歓迎会
相良が見せてくれた部屋は、会社の備品や、不用品が詰まった物置とかされていた。
中を見てすぐ、愁子の血の気が引き、くらくらするような眩暈すら感じるほどだった。
そうして、相良に丁重に提案を断り、愁子は部屋を探し無事に引越しを終えた。
それから、 賃貸物件を取り扱う不動産で相談した所、紹介されたのはあの、晴海が暮らしていた街だった。
駅からは少し離れ、バスに乗れば10分ほどで駅に着く。閑静な住宅街の中にあるマンションだった。
新築ともあり、綺麗な部屋の環境とシステムキッチンが備えられた光景を見て、愁子は即決した。
実家から見送る両親には、笑顔を見せて出て行ったが、胸の中には心細さが漂っていた。
仕事は、2週間程経ち、相良から簡単に教えられはしたが、まだ不慣れな所が多く、1つ1つに時間を費やしていた。それゆえに、仕事が終わると、どっと疲労感に襲われ、ちゃんと仕事をこなせられるのだろうか、周囲と行っても事務所は相良だけだが、請求後の後々に携わる人達に、迷惑はかかっていないだろうかと、余計な心配すら湧き水のように出てきては、更に疲労感が上乗せされるのだった。
「考えていても、仕方ないよ。なるようにしか、ならないんだから」
仕事中に、不安げな愁子を見兼ねて話を聞いた相良が、そう答えたのを思い出した。
そうなんだけど…。
思考を変えようともして見たが、愁子の性格上どうしても、悶々とした気持ちを抱えてしまうため、大きくため息を吐き出した。
リビングに敷いた、大きな花柄模様のカーペットの上にぺたんと座り、フレアスカートで隠れた両膝を揃えてそこに額を乗せ顔を伏せた。
カーペットの、真新しく柔らかい目を指で撫でながら、愁子は気持ちを落ち着かせていた。
大園との結婚の時だって、1人の時間はたくさんあったけど、少しも寂しくなかったのに。今は、とても1人でいるのが寂しく感じる。
顔を上げ、レースのカーテン越しに見える曇り空を見た。
「お天気も曇ってるから、気持ちも寂しくなるのかしら…」
ポツンと言葉が漏れると、愁子はもう一度、額を両膝の上に戻した。
すると、テーブルの上に置いてあるスマートフォンが、着信の振動音を立て、愁子は思わずビクッとした。
画面を見ると、着信は相良からだった。土曜日なのにどうしたのだろうかと、小さく首を傾げ通話ボタンを押して応答に出た。
「三枝さん、今日、暇かな?」
「えっ。は、はい。特に何もないので」
「じゃぁ、夕方S駅においでよ。歓迎会しよう」
S駅は、職場のある駅で、唐突に歓迎会を開く事を告げられ、愁子は面食らってしまっていた。
そうだったわ。相良さんも、大園と似ていて、唐突に物事を決める、マイペースな所があったわ。
「ありがとうございます。分かりました。はい。17時ですね」
相良に指示された店をメモりながら、通話を切ると、さっきまで落ち込んでいた気持ちが、和らいではいたが、唐突な行動を取る相良に、苦笑いを含めながら、溜め息を吐いていた。
S駅に着くと、相良が指定した店へ向かった。職場がある方向で、普段は通り過ぎてはいたが、オープンテラスのある良さげな雰囲気の店だった印象を、覚えていた。
「あ! 三枝さん! こっち!!」
店の中に入ろうとすると、手前のテラス席で愁子を呼ぶ相良の声を聞き、足を止め振り向いた。すると、テラス席にはもう1人、見知らぬ男性が座っていた。
「いらしてたんですね。すみません。遅くなって」
「いや、さっき俺らも着いて、始めたばかりだから、遅くはないよ」
相良はそう言いながら、愁子の視線の先が、見知らぬ男にあったの事に気づいた。
40代くらいだろうか。落ち着きのある雰囲気と、耳にかかる長さのある髪は、ゆるくパーマがかけられ、目尻にシワを寄せ小さく笑んだ男の視線と重なった。
「三枝さん、紹介するね。こちらは、僕の友人の、二階堂さん。で、こちらが、うちの新しいスタッフの、三枝さん」
相良は、愁子と、二階堂双方を紹介すると、二階堂は席を立ち会釈をして顔を上げた。
「はじめまして。二階堂 葉一です。いつも、泉がお世話になってます」
目を細め、くしゃりと笑んだソフトな顔の表情と、低く心地よい声のトーンが愁子の耳に届いた。
