滅びゆく日本人
前作天国のきっぷの続編ですが、神か万物の何者かが操っているようなタクシー運転手清川の日常の出来事の数奇な出逢いの運命的な接点なり、理解できない奇妙な経験や想定していない突発的なマイナスの出来事のトラブリなど「私も俺も、UFOに遭遇したよ、九死に一生を得たよ、突然死など神のみぞ知るなど誰しもが経験している奇遇はそれは普通の日常の出来事なようです。タクシー運転手清川の日常から小さな一粒の物質や生命から地球や広大無限な宇宙まで寸分の狂いもなく以心伝心的な運命を共有し動いていると思えざる物語になっております。
「運転手さん、心配かけてすみません、話はつきましたからまた駅に戻ってください、」とその女性客の顔に安堵の色がでていた。彼もほっと安堵した。がこの人も今後も同じように繰り返すんだと彼にはそう思えた。考えてみればあのクソ島真悟もストーカーだったのだろう、彼の知らない気づかないところで彼の行動を逐一聞きまくっていると同僚の運転手から聞いたことがある。今さら思えば会社自体が巨大なストーカーになっているのではないかと疑心暗鬼と妄想に悩まされる。目を付けた運転手を車内カメラで粗探しし些細な事を見つけて責める。そのおかげで彼とは親しく話す優秀な運転手たちはクソ島真悟を筆頭に職制による陰険ないじめ一種のストーカー行為で全員が悔し涙で彼の働くタクシー会社を辞めた。ある辞めた元運転手はクソ島真悟の不正行為が公に発覚したことを聞いて、今までの悔しさの溜飲が少しは下がったがその後のクソ島真悟への温情な処遇に、「なんで懲戒解雇やないねん、会社は腐りきっているよそれに親会社の電鉄の役員が盗撮で検挙されているし無茶無茶や、」と彼に話していた。こんな盗人の運転手を抱えているタクシーに頼むとおちおちと家を留守に出来ないとも清川に話していた。なるほどそれは事実である。がクソ島真悟は恥もなく辞めさされた会社の関連したタクシー会社の運転手をしている。そのタクシー会社にはクソ島真悟と同じ仲間で元同僚の係長がおりその伝手で運転手に即採用である。盗人は知恵がまわり抜け目がないや、高齢社会で寂しい老人たちは運転手に家庭の事情から何でも話すしまた運転手もその老人たちから何でも聞き出す、怖ばら怖ばら運転手が親切よがしに根掘り葉掘り聞いても黙っていることだ。人は見かけによらないものです。こう言える彼は何度も人にだまされているがいまだに分かっちゃいない今も容易にだまされる。清川はバカがつくほど誠実な性格である。彼には常に心に刻んでいる信念がある。誠を行うは天の道なり誠を思うが人の道なり誠を持って誠に応えるのが人の糧なり恥を知りて人に敬意を示すが人の生なり、これが古代世界に類を見ない美と和の漆文化を創造した縄文時代からの日本人に受け継がれてきた精神である。つい最近までの古き時代には民衆が互いの生活の中でこの精神を育でいた。おばあちゃんを敬い年配のおばちゃんが悪さする他人の子供をしかったり冠婚葬祭には近隣で世話をしたりで面倒ではあるが民衆はこぞってこれらを応援し文句を言う者には誰かがたしなめていた。最近では運動会もやかましいと静かな運動会だし、祭りも踊りも姿を消しつつある。警官は頼りにならず誰もが孤独な人生の時代である。百人が何も言えず一人のわからずやの言いがかりが通る時代になっている。何かがおかしい首をひねってしまう。「あ~、今日も首が痛い、」と歳のせいか体にがたがきていると彼は思うこの頃である。これは皮肉である。体が痛いのは政府であろう。
強く想いを念じれば実現する
人とは何なのだろうかほとんどの人は見た目でだまされる。愛を求める者は愛を失い正義を思う者は悪事に翻弄される。これは持って生まれた宿命なのだろうか、そんな事を思えば思うほど彼は昔の青春時代の思いを懐かしむ。本当のバカだったあの頃に本当の愛を教えてくれたあの人に会いたいと愛を失って求める愛なのだ。最近年取ったせいか人を見る目が熟練したせいかさびしさのせいかもう一度あの人に会ってみたいとあの頃のあの場所に行ってみたいと強く思うように清川はなっていた。その場所に行くのは距離的にたやすいが真実を知る現実は怖いし、決して今更会ってはいけないと彼にとっては不義理をして彼女から去ってきた人間だからだ。その彼女は彼より十歳年上の子供を二人抱えた主婦だった。その彼女から仕事場の狭い食材倉庫で材料を取りに彼が入った際に後から入って来て急に彼に抱きつきキスをして誘われるまま男女の関係になった。その後も他の独身女性との男女関係もあったが彼女ほど凄い甘い蜜を与えてくれる女性はいなかった。ふくよかな体をした美人で暇があれば肉体関係を彼に求め続けた。すごいとしか言いようのない気持ちの良い甘い蜜を彼に与え続けた彼女と結婚を考え家まで買う契約をし手付金数百万円業者に渡したがその業者は相手が不倫の関係だと察知したようで騙せると考えたのか結局は彼は詐欺まがいで数百万円は戻らずでそこに周囲の身内の反対もあり、不倫という後ろめたさもあり彼女から逃げるように去った。その後彼は変な女性にひっかかりかけたが運よくすり抜けこれもまた運命のいたずらかお互いそれなりの彼とは十二歳年下の女性と結婚した。世間知らずの誠実な女性であるが、過酷な運命が離婚を描き今は良き隣人である。が今更失った愛を償っても愛は答えてはくれないものだ。逆にしっぺ返しをくらい寂しい日々を食らう。あれから長い年月今は彼は洞窟暮らしのような日々を暮らしている。それでも世間よりは恵まれた家族づきあいをしている。生活が出来ている間は彼は幸せであろう。それでもせめてもう一度くらいその彼女の家のそばを通ってみたいものだと彼は強く念じるように最近想っていた。そんなある日の晩に十五台以上の予約に彼は配車を受け彼の順番がきて乗りこんできた客の行き場所がなんと彼の念じていた彼女の家のそばだった。その場所は長距離でなら樫原神宮近くである。彼はそこにお客を送り客が降りるとしばらく車を止めて辺りを懐かしんだが時間の経過は辺りの風景を変えていて当時の面影は消えかかっていたが車を止めた場所は彼女とよくデートした場所だった。帰り道当時の懐かしい道をたどって彼女の家のそばであろうと思われる夜の外灯のうす暗がりの道路を通り過ぎる辺りで人影が手を挙げた。地区外でここでは客を拾えない彼の営業車は回送にしていた。それでも手を挙げていたその人影の姿は彼女に似ていたように彼には思えて一筋の涙がこぼれた。ほとんどの人は悔恨の日々を送っているのだろうか、天に唾を吐けば己に返ってくるあの頃はもう戻っては来ないのだ。
「さようなら、あなたは言っていたよね、もし私が死んだらふるさとを見渡せる丘の墓地に埋めてほしいと上玉利の丘、信子さん愛していたよ、さようなら、世間を知らなかった若気の不義理をした私を許してください、さようなら、」と若かった思い出と彼女の幸せな人生をたどっていてくれていればと願いながら彼は彼女に涙ながらに別れを告げ帰路についた。このように何事も強く想いを念じれば運命は訪れるようだ。そのチャンスをつかむかどうかは己の行動しだいだろう。そこで迷えばそれは間違いのようだ。信じて無心にそのチャンスをつかめば悔いの少ない良い想い出が得られるようだ。要するに運が開けるのだ。運命も生きているのだ。良き運命も希望に満ちた明りに引き寄せられる。己に恥じることなく無心に本能の直感を信じて生きよ、良き運命は類を呼ぶの自然の法則である。ああ~面白いかな人生よと言ってみたいよね、がそこにも闇に暗躍する捕食の目が狙っている。失うものが余りにも多すぎる彼の人生だ。そして清川は坂急タクシーに入社してしばらくして本能的に家族に危険が及ばないように闇の輩から守ために家族事情を秘密にした。今から思えばそれが正解だったが考えればえらい損害である。が家族は守れた。
何かがおかしい世の動き
阪神大震災や東南海地震災害を含めて高齢社会もかさなり大工職人が不足するほど建築ラッシュである。彼が入社当時のバブルの勢いをはるかに上回る建築とマンション修繕の到来であるがそれなのに世間の飲み屋街の明かりがさびしすぎる活気がないのだ。彼に乗る建築業者は建て続けて供給は多いが需要が少ないでも値引きもできないと愚痴をこぼす。老人は子供のいなくなった家を税金対策で売り高級マンションや高級老人ホームに入居し空いた土地にはすぐに家が建つ、大震災の場所にも建物も建つ、古いマンションは時期がかさなり修繕ラッシュである。彼が町中を走っていてもその勢いはいつも驚かされる。マンションや高速道路の彼の頭の地図が追いつかない。なぜ町中に活気が戻らないのか、バブルの時期に彼が購入した高額マンションは今の価格なら半値以下である。これは国民をだます巨大な誰かが仕組んだ詐欺ではないかと矛盾を思わせるほどの理解し難い静かな建築ブームである。しかも隣国や周辺の国の動きが今にも戦争を起こしそうな雰囲気である。同じ建築するにしても地下シェルターのないのは日本だけだろう。企業の勢いとは裏腹の活気のない世間は何を意味するのだろうか、今日も彼の車に建築業者が乗ってきた。
「運転手さん、西某マンションにお願いします。」と客の一人が彼の住んでいるマンションの名を言った。そして車内で興味深い話をしだした。
「今行くマンションやが修繕工事をやってるんや、最初の修繕業者の選定の時に各応募業者がマンションの隣にあるガソリンスタンドの喫茶に集まって談合をそこでしたんや、そんなとこですんなって、結局は選定のやり直しや、業界では話題やで、」と一人が言うと、
「そうでしたか、談合は悪いことなんですが、一概に悪いとは言えないとこもあるんですよね、何が何でも安いからと良いとは言えませんよ、しっかりした業者は仲間内の事なら分かっていますからそこを心得て割り振りしますからね、素人が業者を選んで安く見えても結局は不良品買いの高くつきますからね、複雑な思いがしますね、やり直しで決まった業者もいい結果を出せないでしょう、今いい職人がいませんからね、それにマンションや一戸建は建てたは売れないしそうかと言って安くもできないし困っているよ、」と彼らは車内でそんな会話をして彼の住む西某マンションに降りて行った。なるほどその客の言ったように彼のマンションの修繕の際に家のクーラーの室外機を階段代わりにして踏み壊されマンションの防水シートの塗装は波を打つほど荒く明らかに素人の作業で問題が多く発生した。安物の銭失い良い物とまでは言わないがそこそこの物はそれなりの値段はするが生活が苦しい高齢化社会なのだ。昨今在日系百円ショップでさえ値段の高い品を置きだした。そこにも何か意味があるのだろう。そして次に乗ってきた二人連れの客はネットを見ながら会話をしているようで警察や自衛隊の動きを話した。それによると阪神大震災の時に暴力団の持つ建物の焼け跡からバツーカ砲や機関銃などの武器弾薬が見つかり警察も拳銃では対応できないとスワットに機関銃の装備をさせていて戦争時に敵兵になる兵役義務のある在日朝鮮人に対して自衛隊などは在日朝鮮の内乱に備えて戦車などの装備を内乱にそく対応できるように変更と国内向けに配置したとの内容である。そしてマイナンバー制度もそれに即しての処置のようだ。慌てて国外に逃げた連中はしぶとくまだ日本から金を絞りとっているらしい内容である。その乗客たちが何者なのか分からないが新地のネオン街へと消えて行った。彼は知らなかった。ここまでひどい国内状態だとは客の話を聞くまで信じられなかった。そう言えば最近社内で暴力団の車内対応についての講習会があったばかりであるが、その話の中で元警察幹部の担当者が最近の暴力団は以前の暴力団とは違って模様替わりし今までの組構成員と違い訳のわからないいちゃもんもをつけるようになった。対応は複雑になったので運転手さんは対処に困るだろうから注意してくださいとハッキリと説明せず口を濁らせながら言っていたのを彼は思い出した。口を濁らしてぼやかすところに意味があるようだ。最近は気候が異常だが日本の国も怪しい異常な雰囲気を漂わしていた。
