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泡沫 UTAKATA  作者: 未月かなた
16/22

崩壊

喉の渇きで目が覚めた愁子は、自分の部屋のベッドで寝息を立てて眠っている晴海から身を離し、起きないようにそっとベッドを降りた。

床に脱ぎ捨てられた下着を身につけ、薄暗い部屋の中からキッチンへ向かうと、コップに水を注ぎ、ゴクゴクと一気に飲み干した。

晴海とのセックスの後、2人とも寝入ってしまったため、愁子はそっと浴室へ向かいシャワーで汗や化粧を洗い流した。泡立たせたボディーソープで身体をゴシゴシと洗いながら、胸の中に潜んだ不安をかき消そうとしていた。

しかし、そうすればする程、もくもくと広がる暗雲の様に、不安な思考が愁子の中を埋め尽くすばかりだった。


晴海くんは、どうしてあんなこと…。


再会できて小躍りするような嬉しさや、身体中で感じられた甘ったるい体感は、愁子を喜ばせたが、晴海の身勝手な行為が、愁子のそれらを全て、不信な色に塗り替えられてしまったのだった。

晴海は、避妊具をつけずに快楽に堕ちるように、愁子を抱いた。行為の途中で、愁子はハッと気を取り戻し冷静になって、一瞬手で晴海の身体を押し上げるように行動を止めたが、それは既に手遅れだった。


愁子はペタンと洗い場に座り込むと、ザーザーと流れるシャワーにうたれながら、不安な暗雲に飲み込まれていた。



「三枝さん? どうしたの?」

相良にデスクから声をかけられ、愁子はハッと息を飲んだ。

「すみません。何か、仰いましたか?」

キーボードに手を乗せたまま、愁子は相良の方を見た。

「いや、なんだか元気なさそうだから。さっきからずっと、手を止めてぼんやりしてるみたいだったから」

相良に指摘され、愁子は気が動転した。仕事中でさえ、愁子の脳裏に潜んでいた不安が、現れてはそれに支配されるかのように、影響を及ぼしていたのだ。

それにこのところ、愁子は睡魔に襲われていた。

晴海が来る日は多少気遣いはするものの、睡眠はそれなりにとれていたはずだった。しかし、それは、午前中、午後構わずに襲いかかり、一瞬の気を失わせる程の睡魔だった。

「すみません。気をつけます」

椅子の向きを相良に向け、深く頭を下げた。

「うーん…」

相良は小さく唸り、何か言いたげだったが、それ以上は言わず、愁子の様子を見届けていた。




あれから晴海は、毎日のように愁子の部屋に来ていた。夕食を共にした後は、必ずセックスをするのが流れだったが、愁子はあの後から、晴海に避妊具を付けるように念押して頼み、晴海は少し不満げな素振りではあったが、それを受け入れた。

半同棲の様な暮らしが続き、休日は2人で出かける事も多かった。


いつか、会話の中で愁子が薔薇の花を見たいと言ったのを、晴海は覚えていたのか、週末にレンタカーを借りて平塚まで連れて行ってくれた。

愁子は、車中で睡魔に襲われないよう、気をしっかりと引き締めなくてはと、緊張をしていた。

雨上がりの中、ローズガーデンの薔薇の花たちは、しっとりと濡れ雨粒を弾かせていた。

「薔薇って、すっごい種類があるんだなー」

歩きながら晴海は、キョロキョロと薔薇の花たちに目を止めて言った。

「ほんと、種類がたくさんありますね。今、とっても見頃でとても綺麗だわ。晴海くん、ありがとう」

愁子に礼を言われ、晴海は小さく照れた後、愁子の手を握り一緒に並んで歩きながら、花々を見て歩いた。

ふわりと香る、薔薇の花の匂いが上品で、愁子はそれが好きだった。

晴海は、始めのうちは四季折々の花々に感心していたが、飽きてしまったのか歩きながら、仕事の話を愁子にし始めた。

「でさ、外注で来てるオヤジが、ショベルカーの扱い下手くそでさ。作業してたら俺、ぶつかりそうになったから、思わずブチキレたんだ」

マンションの建築現場で起こった出来事を聞きながら、愁子はイングリッシュ ローズの前で足を止めた。

「愁子さん? 行くよ」

ゆっくりと、薔薇を眺めていたかったが、晴海に手を引かれ品種を確認する間も無く歩き出した。


晴海は園内を歩きながら、桐崎の店で出会った客の話をし始めた。

「でさぁ、俺、ずっとその人の好きなアニメの話を聞かされたわけ。俺、ちっともキョーミないんだけどさ。そいつが、早くかえんねーかなぁーって事ばかり、頭ん中で考えてたから、酒もまずくなるよ」

