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泡沫 UTAKATA  作者: 未月かなた
20/22

相良の心配事

20時過ぎに、二階堂は愁子の部屋を訪れた。

玄関のドアを開け、二階堂は愁子の顔を見るや否や、愁子の身体をぎゅうっと抱きしめた。

咄嗟の事だったが、愁子も暗黙の了解で二階堂の腕の中に引き寄せられるよう、その中に飛び込んでいた。二階堂の温もりが愁子には、とても居心地が良く、安らかな気持ちで二階堂の腕の中に包まれていた。

「身体の具合は?」

耳元で二階堂の声が小さく響き、愁子は彼の胸に顔を埋めたまま返事をした。

「病院で診てもらいました。妊娠4週目です…」

ゆっくりと、二階堂が両腕を解き、愁子を見つめた。不安気な顔の愁子の頬に、二階堂が手を添えると愁子は気が緩み、涙がぼろぼろと、零れ落ちた。

「私…この子を、産まない事にしました…。彼は…今、警察に追われている、薬物使用者でした…。そんな人と知らずに…私…」

二階堂は顔を歪め、行き場のない怒りを胸に留める事で必死だった。そうして、それを隠すかのように、再び愁子の身体を抱きしめた。

「起きてしまった事は、仕方ないです。これから、どうするかです。愁子さんは、懸命な判断を下したと思います。お辛かったでしょう…」

「私…怖い…。自分のしている事が…。家にも警察が来て、両親に彼の事が知られてしまい、父に勘当されてしまいました…。私には、誰もいなくなってしまった…」

涙声でしゃくりをあげながら、愁子は二階堂の胸の中で話した。二階堂は、愁子の身体をさすりながらそれを聞いていた。

「僕がいます…。それじゃ、ダメでしょうか?」

「二階堂さんにまで、ご迷惑かけられない」

「でも、今は誰かが側に居るべきです。愁子さん1人では、余りにも心許ない状況です。いさせてください。あなたの側に」

愁子は、二階堂の優しさに触れ、これまで抑えていた不安が頭の中で飽和してしまい、彼の胸の中で思い切り泣いた。


泣き疲れた愁子をベッドに座らせ、二階堂はキッチンに立ち、愁子にティーカップや紅茶の場所を聞きながら、紅茶を入れてくれた。

ふわりと香るダージリンが、愁子の気分を和ませていた。そうして、二階堂は、気を紛らせるかのように、別の話題を振りながら、色々と愁子に話をしてくれていた。

「泉は、ああいう性格なので、マイペースだから振り回されるんですけど。15も歳が離れた僕が言うのもなんすが、しっかりしたやつですよ」

「ふふ。私も、初めてお会いした時には、驚きました。でも、とてもお気遣い下さる、いい方です」

「ですよね。気を遣いすぎるくらいですよ。ああ見えても。だって、僕と愁子さんを何気に、引き合せようと思ってたらしいんですから」

「えっ? そうだったんですか?」

「あはは。僕たちは、泉に一杯食わされたんです」

愁子は二階堂と顔を合わせると、互いに恥じらいながらも笑っていた。心地よく、穏やかな時が流れていたが、愁子のスマートフォンの着信音がそれを引き裂いた。

慌ててカバンの中からそれを取り出し、画面を見ると見知らぬ番号からだった。

「はい…」

恐る恐る通話に出た愁子は、二階堂と顔を見合わせていた。

「M警察の、小山内です。三枝愁子さん?」

「刑事さん。はい、そうです」

「永丘晴海を先程、横浜で逮捕しました」

「あのっ! 一度だけ彼に会いたいのですが…」

「いやぁ…それは難しいでしょう。彼に弁護士がついてから、間に入ってになるかと」

「そんな…」

小山内からの通話が終わると、愁子は肩を落とし、カーペットの上に座り込んだ。

「愁子さん…?」

「晴海く…彼が、逮捕されました。電話は、刑事さんからでした」

晴海の逮捕には、内心安堵する思いだったが、決着をつけるべく晴海に会えない事に愁子は肩を落としてしまった。

「私の中では、まだ終わりではないんです…。彼に、事実をお話しなくちゃ…」

愁子は両手で顔を覆うと、再び涙声で言った。暫くすると涙が掌に溜まり、それが両腕をつたっていた。

「なにもそこまでしなくても…。もう、彼の事は終わりにしましょう。その…堕胎の事は、もし、愁子さんが良ければ、僕が力になりますから…」

二階堂の言葉に、愁子は大きく首を横に振って見せた。