明日を生きる
高齢化時代の高波にのみ込まれているせいか最近よく道でひっくり返って倒れる老人たちに出くわすことが多くなった。ある時などは信号待ちをしている彼のタクシーの前で同じく信号待ちで立っていたおばあちゃんが頭が下に向いたとたんに宙に浮いて一回転して転んだ。その一部始終を見ていた彼にも何が起こったのか分からないほど信じられない場面だった。姿の見えないものに持ち上げられ投げ落とされた空気投げのようだった。そのおばあちゃん体より頭が重かったせいなのだろう、彼は車から飛び降りて駆け寄りそのおばあちゃんを見ると頭から血を流している。彼はすぐに救急車を呼ぼうとするとそのおばちゃんは恥ずかしいから呼ばないでくれと彼に言って信号の角の家まで連れていってほしいと頼む、彼はそのおばあちゃんに「頭から血を流しているのに何を言ってるのや救急車を呼ばな、」と言いながら目の前の家の家族の方を呼び出し事情を説明した。またある時などは彼一人が駅で客待ちをしていると目の前で老人が一センチもないほどの豆粒の小石につまずき転んで歩道を隔てる金属の手すりに頭を強打して転び意識なく歩道に倒れ込んだ。通行人が集まり誰かがその老人を無造作に抱き起そうとした。彼はとっさに車から飛び降りてその場に駆け寄り叫んだ。
「頭を打っているから動かさないで私は救命の心得があるから任せて、」と言いながらその老人の脈拍や呼吸や意識があるか呼びかけながら救急車に連絡し電話にでた救急隊員と連携して適切な処置をし救急車を待ち数時間後彼はその老人を乗せた救急車を見送った。救急車は意外と対応に手間取るようだ。彼は何度も路上に倒れて口から泡を出している老人の応急処置の人命救助をしているが人知れずである。彼だけなのかそのような場面にひんぱんに出くわすのは見過ごして通り過ぎることはできないその間は彼は仕事ができないが人の命がかかっているのだ。余計な出過ぎた真似だろうか、はるか昔の嫌な出来事を思い出す。彼が担当する駅は以前は田舎のローカル線の駅のように改札口を経ずに構内から踏切を渡り自由に人は駅の出入りをしていた時期があった。ある時彼がその駅で客待ちをして止まっていると子ずれのお母さんたちがその踏切のそばで立ち話に花を咲かせている。改札口を通らずに行き来する電客が踏切を往来する。その度に小さな子供は踏切辺りをウロチョロする。母親たちは話に夢中である。彼はわざわざ営業車から降りてその母親たちのところに行き子供が踏切辺りで遊んでいるが気をつけたほうがいいんじゃないかと立話に花を咲かせている母親たちに注意すると、
「なにを言ってるの、余計なお世話よ、あんたにそんなこと言われる筋合いはないわ、どこで話そうと勝手でしょ、ちゃんと見ているわ、ほっといて、」と一人の母親は彼に食って掛かるしまつでそれ以上彼は言えず子供が気にながらも車に戻り運転席に乗り掛かったその時駅の方から電車の急ブレーキがかかる甲高い音が聞こえてきた。子供がはねられその母親は半狂乱である。もっと彼が強く注意をしていればといまだに悔やまれる出来事を思い出す。老人を乗せた救急車を見送った後その後の老人のことが気になり猪名川大橋を走っていた際についうっかりスピードのことがお留守になっていた。猪名川大橋は大阪と兵庫県の境界線上で制限速度に十キロの差がある。覆面パトカーに十一キロスピードオーバーで車を止められ検挙された。彼は今しがた人命救助をしてそのことが気になりスピードが出てしまったことや県境の制限速度の差からすればそれほどスピードを出していない従来なら警告で済むだろうと警官の慈悲を願ったが警官は申し訳なさそうに彼に言った。
「以前ならこれくらいは事情も考慮して口頭注意で済ませていたが最近方針が変わってタクシーを中心に捕まえるようになったんや、大阪ではタクシーが増えて無謀な運転が増えたし夜など二重三重に車を止めて通行しにくくなっているのでタクシーを中心に捕まえることになっているので、あんたも腕章をしているとこを見ると運転手を指導する立場なんだからプロの運転手として分かるやろ、」と言いながら違反切符を切った。数百メートル大阪の道路ならスピード違反にはならなかったのに詐欺に遭ったようなものだとんだとばっちりを受けてしまった。今や日本人を牛馬のように酷使する遠割タクシーを始めた在日朝鮮系のタクシー会社のおかげで景気の低迷も重なりタクシー運転手は稼ぐのに必死で苦労をしている。その上に最近悪い意味で話題になっている免許のいらないライドシェアー民間タクシー制度をどうやらこの在日朝鮮系のタクシー会社は運転手に制服を着せ許可のない白ナンバーで客の送迎をしているようだ。そこに至るまでにどんなからくりが隠されているのだろうか。海外へ逃げても遠くから操るその賢さ貪欲さだが分かっちゃいるが国民に金は乏しいのだ。操られた平和の中で安物の買いの国失いだろう。がそれでも平和は良い、最近でさえ日本の在日朝鮮とはその立場が加害者と被害者と言った天と地の違いはあるが、ヨーロッパでは難民を受け入れたことで国を崩壊に導く、国の命運を難民が左右している。人道的情けが仇となり居直り悪事としっぺ返しを食らう。国民にとってはとんだ迷惑である。飲み屋がいまだ暇である。それでもタクシーにとって忙しい時期は来る。彼のタクシー会社は遠割タクシーでないので長距離はほとんどない、朝から夕方まではおおかたが老人の病院送りで夜から深夜は飲み客の送りその合間が駅から乗り込みのお客様で社用関係は皆無である。ある八十過ぎのおばちゃんを病院に送るさい車内で「早く死にたい、連れ合いを亡くし子供にも愛想をつかされてましてな、早くお迎えが来ないものか、早く死にたい、」と車内でぶつくさと念仏のように唱え続ける。あるおばちゃんは車に乗り込むなり、「運転手さん、この辺にぽっくり寺があると聞いたんやが分からへんか、どこにあるんやろ、拝むと逆に長生きするというもんね、」と彼に探してくれと頼む客もいる。中にはお迎え先の玄関でおばちゃんを相手に家族総出でもめている。彼がどうしたのかと聞くと九十一歳のその老婆が自分で自家用車を運転すると駄々をこねているのだった。家族が危ないのでタクシーを呼んだのだった。そのおばちゃんはしぶしぶ彼のタクシーに乗り込むなり一枚の写真を彼に見せた。その写真には進駐軍のジープの運転席座り首には粋なネッカチーフを絡ませた小粋な女性が映っていた。
「運転手さん、当時日本の国で女性が免許を持って車を運転するのは珍しかったんよ、私が初めてだったんじゃないかな、」と懐かしく自慢げに彼にそう言った。このおばあちゃん口も達者やし身体もシャキシャキしていた。若さ長生きは気持ち次第なようだ。そうかと言えばある昼下がり頃に若干若い男が彼の車に乗り込んできた。しばらく走っているとその客が突飛なことを彼に聞き出した。
「運ちゃん、死にたいと思ったことはないか、」とその男は冗談ぽく彼にそう言った。
「なにを言ってまんのや、死にたいと思うもなにも明日を食べる米もなかった時がいくらでもあったがなそんな時は恐怖やったが困った顔を一切出さず必死で乗り切ってきたんやまっとうなお天道様を仰ぎ明日を信じて生きてきたんや、言うに言われぬ苦労をしましたがな、おかげで子供たちは立派に独立し、今はたまに一緒に飲みに行ってまんがな、苦労の後の幸せですよ、」と彼が答えると。
「運転手さん、その話を聞いて元気が出ました。私も明日を信じて頑張ります。ありがとう。」とその男性はそう彼に言って車から降りて行った。世の中高齢社会を反映した動きである。生死のはざまで幸せと不幸の極端に分かれる生活を送っている。人もあえいでいるが高齢社会に飼われる動物たちも癒しで幸せに生きるか悲惨に生きるか殺傷されるか動物たちにもそれなりの変化がある。秋が深まると深夜に山手から野生の鹿の群れやイノシシや狐などの動物が餌を食べに山間に開拓された住宅街に現れることが頻繁になってきた昨今であるが、季節がら木の実や餌が乏しくなるようだが森を切り開いた住宅開発と森自体が長い年月住宅建材に適した針葉樹林などに植え替えられてきた。野生動物を育んできた日本の本来の森を飾っていたぶなやならなどや広葉樹林など餌と深みのある森林が姿を消した結果であろう。つい先日深夜に川西霊園を抜けた住宅街に向かう途中にある畑と林に囲まれた県道を彼は客を乗せて走っていたが急に車のライトに鹿の群れが飛び込んできた。車に動じず鹿の群れは県道を塞いで餌をゆっくりとむさぼっている。まったく動きそうにない、車は後続から見えにくいS字カーブの真ん中に停車しているため危険である。やむなく彼は客にことわりを入れて了解をもらい後続車の誘導をした。彼の入社以前はイノシシと車がぶつかることがたまにあったようだが先輩たちは農家の者が多く死んだイノシシをトランクに入れ持ち帰り一週間ほどドラム缶に浸けて後肉の加工処理をし食べたと話していた。イノシシの肉の加工はむつかしいとも言っていた。今は鳥獣保護法で届の義務がありそのようなことはできないようだが上手に加工されたイノシシの肉は旨いものである。彼が鹿と悪戦苦闘した翌当務の深夜に神戸の芦屋川を沿って山手に向かう山手幹線道路の交差する開けた町の中心地の信号に差し掛かって止まると子牛ほど大きなイノシシの親子連れが同じく横断歩道で立ち止まっていた。通りがかりの人は深夜にもかかわらずまばらに多くそのイノシシの親子連れには目もくれず足早に信号無視して横切って行く。
「この辺の人はイノシシに慣れてまんのやな、驚きもせんで道路を横切ってますな、えっ、あれなんや、青になった途端にイノシシが信号を守って横断歩道を渡っているがな、そんなあほな、人はみな信号無視しとるのに、」と彼は目が点になり驚いて客に言うと、
「しまった。今のを携帯に撮るのを忘れていた。こんなことまずなかったのに、残念や、」と客もまた目が点になっていた。野生のイノシシの親子連れは街中で生き抜くため危険を学習しているのであろう、音楽を聴いているのかイヤホンをして携帯に夢中になりながら周囲に目も配らず信号無視さえして通り過ぎ人のは何なのだろうか、危険さえ感じず学習すら出来ない人はいったい何なのだろうか、それでも無事に日々暮らしているのはみなたまたま運が良いだけなのだろうか、イノシシは運じゃなく殺される運命がやがては訪れるのだろう。が後日この辺りに数回他の客を乗せて来ることがあったがどの客も信号を守るイノシシの親子連れの事は知っていた。まだ殺されずにいる。ペットブームの昨今ではあるがペットショップの売れ残りの動物の運命や如何に、誰も敢えて考えない黙認の末路である。殺される動物のことなど感知しないしどうでもいいことで済ましている。ちなみにカラスは野良猫の子猫を集団で襲い食したり学校や施設で飼育している鯉などを漁っている。日々無関心なところで生命を脅かすことが起こっている。ちなみに動物たちの感知する能力は人をはるかに超えている。地震などの時には普段と違う予知した行動にでる。吠えることが多くなったり姿を消したりする。また動物や特に鳥などはその持つ病原菌に対抗する免疫システムは人間以上である。最近はその特質を利用し寿命うをのばしている人間であるが、病原菌のごとく増え続ける人類善玉菌なのか悪玉菌なのかまた九十億百億を養う食料がどこにあるのか、考えてみればそんなに遠くない未来に再度人類を滅ぼし、映画の猿の惑星とバイオハザードゾンビと異種多様なハイテク人類の混同した世界が新たに生まれ新たな歴史が始まるかもしれない、そのような世界を一つの生命体である地球は免疫システムのように人類を悪玉菌と察知して人類滅亡へともたらすかもしれない。何事にも無関心な又は無関心にそう操られている悪玉菌の人類達よ、悪意に満ちた悪事の見てみないふりの代償は大きいだろう。現実実際に幽霊が存在し超能力者が存在し見えない運命の赤い糸に引き寄せられたり、はるか遠く離れていても猿の精神なり性質が時空を超えて他の猿に伝達する現象から導き出されるのはあの世もこの世も陰と陽があり理由がありすべてがつながり巡回し決まった方向に動いている。誰が伝えているのか遥か古代先史以前より高度な文明を超えた知識を過去から未来に至るまで一貫して真理として伝えて流れ伝わっているように見えてくる。そこには万物一粒の粒子の持つ理力や極小の生命の理力から無限の宇宙構成の持つ理力までその内在する力は同等で同じなのだ。そしてみな等しく同じルールで繋がっているようだ。悪人は悪人で生まれ善人は善人で生まれる。死して身体から魂が離れる瞬間に善人は善の悪人は悪のあの異世界に戻る。そして一つは無限数であり無限数は一つである矛盾するが矛盾しない同じ性質を持つあの世でまた万物は苦痛と幸の役割を果たすのだ。天国と地獄と無の世があり善でさえ地獄に行くこともある。その逆も悪が天国に行くこともある。が悪人が天国に来るなど迷惑そのものだ。がそんなこともあるから地獄天国は滑稽で面白い。