愁子は話を聞きながら、花に目を止めるが、晴海は花には興味がなく、話に夢中になっているようだった。

愁子が立ち止まって花を気にかけようものなら、一瞬合わせて立ち止まるが、貧乏ゆすりをし始め、グイッと愁子の手を引いて歩き出す。爪を噛んで、どこかイライラしているような、落ち着きのなさが見えた。

晴海は、愁子をここに連れてきたそれだけで、満足しているのかもしれないと、彼を見透かした。

後ろ髪引かれながら、花々を横切りただ、園内を歩きながら晴海の話に耳を傾ける、そんな時間が過ぎて行った。


帰り際に園内のお手洗いに立ち寄り、手を洗いながら愁子は、小さな溜め息を漏らした。

興味は違えども、せっかく来たのだから、ゆっくり花を見て歩きたかったと、胸の中でつぶやいた。顔を上げ、鏡に映った自分の顔は眉が下がり、曇った表情をしていた。

カバンからハンカチを取り出し、手を拭くとスマートフォンにメッセージの着信があった事に気がつき、手に取り確認した。

送り主は、二階堂からだった。

連絡先は交換していないはずだったが、二階堂からの文面に、相良から聞いたと書いてあった。

“突然の連絡で失礼します。先日は、愁子さんと良い時間を過ごせて、楽しかったです。泉から、愁子さんが最近、元気がない事を気にかけていたと聞き、どうしているかと思い、思わず連絡先を泉から教えてもらいました。ご了承下さい。もし、愁子さんが良ければ、気分転換に僕と食事でもしませんか? 庭園が素敵なお店があるので、是非、ご一緒できれば。突然のお誘いですが、明日などはいかがでしょう? 良いお返事、お待ちしております”

二階堂からのメッセージを読み、相良に心配をかけてしまっていた事もだったが、二階堂にまで気を遣かわせてしまっている事に、愁子は申し訳なさで胸が痛かった。

それでも、2人の心配りが、今の愁子にはとても心を和ませた。


帰りの道中、晴海は桐崎の店の常連達の話をしていた。愁子が初めて訪れた時に会った、吉川と桐崎が毎年夏に、常連客達とキャンプに出かけているとか、5月の連休の時には毎年恒例の、バーベキューをしているとか、晴海も参加しては、美味い肉や料理を食べ、酒を飲み、楽しんだとか。

