2人の男達
子供の頃から、実家のリビングは、あまり居心地の良い場所ではなかった。
食事をするにも、無駄話は出来ず黙々と食べ続ける。宿題をするにも、父がいる時は必ず自分の部屋でするのが決まりだった。
父には、書斎があったのだが、主にリビングで新聞や書籍を広げては、母の入れる緑茶を飲みながら読みふけっていた。
子供の頃に比べると、叱られる事も殆どなくなったのだが、こうして今、静かに怒りを抱えている父を前に、愁子はダイニングテーブルに向かい合っていた。
「母さん、茶なんか出さなくていい!」
愁子の分の茶を入れていたそれを見て、父は母を抑制させた。
沈黙が重苦しく、愁子はとても居心地が悪かった。
父は、両腕を組んだままへの字口をして黙りこくっていた。愁子にしてみれば、何かしら父の虫の居所が悪く、叱られるのならば言って欲しいと願うのだが、父は直ぐには口を開かなかった。
嵐の前の静けさが、刻一刻と過ぎていく。愁子は、ただただ黙って椅子に座り、テーブルの木目を見つめていた。
「永丘晴海とか言う男とは、どう言う関係なんだ?」
父の口から、晴海の名前が出た事に、愁子は驚き鼓動が大きくドクンと鳴り響いた。どうして、父が晴海を知っているのだろうか。まさか、娘の事を不安に思い探りを入れていたのかと、疑問に思っていた。
「どうして、お父さんが彼の事を聞くの?」
「付き合っているのか? お前と言う奴は、大園さんの所で、多大な迷惑をかけたばかりだとと言うのに…」
吐き捨てるように、父は愁子に言った。そうして、愁子の顔を睨み付けると、怒りを溜め込み、顔に血管が浮き出て見えていた。
「前に俺は言ったぞ! 人の道に外れるよな奴は、勘当だ!」
大声で怒鳴り散らし、愁子は思わず目を伏せた。一体、何を言っているのか分からないまま、愁子は小さく首を振り続けた。
すると、インターフォンが鳴り、母が直ぐに玄関に向かった。
「もう、お前はこの家の敷居を二度と跨ぐな!」
再び父が怒鳴り散らすと、
「まぁまぁ、お父さん、お叱りにならないで。これから、我々が娘さんにお話し聞きますから」
母に案内されて来た中年の男性2人が、リビングに入って来たと思えば、その1人がそう話していた。
状況がつかめず、目を丸くした愁子に男は胸ポケットからある物を差し出し見せた。
「M警察署の刑事をしています、小山内です。こちらは、同じ刑事の」
「鈴木です」
体格のがっしりとした、坊主頭の小山内と少し若い痩せ型の鈴木と言う刑事が、愁子に警察手帳を見せた。
「いったい、どう言う…」
「突然でびっくりしますよね。日中、あなたのマンション訪ねたのですが、不在だったようで。ご実家の方に先に聞き込みに来ていたんです。あのですね。この男、永丘晴海は、ご存知ですよね? 」
鈴木が一枚の写真を差し出し、愁子に見せた。それは、街頭カメラに写された画質の悪い、写真だった。どこか街中を歩く晴海の姿が、そこに写されていた。
「はい…」
「実は、永丘を薬物所持の疑いで捜査してましてね。昨日の夜から、行方が分からないのですが、何かご存知ではないですか?」
物腰柔らかい口調で話す小山内の話を聞きながら、愁子の頭の血の気がサーっと引いていった。
「愁子! 隠さずに刑事さんに話しなさいっ!!」
痺れを切らした父が、テーブルをバンッと掌で叩き、愁子に怒鳴った。条件反射で身体がビクンと震え、愁子は動揺を隠しきれずにいた。
「まぁまぁ、お父さん、少しお嬢さんと別室でお話しさせて下さい」
「それなら、愁子、あなたのお部屋にお連れして」
廊下にいた母が顔を覗かせ、愁子に咄嗟に言った。
「そうですね。じゃぁ、愁子さん、お願いします」
「はい…」