タクシーと酔っ払いと無賃無銭乗車
日頃こらえていた仕事や生活上のうっぷんを真面目な運転手に晴らす酔い客と悪酔いして車内にもどす客に乗車されたらその時点でその日の水揚げは諦めねばならないし無賃無銭乗車も運転手にとっては時間と金額と精神的な損害がありそんな客に乗られたら運転手はかなり疲れる。酔っ払いうっぷんを晴らす客にすればうぶで真面目な返答がしどろもどろな運転手の対応を見るのは面白いであろう、その面白さが癖になる言いがかりの常習者になるのだ。特に中堅管理職の人や役所や公職の中堅職にはそんな人が多い。それにはまれだがなかには運転手にいちゃもんをつけるために乗ってくる客もいるし実質的に詐欺を目論んで乗ってくる悪質な客もいる。ある晩の十一時頃に駅待ちをしていた彼のタクシーにほろ酔いかげんの年配のおっちゃんが乗って来て、行き先を「空港、」と一言彼に言った。空港は夜九時に終わっているしそのおっちゃんの服装や酒の臭いの雰囲気から行き先が空港とは彼の聞き間違いかもしれないと思い三度行き先を復唱した。
「空港ですか、空港ですね、空港でよろしいですね、」と彼はその酔客にしつこいほど行き先を確認して国道の信号を空港に向かて曲がった途端にその客は行き先が違うと言いがかりをつけだした。
「どこ行くねん、」
「空港とお聞きしたので空港に向かっているんですが、すみません私の聞き間違いでした。」と三度行き先を確認した彼だが会社の信用を背負っている手前彼はその酔客に素直に謝った。が、
「そうか最近タクシーも暇やから遠回りして稼ぎたいんやな、それならこのまま高速に乗って京都に行けや、」とその酔客は彼に絡む。
「そんなことは出来ませんよ、」と彼が答えると、
「え、それでは不服か、それじゃ高速で大阪を回ってドライブしたらええがな稼げるで、」となおも彼に絡む。
「お客さん、私の聞き間違いで悪気があって間違ったわけじゃないんで謝りますんで、行き先を間違ったので失礼だと思いますがいったんここでメーターを切ってこのまま送りますので行き先を言ってください。せっかくほろ酔いでいい気分で乗ってこられたんですからいい気分で送らせてください。」と彼はその絡む酔客にそう素直に言った。
「運ちゃん、そこまで言われたらわしも正直に言うが、初めから文句を言うつもりで乗ったんや、あの駅でたまに乗ることがあるが運転手の対応に腹が立つんでそのつもりで乗ったんやがあんたの対応に具の根もでんわ、あんたわしを乗せるの初めてやな、行き先を言うから送ってや、」とその客はあらためて送り先を彼に言って車内で会話の花が咲いた。そしてその客は降りしなに、「運ちゃん、迷惑をかけたな、ここまでの料金とこれ少ないけど取っといてや、気分よう送ってもらったわ、ありがとう、」と送り先までのメーター料金とチップを断りかけた彼にその客はそう言いながら降りて行った。彼はメーター料金は自腹のつもりでいたのだった。一件悪い人に見えても善人なのだ。がその日に彼の同僚の運転手が根からの質の悪い悪質な乗客に引っ掛かった。深夜に運転手の誰もが行ったこともない遠方の河合西駅と頻繫に行く馴染みの近い川西駅と行き先を聞き間違い川西駅に到着して客とトラブった。誰も知らない神戸の遠方の駅と誰もが知っている近くの駅の行き先間違いである。会話からすれば同じかわにし駅と聞こえるのだ。結局は間違った運転手とは話にならないと責任者の班長運転手がトラブった運転手の後を引継ぎそのトラブっている客とあくる日の昼過ぎまでタダで大阪市内の各地を転々と引きずりまわされたとの事である。取引先との契約ができなかったとの理由でその客に長時間引きずりまわされたのであるが夜も更けた深夜に酔客が大事な取引契約の話もないだろうとその件を聞いた誰もが詐欺と思う悪質な内容であるがこのような場合は運転手の良き対応でもダメであろうと「とんだ災難やな、」と話していた。どのような思惑でこのような事を行うのであろうかこの客は死後にその行いの大きな代償を払う事を知らないのだ。ほとんど誰もが鼻で笑うほど死後に支払う代償の事など知らないのである。同じトラブルでも客にとっては最終的に天国に行けるかどうかの人間性の境目であろう。人は悪い罪の意識や嫌な意識は生まれながらに持っている。方や気分よう降りていった客で悪い意識を残さず方や言いがかりは成功し「しめた。おもろい、チョロイもんだ。」と内心そう思いながら降りて行ったであろう、だがその客の罪の意識は潜在的に消えることなく残っているものだ。見方や考え方やとらえ方に関係なく悪いことは悪いのである。彼の経験から意識は死後にも残る事実のようだ。悪の意識の中で罪を償うのである。方や天国方や地獄である。じゃあ地獄で何を受けるのかは本人しだいである。悪の意識の中で悪の意識が絡み合うのだ。おのずとどんなことになるのか理名の事であろう。だから地獄なのだ。繁忙期には酔っぱらいに振り回される。運転手どうしの話でどこそこの飲み屋の前で女の人が手あげたて止まったら店の中から酔っぱらいを抱えて来て乗せる。店でくだをまき追い出すために店の女の子にタクシーを拾わせる客筋の悪い店の客にさんざん振り回されあげくに車内で食べた物をもどされたりトイレ代わりにしょんべんやウンチまでされそんな客を乗せた後は仕事にならず車の掃除をしてその日の仕事は終わりで大損害である。交番で呼ばれる客も運転手にとっては振り回される客がほとんどである。彼も同じような経験をしている。ある時など彼が一台だけ駅待ちをしていると救急車が彼のタクシーのそばに横付けして救急隊員たちが降りてきて彼に今救急車に乗せている人を送ってほしいと頼んできた。彼は初めは責任持てないと断ったが病人でなく道端に寝っ転がっていたただの酔っぱらいで名前や住所を聞き出しているので大丈夫だから送ってくれと再度救急隊員は早く追い出したい困り顔で安易に彼に頼む、彼には分かっていた。このような客にはさんざんな目にあうのが常であるが救命率世界一と頑張っている救急隊員の頼みじゃ断るのもかわいそうかと隊員から聞いた住所をナビに登録して送ったが途中で車内に食べ物をひどく戻されたうえに住所はでたらめで帰る家が分からない、さんざん振り回されて結局降りてもらいお客を降ろした場所のそばの空き地で車を止めて車内のシーツや座席を外して急場しのぎの拭き掃除をしながら先ほど降りた客の動向を見ていると又も通るタクシーに手を挙げているがその人のもどして汚れまみれの服装を見れば誰も止めるタクシーなどはない。やはり掃除している彼のほうに歩いて来て乗せてくれと頼む、「そのもどした服装じゃタクシーは止めんよ、もう外の空気を吸ったら頭はハッキリしたの、いま座席を外して座るとこないけど、もお仕事はできないからこの際ついでやから外した座席の横にでも座れるんなら送ってあげるわと彼はその迷惑な客を送って基地に帰り引き続き掃除をしてその日の稼ぎを残念して仕事を終えた。大損害である。が彼の会社の運転手はこのようなもどされて営業できなかった損害金の客への請求はしないのである。他のタクシーでは請求をしているようである。本来それが当たり前であろうが彼はいまだ請求したことがない迷惑な話である。彼は運転歴三十年近いが過去二度だけである、「子供がもどしてしまいすみません、料金とは別に少ないけど汚し賃を受け取ってください、」と客の方からくれたのはあった。迷惑をおかけ謝りの一つもない客や雨の日に幼子を泥交じりの靴を履かせたまま座席に立たせて汚しても知らんかをそれほど無頓着なのか運転手を軽視しているのかそれとも他に理由があるのか分からない。本来の日本人は気を遣う民族であり年配の人には敬意を持ち年配の女性たちの良き指導アドバイスで民衆の生活を育んできた文化があった。今はすべてが崩れ去りなにも言えない時代になっている。言うのは自分勝手の大声でごねる人たちでそのような人の言い分は世間で通るのである。本来なら年取った年配のおばちゃんがたしなめて周囲の人たちも援護してごねる人を抑えて理不尽をただすのだがたしなめるにしてもそれを援護する人たちがいないので無茶な勝手な要求が言ったもんの得がまかり通りまともな事を誰もが言えない気遣いができない時代になっている。本来の日本人の良き文化を誰が崩しているのだろう。困っている人を気にもかけず踏みつけてのし上がる人たちとは何者ぞ、今や日本人の持たない精神が国民に浸透し手の施しようもない何もかも無茶苦茶な時代になっているようだ。昔彼の両親や年配の方たちは旅館などでお世話になる仲居さんにはそっといくらかを紙に包んで渡していた。タクシーを呼ぶときは事前にタクシーが来る前に玄関で待っていたものである。今そんな気遣いをする人はほとんどいない。日本人の文化の根底には私が一切の責任を受けるので部下や民や国民を助けてくれであり、多くの他の文化圏では私を助けるために部下や民は死ねである。現在現在日本の良き文化の考え方が破壊されているようだ。己を犠牲にしても気を遣う精神を壊されているようだ。 そう言えば彼が草笛を聞いたのは四十年前に梅田駅に通じる地下通路で老人が草笛を吹いているのが聞き納めである。曲は主に童謡であったが地下に響き渡るその音色のきれいな響今なお彼の心に響き渡っている。その音色はもう四十年以上聞いたことがない。日本の心のふるさとに響く草笛を聞けないのならせめて自分なりに草笛を彼は昔を懐かしむように自我流で仕事の休憩中に吹いている。音の鳴るものは正直に心を反映する。気分が乗っているときは自分でも聞きほれるほどすばらしい音色を出すが心に何かあれば決して思うように吹けない。それでもいつしか彼はあらゆるジャンルの音楽を草笛で吹いていた。日本の心を失いかけている町中にせめて響き渡れよ落日の草笛よ。ある時彼に彼の青春時代にフォークソングで活躍していた歌手の客が乗車し音楽話に花が咲き草笛を直に聞いたことがないと言うので彼は草笛が吹けると話すとその客は信じなかったがNHKの玄関に到着すると草笛を聞いてみたいとその客は言うので彼はNHKの玄関付近に生えているツツジの葉っぱを取り客の好きな歌を言ってもらい吹いて聞いてもらった。その時は玄関で出迎えているスタッフも彼の周囲に集まっていて演奏が終わるやみな拍手して上手だと口々に言っていた。都会に響き渡る自然の音色よ落日の人生を乗せてせめてひと時でも甦れ幼き日の夢よ。昨今日本の高度成長を支えて来た高齢化時代の老人たちで巷は溢れている。その影響かよく痴呆症の老人たちを乗せることが多い。ある時は駅から乗り込みで老婆がチケット精算でと近くのマンションまで送り帰りも乗るので待っててくれと頼み車からマンションへと降りて行ったが時間が経てど来ないので心配になり様子を見にマンション内を探すと客の老婆の泣き叫ぶ声が聞こえる。