「まだ、終わらせる事はできません…。この子の事は、私の罪でもありますが、彼にもあるんです…。それに、そこまで二階堂にご迷惑はかけたくないです…」

泣き崩れる愁子を、二階堂は黙って見つめていた。

テーブルに置いた冷めた紅茶に口をつけると、苦味が口の中で広がり、二階堂はその苦味と自分のもどかしい思いを、噛み締めていた。


終電前に二階堂は帰り、愁子は眠りについた。

夢を見た。

暗闇の中、小さく光る琥珀色のまあるい光が、愁子の前にちらついて見えた。それは、なんだか可愛らしく、愛おしささえ感じられる光だった。

光のはずなのに、どこか笑っているような、それすらも感じられていた。

そのうち、光はどんどん小さくなっていった。

「まって、消えないで…」

愁子が光を追いかけたが、光は闇の中へ吸い込まれるように消えて無くなった。

眼が覚めると、悲しい気持ちで胸の中が満たされ、涙で枕が濡れていた事に気がついた。

「ごめんね…。私、あなたを産んであげられない…。私の至らなさが全て悪いの…」

愁子は横になったまま、自分を責め続け、暫く泣き続けた。

泣いても、泣いても気持ちは晴れる事はなかった。それでも、現実と向き合い、愁子はいつものように身支度を整えて仕事へ向かった。

「三枝さん、もう、具合いいの?」

愁子の顔を見るなり、相良は心配して声をかけてきた。

「はい。でも、少し波があるので…」

「無理はしなくていいから。具合悪くなったら帰っていいし。なんなら、隣のソファーで横になっていいから」

「相良さん、本当にすみません。ご心配ありがとうございます」

デスクに向かうと、愁子は溜まってしまっていた請求書や納品書を次々に作り始めた。仕事に集中している間は、余計な事を考えずに済んでいたが、不定期にやってくる眠気を冷ます事と共に、身体が欲求する酸味のある物を口にしたく、愁子は小さなパッケージに入った、レモンの飴を口に含んだ。

「…さん」

相良に呼ばれた気がして、愁子はハッとした。

「はい。お呼びでしょうか?」

「今日さ、体調とかあと、何もなければ昼飯一緒にどうかな?」

「はい。大丈夫です」

「じゃ、もう少ししたら出ようか。店、昼になると混むから」

「はい」

書類に目を通していた相良は、愁子に視線を移すと、小さく笑んだ。

相良は、あまり自分の事を話さない人だった。社長である姉や家族、恋人など、プライベートは一切口にしなかった。唯一、愁子との共通点である、二階堂の話は時折雑談の中でしてくれてはいた。

自己中心的なタイプではあるが、会社の動きを全体的に見ているようだった。社長であろう姉にも、先日オンライン会議で、ズバズバと意見をしているのを愁子はデスクで聞いていた。頭はキレる人なんだろうと、愁子は相良の事を内心、尊敬していた。


会社のビルを出ると、真昼の強い日差しと、ムンとした湿度の高い気温が、身体に刺激した。

今朝のニュースでは、梅雨明けの話題が出ていた事を、愁子は思い出していた。

ランチ前でも駅前は混んでいたが、ホテルの中にある豆腐専門の料理店へ相良は愁子を連れてきた。

「混むと、個室取れないんだよね。よかったー。落ち着いてくつろげる」

おしぼりで手を拭いながら、相良は嬉しそうに話した。

「何でも好きなのいいよ」

「えっ、でもそれは…」

「まぁまぁ。ほんと、三枝さんは真面目というか、かちんこちんだよね」

相良の言葉の表現に、愁子は思わず小さく吹き出していた。

「あー。笑った。うん。それがいいと思う」

うんうんと頷いて、相良はメニューに視線を落とした。相良は、物を考える時に顎先に手を添える癖があった。

愁子も、じっくりとメニューを見て悩み混んでいた。すると、相良は先にメニューを置いて、

「俺、これにするけど。三枝さんは?」

と、セットメニューを指差しながら小さく首を傾げて見せた。

「どうしよう…。こう言うの苦手で…。相良さんと同じにします」

「食べたい物を、選ぶだけじゃん?」

くすくすと笑った相良に、愁子は少し困ってしまっていた。

オーダーを依頼して、料理が運ばれる間、相良はスマートフォンを手に何やら見ていた。愁子はただ、黙って待っていた。すると、スマートフォンをテーブルに置き、相良は愁子に視線を重ねた。