愁子は席を立ち、2人を2階の自室へ案内した。部屋の明かりをつけると、愁子を学習デスクの椅子に座らせ、2人は床に座った。
自分の部屋に、他人が居る事に違和感を感じつつ、愁子は胸に手を当てながら、動揺する気持ちを落ち着かせていた。
「愁子さんと、永丘の関係を聞いてもいいですか?」
小山内が尋ねながら、手帳を開きメモを取っていた。
「…はい。なんと言えばいいのでしょう。恋人…とまではなかったと思いますが、私の部屋に来て過ごしたり、一緒に出かけたりしてました」
「失礼ですが、肉体関係も?」
鈴木が鋭く質問すると、愁子は小さく頷いて見せた。
「最後に、永丘と会ったのはいつですか?」
小山内に聞かれ、愁子は昨日と答えた。
「その時の様子とか、何か最近の永丘の様子で気になる事とかはどうですか?」
愁子は、昨日の出来事を思い返していた。
「怒りっぽい感じは、ありました。お花を見に行ったのですが、落ち着きがないと言うか」
「怒りっぽいとは、どんなふうに?」
「私も行けなかったんですが。次の日に仕事関係の人と出かける事を話したら、急に怒り出して。運転していた車を止めて、怒鳴ったり、窓ガラスをバンバン叩いたりして。挙げ句の果てに、その場で車から降ろされました」
「そうでしたか。永丘は、普段から怒りっぽい性格でしたか?」
愁子は、昨日の晴海の豹変ぶりが頭を過ぎったが、それを振りほどき、小山内の方を向いて横に首を振って見せた。
「永丘の部屋には、行ったことはありますか?」
鈴木に聞かれて、愁子は頷いた。
「その時、何か見ましたか? その…薬物と思われるような何かを」
「いいえ。一度、彼の部屋のお掃除をした事がありますが、そう行ったものは目に付きませんでした」
「もう1つ。あなたのようなお淑やかなお嬢さんが、永丘とどこで知り合ったんですか?」
小山内は愁子を見ると、小さく首を傾げて言った。
「campanulaと言う、バーです」
2人はメモを取り、他にも仕事のことや友人関係などを愁子に質問していたが、答えられる事がわずかだった事に、自分自身が晴海の素性をあまり知っていなかった事に、思い知らされていた。
「十分です。ありがとうございました。もし、永丘から連絡とかあったら、こちらに連絡を頂きたいです」
小山内は名刺を愁子に差し出し、それを受け取った。
「分かりました…」
晴海は、きっと自分の所には戻っては来ない事を、この時愁子はおぼろげに感じていた。
刑事が帰り、愁子は父から勘当を受けた。自分の娘が、薬物を扱っていた男と一緒にいた事に対し、父は自分の育て方をも責めたが、最も、愁子の行いを責め立てた。
「もう、お前はこの家の娘じゃない。出て行けっ!!」
「お父さん、愁子が可愛そうよ。愁子だって、知らなかったのだから、仕方ないじゃない」
「うるさいっ!! 早く出て行けっ!! 二度と顔を出すなっ!!」
真っ赤な顔をして怒り狂った父を背に、愁子は涙を流しながら家を後にした。
バス停のベンチに腰掛け、愁子は人目を気にせず、泣いていた。もう、何もかも壊れてしまったように思え、頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。
刑事の話を、愁子はまだ信じきれずにいた。昨日の出来事もあり、愁子は晴海との連絡を避けていたが、恐る恐る晴海へ電話をかけてみた。
「お客様のおかけになった電話は、現在、使われておりません…」
晴海が出ない代わりに、音声ガイダンスが流れ、ホッとする反面、連絡が途絶えてしまった事に不安が広がっていた。
お読み頂き、有難うございました。
晴海の実態が明らかになり、愁子には更なる試練が。
お話は、まだ続きます。
次回もどうぞよろしくお願いします。