二話
「これ、だな」
ヴェインを追い払った直後。
俺はベッドから立ち上がり、記憶を辿って親父さまの執務室へと足を運んでいた。
手に取ったのは引き出しに仕舞われていた予定表。
ペラリ、ペラリとページをめくっていくと今日の日付の場所に、外出先での予定などがビッシリと書き込まれていた。
「……レミューゼ伯爵家」
代々、当代随一の騎士を輩出する一門として有名で、それ故に『武』のレミューゼとして知られる事となったレミューゼ伯爵家。
俺が知っている情報はその程度であり、親父さまの行動を取り敢えず把握出来る限り把握しておかなければと思ったはいいものの、早速手詰まりか。
そう思った時だった。
最後のページと思われていた外出の予定を書いていたページの裏。気になるワードが書き込まれていた事にようやく気付く。
「こん、やく?」
強調するように力強く書かれた『婚約』という2文字。
この身は貴族。未だ齢10の少年であるが、婚約程度ならば現時点でも相成っていても然程おかしくは無い。
が。
パチクリと目を点にし、素っ頓狂な声を上げた事にはちゃんとしたワケがあった。
「いやいやいやいやいや!!」
いつだったか。
親父さまに連れて行かれていたパーティーのことを思い出す。
確か、レミューゼ伯爵家の息女2人も参加していたパーティーであった。
もう3年程前の話だろうか。
その時も遠回しに爵位が上である家に、婚約の話をそれとなく持ちかけていたが、悉く玉砕してしまった日の事だ。
その時の俺はというと、終始無言を決め込んで親父さまの後ろにちょこんと隠れていた記憶がある。
流石に当時の心境まで分かるはずもないが、前に出てハキハキと自己紹介をする貴族の子女溢れる社交の場——パーティーにて、親父さまの後ろにひたすら隠れるように無言を貫いていた『ナガレ』は、はてさて彼女らにどう映ったか。
俺の記憶が間違っていなければ、確か睨まれてた。
この軟弱者と言わんばかりにめっちゃ睨めつけられてた思い出がある。
『武』に厳しい家なのだろう。
今思えば嫌悪感がこれでもか、という具合に滲み出ていた気がする。
つまり、だ。
「親父さま、それは無謀過ぎるから……」
相手側が覚えていない可能性もなくはない。
が、領民からの印象は悪く、典型的な長い物には巻かれろごますり貴族である親父さまと縁を結ぼうと考える高位の爵位を持った貴族が果たしているだろうか。
可能性があるとして、『ナガレ』である俺に途轍もない好意を持っていて。というパターン。
しかしながら、そんな相手に心当たりは一切ない。
「だぁーッ」
乱暴に頭を掻き毟る。
力強く書かれた『婚約』という2文字。
意気込んでいたであろう親父さまには悪いが、婚約が成立する可能性は1%も存在していないと思う。
そして婚約の話は通らず、不機嫌になって帰宅し、周りに当たる親父さま。そこまで幻視できてしまった。
猶予は約10日。
領民の暮らし云々の交渉を親父さまとしたいならば、まず帰ってきた時には最悪となっているであろう機嫌を治す方法を考えなくてはならない。
「親父さまの性格を考えると、絶対に逆恨みしてるぞ……」
あのレミューゼめがっ!!!
こちらが下に出ていれば調子に乗りおって…!!
そんな事でも言い出すんじゃ無かろうか。
要するに、親父さまの機嫌を治すには、レミューゼ伯爵家をギャフンと言わせる方法しかあり得ない。
それが可能であるならば、条件にそれらしい理由をつけて領民の暮らしを豊かにする。突破口としてはそんなところだろうか。
箸より重いものを持った事がありませんと言わんばかりに綺麗な、己の手に視線を落とす。
『武』で知られるレミューゼ伯爵家の鼻を明かすには……。
そう考えた時、真っ先に過ぎる1つの方法。
「……仮にやるとしても、1人じゃ絶対に無理だ」
『武』で知られるレミューゼ伯爵家の子女を俺自身が打ち負かす。仮に、そんな事が実現出来たならば、親父さまの機嫌は最高潮に至る事だろう。ニタニタと笑いながら性格の悪い事を言うに違いない。
そして、頼みの1つや2つくらいならば笑って聞き入れてくれる事だろう。
しかし、難易度は相当に高い。
相手は強くあれと言われ、ひたすらに育てられてきたであろうサラブレッド。そんな人たちを10歳に至るまでなんの修練も積んでいない者が超えられるだろうか。
答えは誰もが分かる。否だと。
普通じゃ不可能。
であればいざ実践するとしても、『普通』ではない師が必要だ。
「悩むにせよ。取り敢えず、今回の一件を終わらせてから、だな」
予定表を探し出すのにそれなりの時間を要したせいか。
ヴェインに言っておいた約束の時間に迫りつつある。
「こっちもこっちで、上手くやらないと」
親父さまのデスクの引き出しに予定表をあった通りに戻し、俺は執務室を後にした。
可能な限り、何もかも早く行動に移す。
でなければ取り返しのつかない事になる、なんて事は俺でも理解が出来ていた。