「三枝さん、うちの会社続けられそう?」

相良の言葉に、愁子は自分の置かれている状況が、二階堂から知られてしまったのではないかと、不安になった。

「体調の事ですか?」

愁子がそう言うと、相良は視線を逸らし、少し首を傾げた。

「つまり、俺が言いたいのは…入職してもうすぐ3ヶ月になるから、試用期間も終わるし、どうなのかなって、三枝さんの意向を聞こうかと思って」

愁子は、相良が上司として物事を考えた話をしている事に気づき、内心ホッとした。

「そうですね…。できれば、長く続けたいと思います」

「よかったー。体調悪くなったのも、俺が嫌とか、仕事のストレスとか嫌になったんじゃないかって、心配したんだ。葉一さん、きっと三枝さんの事、気にかけてくれたと思うけど、あの人大人だから、俺にプライベートは一切話さないから。せめて、愁子さんの体調の事だけでもって、言ってもダメだったから」

「そうでしたか…。すみません。本当に、ご心配かけてしまって。けど、もう一度病院行かないといけないので、何処かでまたお休みをご相談させて下さい」

「分かった。それは、承知したよ。悪い病気とかじゃないの?」

「はい。一過性のものなので。まだ、本調子ではないですが、大丈夫です」

「よかったー。安心したら、メチャお腹空いてきた」

気が緩んだ相良の表情を見て、愁子はくすっと笑った。

「けど、酷いよな葉一さん。俺が原因とか、仕事のストレスとかでなかったなら、そう教えてくれてもいいのにさ…って、本当に、違うんだよね?」

念を押して聞いてきた相良に、愁子は笑いながら、うんと頷いて見せた。

「あー、でもさ。面等向かって、俺が嫌なんて言えないか…」

いじける素振りを見せた相良に、愁子は慌てて

「違いますっ! 相良さんは、本当にいい人です」

と、言葉を添えた。

「それはそうだよねー。俺、いいヤツだもん」

自信ありげにニヤリと笑みを浮かべて見せた相良に、愁子は苦笑いしつつ、それが相良らしいとさえ思っていた。

昼食は、すべて豆腐で作られた料理ではあったが、手の込んだ和食コースに舌鼓をうち、愁子は相良にご馳走になって店を出た。

「昼間は、さすがに暑いなー。俺、コーヒー飲みたいからカフェ寄るけど、三枝さんどうする?」

「私は、大丈夫です」

「そう。じゃぁ、先、戻ってて」

駅前で相良と別れ、愁子は強い日差しの中歩いていると、スマートフォンの着信音がカバンの中で聞こえていた。慌ててそれを取り出し、通話ボタンを押した。

「三枝さん? M警察の小山内です」

「刑事さん。こんにちは」

小山内からの連絡に、愁子の胸がドキリと大きく鼓動した。そうして、足を止め小山内の話に耳を傾けていた。

「永丘との面会が、特別もらえました。ヤツの弁護士から後ほど連絡が入ると思います。その指示に従って下さい」

「ありがとうございます。はい…失礼致します」

通話を終えると、愁子はスマートフォンをぎゅっと両手で握りしめたまま、それを胸に当て高まる気持ちを抑えていた。


お読み頂き、有難うございました。

寒暖の差がある陽気の今日この頃ですが、作者はスギ花粉のアレルギーに悩まされてます。

コロナ予防もしつつ、花粉予防のメガネまでかけ、外出しております。

コロナも花粉も、落ち着くといいなと願うばかりです。


今回は、作者のお気に入りの相良を登場させました。

お話は、まだ少し続きます。次回もどうぞよろしくお願いします。

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