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泡沫 UTAKATA  作者: 未月かなた
13/22

隠しきれない戸惑い

「忘れ物ない? 履歴書、ちゃんと持ったの?」

玄関先で母は愁子に、尋ねた。

「持ったよ。行ってきます」

「頑張ってね」

母は笑顔で手を振り、愁子を励まし見送った。

リクルートスーツを着るべきだったか迷った挙句、ブラウスにフレアスカートといった、どちらかと言えば普段の服装ではあったが、愁子は心持ち、緊張していた。

地下鉄を乗り継ぐと、小田急線のS駅で降りた。駅中には飲食店が数多く並び、駅前は整備されて、綺麗な街だった。駅構内は、そこそこ人の出入りがあり混み合っていた。行き交う人の合間を縫いつつ、愁子は歩いた。

駅を出てしばらく歩くと、店やビルが立ち並びつつ、住宅街も入り混ざる光景だった。愁子は、辺りを見渡し、面接先のビルを探した。

「この道の先かしら?」

通りから1本入った道を歩くと、ビルを見つけた。少し新しめの雑居ビルの名前を、印刷した求人票と照らし合わせ、確認する。

「ここの、3階ね」

愁子は求人票をカバンにしまい、ビルに入ると、エレベーターを見つけ乗り込んだ。こじんまりとしたスペースに、埃くさい臭いが充満していた。

3階のフロアーには、2つテナントが入るスペースがあったが、1つは空きになっていた。扉に小さく“AGLAIA”と、ラベルライターが貼られていた。

愁子は、ドア横にあったインターフォンを鳴らし、応答を待った。直ぐに、

「はい」

と、男性の声が聞こえ、愁子はドアフォン越しに受け答えた。

「三枝と申します。本日、11時に面接のお約束で参りました」

すると、ガチャリとドアが開き、中からノーネクタイのスーツ姿でスラリとした細身の、20代くらいの若い男性が現れた。

「どうぞ」

愁子を、頭の先から足の先まで視線をなぞるように見ると、無表情のままそう言った。

「失礼いたします」

求人には、女性向け美容コスメ商品の販売の事務と書いてあったが、事務所の中は、デスクが3つとソファー。他に扉があり部屋だろうか何なのかは分からないが、目の前の光景はとても殺風景だった。

「そのソファーにかけて下さい」

「はい」

男が指したソファーに腰掛け、愁子はカバンの中から履歴書を取り出しテーブルの上に置いて、両手を膝の上に乗せ、面接官を待った。

「どうぞ」

応対した男が、愁子にお茶を出した。それは、紙コップに注がれ、薄っすらと湯気が立っていた。

「ありがとうございます」

愁子が礼を言うと同時に、男がそのまま席に腰掛け、愁子と向かい合った。

え?

愁子は目を丸くし、瞬きをパチパチとさせて男を見た。

「事務希望だよね? 最近、事務の子が突然辞めちゃって、困ってたんだよね。履歴書、見せて下さい」

男は愁子に向けて、右手を差し出した。軽々しさのある態度に、愁子は戸惑いを隠しきれなかった。

「あっ…はい」

言われるがまま、愁子は男に履歴書を差し出したが、半信半疑でチラリと男を見た。色白の肌に、細く長い指が綺麗だなと、愁子は目を止めていた。

「へー。不動産で仕事してたんですね? 最近の土地事情って、どうなのかな? ここ、駅近で立地はいいんだけど。それなりに高いからさ」

男は、顎先に手を添え、愁子の履歴書にしっかり目を通したまま、雑談混じりの話をし始め、愁子はさらに戸惑い、口ごもってしまっていた。

「あー。失礼。面接だね。いつからこれますか?」

男は、視線を上げて愁子を見た。

「えっと…。採用って事で良いのでしょうか?」

「はい。ぜひ、お願いします。ウチは小さな会社ですが、主にネットで、女性向けの美容品を販売していて、そこそこ売れてるんですよ」

「あの…大変失礼ですが。あなたは…」

愁子は、おずおずと男に尋ねた。黒く短めの髪、面長に黒縁のメガネを掛けた、25、6歳くらいなのだろうかと、改めて愁子は思った。

「俺は、この会社の副社長。相良さがらです。社長は、俺の姉。姉は、海外でコスメのバイヤーしているから、国内の方は、俺がほとんど任されているんです」

「そうでしたか。失礼いたしました。ここには、相良さんと、他には…?」

見た限りでは、デスクは3つ並んでいたが、書類の山が1台のデスクを占領し、機能しているとは思えなかった。

「俺だけですが」

「えっ?」

驚きを隠しきれず、愁子はすっとんきょうな声を上げた。愁子の様子が相良のツボにハマったようで、相良はケラケラと笑い出した。

「ははは…あー。失礼しました。あー…でも、やっぱ、おかしかった。三枝さん、メチャ露骨に驚いてるから」

「すみません…」

申し訳無さげに、愁子は頭を下げたが、相良はまだ後を引いているようで、肩を震わせて笑いを堪えていた。

「あはは。大丈夫ですよ。ちゃんと、給料は出ますから。あー。おかしぃ。ここは、請求業務だけだからね。あとは、マーケティング部。そっちは、海外にいる姉や現地のスタッフがしているんです」

