表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
泡沫 UTAKATA  作者: 未月かなた
5/22

囲む食卓

薄く目覚めると、見慣れない白い天井に、ブルーのカーテンが目に入り、ぼんやりとした意識の中、まだ夢でも見ているのだろうかと愁子は思っていた。

頭の奥の方で、微かに響く痛みを感じ、それが何なのかと考えた時に、愁子の記憶が呼び戻された。

意識が覚醒し、ハッと辺りを見渡すと、愁子の隣には、昨夜バーで隣に座っていた、晴海が小さな寝息をたてて眠っていた。

酔った勢いではなく、愁子は承知の上で晴海の部屋に来たのだと言う事。その記憶は、鮮明に覚えていた。


愁子は、晴海と身体を重ねた。


それは、あの、大園との儀式の様なセックスではなく、身体だけではなく、感情までもが昂ぶる程のものだった。女としての喜びを、愁子は初めて感じたようだった。

下着一枚の、無防備な姿だという事に気づき、愁子は慌ててキャミソールを探した。シングルサイズのパイプベッドから降りると、ベッドの足元の方に脱ぎ捨てられた自分の衣服を見つけた。衣服を着ようと思う間も無く、愁子はカバンの中からスマートフォンを探し、画面を開いた。

大園からは、何も連絡が来ていない事を確認したが、自宅に戻らなかったからなのか、それとも意図的に連絡をしていないのかは、不確かだった。

愁子が動いた事で、晴海が目を覚ました。

「ん…。愁子さん? もう、起きるの?」

むくりと身体を起こした晴海は、髪が寝癖だらけのまま、目をこすっていた。

「ごめんなさい。起こしてしまって」

「それ、着ちゃうの?」

手に持っていたキャミソールを見ながら、晴海はにこりと笑んで、手招きをした。おずおずと招かれるままに、愁子は再びベッドに入ると、晴海は愁子が持っていたそれを、手に取り、ふわりと元の場所にと投げた。そうして、愁子の身体を包むように腕を伸ばし、ベッドに倒した。

「もう少し、このままいよう」

柔らかな口調で晴海が言うと、愁子が返事をする間も無く唇を重ねた。甘く、胸をくすぐられる様な感覚と、カーテンから細く差し込む光で、晴海の表情も、裸のままである事に、気恥ずかしさを感じていた。

「まだ、やめない」

唇を離した愁子に、晴海が小さくそう言うと、2人は再び身体を重ねた。股関節や腰に、今までにない疲労感が出ていた事を再認識しながらも、愁子は水を得た魚のように、身体中で晴海を感じ取っていた。

行為の後で、晴海は愁子の痩せた身体を抱き寄せていた。肌から伝わる温もりが、これほどにも心を穏やかにさせるものなのかと、愁子は、大園の事を忘れかけ安心する気持ちでいた。


シャワーを浴び、愁子が出て来ると、部屋には陽の光と清々しい風が入り込んでいた。1Kの狭い部屋には、パイプベッドが場所を取っている中、小さなテーブルとテレビ、洗濯する物なのか、済んだものかが分からない、晴海の衣服が散乱していた。

愁子は、晴海がシャワーを浴びている間にもう一度スマートフォンを確認した。午前9時を過ぎていた。隣の義母が雨戸の閉まった家に、何かしら異変を感じている頃ではないだろうかと、不安に思ったが、どこからも連絡は無かった事に、小さく息をついた。


ベッドの上の布団をたたみ、分別つかないが、とりあえず晴海の衣類をたたみ重ねてみた。

喉の乾きを感じた愁子は、晴海の部屋に来る前にコンビニで買ったペットボトルのお茶を手に取ると、普段なら必ずコップに注ぐだろうが、それらしき物は見当たらず、躊躇いながらも、直接口を付けてそれを飲んだ。

テーブルの上には、昨日、晴海が買ったペットボトル以外にも、数本空のそれらが立ち並んでいた。

愁子は、空いたペットボトルを流しに運び、片付けようとキッチンに向かうと、目が点になった。

シンクの脇の狭い調理台を超えて、一口ガスコンロまで埋め尽くすように、ペットボトルの山になっていたのだった。

“男性の一人暮らしって、こう言うものなのかしら。几帳面な大園だったら、きっと、物一つ、置きっ放しにはしないだろう…”