「私が悪いんや、戸を開けていな、私が悪かったんや、頼むから戸を開けていや、」とその老婆は必死でドアをたたきながら泣き叫んでいる。マンションの隣近所の人はこの騒ぎでも誰も出て来ていない。彼は老婆をなだめてからその扉のインターホンを何度か鳴らしたが応答がない、どうやら留守のようだ。だが老婆の言動がどうもおかしいと思った彼はタクシーチケットをその老婆に見せてもらえるように頼んでみると出されたのが健康保険証である。老婆は健康保険証をタクシーチケットとなおも言い続けて彼に出し示す。彼はタクシーの無線で老婆の家族の方がその老婆を探していないか基地に連絡した。やはり家族の方が探していた。彼は家族の方が来るまで待ってその泣き崩れている老婆を見送った。メーター料金は随分長く止めていたので仕事にはならなかった。中には同僚の運転手で痴呆症の老人を乗せて淡路島に行きどうやら客は痴呆症らしいと分かり往復をし高額のタクシー料金をもらった。家族の方は大変である今後その老人を乗せないように家族の方からの要望で様子のおかしい痴呆症の老人は会社に連絡し対応するように点呼で通達が流れた。中には痴呆症の有無や住所を仔細に名札にしたら分かりやすいのだがそれができないそれを悪用されるか危険があるからできないと家族の方は言う。老人施設で働く職員やボランティアの方々をお送りすることも多い、その方々の仕事ぶりは並大抵なものではない、施設内で痴呆症で暴力を振るったり汚物の処理やいびきや亡くなる前の死臭など想像を絶する話をする。彼はそのお客たちを送りながら彼らの仕事ぶりに脱帽する感謝をする思いである。誰もが通る道である。世話をするのは当たり前ではないのだ。感謝の気持ちでいなければ。だが死を迎える頃は誰かに迷惑をかけるようだ。きれいごとで済ませたいよ。安い施設はたらい回しとなにかと問題が多い、高い施設は金がなく望めない、施設に振り回される家族の方は苦労をする。そこにも入れない者は彼の老後の世界は想像がつくが他人ごとではないが運命に身をゆだねよう。無理難題を言う客は結構多い、ある時駅乗り込みで堺の鳳駅と言ってごつぐるしい客が彼のタクシーに乗って来て高速の料金ゲートをくぐるなり、「十五分で行けや、親分とこに挨拶に遅れるわけにいかんでの、急ぐからタクシーに乗ったんや何のためにタクシーがあるねん、間にああえへんかったらタクシーに乗ったかいがないわ、タクシー代払わへんからな、」とどすを利かせてその客はすごんで彼にそう言った。元来伊丹空港から堺の鳳まで十二三分で行けなど無理難題であるがその時点で彼の頭は切れた。なにがやくざや、彼は幼いころよりその世界で育っている。その時点で彼は驚愕のスピードをだした。途中で自称やくざのおっさんは震えながら何度も、「もおええわ、間に合わなくてもええからスピードを緩めてくれ、わしは命がおしい、死にたくない、頼むから止めてくれ、」と泣いて彼に頼んだが彼は死ぬなら一緒だと許せず最後までフランス映画のタクシーさながらに迫力を超えたスピードで時間ジャストで到着した。自称やくざのそのおっさんは何も言わず料金を払って降りて行った。これ以上彼に関わりたくなっかたのだろう。それを含めて三十年以上客に指定された時間に間に合わなかったことは一度もない。間に合うことが信じられないと驚愕の体験をしたどこかの大手の会社から彼の望む給料で専属のお抱え運転手にと誘われるが彼は断っている。間に合わせてくれてありがとうとお礼の手紙も客から頂くこともある。自称のやくざやさん以外はスピードを出さず抜け道を通って間に合わせている。時間に困った客が乗ってくると、「私に乗って良かったね、時間を指定されていまだに一度も間に合わなかったことはないですよ、」と彼は乗車した客にはそう言い切るが新人の運転手にはまねしないように注意する。このように言い切れるには最低十年以上の熟練がなければ無理で事故も伴うからだ。道を選ぶ発想と機転と即座の計算と時間帯による道の状況をすべてわかっていなければできない芸当だからだ。それに変な信じ難い彼の持つ能力も関係しているかもしれない、特別な世界に入り込む能力なのか、気づけば時間内に到着している。ある大雨の日豊中市役所前を豊中駅方向に走っていると無線ナビ表示で市役所から豊中駅まで渋滞十五分以上かかると表示が入った矢先に市役所前でおばあちゃんが手を挙げた。乗りこんできたおばあちゃんは彼に聞いた。
「今から豊中駅の急行に乗って梅田の三番街の四国行きの最終便に二十分で行けまっしゃろか、それに乗られへんかったら四国に帰れませんのや、」と彼に聞く。
「おばあちゃんそれは無理やわ、今知らせで市役所から豊中駅まで十五分以上かかると言ってきたところですよ、でもおばあちゃん私に乗って良かったですよ、今までのそう言われて間に合わなかったことは一度もないのでダメもとでタクシーで三番街まで行きますか、」とその老婆も帰れなければ困るので彼に任せた。大雨の状態の道をさけ抜け道をすり抜けて十五分以内で間に合い精算している時間んがないので料金は後日に送ってとリムジンバスにおばあちゃんを乗せた。バスの出発する窓からそのおばあちゃんは嬉しそうに彼に手を振っていた。見送った後に彼は時計を見てそのかかった時間は奇跡である。大雨が降っている道であり、あり得ない所要時間で到着しているのだ。錯覚なのか幻覚なのか時間が飛んでいる。一秒の時間で長く走っているのだ。最低十五分は周りの空間をすり抜けている。まわりのすべての動きがスローモーションに思える。これが彼の世界である。彼の脳裏にある飲食店で夫婦連れで食事している知人がいてそこに食べに訪れた彼がその夫婦連れに愉快に大声で笑いながら挨拶している場面が写真を見るようにハッキリと彼の頭の中に見えた。彼は初めて食べに行くその飲食店に行けばその夫婦連れがいてるだろうと予感で分かっていたがその飲食店の暖簾をくぐりカウンターで食事しているその知人の夫婦連れと鉢合わせで驚き喜ぶその夫婦連れを相手に、「やっぱり食べに来ていたか、二人が食べてるこの場面が頭に映っていて(笑)ちゃうよ、そのラーメンの味の会話も聞こえていたよ、思わず笑いがとまらない、」とその夫婦連れに彼はそう言った。
「普段からあんたはそんな予知する能力があるんやったな。まあたまたまやで、」とその知人の夫婦連れは美味しそうに食事をして彼と久し振りの会話をした。人に起こるたまたまは何かが起こるたまたまなのだ。普段しないたまたまな事をしてトラブル事件事故にたまたま遭遇する。良くあることである。彼の同僚の運転手でいつもなら仕事が終わるとすんなり帰宅するのだがその日に限って何を思ったのかコーヒーを飲み仕事仲間と話をして帰宅したが帰宅途中に暴走族に遭遇しトラブり自家用車をぼこぼこに壊されてしまいとんだ災難に引っ掛かった。話を聞けばその同僚の運転手は暴走族を挑発したようだったがたまたまがよくあるたまたまなのである。彼の人生もたまたまのそれが常習のたまたま人生である。彼は四度命を失いかけたタクシー強盗や五人組の金庫荒らし強盗に遭遇し、犯人たちは全員捕まったが後で担当刑事たちの言うのには、「危なかったな、あんたを殺して金を奪うとこやったんやで、助かったな、」と担当刑事たちはみなが彼にそう言った。街にはそれぞれ雰囲気オーラがあり、ここは危ないとかここは安全とか街並みや人の仕草や持ち物歩く様子などすべてがその場所場所の特徴的なオーラを出している。普段彼は危険なオーラの場所では人を乗せないのだがたまたま深夜にそのような場所で客を乗せた。どのような強盗でも同じようなパターンがある。その客は無言で後部座席から手を指し伸ばして行き先を支持する。そして人気のない暗い地域へと案内する。彼は怪しいとピンと頭に察知し逃げる心づもりをした矢先に暗い公園の門口で止まると突然に後部座席から鈍器のような物で彼の頭を殴ってきた。幸い彼は背が低く運転席の座席枕をその鈍器はかすめた。その瞬間彼は車から飛び逃げた。たまたまその地域を回っていたパトカーが人気のない場所にタクシーと不審に思い遠目でその一部始終を見ていてその異変に気づき彼のタクシーに急行し犯人を捕まえたのである。そして翌当務も彼はタクシー強盗に遭遇した。彼は事件事故に遭遇してその度に何かに守られているように間一髪で命が助かっている。彼はその何かをが彼の若くして亡くなった母であるように思う。彼の同僚の運転手は客とトラブり一旦降りて行った客が再び戻ってきて運転席の窓越しから腹いせに殴られて怪我をする出来事もある。動物のような本能的な警戒心のない小心者の善良な人にはこの世の中は危ない落とし穴だらけである。善良だから善人だとは限らないがそんな日に彼は深夜に手荷物を持ちきれないほど抱えた男性を乗せた。その男性は乗車するなり感激がいまだ尾を引いて感涙と喜びの声で彼に話し出した。
「運転手さん、たくさんの荷物を積むのに時間がかかり悪いね、これ全部定年祝いのおみやげや、知らない人からも頂いている。今まで自分がしてきた仕事に誇りが持てた。ありがたい話や、ついうれしくて運転手さんに話してるよ、良いお酒だった。」とその乗客はささやかな定年会とてみやげに涙ぐんでいた善良な善人であろう人である。彼は事件に出くわすことが多い、今日も空港で予約客を待っていると急に空港の南ターミナルの自動扉が開き中から一人の若い男が飛び出してその後から数人そして続いて数十人の男たちが、「待たんかい、おい待て、」と怒鳴りながら飛び出してきた。そしてその若い男は何百と客待ちしているタクシーが目の前にあるにもかかわらず彼の車めがけて一目散に逃げてくる。気づくと彼の車の後部からも数十人の男たちが彼の車に走り迫っていた。一人の犯人を追いかける私服の張り込み警官たちのようだ。追いかける犯人に向かって「待たんかい、」と怒鳴っているお定まりの掛け声である。待てと言っても待つわけのないこのままでは犯人は彼の車のボンネットから屋根に飛び越えるしかない勢いだった。もしそうなれば彼の今日の仕事は終わりである。彼は天に祈った。「来ないでくれ車の上に飛び乗らないでくれ、」と彼は無我夢中で祈った。犯人が彼の車の十センチ手前まさに飛び乗ろうとした瞬間に追いかける刑事の手が犯人の腰を掴み路面に引き倒し後はラグビーの馬乗りで数十人の警官が彼の車の前に山のごとく積み重なり犯人を捕まえた。今回も彼は間一発で助かった。彼はすでに定年を超えてまだタクシーの運転手として働いている。そして毎回同じ時間の経過の流れの中で同じ時間の流れを過ごす人々が乗車する。誰しもが不可解な不思議な体験をしそれが当たり前のように過去から将来へと繰り返している。永遠に同じ時間を刻み続けるであろう信号で一旦止まり永遠の回数の些細な人生の区切りをその度にリセットしている。リセットした次のドラマの先に見えるものの真実の姿が彼の目に映っている。余談な話になるが最近アメリカ政府のFBI機密文書が長い年月を過ぎて一部分公開されたようで、かのナチスヒットラーと数名の幹部が戦後数か国にあるドイツコミュニティを経て南米のドイツコミュニティに逃亡し南米の政治経済を操り混乱と内戦に関与していて他の逃亡ナチ党員の巨大なネットワークで戦時中ユダヤ人やその他から略奪した巨万の金塊や資金を使い半世紀をかけてアメリカ欧米の経済社会に陰で暗躍しぬくぬくと安泰に過ごしたようだ。日本でも在日朝鮮が日本国や日本人から略奪した巨万の富で半世紀かけて日本経済に暗躍している。仕掛けている当事者たちはみな安全な場所に逃亡している。悪意に潜むものは一人の人間から集団そして国そして歴史までも同じ構図と決まった方向性のルートをたどっている例外はないようだ。ちなみに生命の細胞内の回転運動は例外なく右回転である。細胞を飛び越えてタンパク質を構成するアミノ酸の生体構造も 「Ⅼ」型で生命存続で例外はない、生命の基本要素から生命体の基本細胞の動きから人の個人から社会に至るまで同種は例外なく全て同じ決まった方向性の内容なようだ。悪意に満ちて悪意を行う者が生まれ存在すれば相反する善意に満ちた存在が対峙する相対性理論だ。そしてやがては消耗し衰退を繰り返す歴史の流れである。悪意に満ちた一人の人間の姿の本質は見えにくいものだ手遅れにならないようにその本質を理解し真実が何かをその姿が見えればいいのだが。