笑いが引いたが、相良は笑顔を絶やさず話していた。

相良の補足の説明を聞くと、商品は社長のいる韓国から発送され、倉庫もそこに構えていると教えてくれた。


「このまま、雇用契約とかしても大丈夫ですか?」

相良は、デスクからノートパソコンを取り、再び愁子の前に座った。

「あ。はい…。よろしくお願いします」

一瞬、躊躇する思いが過ぎったが、愁子は、相良自身は、悪い人ではなさそうだと、第一印象で勝手に思っていた。

「えっと、いつから来れます?」

カタカタとキーボードを叩きながら、相良は愁子に尋ねた。

「いつでも大丈夫です」

「ほんと!? じゃぁ、明日からとかでもいい? 請求処理が溜まってて。もう時期締めだから焦ってたんだー」

相良は、安心したようにそう言ったが、愁子はその背景にある仕事が、どのくらいの山なのかを想像し、胸をどぎまぎさせていた。それに、デスクの上の書類の山や、殺風景ながらも、どこか雑然としている事務所の環境を、どうにか整理出来たらなと愁子はやるべき事をあれこれと、ざっと見渡して考えてしまっていた。

「じゃぁ、これが契約書。印鑑はさすがに持ってないよね?」

「あります。これから私用でいろいろ使うので」

「すっご! じゃぁ、書類一読して、質問あれば聞いて。それでよければ、サインと印鑑押して下さい」

愁子はボールペンを走らせ、住所や氏名を書き込んだ。そうして、ふと気付いた事に、愁子は相良が書類を確認し終えた後で、口を開いた。

「あの…。この辺りで住むとすれば、どの辺りが、いいでしょう?」

「え? 横浜から通うんじゃなくて?」

相良は契約書に記載された、愁子の住所に視線を落とし首を小さく傾げた。

「今は、実家なんですが。これから、1人暮らしするので…」

「そうなんだ。うーん…ここも住みやすいけど、急行止まるし少し高いかな? 間前後の駅なら急行止まらないけど、安いんじゃないかな?」

相良の答えに、愁子は2つ離れた駅に、晴海が住んでいる事を思い出し、小さく胸を高鳴らせた。

「ありがとうございます」

「引っ越す時は、また言ってね。いろいろ変更手続きするから」

「はい」

「じゃぁ、中を案内するから」

相良は席を立ち、愁子は後に続いた。窓を背にしたデスクが、相良の席で、大きなディスクトップが2台並び、革張りの椅子が席にあった。そうして、少し空いたところに1台デスク上にはノートパソコンと、文房具がプラスチックの鉛筆立てに雑然と差し込まれていた。

「ここが、三枝さんの席。自由に使っていいよ。物品とかはストックしてなから、無くなりそうになったら適当に経費で買っておいて。その奥の扉がトイレで、その隣が給湯室」

「あの…。お掃除とかは、どうすれば」

「さすが、三枝さん。そういう所まで気がつくなんて。掃除機は、あれが勝手にしてくれるよ。ゴミだけ回収して」

相良が奥の方を指差すと、自動掃除ロボットの姿が見えた。

「トイレとかは、中に道具があるから、勤務時間のどこかで掃除して。ゴミは事業ゴミだから毎週2回、下のゴミ捨て場に置くと取りに来てくれる。大してでないけどね」

「出社した時は、鍵とかは…」

「そうだね。教えよう」

事務所のドアを出ると、入り口にキーロックボタンが付いていた。更に、セキュリティーロックが、事務所内にある事、固定電話はなく、携帯一台が会社用となっている事、ざっと事務所の事を教えてもらいながら、愁子はメモを取っていた。

「三枝さんは、とてもしっかりしてそうだね。じゃぁ、明日、9時に出社してください」

「分かりました。ありがとうございます」

事務所のドアの前で深く頭を下げた。相良は目を細め、笑みを見せて愁子を見送った。


愁子は、雑居ビルを出て歩き出した。そうして、少し傾斜のある坂道だった事に、来た時気づかなかったが、足取りは軽く、登り坂も楽に歩いていた。

すると、カバンの中でスマートフォンの振動を感じ、愁子はそれを取り出した。画面に表示されていたのは、見知らぬ番号だった。恐る恐る愁子は、通話ボタンを押した。

「はい…」

「あ、相良です」

相良が名乗ると、愁子は立ち止まって話に耳を傾けた。

「相良さん。先程は、ありがとうございました。…なにか?」

愁子が尋ねると、相良の快活な声がスピーカー越しに響いた。

「ちょっと、戻って来てもらえるかな? さっき、引越しの話してたよね? その件で」

「はい…」

愁子は話を聞きながら、小さく首を傾げたが、相良に言われたまま、再び事務所へ戻って行った。

事務所の扉をノックすると、相良がにこやかに出迎えた。

「三枝さん、部屋探す予定なんだよね?」

「はい」

愁子をデスクの席に案内し、座らせるとその横に立って相良は話し始めた。

「姉が…あ、社長が昔使っていた部屋があるんだけど。さっき、社長に話したら、そこ使っていいって。ここから近いし、どうする?」

相良の提案に、愁子は戸惑いを隠しきれないでいた。仕事を即採用され、部屋まで提案してくるなんて、何か裏でもあるのではないかと、半信半疑な気持ちが胸の中に漂っていた。

浮かない表情をしている愁子を見て、相良がパチンと手を叩き、

「そうだ、今から見に行こう。どんな部屋か見ればいいと思う」

そう言うなり、愁子を外へ連れ出した。

再び、来た道を戻り、足早に歩く相良の後を愁子はついて歩いた。


いい人そうなんだけど…本当に大丈夫なのかしら。


不安の霧が、歩きながらどんどん濃くなっていくばかりだった。


お読み頂き、有難うございました。

新たな登場人物。相良は、今後も出てきます。


12月にも入り、寒さが増してきました。食卓には、鍋や湯豆腐などの暖かい物が良く出てくるようになりました。


お話はまだまだ続きます。次回もどうぞよろしくお願いいたします。

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