にブラシをかけ、頭皮がその隙間から覗かせていた。臙脂えんじ色をしたベストに糊の効いた襟付きのシャツ。80歳と思えないくらい、背筋はピンと伸びていた。

洋間に通され、義父が手慣れた様子でお茶を入れてくれた。その間は、お互い会話する事なく、急須からお茶が注がれる音が、部屋に響いていた。

「どうぞ」

「ありがとうございます」

客用の九谷焼の湯飲みに茶托を添え、義父は愁子の前に添えた。そう言えば、家にも同じ物、同じ九谷焼の夫婦茶碗等がある事を思い出し、義母の趣味だったことを思い返すと、気持ちが萎えてしまった。

そうして、棚の引き出しから紙を取り出し、テーブルの上に置くと、それは愁子がかいた離婚届だと分かった。

義父はゆっくりと、愁子の向かいの席に座り一息ついた。

「家内は、どうしても居合わせたくないと言う。家内は、純也と似て自尊心が強い。言い方を変えれば意地をはる。だから、私と愁子さんで話す事になるけど、許して下さいね」

義父は穏やかな表情を見せ、ゆっくりと話していた。

「こちらこそ。こんな事態になり、大変申し訳ございません」

愁子は、深々と頭を下げた。

「今回の事だけどね。愁子さんの気持ちは、変わりないのですか?」

義父は愁子と視線を合わせ、尋ねた。愁子は、そこから視線を落とすと、

「はい…。申し訳ないですが、気持ちは変わりません」

と、声のトーンを落として言った。

「純也からは、子供の事が原因だと聞いた。確かに、我々も孫の顔が見れるなら、それは嬉しい事はないと思っていた。けど、こればかりは、致し方ない事だと思う。それが、愁子さんを苦しめていたとすれば、我々も、もう少し配慮すべきだったかと反省する次第だ。気にするなとは言えないが、何もそこの責任を背負いこんで離婚するのは、純也や我々だけでなく、愁子さんのご両親も酷く残念に思うはずでしょう。もう少し、考え直してはもらえないのだろうか?」

義父の話を聞きながら、大園が彼らに話した事が、自分ではなく、愁子に非がある前提で話している事が、明らかに分かっていた。義父に言わせれば、そんな理由で離婚するだなんて、人に迷惑をかけるなと、遠回しに言われているように愁子は捉えていた。

愁子は、カバンの中から婦人科で貰った検査結果の用紙を取り出すと、それを義父に差し出した。

「これは?」

義父が用紙に視線を止め、尋ねた。

「不妊治療の検査データです。私の卵巣も、排卵も特に異常なく、受精も妊娠も出来る身体ではありました。夫である、純也さんの精子に異常があると言う結果が、ここに出ています。私は以前、お二人の前で純也さんから、私の身体に問題があると言われました。それは、純也さんが、自分の非を認めず、事実を捻じ曲げて私に非があるよう、お二人にお伝えしたんです。この事だけが、私の離婚の原因ではありません。お互い、もうとっくにすれ違った生活をしています。純也さんは、研究室にこもったり、遅くまでお仕事されているから仕方ないと、それで片付けられる次元では、もうないです。それに…純也さんは、他所で女性を作ってます。子供も、夫も、結婚生活も、何もかも私には無く、ただこの家に嫁いで、日々、1人暮らしているだけの事。それはもう、無意味で耐えられないです。ですから、そちらに自分の意志を示したんです。修復の余地はございません。本当に、申し訳ございません」

義父は、愁子の話を聞きながら、目の前の用紙を見つめ黙っていた。息子の事実に衝撃を受け、呆然としているようにも見えた。

2、3分の沈黙が続き、愁子にとっては、重苦しい間だった。

どこかで、時計の針の音が聞こえ、愁子は視線を移した。奥の和室に置いてある壁掛け時計の針の音だった。時計の針が、間もなく12時を指す。

「愁子さんが、嘘を付くような人だとは思っていないが、この事は今一度、純也にも確認させてください。もし、それが事実であって、正直に我々に話さなかったのは、きっと、我々を失望させたくなかったのだと、勝手に解釈しています。純也は、我々の期待に応えるよう、これまで努力してきました。研究医になったのも、私が、パーキンソンの病気を患っていて、自分の研究でより良い新薬を作る為に、職に就いて日々頑張っているんです」

「お義父さんのお気持ちは、あるでしょうけど。私は、そちらにある離婚届を提出して、この結婚生活を、終わりにしたいんです…」

愁子の心が萎え、重々しく言葉を伝えながら、どうしたら前に進めるのだろう、むしろ大園に一件を再確認するとなったら、前進どころか後退するだろうと思うと、疲労感すらあった。

義父は、離婚届に手を伸ばし、半分に折られた薄いその紙を広げた。

「純也も、既に名前を記載して、印も押してあります。後は、我々が認めるかと言う判断を委ねて、これを持ってきました。家内は、快諾する事ができず、なんとしても愁子さんには諦めて貰いたい、その想いを私にぶつけ、昨日は泣いておりました。アレも、本当は愁子さんと仲良くやりたかったのだろうけど、器用なほうじゃないんでね。何かと愁子さんには苦労をかけました。今回事は、愁子さんの意志を汲みます。あなたはまだ若い。これから、自分の望む人生を送りなさい」