運んだそれを水で注ぎ、ラベルとキャップを外して目についた、空のビニール袋にそれを入れた。けれど、愁子の性分としては、自分が片付けた物だけで終わるのはどうかと思い、シンクやガスコンロまで埋め尽くしたペットボトル達を、片っ端から片付けた。

出来る事なら、掃除機もかけたいなと思う、フローリグに積もった埃に目が止まった。

シャワーの水温が止まり、そろそろ晴海が出てくるだろうと思い、愁子は再びベッドの前にお行儀よく座った。

窓の外からは、車の走行音が絶えず聞こえていた。晴海のアパートは、街道沿から路地に入った所にあった事を、愁子は思い返していた。

それでも、日常聞こえる幼児の耳をつんざくキンキン声や、自衛隊の航空機のエンジン音に比べれば、心穏やかでいられる気がしていた。

「愁子さん、片付けてくれたの? ごめん。いいのに」

シャワーを浴びて出てきた晴海は、トランクス一枚に、首にタオルをかけ、冷蔵庫から取り出した清涼飲料水のペットボトルをゴクリと飲むと、辺りを見渡し愁子に言った。

「私こそ。勝手に片付けてしまって、ごめんなさい」

「服まで、たたんでくれて…」

積み重なった衣服の、1番上にあった白いシャツを手に取り、それを着た晴海は、照れくさそうに笑むと、

「ありがとう。なんか、こう言うの素で嬉しい」

と、愁子に言った。

「俺、今日は現場ないから。愁子さんが良ければ、まだここに、いてくれる?」

晴海が愁子の隣に座ると、ふわりと晴海のシャンプーの匂いが漂った。愁子は、あまり長居をして、迷惑をかけてはと、内心考えながらも、気持ちのどこかで、心地よく感じる晴海との時間を、まだ過ごしていたいと願っていた。

「……。晴海くんが良ければ。お言葉に甘えます」

「良かった。もう、帰っちゃうのは悲しいなって、思ったから」

晴海は、力なく笑んだ。その表情が、愁子の胸を微かに締め付けた。

窓から入り込むそよぐ風に、愁子の長い髪が顔にかかった。晴海は、そっと手を伸ばし、それを横によけた。視線が重なり、晴海は髪をよけた手で愁子の頬に触れた。

「昨日、バーで愁子さんが隣に座った時、俺、めちゃくちゃ緊張してたんだ…。その…綺麗な人だなって。下手に話して、嫌われたらどうしようかなって」

「そうだったの。私こそ、ああ言うところが初めてだったので、場の雰囲気に緊張してたから…」

視線が重なるたびに、クスリと小さく笑い合いつつ、胸をくすぐらせるような感覚に、気恥ずかしさを感じて視線を逸らす。再び、晴海と視線が重なると、晴海は真っ直ぐに愁子の顔を見つめた。笑顔が消えたかと思うと、その顔がゆっくりと愁子に近づき、晴海の唇が愁子の唇に優しく触れ、そっと離れると、微かに晴海が飲んだ清涼飲料水の、甘い味が残っていた。



昼前に、2人でアパートを出ると、駅前のファミレスに入り食事をする事にした。テーブルに並べられていた、大きなメニューを広げると、様々なメニューがある事に、愁子は目が回る思いだった。