無情の風
この日の営業は胸騒ぎのする異様な感じの朝からの運転をしていた。何かが起こる前触れの雰囲気である。良からぬ何かの危険なオーラが彼に迫っているように彼は直感していた。昼過ぎ彼の営業車に会社から直接無線が入った。
「一時間ほど前に乗せた客の事で警察から依頼があり、特徴を教えてもらえませんか、・・後ほど事務所に連絡ください。」と彼は何事が起こっているのか気になりながら客の特徴を話し、車内のドライブレコーダーを警察に見せるために本社基地に戻る事になった。彼が基地に戻るとまだ警察が来ていないため喫煙休憩室でタバコを吸いにその部屋に入ると夜勤専属のいかがわしい古参の山村運転手が仕事にも出ずに椅子にふんぞり返り座っていた。この山村は一日五回ほど客を乗せて仕事をするだけである。皆が必死で駅や乗り場で五十回ほど仕事をこなしてるのに長距離の客を楽して稼いでいるのだ。この山村は空港の長距離で仕事をした後に大阪梅田の第三ビルを縄張りに客待ちしたり大半を個人の携帯電話で客引きをしている。会社では個人の携帯電話での予約客の握りは禁止されているが山村やその仲間内はそんな会社の決まり事は無視であるり各仲間内の縄張りで好き勝手な仕事をし近距離の客は御託を並べて巧みに断り他の運転手の乗りかけの上客を引き抜き自分の営業車に乗せて仕事をするありさまでこのような連中を会社に訴えても会社から反感を買うだけだ。このような連中をなぜか会社は守っているのだ。真面目な運転手がこのような連中の縄張りで仕事をしようものなら姑息な手段を講じてでも追い出しにかかる。このような連中は皆がクソ島真悟と友達であるとかつては豪語していた連中である。その山村運転手が休憩室でタバコを吸い始めた彼清川に話しかけてきた。
「清川派と言うか、清川一味の運転手たちが稼ぎたいために皆が空港の遠距離に入りだしたから今まで空港の待ち時間を休憩にしそれを黙認してもらっていたのにそれができなくなって迷惑や、わが社の運転手は本来担当駅で仕事をするもんやろ駅を守るのが運転手やろ皆あんたの真似をして他の縄張りや無線を取っとる。駅を守るように運転手に言わな・・」と彼をいつの間にか新人の運転手の頭目にして屁理屈を並べてわしらの縄張りに来るなと警告しているつもりのようだ。
「俺と何の関係があるや、運転手は皆必死で考えて頑張っているんやで、」とおまえは駅で仕事をせずに人のことをとやかく言える立場か大方おまえの仲間内の内山班長が絡んでおまえに言わせているんやろ彼が勘ぐりながら山村に言い返しかけたとき刑事たちが指名手配犯の事情を聞きに到着した。彼はそのおかげで半日仕事にならなかった。やむなく彼は深夜梅田に客を送った際に数十年ぶりに梅田の第三ビルに営業車をつけて客待ちをした。一時間程して彼の営業車の前に山村がつけて待機して車から降りてきて彼に「駅を守らんかいな、ここはわしらが守っているんや、かえりや、」と言いにきたが彼は無視をして相手にせずそのまま客を待ちだいぶ時間がたちようやく客が来て彼の営業車に半身乗りかけたところ山村運転手が走って来て「こっちの車に乗って下さい、こっちですよ、」と強引に彼の営業車に乗りかけてる客を引っ張て乗せて行った。彼は新人の運転手たちの噂では古参の顔をかさに山村がこのようなえげつなく人の客を横取りをしていて被害を被っている話しを聞いたことがあったが実際に彼がやられるとは怒りがこみ上げたが後日喧嘩になりかけたが彼は怒りをこらえた。現実に被害を被っている運転手が多く出ているので彼は組合を通して会社と話すべきだと思った。その数日後今度は組合の担当職場委員が奴らの縄張りの梅田から長距離の客を乗せて送った後に基地に入庫寸前に居眠りで道路脇のポールにあたり事故った。その職場委員も深夜には梅田の山村らの縄張りで仕事をしているようで頭目の山村やその仲間内にとっては目の上のたん瘤でいずれは奴らに何らかのいやがらせをされるだろうと清川は危惧していたが、数日後やはりこの事故を名目に職場委員を山村らの縄張りから追い出しにかかったのと組合担当役員の退陣を迫り、同時に清川の職場委員を守る組合への動きの阻止を民川主任や班長たちと画策した。抜け目のない奴やでと清川は腹立たしく思う、会社は奴らの行動を野放しでやりたい放題にさせてすべて黙認している。坂急急タクシーはいつの間にか組織ぐるみで運転手へのえこひいきやいじめや隠ぺいが運転手の目から誰もが分かるくらい公然と行われている。会社に正義を訴えた者は逆ににらまれて損なのである。結果的に多くの有能な運転手が実態を体験して坂急タクシーを辞めていく。
「清川さん、周囲は山村や奴ら仲間内のスパイだらけや、どの運転手がそうなのか分からんや、うかつに話も出来ん、気を付けなあかんな、」とこれもいやがらせを受けながらも深夜梅田で頑張って仕事をしている運転手が彼にそう言い、「奴らがいないのを確認して梅田の乗り場に入っているよ、なんで遠慮せなあかんねんと思うが、奴らは頭が賢いよな、この実態会社は分かっているんかいな、」とそのほかの運転手がたちもそう彼にそう言った。そして奴らに山村に先手を打たれたようである。
「清川さん、組合の職場集会で居眠り事故を起こした職場委員が山村運転手に吊し上げられて大変でした。本人は職場委員を辞めるといっているし後を引き受ける職場委員とか組合の代表中央委員を山村の仲間内の運転手たちがなるように手配できているようです。事務所も牛耳られているのに今度は組合の現場まで牛耳られたらもうこの会社は無茶苦茶やおわりやで、清川さん何とかなりませんか、」と事情を理解し被害にあっている運転手たちが深夜仕事を終えて入庫した彼にそう言いに来た。
「そんなにひどい状態とは、今後もっと何某らの攻撃を仕掛けてくろだろうね、うちの会社に入ってくる新人は大変だな、手の打ちようがないよ、もう私は現役の運転手じゃないし嘱託運転手だしね、新人の運転手はかわいそうだな、」と彼は言ってきた運転手たちにそう喋った。
「そうですね、清川さんがいつの間にか清川一派と彼らは思っていますからね、笑いますよ。でも山村や班長や会社がこう腐っていたら困りものだし今の職場委員が辞めたら山村や奴らの思うつぼやみんなで何とか職場委員を辞めないように説得しなくてはお先真っ暗ですよ、」と彼にそう言いながら会社に嘆願書まで書こうと言い出す者もいたが彼は引き留めた。普段は決して彼と顔を合わせることのない頭目の山村運転手だが事ここに至って偶然にしても事ある度にそこに山村が彼の前にその姿を見せる。これも時代運命の決められた理由のある流れなのだろう。すべてのことはあきらめなさいと言っているように彼にはそう思える。そう言えば話は変わりますが、この数年草笛を彼は吹かなくなった。音のない世界に慣れたのか、さびしい世間の雰囲気に饗応して音の無い世界が彼の運命遺伝子に組み込まれているのか、分かっちゃいるがもう吹く気にはなれない彼の思いである。彼は三十年以上も奴らの悪意ある歴史と一人で戦い対応してきたが奴らは彼に決定打を何一つ与えることが出来ないでいるのは彼には何一つやましいところがない真っ当な営業をしているからだ。それでも悪意の輩の攻撃は巧妙を考え不意をついてくるだろう調べようのない冤罪を仕組んでくる雰囲気である。世間も内閣解散で衆議院の総選挙の投票が今週の日曜に行われ女性の東京都知事を含めた野党の混乱など隣国周辺では核ミサイルに絡んだ不穏な駆け引きで明日に何が起こるか予測不能なすべてがマイナスの方向を向いているようだ。彼の被害妄想なのか理解に悩むが明くる当務彼が出勤して事務所の主任から突然に客からの苦情でその客へ配車刺し止めの知らせを受けた。彼への苦情の内容は言わなかったとのことで、彼にとってはまったく身に覚えのないことであったがこのようなことは、やはり予期したことが始まったかと笑うしかない彼の被害妄想であろう。まったく馬鹿げたはなしである。会社側の彼の定年後の雇用継続を打ち切る理由の一つになる可能性を秘めている。奴らの罠が確実に彼に忍び寄っているよう思える。
2018年六月 十四日の深夜の本社の二階事務所から一階の駐車場まで響き渡る二人の怒鳴り合う言い争いの声で騒然となっていた。一人は清川運転手でもう一人は主任の民川主任である。そして二人の周辺には清川の同僚の真面目な運転手の後堂運転手とクソ島真悟の子分だった桃地班長が二人の様子を伺っている。クソ島真悟がいなくなった後会社の職場を牛耳っているボス格の連中が表舞台に目立ち始めた。多くの運転手がその被害にたまりかねて事務所に訴えたが腐りきった会社の体質でボス格はおとがめもなくあいかわらず我が物顔で自分たちのやりたい放題に職場を牛耳っている。真面目に働く後堂運転手の被害の訴えに清川が証人として状況報告を民川主任にすると、突然に「あんたはいつでも人を混乱に陥れるあんたが言わなければ後堂は訴えたりしない・・」と突然に言い出したので彼は頭にきて、不正行為は正すのが当たり前だと声を荒げたところ民川主任は職権を超えて怒鳴りだした。これは完全なパワハラであるがそれをこの主任は理解していないほどクソ島真悟の件やらその他闇の部分で彼に恨みの根を持っていた。これは異常であると清川の本能は察知しているようで彼も負けじと民川主任に怒鳴り返していた。事の詳しい顛末はこうである。坂急タクシー独自の三番街タクシー乗り場の待機ルールの変更である。梅田の乗り場を牛耳っているボス的な下甲運転手と数名の梅田担当の運転手たちと問題の主任や桃地班長が結託して他の運転手の追い出しにかかったようで、二台しか待機出来なくなった。「清川さん、坂急タクシーの三番街乗り場は二台しか止められないと夜勤の点呼で本日付で(六月十四日付)で通達があった。それでルールを守れない者は三番街乗り場の客待ちを遠慮するように、ようは入るなと菊地班長が言っていたが。ルール変更を仕切っている下甲運転手がそんなルールを守るわけがないよ、今までも客待ち待機中に車から降りて客引きはするは4台の待機台数を無視して五台目に止めるは、他の乗務員を五台目に止めているから乗り場から出ていけと怒鳴ったり自分はルールを守ったこともなく乗り場で好き勝手なことをしている。私なんか下甲運転手の腰巾着の運転手に暴行を受けて三番街乗り場から追い出されたが診断書を所長に見せるとあんたのために警察沙汰は控えた方がいいように言われた、他の運転手の下甲運転手から受ける被害の声にようやく会社も腰を上げたがそれは格好だけで、表向き客引きの件だけ会社は下甲運転手を調べたが証拠は無しとうやむやにした。それは最近の話である。今回も下甲運転手は自分で決めたルールを無視するからみんなのために今度こそ乗り場を遠慮してもらおう。」と後堂運転手がルール変更をまだ知らない清川に話した。そしてその日の夜に清川は坂急タクシーの三番街乗り場の先頭で待機した。そしてしばらくして梅田担当運転手が二台目に待機してしばらくして下甲運転手が三台目に待機して車から降りて梅田の仲間の運転手と平然と長話をしていた。清川はそのルール違反を後堂に話してルールを守らない運転手は待機場所に入るなと会社の命令だと事務所の民川主任と桃地班長に訴えてその違反現場を現認した清川が事務所に呼ばれて民川主任と怒鳴り合いになった理不尽な話の出来事であるが、その二日後の十六日の朝の点呼で民川主任は