そう言って、義父は戸棚の引き出しから印鑑と朱肉を取り出し、テーブルに置いた。

万年筆を手に取ると、証人の欄に義父は自分の名前を書き、象牙の印鑑を取り出すと、名前の脇にそれを押した。吉相体の文字が朱く浮き出てしっかりと、印字されていた。

印鑑を置き、義父は肩を上げ、溜息を吐いた。

「仕方のないことでしょう。無理矢理、愁子さんを繋ぎとめていても、あなた自身のために、良くはない…」

義父は視線を落とし、もう一方の証人欄に目を止めた。

「ご両親にも、大変申し訳ないと思います。愁子さん、これは最後の私のわがままです」

「何ですか?」

「この結婚は、我々とあなたのご両親が決めた事。最後まで、親としての責任はお互い取っていくべきだと思っています。なので、この書類は、私から、愁子さんのご両親へお送りし、証人として認めていただいた上で、あなたが出して下さい」

結局は、義父の考えが大園に影響し、結婚や離婚にも大きな要になっている事を、愁子は思い知らされた。しかし、少なからず、自分の両親にも離婚の意志を説明する必要はある事を、愁子の脳裏にも存在していた。

「分かりました…。この度は、大変なご迷惑をかけ、また、お世話になり、有難うございました」

愁子はもう一度、深く頭を下げた。

「家の荷物なのですが。身の回りの事が着地したら、まとめて引き取りに参ります。それまでは、今しばらく置かせて下さい」

「いいでしょう。それまでは、家にいても…失敬」

「いいんです。鍵だけは、ご迷惑ないよう、最後にお返しします。それでも良いでしょうか?」

「分かりました。純也には伝えます。そろそろ、私自身の薬が切れる頃なので、身体の具合が悪くなります。申し訳ない。見送りは出来そうにないので、ここで失礼して下さい」

義父の顔は能面のように無表情になり、上半身がガタガタと小さく震えだしていた。持病のパーキンソンによる振戦だった。愁子は、義理父の会話の中で、初めて持病がある事を知った。結納や結婚式の時は薬が効いていた時間だったのだろうか。日常ではあまり、義父と会う事もなかったせいか、初めて見る症状に、愁子は戸惑いを抱いた。

「お義母さん、呼びましょうか?」

「いや、時期に来るから心配ない」

「分かりました…。それでは、失礼致します」

手をあげる事も出来ず、義父は座ったまま、愁子を見送った。愁子は、玄関を出ると、小さく一礼をして家を後にした。

この2日間の衣服を洗濯したく、一度家に戻り、締め切った部屋に入った。締め切ってはいたが、馴染んだ部屋の空気になぜかほっとできた。

乾燥機までかけ終えている間、自分の荷物を少しカバンに詰めながら、これからの先の事を考え、大きく溜息を吐いた。きっと、自分の両親の事だ、大園の義父のような偏ってはいるが、寛大な気持ちはないはずだ。

愁子の最大の難関は、大園達ではなく実の両親である事を気づいてはいたが、最終段階まで愁子はそれを避けていた。

「かなり叱られるかな…」

下着やストッキングを詰めながら、愁子は溜息交じりに呟いた。

あわよくば、実家に戻れたらと淡い期待を抱きつつ、愁子は母に電話をする事にした。

「もしもし。お母さん。愁子」

「あら、丁度電話しようと思ったのよ」

母の話に、胸がドクンと大きく鼓動した。

「どうしたの?」

「茨城のお義姉さんが、初物、メロン送ってくれるって言うから、大園さんやご両親にもって、思って」

父の姉が茨城に住んでいて、メロン農家に嫁いでいる。毎年、時期になると初物と言って実家に送ってくれるのだが、経由せずに、直接茨城から、母を通じてこちらに送ってくるのが毎年恒例になっていた。

「それ、もう、やめて欲しいの」

「あら、どうして?」

「急なんだけど私、お母さん達に話しがあるから、これから家に行きたいの」

「ほんと急ねぇ。愁子のお部屋掃除したり、お布団準備したりしないとじゃない。どうしたのよ?」

「後で話すから。お父さんにも、伝えておいて」

「分かったわ。大園さんは、お元気なの?」

「…うん」

「そう。じゃぁ、よろしくお伝えしてね」

通話越しに聞こえる母の声は、明るくとても弾んでいた。

「…うん。じゃぁ」

通話を切ると、愁子は両膝を抱えて顔を伏せた。大園や義父と話をしただけでも、疲労感があると言うのに、これから自分の両親、特に父親に話を切り出し離婚を同意してもらう事を考えると、途轍もなく心が萎えた。


お読み頂き有り難うございます。


サブタイトルになっている、松の門かぶり。

他所のお宅で見かける事がありますが、立派だなぁと、ただただ、眺めてしまいます。

11月にも入り、寒さも増してきました。紅葉にもいい季節になりますね。


お話は、まだまだ続きます。

次回もどうぞよろしくお願いいたします。

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