「俺は、日替わりランチにする。愁子さんは?」

早々とメニューを選んだ晴海に、愁子は焦る気持ちで胸をどぎまぎさせていた。

「えっと…」

「いいよ。ゆっくり選んで」

「ありがとう。私、こう言うところも初めてで」

「マジで? 愁子さんて、育ちのいいお嬢さんなんだね?」

「そう言うわけでは…」

愁子は小さく横に首を振ってみせた。そうして、晴海には言われたものの、早く決めなくてはと言う気持ちで、目が泳いでいた。

「私、この、お野菜とシーフードのドリアにします」

「よし、決まり。飲み物は、ドリンクバーにしよう」

晴海が席の向こうを指差し、そう言った。愁子は、言われるがままに頷いて、そちらの方を見ると、飲み物の入った機会が、カウンターに陳列されていた。

晴海が手際よく注文をすませると、席を立ち愁子を誘った。おずおずと後をついて行くと、先程指差したドリンクバーのコーナーで立ち止まった。

「飲みたいものが、フリーで飲めるよ。セルフだから、お代わりしたい時も、自分で貰いにくるんだ」

そう言うと、晴海はセットされたグラスを手に取り、氷を手際よくグラスに入れた。すると、ジュースのサーバーから、飲み物がグラスに注ぎ込まれた。

「面白い」

愁子が小さく、手叩きをすると、晴海は苦笑いをしてみせた。

「こんなんで関心されてもなぁ。さ、愁子さんはどうする?」

「えっと…」

愁子は立ち並ぶサーバーをよく見て、ボタンに飲み物のラベルが貼られている事を確認し、コーヒーを見つけると、グラスの横に重ねられていたカップと、皿を見つけて手に取った。

「熱いから気をつけてね」

注ぎ口の下にカップを置いた愁子に、晴海は言った。

「ありがとう」

湯気を立たせながら、注ぎ込まれたコーヒーの香りが、ほっとする癒しを感じさせていた。

席に着くと、直ぐに料理が運ばれてきた。テーブルにあっという間に食事が並ぶ様を見て、愁子は驚いていた。

「すごいね。こんなに素早く、お料理が出来ちゃうなんて」

「すぐ出せるように、下準備してあるからだよきっと。さ、冷めないうちに食べよう」

「うん。いただきます」

愁子は、両手を合わせて小さく言った。それを見て、すぐ様箸を手にして食べようとした晴海は、両手で箸を持って、一言、

「いただきます」

と、声に出した。

スプーンでドリアを掬うと、熱々のホワイトソースを纏ったドリアに、ふうふうと息を吹きかけ、冷ましながら一口食べた。

「おいしい…」

小さく愁子が言うと、晴海が愁子の顔を見て、

「良かった」

と、にこりと笑んだ。

今思えば、学生の頃に友達と、お弁当や学食を食べた以来、食事が楽しめた記憶はないように思えた。子供の頃は、父親は毎晩帰りが遅く、母と一緒に食卓を囲んではいたが、父の決め事で、食事中は会話をせず、黙々と食事を食べていた。

社会人になってからは、デスクでお弁当を食べる事が多く、同僚と店でランチをする、OLのような華々しいものではなく、たまに誘われても、年配の男性社員と定食屋を共にするくらいだった。

結婚してからは、大園とは一度も食卓を囲んでいない。何が好きで、何が嫌いなのかも分からない。

食器棚にある、箸や九谷焼の夫婦茶碗、湯呑み、小鉢、ロイヤル コペンハーゲンの皿などは、お行儀良く並び使われる事なく仕舞われていた。

些細な事だが、愁子にとっては、共に食卓を囲み、こうして話したり笑ったりする事が出来るそれが、とても嬉しかったのだった。


晴海は、不器用な箸の持ち方をしていた。まるで、鉛筆を握るかのように。愁子は、自分の父がそれを見たなら、激怒し、台拭きが顔を目掛けて飛んできただろう。ハンバーグを箸で掴み、そのまま口で一口噛み切っては、ばくばくとご飯を口へかきこむ。そんな、晴海の仕草の一つ一つが、愁子にはとても興味深く、楽しかったのだった。

「愁子さん、俺ばっか見てないで、食べないと。冷めるよ?」

口の隅にハンバーグソースを付け、口の中には、ご飯とハンバーグを詰めたまま晴海に言われ、愁子は胸の中で込み上がる、和やかな感情と溢れそうな涙を堪えて、笑んだ。

「うん。そうだね」

口に運んだドリアの味が、もう、分からないほど、溢れる気持ちを堪えることで、愁子は精一杯だった。


食事の後、飲み物を再び運んで、席に座ると、晴海のスマートフォンが鳴った。

「ごめんね、ちょっと外で話してくる」

そう言って、晴海は席を離れた。愁子は、カバンの中から自分のスマートフォンを取り出すと、着信を確認したが、やはり何もなかった。この、嵐の前の静けさのような無反応さが、愁子には、少しの恐怖を抱かせていた。













お読み頂き、有難うございました。

先日の十五夜。皆様は、お月様ご覧になりましたでしょうか?


ご飯屋さんとかのメニュー選び。作者も愁子同様、時間がかかる方です。


お話は、まだまだ続きます。次回もどうぞ宜しくお願い致します。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