「こちらこそ、はじめまして。三枝愁子と申します。いえ、私の方こそ、相良さんには大変お世話になってます」
深々と頭を下げ、愁子はどうして3人なのだろうかと、ふと疑問に思っていた。
「まぁ、座ろうよ。三枝さん、飲み物何か選んで。食べ物はもう、適当に頼んでおいたから」
メニューを相良に渡され、愁子はドリンクのページに目を落とした。
「アジアン料理だけど、愁子さんは、苦手なものある?」
穏やかな口調で話しかける二階堂の言葉に、愁子は視線を上げ、小さく横に首を振りながら、
「いえ、特にないです。お気遣い、ありがとうございます」
と、答えた。
「えー。葉一さん、いきなり、“愁子さん”だなんて呼んじゃってる」
「断るべきだったかな? どうですか?」
二階堂の視線が、相良から愁子に移り、愁子は再び小さく横に首を振って見せた。
「あ、あの。名前でも、大丈夫です」
そう言いながら、緊張気味の愁子を見て二階堂は、小さくクスリと笑んで見せた。
「泉から、お話は伺ってます。とても真面目で、一生懸命な方だって。ホント、第一印象、その通りだとおもいましたよ」
「そんな…。まだ、仕事に慣れなくて、相良さんにはご迷惑をお掛けしてます…」
「そんな事ないって。三枝さんが来てくれて、ホント、助かってんだ。それに、事務所の中がとても清潔感で溢れてて、気分も快適だし」
相良が、愁子の仕事ぶりを話しはじめ、二階堂は興味深くうんうんと頷きながら、それを聞いていた。
モヒートで乾杯をし、相良も二階堂も途切れる事なく話をしていた。
2人は、共通の友人を通じて知り合ったと言う。時々、食事したり、飲んだりする間柄だと話してくれていた。
「愁子さん、泉はね、こう見えてけっこう、気遣いしいなんですよ」
二階堂の言葉に、相良が肘で彼の腕を突いていた。
「葉一さんっ、余計なこと、言わないでくださいよ」
「いいじゃないか。愁子さんだって、不思議に思ったでしょう? 今日、この席で僕が居ること」
愁子は、二階堂に言われ、はいと頷いて見せた。
「こいつ、職場の同僚だとしても、男女だから、2人きりで飲むのはどうなのかって、僕に相談しに来たんですよ。それで、僕が急遽誘われて」
「あー。もう! だって、三枝さんが困ったら申し訳ないかと思って。葉一さん、俺と違って落ち着きあるし、きっと三枝さんと話が合うんじゃないかなって」
照れ臭そうに笑いながら話す、相良に二階堂はにんまりとした笑みを見せていた。
「そうだったんですね。相良さん、お気遣いありがとうございます」
愁子は、丁寧にお辞儀をしてそう言った。
マイペースな人ではあるが、スタッフとして人を大切にする人ではある事を、改めて愁子は感じていた。そうして、相良を悪戯にいじり続けている二階堂とのやり取りを眺めながら、まるで兄弟のように仲の良さが伝わり、愁子は和やかな気持ちになっていた。
2次会をと2人から誘われたが、愁子は丁重に断り、2人とS駅で別れた。
楽しかった余韻が残り、アルコールも入っているせいか、ふわふわとした浮かれる気持ちで、1人部屋に戻るにはと、愁子は駅に着くと、あの晴海と出会ったバーへ足を運ぼうと、自宅とは別の方向に向かい歩いていた。
駅前の、飲食店が立ち並ぶ裏道を通ると、油やアルコールの混ざった空気が漂い、店の前では、呑み終えた客が出てきて、がやがやと賑わっていた。
ブラウス1枚でも肌寒さは感じず、夜風が頬を撫で、ひんやりとした空気が、ほろ酔いの愁子には気持ちよく感じていた。
晴海くんは、いるのかしら…?
また、会えたら、どんな顔をすればいいのかな…。
不意に愁子は晴海を思い出し、足を止めた。
お読み頂き、有難うございました。
新たな登場人物、二階堂が出てきました。これからも、二階堂は出てくる予定です。
次回は、晴海と出会ったバーを、愁子が訪れます。
晴海との再会はあるのでしょうか。
次回の更新は、年明けを予定しております。
今年は、ショートショートや、中編?物までいろいろ書いた1年でした。
つたない文章、作品ではありますが、作品を読んで下さったり、評価くださったり、皆さま有難うございました。
来年も、泡沫は更新してまいりますので、どうぞよろしくお願い致します。
少し早いですが、良いお年をです。