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泡沫 UTAKATA  作者: 未月かなた
21/22

面会

「野良猫と、会話するようなものですよ?」

柏と言う弁護士に呼ばれ、愁子は彼の弁護士事務所で柏の口からその言葉を聞いた。

50代半ば程の中年の男で、でっぷりとした膨よかなな腹に、オールバックの髪にポマードをつけていた。その匂いだろうか、油とハーブが混ざったその香りが、室内に充満して愁子の胸をムカつかせ、堪えるのに必死だった。

室内は、テーブルと椅子、そして部屋の隅に置いてあったゴムの木が、艶々と大きな葉を広げていた。

「野良猫…ですか?」

「えぇ。かなり殺気立ってます。最初は、話にならんくらいで。薬が切れてるせいもあるでしょうが、元々の性格的なものもあるのでしょう。まぁ、接見の時には、壁があるから噛みつくことはないですけど…」

柏は、何かを思い出し苦笑いをした。

「あー。あれ、あれだ。野良猫は、可愛げあるか。サファリパーク、あれだ。迫力はあるかな。壁、叩きまくるし。威勢がいい」

ニヒルな態度で話す彼を見て、愁子は少し不安に思えた。しかし、彼が、晴海の弁護人なのだからと、仕方なく事情を話すことにした。

「それが、永丘の子だと言うのは、事実なんですね?」

ノートにメモを取りながら、柏は愁子に尋ねた。愁子は、きっぱりとそうだと答え、晴海に会う意志を伝えた。

「そのことに関しては、永岡のバイオリズムが、落ち着いている時であるといいのだが。本当に、話にならない事があるから。それにしても、永岡が三枝さんに会うと言った理由は、少し違ってましたから、その希望通りになるか…」

「晴海くんは、なんて…?」

「まず1つは、あなたに対する謝罪。2つ目が、復縁」

柏の言葉に、愁子の頭の血の気が引いた。そして、瞬時に呼び戻されたあの時の記憶が過ぎり、豹変した恐ろしい晴海の態度と言葉に、愁子の身が微かに震えた。

「時間は限られてますから、お伝えしたい事を整理していったほうがいい。もし、三枝さんの意向に永岡が応じるなら、必要な書面を持参なり、郵送下さい」

不安が募る思いで、愁子は柏の事務所を後にした。晴海に堕胎の事を話せば、またあの時の様に豹変するに違いない。想像するだけで、愁子は身体が小さく震えてしまっていたが、怖気付いてもいられなかった。面会に向けて、愁子は身を引き締めた。