「三番街乗り場で少し問題があったがルールの効力は十四日でなく本日十六日からです。」とまたもや下甲運転手の件はもみ消されたのである。そして証拠の車内カメラに現場が映っていなかったと桃地班長が後堂運転手に言ったとか、それは嘘である。今度もまた違反の証拠は無しで済ましたようだ。それよりも三番街乗り場のルール変更の効力が発生する日付をずらしたところに問題の現実が見える。十四日なら下甲運転手は指導されて三番街乗り場には入れなくなるからだ。梅田の第三ビルを牛耳っている山村運転手や三番街乗り場を牛耳っている下甲運転手のやりたい放題である。この連中は会社から長年長距離の予約をもらっている。他の多くの真面目な運転手は必死で客を乗せて仕事をしているのに、梅田担当の運転手は楽しておいしい思いを会社からもらっているのだ。
「所長、年取った下甲運転手や梅田担当の運転手ばかりにおいしい予約を行かさずもっと若い運転手に行かし育てていかんとあかんのと違うんですか、梅田担当の運転手は自分達は良い思いをしておきながらそれ以上に他の運転手を追い出すなど、おかしいと思いませんか、」と連中から被害を被っている後堂運転手やその他被害者運転手のこんな訴えにも会社は何の変化も見せず、結果は訴えた運転手が悪者扱いされて損なのである。その上坂急タクシーでは個人予約は禁止であるが、連中は個人の長距離予約はルールを無視で個人的に握る。そのうえ梅田はでっかく稼げる場所であるので数人の仲間以外は追い出しにかかるのである。会社もこの連中以外の運転手には駅乗り場を走れと指導する。組合は自由に走れと矛盾する言い分でどちらにしても会社に損失を与え続けている一部のこの連中はやりたい放題野放しの状態である。会社は連中を優遇しやりたい放題させ黙認しヤバイことは組織的に隠ぺいする始末になっている。連中ににらまれてどれだけの運転手が坂急タクシーを辞めていったか悔しさで残念である。坂急タクシーを辞めた者たちは辞めて良かったとほとんどがそう言っている。
「清川さん、いつの日か正せる時がきますよ。私はあきらめませんよ。」と後堂運転手は悔しさの滲んだ顔で清川にそう言った。民川主任は、山村、桃地、海藤、下甲その他坂急タクシーの職制の大方が盗人のクソ島真悟と友達であると豪語していた輩である。坂急タクシーでは古い昔からこういった輩のつながりが全営業所に根付いていて、世間の景気がいい時は目立たなかったが景気が悪くなり暇になると目立ってきていると泣き寝入りしている運転手達はその実態をそのようにうわさ話をしている。多くのまともな運転手の疑問の一つに「そこまで会社は奴らをかばい、うやむやや隠ぺいする理由は、なぜか、」である。本社営業所でさえこの始末で他の坂急タクシーの沿線営業所ではもっとひどい有様で「隣の営業所はいじめ、腐敗で本社よりひどいですよ。」と後堂運転手や多くの運転手が清川に話す。すでにこの現状は坂急タクシー会社の長い歴史の根底になっているようだ。
「清川さん、会社は清川さんに長年の理不尽な言葉で体より頭がおかしいのと違うかとか、わなを仕掛けて罪を捏造して陥れたりさんざんな仕打ちを何十年と清川さんは受けてきているのに、大方三十年と坂急タクシーに長年勤めてよう我慢しているわ、会社は清川さんに償いとして何億円払ってもいいほどですよね。清川さんは相当精神的に耐えていますね。しかも被害を被っている多くの運転手を擁護し会社の利益に貢献しているのに、それにもめげずに頑張っている姿は尊敬しまよ。」と真実に気づいた運転手達は清川に決まったようにそう言った。その都度清川はよくこんな坂急タクシーに務まっていると我ながら呆れるよ思った。
今回の民川主任と怒鳴りあった件も清川が損をして何事もなかったように日々が通り過ぎて行く。がこのような事が生活の流れの中に突然に襲ってきたのには何か意味があるようだ。この時点で分かったことだがこの腐った根の元凶の一部の民川は最近定年で主任から嘱託事務員になっていたようで何の権限も無いただの事務員になっていた。、清川はそのことにまったく気づいていなかった。今はただの事務員であるがこの態度である。会社の本質が見えてくる。
六月十七日の朝清川は出勤のため会社に向かっていたがどうも町の雰囲気がいつもと違うのを彼はハッキリと感じた。町の風景や歩く人の輪郭や景色が鮮明に彼の目に映っていたのだ。しかもこの日は全体的に特別に暇でお客の乗車がない。
「運転手さん、いつも忙しいんですね、坂急タクシーさんは電話がなかなかつながらないから。」と今日も乗り込みのお客はそう彼に言う。
「お客さん、今日は異常ですよ。いつもと様子が違うので何だか嫌な予感がするんですよ。。」
「そうよね、殺人事件がひんぱんに起こったり世間が狂っているわね。」とその客も違った意味での会話をする。
「お客さん、地震がきそうなので、早めに帰りますわ。お客さんも逃げる準備をした方がいいですよ。」と彼はそう客に言って、体調が悪いと言って仕事を半日にして家に帰った。そして彼を取り巻くこの異常なエネルギーとでも言うべき流れのおおもとが六月十八日の明け方襲ってきた。大阪北部地震である。強大な何らかのエネルギーの到来にはその前に兆候があるようだが本能以外は見逃すようだ。そして表現できない領域ですべての出来事はつながって関連しているのである。普段は何事も無い時に突然訪れる些細な異常が徐々にその頻度を増し大きな異常の出来事へと影響を及ぼしやがてはとんでもない事件や災害が訪れる。物事は生きているエネルギーの流れなのだ。
疑心暗鬼、人間不信、神不信
マトモナな人間はバカだから真実に目をそむけて団結もできず変に利用されて陥れられるものだ。世間が地震や記録的な降雨災害や頻繫に起こる殺人事件の最中に坂急タクシーの将来を憂える運転手から清川に今後のアドバイスをしてほしいと志を持つ運転手達の集会に出席してほしいと連絡がきた。過去にも有能な運転手達のそのような動きがあり何度か集団が立ち上がりかけたが全員坂急タクシーを辞めている。清川は誘われるまま快く集会の飲み会に主席した。
「会社も組合も何もしてくれない。私たちの目で無謀な連中を監視し理不尽な言いがかりの輩には仲間に連絡し合って数人で話に立ち会おう、決して一人で会社や奴らと話さないように。みんなで立ち上がろう。」とみんなで正義の芽が芽生えたがその集会の数週間後に中心人物数人が突然に会社を辞めてしまって、またしても正義は消えてしまった。運命のイタズラなのか集会に参加したほとんどの運転手が客が乗っていなかったが居眠り事故や客とのトラブルが重なり、職制たちが彼らに対する人間扱いしない対応に嫌気が刺して辞めたようだ。同じように大きな居眠り事故を起こして営業車を大破させた民川、桃地の仲間の運転手は事故を起こしながら本人は笑って帰ってきて笑って済ませたとのこと。方や人間の尊厳を踏みにじる罵声を浴びせて片方の運転手には笑って済ませるこの違いを運転手は見ているのだ。
「清川さん、例の連中の仲間の運転手の郷田が居眠り事故を起こして笑いながら帰ってきてそのまま何もなく終わりですよ。連中はグルなんだから、やってられんわ、その後すぐに高速で郷田は自損事故を起こして帰ってきたが連中に頼み込んだのか深夜寄ってたかって事故隠しをしたようだ。事務所の誰にも聞いてもそんなことわからんとよ。バカげた話しよ。」と最近連中の梅田の縄張りで仕事をしている村中運転手が奴らの一部始終を見ていて清川に話すのだった。良いことも悪いことも続いて起こるのは経験上分かるのだがなんで正しい者が正しいことをおこなおうと決起したこんな時期に、会社側が付け入りやすい事故やトラブルがこれから改革を期待される運転達に集中して起こるのか、悔やまれるが運命はあまのじゃくだ。これが運命の仕組みのようだ。マトモな事が通じないのがこの会社であり世の中である。その「マトモが通じない。」のがマトモな運転手が最後にたどり着く納得する挨拶言葉である。結局マトモな人にとっては何もしない余計な事はせずに時の流れに身をまかせる事が良き運命を得るようだ。そんなことは分かっちゃいるが長い人生に受けたマイナーの仕打ちが疑心暗鬼を呼び運気を逃がしているのだ。清川はバカで弱い人間なのに意地と張子の正義心だけは持っているつもりで生きている。齢65歳を過ぎた老人だ。もうどうでもいい人生である。どうでもいい世の中である。後は長く忘れ去ったものを思い出し永遠の幻夢の響きに戯れる草笛を吹くだけである。
「昨日の深夜に、二人連れの乗客に言掛りをつけられあげくに追いかけられ殴られてけがをして入院した運転手がでました。」と点呼で主任が運転手に注意を呼びかけた。清川は誰だろうと気になっていたがその運転手は清川と親しい村中運転手で改革派の一人であった。なんで改革派の連中ばかりが重要な時点で普段起きない出来事に何事か起きて全員いなくなってしまうのか、またもや「なんでこうなるの。」と清川は思わず叫んでしまった。今や真実を語れる者はほとんどいなくなってしまた。「なんで。」これが彼の人生の流れ、これ以外に清川にはないように思える。今後も同じ事の繰り返しの摩訶不思議な人生で清川は閉じるようだ。誰かが仕組んだような流れ、面白きかな人生の物語である。。このようにありもしない現実が突然に訪れる。誰かが創作した物語のようにだ。自分が創作しているのか人様が創作しているのか神様が創作しているのか理解を超えた何某らの誰かしらの物語の人生を人は関わりその人生を現実と認識して生きている生活しているのかもしれない。そう物事をとらえると、人は皆、存在していないのに存在している物語の無限の人生の中を現実に生きていると思い込んで痛みのある生活経験を体験しているみたいだ。これも人生、ありもしない人生なのだ。だからありもしない事が起きるのだ。清川は最近歳のせいなのか余計な事を考えていたり客と話に夢中になっていたりして曲がる道を通り過ぎる事がある。今日も渋滞が異常にひどくとっさに抜け道を想定して走ったが渋滞の原因とか様々な思いが頭をよぎり曲がらなければならない曲がり角を通り過ぎかけた。彼は本能的にとっさにハンドルを左に切りかけた。だが同時に瞬時に清川の脳裏にある疑念の思いが廻った。
「待て待てよ、まだハンドルは切るな。こんな時は神様は落とし穴を仕掛けて俺を陥れようとするもんだ。神様よ、俺はそんな手に引っかかるものか、見てろよ、左車の死角に必ず単車が隠れて走っているぞ、スピードを緩めて様子を見てみようか、やっぱり単車がいたか、神様よおまえの思う通りにならないぞ、ざまあみろ残念だな。」と清川はそう自問自答をしながら後続車に注意を促すためハザードを点滅させて安全を確保して曲がり角を曲がった。何も考えずとっさに曲がっていれば彼は大惨事を引き起こし悪夢の人生を歩んでいるだろう。神も人もひっかけ合いでだまし合いなのだ。