「来年は、愁子さんもバーベキュー、桐崎さんに話して、仲間に入れてもらおう。ホント、スッゲー楽しいんだから」

くしゃりと笑顔を見せ、楽しげに話す晴海に、愁子は明日の事を話すタイミングを伺っていた。

「あのね、晴海くん」

高速を降り、一般道の交差点で信号待ちをしていると、晴海の話が途切れ愁子は口を開いた。

「ん? なに?」

信号が変わり、前に停車していた車が未だに動き出さず、晴海は痺れを切らしてクラクションを鳴らした。

ファーンと、大きく鳴り響く音が続き、前方の車が走り出すと、ようやく音が切れた。

「ったく、なに、やってやがんだ! さっさと、動けよ!」

荒ぶる口調と、クラクションの音に驚いた愁子の身体が、びくんと大きく震えた。

「え? 愁子さん、何か言いかけた?」

笑顔を取り戻し、晴海は愁子の方をちらりと見て声をかけたが、愁子は話すタイミングを躊躇した。

「あ、うん。あのね、明日なんだけど…。私ちょっと、出かけてくるから。だから、明日は会えなくて…」

愁子の言葉に、晴海は前方を見たまま、窓際に右の肘をたてた。そうして、左足が小刻みに揺れ、貧乏ゆすりをしているのが見えた。

「ふーん… 。ちょっと、何しに出かけてくんの?」

晴海は引きつった笑みを見せ、肘をついたまま聞き返した。その態度と、さっきの荒ぶった晴海の印象が残り、愁子は動揺しながらも話をした。

「会社関係の人と、お食事を…」

「それって、男?」

愁子が話し終える間も無く、晴海は刺すように、言葉を被せた。

「……」

愁子が答えに戸惑っていると、晴海は路肩に車を止め、愁子の方を見た。

「俺とこうしているのに、他の男と出かけんだ? へー…。やっぱ、愁子さんはアバズレだよな。旦那さんいたのに、俺と寝たくらいだし。物足りないんだ? 明日は、そいつと寝てくるんだ?」

晴海は冷たい視線のまま、愁子を睨むように見つめていた。晴海の言葉に、愁子の心に刃物が刺さったような痛みが走った。砕けそうな晴海への想いと、その激痛に眩暈すら感じて左手で額を押さえた。それでも、愁子は声を振り絞り、口を開いた。

「でも、こうしてちゃんと、お伝えしたのに…。それに…」

「それに? それになんだよ!」

バンっと、運転席のドアを拳で叩き、大きな音に愁子の身体が大きく震えた。

「私たち…お付き合いの仲なのか…ちゃんと、晴海くんからも聞いてな…」

「愁子さん、ガキなの? んなこと、言わなくてもわかるだろーが! それとも何? “好きです! お付き合いして下さい”って、告白しなければ行けないのか? そうでもなければ、愁子さんにとって俺らは、今のところ、セフレの関係だろ? ははっ。どんだけお高いんだよ? お嬢様ぶんのも、いい加減にしろよ!!」

バンっと、もう一度窓を叩き、晴海は愁子を威嚇した。ぶつけられた言葉達に、愁子の晴海に対する想いが粉々に砕け修復すら出来ないほどだという事を、察してしまった。

いつのまにか、ショックのあまり涙がボロボロと溢れ、しゃくりを上げながら泣いていた。晴海は、正面を向いて黙っていたが、いつまでも泣いている愁子に、苛立たせていた。

「…りろよ」

ぼそりと口を開き、晴海は言った。

「降りろって言ってんだよ! いつまでメソメソ泣いてんだよ! 鬱陶しいんだよ」

愁子にぐっと顔を近づけ、耳元で怒鳴り散らす晴海に、愁子は恐怖でいっぱいになり、震えながらシートベルトをぎこちなく外すと、車から降りてドアを閉めた。

すると、車が動き出し晴海は愁子を置いて、走り去っていった。あまりの恐怖に、愁子の足はガクガクとし、その場でしゃがみ込み、両手で顔を覆い泣いていた。

「大丈夫ですか?」

通りすがりの年配の女性に声をかけられ、声を振り絞り、大丈夫と答えた。

降ろされた場所が、何処なのかはさっぱり分からず、声をかけてくれた女性に、駅の場所を尋ね、愁子は涙でぐちゃぐちゃになった顔をハンカチで拭い、歩き出した。

晴海の豹変した態度や、浴びせられた罵倒に衝撃が大きかったが、電車に揺られながら少しずつその言葉達を消化し始めた。しかし、今の愁子には、それら全てを、自分の落ち度として受け止めてしまい、自分自身を責めてしまっていた。

それでも、心の何処かで晴海の存在にすがりつきたいという、麻痺した感情にふらついていた。





お読み頂き、有難うございました。


お花が綺麗に咲いていると、目を奪われてしまいます。

これからは、作者が好きな木蓮が蕾を見せるので、楽しみです。


晴海の豹変と、愁子を気にかける二階堂。3人の今後は。

作者は個人的にちょい役の相良が気に入っています。(笑)


お話はまだまだ続きます。

次回もどうぞ宜しくお願い致します。


ご時世はとても厳しい中ですが、皆さまお互い気をつけて行きましょう。

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