「愁子、元気にしてる? あら? 出先なの?」

拘置所に向かっている途中、母から電話が入った。日傘を片手に、愁子は母の話に耳を傾けた。

「うん。そう。大丈夫。父さんは、どうしてるの?」

「かなり落ち込んでるわ。あなたの子供の頃のアルバムを見て、泣いたりして…。父さんにとっては、あの頃のまんまだと思ってるのよね」

父の期待を裏切ってしまった事に、愁子は申し訳なさでいっぱいだった。言葉が喉の奥でぎゅうっと詰まり、愁子は黙ったままだった。

「父さん、あんな事言ったけど。喉元過ぎたらきっと、淋しくなるのよ。愁子がお嫁に行った時もだったけど。いつ、顔見せに来るんだ? って、きっと、そのうち言い出すわ」

明るく笑いながら話す母の声に、愁子は気持ちが少し和らいだ。

「そんな日が、くるかしら…」

「来るわよ。大事な娘ですからね。暑いからね、身体気をつけるのよ。出先でしょう? ちゃんと、水分とりなさいね」

母は愁子を気にかけ、通話を切った。

日傘をさしても、アスファルトからの陽の照り返しで、ムンとした熱気に包まれ、汗が愁子の首筋に流れていた。

拘置所で受付を済ませると、係の人に案内され、愁子は面会室の椅子に座り、晴海が来るのを待った。

不安や恐怖が入り混じる感情を抑える様に、愁子は小さく深呼吸をした。すると、アクリル板の向こう側の扉が開き、中から晴海がゆっくりと入ってきた。

中に入り、ぼーっとした様子だったが、愁子を見つけるとにこやかな笑みを見せ、愁子の前に座った。

「愁子さんっ! 来てくれたんだね」

愁子は、ぎこちなく笑みを見せて小さく頷いた。晴海は、どこか落ち着きない様子で、チラチラと部屋の天井やらあちこちに視線を動かしていた。

「ごめんね。俺、愁子さんに酷いことしたよね。ここ出たらさ、今度は一緒に暮らそう。ね」

瞳孔が開き、まるで人形の笑みの様に固まったその表情が、愁子には不気味でならなかった。

そうして、小さく息を吐き、愁子は口を開いた。

「あのね。私も晴海くんにお話ししたい事があるの」

「うん。なに?」

真っ直ぐに、晴海の視線を捉えた愁子の硬いを見て、晴海の笑みがスーッと抜け落ちた。

「私、晴海くんとの子を妊娠してます。でも、私はこの子を堕ろします」

「…は? なんで、堕ろすの? 俺との子なんでしょう? 産んでよ。ここから出たら…」

「堕ろします。私が、世間知らずでバカだったんです。それに…もう、晴海くんへの気持ちはないんです…。元には、戻れません…。ごめんなさい…」

愁子は、深々と頭を下げた。微かに震えていた両手をぎゅっと組み、愁子はゆっくりと顔を上げた。

晴海は、哀しげで今にも泣き出しそうな顔をして愁子を見ていた。視線を合わせたが、逸らしたのは愁子の方だった。俯き、黙って晴海の返事を待っていた。

カタカタと、椅子が小刻みに振動する音が聞こえると、ガッタっと音を立て、晴海は立ち上がった。

「俺、ちゃんと、まともになって戻るから。だから、待ってて欲しい。その子と一緒に。お願いだから!」

バンッと、アクリル板を叩き、晴海は声を上げた。

愁子は、横に首を振り、顔を上げて晴海をもう一度見た。

「ごめんなさい…。本当に、それは無理です」

愁子がそう言うと、晴海の表情が強張り、再びバンバンとアクリル板を叩き怒り出した。

「なんでだよっ!! ふざけんなっ!! 堕ろすなんて、許さねーからなっ!」

荒ぶれた晴海に、愁子は身体がビクッと震えたが、それでも横に首を振り続けた。

「人殺しっ!! 人殺しだっ!! ねぇっ! この人、人殺しだよ!」

記録を取っていた職員に身体を取り押さえられ、暴れながらも声を上げ喚いていた。職員が見兼ねて、面会室から連れ出そうとしたその腕を振りほどき、晴海はパイプ椅子を持ち上げると、思い切り愁子を目掛けて投げつけた。

パイプ椅子が、アクリル板に叩きつけられた衝撃音と、荒れ狂った晴海の姿に、愁子は思わず席を離れて身を屈めた。

「いい加減にしろっ! 退出だ!」

他の職員も騒ぎで駆けつけ、二人掛かりで晴海を取り押さえ、アクリル板の前から引き離された。

「ジゴクに落ちやがれ。クソアマ!」

晴海は愁子をジロリと睨みつけ、小声でそう言葉を吐いて、職員に連れていかれてしまった。静けさの中、愁子の身体はまだ震えていた。

お読み頂き、有難うございました。

とある場所で手続きの為ロビーで待っていたら、順番を抜かされた男性が突然大きな声で怒りの言葉を発してました。声の大きさと、突然な事にビックリして凝視してしまったのですが。

愁子はもっと恐ろしい目にあった事でしょう。


さて。お話はいよいよ最終話になります。

残り1話。最後まで、どうぞ宜しくお願い致します。

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