「坂急タクシーのよく稼ぐ志のある真面目な運転手は全員辞めてしまったね。彼らは稼ぐために努力していたなあ、他のタクシー会社に行っても彼らの稼ぎはすごいよ、よく稼でいるよ。清川さんの歳で坂急タクシーなら一万円稼いで三千六百円の給料やろ、歩率は三十六%や、他のタクシー会社なら五千円以上の給料で五十%以上やで、清川さんならよく稼ぐし、豊外タクシーの運転手に声をかけて紹介してやるから行ったらええねん、私はもう少し様子を見て考えているけど、坂急タクシーは会社で余分な社員を抱えるため運転手から稼ぎをしぼり取っているんや、いつでも声をかけたるよ」と清川とよく似た境遇の同僚の運転手が清川と会うたびに最近そのように声をかけてくる。
「ありがたい話やが、豊外タクシーにはあの盗人のクソ島真悟が運転手として働いているがな、」と清川は腹立たし気にそう言った。
「どこにでもそう言った輩はいるよ。あんたも生活があるんやから気にしたらあかんで。いつでも豊外タクシーを紹介するよ。」と彼も内心腹立たし気にそう清川を慰める。現在の坂急タクシーの実態をよく知る彼も稼ぎは会社でナンバー1であるがいずれは坂急タクシーを辞めるが口癖である。人生まだまだいろんな仕掛けが隠されている。がそろそろこの話の物語を一旦終わりにしよう。この地球体内で善玉菌が勝るか悪玉菌が勝るか今までの犯した罪を己の内で如何に償うかである。姑息な手段を講じて如何にごまかしても真実はやがては明るみになり永遠にその痕跡は残り続けて己の子孫に償いは覆いかぶさるものだ。運命の不思議な出来事の真理はそこにあるのだろう。とこの物語の運転手の清川はそう思えるのだがやはり運命は皮肉を心得ているようだ。今、とんでもない災難が清川に訪れた。この日清川は何かが起こるであろう悪い予感がしていた。それはおぼろげであるが景色や風景の中に重苦しく色がよどんだ感じではっきりと悪玉菌達に似た顔立ちの嫌な雰囲気が朝から渦巻いていた。がこの日清川の体調は少々良くなかったせいかそのことに注意を向けさせるほど感覚は鈍っていた。清川はこの数週間近畿を襲った地震や台風二十一号の被害を受けてその後始末に翻弄し自分では気づいてなかったが注意が散漫になり精神的にイラついていた。普段はこんな予見があればその罠にはまらないように気を配るのだが清川はドジッタのだ。深夜清川は坂急タクシーの三番街乗り場で酔っ払い客とトラブった。
「おい、塚本までなんぼや、」とその酔客は彼にそう言った。
「三千円はかかるんじゃないかな、ここからは行ったことがないのでわかりませんは、」とその酔客にそう言うと、
「二千円で行けや、」とごねだして挙句に警察呼ぶんやったら呼べやというしまつ、清川は一応その酔客から目的地を聞きナビを入れたが、その酔客は「なんぼで行くねん、」を言い続けるので、「私では対応できません。」とたまたま後続に来たエリア責任者の班長にその酔客を乗せて行ってもらった。そこで清川はドジッタ。信号で止まった際とっさにけいたいを取り出し事務所に客とのトラブルを報告した。電話に出たのはあの民川である。そしてその取り巻きである悪玉菌達である。清川はその声を聞いて「しまった。うかつだった。落とし穴に落ちた。」と我に返った。そして後日所長より車内カメラによる携帯電話の使用と乗車拒否と言うこじつけで安全運転不履行との理由で契約運転手の継続打ち切りを清川は言い渡された。清川は解雇されたのである。同じ契約運転手でも盗みをしていても運転手に暴力事件で怪我をさせても奴ら悪玉菌達はおとがめなしで清川は勤続年数二十七年で水揚げトップクラスで十数年無事故運転手である。結局は悪玉菌達ともめそうなので厄介払いだったのだ。清川と同じようにこの数週間で厄介払いで数十人が坂急タクシーを辞めた。その運転達から早速清川に電話が入ってくる。全員が坂急タクシーを辞めて良かったと言った。が清川の予感はまだ黒くよどんでいる。まだ何かが起ころうとしている。世間はこのような事を許すのだろうか。運命は冷酷で過酷なのだろうか。そして最悪に続く事態が清川に訪れた。運命に導かれた出来事で良い事も悪い事も何故か続く、人生海のごとく胎動の流れの中で上げ潮引き潮に流される。清川の今は引き潮でその上弱り目に祟り目である。清川は梅田の酔っぱらいでの事件の後、退職までの残り少ない日にちを無難に過ごして長年の勤務を全うしようと比較的トラブルの無い駅待ち勤務切り替えて最後の数日を過ごしていた深夜の駅の客待ち状態の時である。この日のこの時珍しくトラブルメーカーの菊地が清川の後続につけていた。そして清川に酔いかげんの客が遠方の奈良と言って乗ってきた。清川は長年の経験からこの客とはもめるなと直感したのと梅田の酔っぱらいの件の事を考え客の話に無難に持ち上げその酔っ払いの自宅マンションまで何事もなく近づいた途端にその酔っ払いの態度は豹変して清川にいんねんをつけて絡みだし、挙句に運賃を請求する清川を振り切って清川を殴ってオートロック式のマンション内に逃げて行った。
清川はこの日から業務傷害で会社を休み後は年休を消化して退職である。が犯人が逮捕されて業務災害が取消になりかけて犯人側との損害賠償交渉になって清川には踏んだり蹴ったりである。最近立て続けで起こっている地震や台風災害やら酔っ払いの件やら警察の被害処理など急激な環境変化で清川は精神も身体も疲れて仕事をしていないにもかかわらず体調が良くない、それ以上にこれから訪れるであろう底なしの不安に清川は気が落ち着かない。彼は思う、彼の半世紀を最低の会社で過ごしたと、いや最低の会社じゃない最低の連中が巣食っている会社で過ごした。とこれも定められた清川の人生なのかと思う。報われることのないいばらの道を清川は歩んでいるのだ。神も仏も天国も地獄も何を導こうとしているのか。生きているあいだ周囲に特に家族だけには迷惑のかかる負担をかけて苦しんで死にたくはないものだ。これが今現実に訪れている清川の底知れない不安感の予感する理由の根底なのだろう。天国に行くきっぷを手に入れる方法はさりげなく教えているがそのことを覚えているか疑問だ。どうなっているんだ何が起ころうとしているんだ。清川を含め彼のまわりで急激な変化が起こっている理由に意味があるはずだ。何かが起こるのは確かだが、この意味するところははっきりしている。ささやかな些細な取るに足らない一人の人生の導かれる善悪の戦いの方向が会社や国や星や宇宙や万物の存在を左右するのである。会社は救えなかったがせめて社会は救いたいものである。敗戦後の日本は人種の区別のつかない者たちの侵略に汚染され現在も今後も永遠に負け続けている。いばらの道でも残り少ない人生にせめて誰しもが天国のきっぷを持って平穏に社会生活を送りたいものだ。清川の人生はまだまだ先は分からない。土壇場でなにが起こるやら、人生は面白い。
決められた人生に関わるペットの愛の妙技
清川が坂急タクシーを退職する前の四十五日間の年休う消化に入ったその日に、突然娘から清川に電話が入ってきた。本来なら退職するまでの年休う消化の間に長い旅行を計画して行く予定を入れて楽しむつもりであった。六十五歳を過ぎた清川はそのために大事に貯めた年日数である。退職しなければ毎年長期間の旅行が計画できその都度行けたものを今回の退職に関わる件で全ての年休日数を無意味に無駄に無計画に使い切ってしまわねばならなくなり、客とのトラブルで業務連絡のため止まった営業車の中から携帯電話使用で会社に連絡した事で、車内携帯電話使用禁止の規則違反で情状酌量の機会も与えずあの連中から厄介払いの退職に追い込まれたのである。ミイラ取りがミイラになるとは自行自得だがあの連中に腹立たしさを感じる清川であった。が長い年休の間旅行の計画を立てようとした矢先の娘からの電話が清川に入ってきた。
「お父さん、家で飼っているペットのリスのリー君の事やけど、顔が腫れて病院に連れて行ってもいまだに腫れ続けているので大阪の別の病院で診てもらった手術出来ると言うので、リー君の手術に大阪まで送ってほしい。」と年休で休みに入った途端にそのような連絡が入ってきた。まるで清川の長い年休消化は娘のペットのリー君のためにあったような運命の決まった物語の流れのようだ。ペットの精神は人の理解を超越しているほど繊細で微細で壊れやすい、手術は少しの歯と筋肉を残して顔のほとんどを取り除いたが癌細胞を全部取り除くことができず手術後一週間で再発し、家では食事をしないできないので毎日大阪市内の動物病院通いである。そのため病院通いに都合のいい息子の家に泊まりに来ている。息子の家にはイケメン風のきれいな柴犬名前はちゃたまるで家飼いの犬がおり、そのちゃたまるがつい最近カラスの集団に襲われている生後間もない子猫の赤ちゃん三匹を散歩中にその危険を感じてその襲われている現場に走り向かいカラスを撃退し子猫を保護し家の者が傷ついた子猫達を病院に連れていき今はまだ引き取り手のいない二匹の子猫を保護して飼い猫になっている。そしてここに命の灯の消えかかったリスのリー君が加わったのだった。初めは動物同士遭わさないようにしていたがやはりわかるようでリー君のいる部屋の前に来るとじっと立ち止まり寝ずの番をするのである。リスの状態がいよいよダメだとなった時に娘はリスをこの柴犬のちゃたまると対面させた。ちゃたまるはリー君の小さくやせ細った体に鼻先をつけてから悲しげに喉を鳴らした。子猫達も悲しげに鳴いた。なにが起こっているのかペット達には分かるのだろう。がそこから奇跡が起こった。食事も水分も自力で取らなかったリー君が食事を微かに取り出したのだ。仲間達がそばにいる。(GO―HOME)安心できる家と飼い主の親と兄弟の仲間達に囲まれて安心したのか元気づけられたのかリー君は微かな一声「キュー、」と鳴いて食事をした。例え動物でも少しでも生きようとしている限り病院に預けたり安楽死は避けたいし例え残された少ない時間でもそばで一緒に過ごしたいと娘は清川にそう言う。柴犬のちゃたまるはたえずリー君を守るように側に待機してはその様子を娘に喉の奥で静かに吠えては娘に知らせるのだった。今回の清川の退職に至った経緯も清川が仕事から解放されペットのリー君を毎日大阪の動物病院に連れて行けるのも運命の不思議なタイミングで決まっている事になっているのようだ。人生糾える綱の如しの人生が、前もて書かれた物語の出来事がそのまま人生に訪れる。その物語は人それぞれの持って生まれた値で筋書きがあるようだ。この世に幾らかの値を持つ魂として生まれ存在し物質を構成し相対するものと魂が消失するまで決められた存在の物語を寸分の狂いもなく過ごすようだ。それぞれ意味があり存在し、そして意味があり消えていく、リスのリー君の些細な奇跡に天国のきっぷは意味ある存在と確信している。リー君に感謝を込めて「ありがとう。元気になって。」の思いを込めて今日も娘はリー君の軽い小さな身体を抱きしめている。幸せな愛情に囲まれたリスは奇跡の回復を見せた。貪欲、ねたみ、嫉妬、恥を知らないハレンチ、相手を蹴落とす策略をめぐらす会社に巣食う連中とペットの愛とどちらを人は受け入れるのだろうか、受け入れるべきなのだろうか、受け入れてきたのだろうか、表向きはペット達の愛に感銘するが反面悪に通じる精神が安易に容認され蔓延る。ほとんどの人はこのような場合の是正の対応の仕方を知らないし知って行動を起こしても徒労に終わり金もかかりバカを見る構図を知らされる。このような構図の糸を引くのは誰なのか。
何か変だな、おかしい些細な取り締まりとテレビ社会の過渡期
普段と違う予定外の行動をする時は要注意と経験上感じていても、忘れた頃に不幸は突然に襲ってくるようだ。そして出来事には隠された裏の事情があり必然的な理由がある。無難に過ごしたければ余計な事をしないことだ。冒険をする時などは反対にいつもと違う行動をとるほうが運が開けていいようだが、それはさておき清川は久しぶりに世話になっている運転手の飲食店に顔を出しにお昼食べに行った。
「やあ、久しぶりに来たけど、近々駅前の人通りの多い場所に移るんだって、ここの味やったらそのほうがいいよ、私が以前やってた店では駅前だったが東側の駅前は大阪でも飲食店でにぎわう屈指の繫華街の町を形成していて人通りでにぎわていたが私の店は反対側の駅前西側で部落地域の真っ只中で飲食店は一店も無く飲食しそうな人通りもまばらで閑古鳥が鳴いていたし、生活のため店が終わって深夜から明け方までコンビニでバイトを一年間して、睡眠時間一時間じゃ身体を壊して、店をやめたよ。後で分かったことだけど場所が悪かったよ、人通り
の多い所にいけたらそのほうがいいよ。何でも理由があるようですよ。」と知人の店主に清川はそう言った。この店主も以前の清川の境遇に似ていた。
「今日食べに来たのも、この近くに最近出来た電化製品のショップをのぞきに来たんよ、最近テレビを見るのに4Kの番組が始まっているけど、見るための機器のあらゆる分野が混乱していて各通信メーカーがその対応に追いついてなく、4kを見るための機種交換には何度も高額の金をメーカーに支払う事になるんで、他に見るためのチューナーの機種の説明と様子を見に来たんですよ。数年前はテレビを見るためにはカードの差し込みが必要になり、今度は急にカードからマイクロチップの内蔵に決められたようで、その急な変更でいままでと同じ機能を持つ対応機器が無く現場では混乱しているとの事で、このために今後支払う個人といえど一市民の高額の金の負担の責任を誰が持ってくれるのだるうかと思うんだけど、裏には何らかの陰謀があるんだろうね。」と清川はそう店主に言ってからその電器ショップ店に向かった。そして用事が終わり帰路に着いた時につまらない事件は突然に訪れた。ショップを出てすぐの信号を曲ってしまった。・・あっ、曲がる信号を間違ったがな、まあええか、帰れんこともないからな、でも嫌な雰囲気やな、車の周囲に急に自転車やその他にけったいな運転をしふらつきながら彼の車の前方を横切る自転車や四つ角を危険なスピードで突っ込んで来る車と遭遇するわ
、何かに導かれるようにその危険そうな信号のない交差点に皆が一気に集中し始めた。その場所はあまり人通りのなさそうな道である。それが清川がその道の交差点を通りかかった途端そんな状況だった。清川はその場を無事に通り過ぎたが、通り過ぎた後にその危険な交差点をサイドミラーを見て気にしながら走行したがため、その危険な交差点からすぐのところにあった公園に入るための横断歩道の一旦停止の表示を見落としていたのだった。そしてその公園の入り口付近で隠れていた交通違反取り締まりの交通警官たちに止められ違反切符をきられたのであった。そしてその警官たちが立ち去るとき警官たちの会話が清川に聞えて来た。
「公園の入り口の一旦停止は、その先の危険な交差点に気を取られて初めて通る運転手は皆見落とす場所や、ほとんど引っかかりよる。・・・。」と言いながら立ち去った。なんで危険な交差点で違反の取り締まりをしないのか、又は公園の入り口に危険を促す立て看板がないのか、危険な交差点と分かっているなら信号機を設置しないのかなどそうい事を放置して捕まえやすい誰もが引っかかる場所で取り締まる違反切符の点数稼ぎなのか、おかしな話である。交通問題協議会、省庁や議員たちは何をしているのだろうか、連中には裏の話があるのだろうが日本の市民の安心、安全、財産をないがしろにして恥を知れと思えるのだがこれも負け続ける日本の時世なのだろう。なんのかんのあっても清川にとって新年迎えるまではせめてこれ以上何も起こらない事を願うものである。そう願いながら今日も清川はリスを大阪の動物病院に連れて行った。診療の待つ間、時間があるので病院前の駐車パーキングで待機していると薄暗い場所から目前の農人橋の橋のたもとに急に浮浪者風の老人が現れ、この日は極端に冷え込んでいてこの時間は夜の8時で凍てつく寒空のネオン街の橋のたもとである。汚れぎみの厚手の黒っぽいコートを着たその浮浪者風の老人は橋やその周辺を掃除し始めたのだった。それもただ掃除するのでなかった。もうそれは掃除の域を超えているとしか思えない、まずは農人橋と書いてあるプレートを磨き、橋のあらゆる溝のゴミや砂や落ち葉を這いつくばりながら書き出し掃除し拭き磨いているのだった。清川はその老人に近づいて声をかけた。
「なんで掃除をしているのかって。深い意味はないよ、掃除をしたいだけですよ。」とその老人は屈託なく真面目そうに軽く笑顔を清川に見せてそう言った。
「久しぶりにいいものを見せてもらいました。ありがとう、身体に気をつけてください。」と清川はその老人にそう言って診療の終わったリスを連れて帰路に着いた。運命は決まった物語の中で何を知らせようとしているのだろうか。会社はこの物語の意味を理解し彼や世間の関係者に謝罪してなすべき事をなせば優秀な人材も多く去らなかったし多大な利益をもたらしていたのは事実であるが、それが会社に巣食う輩の為に莫大な損害を被っている事が分からないでいる。全てが表にさらされる事で会社はいろんな利益を生むだろうに、かえってこの物語は会社を世間を救うのかもしれない。が会社は辞める運転手に一方的に情報を漏らさない旨の誓約書を考える時間も与えず同意しない質問にも無視して第三者の同席もなく詐欺まがい的に認めさせ書類の控えも渡さずに退職手続きを終わらせる。「何を恐れているのか、誰が恐れているのだろうか、損害を請求する矛先が違うであろう。」と彼は退職した会社を腹立たし気に後にした。彼は六十六歳にして人生を一からの出直しである。しかも家族親類縁者はいないと言ってもいいほど天涯孤独の中途半端な義理人情を持つ身の上である。彼がまったくの天涯孤独なら言いたい放題やりたい放題の生き方をしていたであろう。そうもいかない齢六十六歳からの人生のマイナスからの出直しは生き地獄の序章である。災害で住んでいたマンションが倒壊し阪神淡路大震災の時に昭和バブル崩壊寸前の異常高額中古マンションを購入し、その返済ローン地獄である。それは弱者の足元を見た不当な高値を付けた中古マンションである。これも政府の無策で受けた被害の一つ泣き面に蜂である。そして体は年相応にして急激な不調が日々の生活に現れていつ倒れてもおかしくない状況である。親しい隣人もおらず財産もなく健康な体もなく先行き真っ暗な地獄の業苦が待ち受けるだけの考えるだけ無駄な今だけを無事に食いつなげている一瞬の生活に感謝をする清川である。が彼にも他人と同様に誰にも話さない深い嘆きの出来事がある。片時も忘れることのない悲しみである。それは彼が必死で稼いでも生活が追いつかずまったく生活資金が無い時に、学生結婚をした彼の息子の嫁と孫を救えず亡くしたことである。息子夫婦への生活支援を彼なりに手を尽くしたが焼け石に水でその上孫まで出来て、嫁は出産の為に実家に帰ったが孫が生まれ、息子か産まれた自分の息子に会いに行って戻って来た矢先に東北東南海地震で消息不明で亡くしてしまった事を悔やまれる。嫁はこの時期の清川の家族の貧しい先行き不安な生活に戻る事を嫌がったようで、帰って来るように嫁の実家に親の説得も無駄に終わった。あの時無理でも連れ戻していたならと、これも彼の人生なのである。人生上手く立ち回れない者の誰しもが通る苦しみ多い老後の道の一つなのであろう。つぐない切れない老後の道なのである。それよりも彼の息子の心の傷は想像を絶する痛みであろう、それは今なお黙してして語る事がない事で分かる。当時は「今を耐え忍べば、我慢すれば、」と言っていたが苦しみは一時なのである。今オッサンの部類になっている清川の息子は3階の一戸建ての家を買って母親と暮らしている。だが災害のトラウマを抱えているのだろうまだ独り身である。そして清川の娘夫婦もまたその周囲の人たちも清川以上に苦労の絶えない想像以上の苦労をしている。娘婿の会社の父さん親元の自己破産と悪い事は立て続けに起こっているし時期的に集中している。それでも清川自身は「身体が動いているだけましか、働いているだけましか、」と自身に言い聞かせる。人生踏ん張っていても先はもうないのに若い連中以上に仕事を頑張っている。生涯清川の仕事量はトップクラスであるが残念な事であるが働いている会社が悪かった。給料は業界最低レベルであった。ウソのような話だが仕事に集中するあまりそのようなことには無関心で頓着していなかった。それは清川の余裕のない性分性格だ人生最悪の彼の落ち度であろう。人の人生のレベルなりその先の方向性などは海図に線を引くようにその人の物語の程度に線を引けばおのずとその先は分かるのであるが。彼がどのような人生の出直しをしようとも彼が持って生まれた彼なりの人生が磁石のようにそれなりのさまざまな複数の不思議な理解しがたい数奇な現象を彼が引き寄せ、それが偶然という形で重なり合い、それが彼の日々の生活を今後とも今までと同じように翻弄し続ける事は想像できるであろう。不思議が当たり前のこれが人の人生の誰もが通り過ぎる物語の決め事の道筋に延びる線路の人生である。そしてその先にある天国へのきっぷは一人ではなかなか手に入らない仕組みになっている。これはこの宇宙が生まれた仕組みに関係していると言えているようで宇宙も人生も不思議で成り立っているようだ。そこにはあまのじゃくな身勝手な理解しがたい法則が存在している。清川の別れた元かみさんとは今でも息子と暮らしていて彼とも隣人の付き合いをしているが令和元年になり、元かみさんは最近再発した癌の手術をした。癌の再発が分かる少し前に地震台風の被害にあったり清川の職場での悲惨な悪い出来事の流れから、「まだまだ悪い事が続く気がする。しかももっと悪い事が起きる気がする。それが俺の人生や、これで済むわけがない。」と清川はこの先行きの不安と人生どうにもならないもどかしさの怒りを交えて別れた元かみさんに不満をぶちまけていた。そして元かみさんの癌の再発が分かった時に「こういう形で究極の悪い事が私にやってくるとわ、何気なくそんな気がしていた。やっぱり来たか、」と元かみさんは清川にそう言った。そして万悪く担当医の診断ミスもあるようだがいまだ信頼している担当医の事と癌と言う事のストレスから「今は話をややこしくしたくない気持ちと清川と分かれている立場上詳しくは話さないようだ。お互い知り合った時から相手に敬意や敬愛を持てないでいた、お互い住む世界が違うようである。本来なら住む世界が違っても相手への敬意や敬愛の思いがあればもっと早い対処や最良の対応に近づけたものを残念である。お互い協力をしなければいけない肝心な時期に運命の流れるままに元かみさんや子供たちとも今は疎遠になってしまった。この先に待つ清川の残り少ない人生は誰しもが容易に想像できるであろう、後は彼の選択だけである。運命の結末を邪魔するのは良き選択か悪しき選択か、選択の苦手な清川にとってはこれもまた定めなのだ。そして今は別のタクシー会社で働いている清川である。
「清川さん、、生き生きしてますね。若返ったみたいですよ、あの坂急タクシーを辞めて生き返ったみたいに、解放されて自由の喜びに輝いていますよ。あの坂急タクシー会社を辞めた連中は。今は皆良かったと思っていますよ。」と清川の同僚の運転手がそう清川に話した。清川の運命が再び動き出した。が今回清川が入社した豊外タクシー会社にはあのクソ島真悟が入社し運転手をしているのである。そして今もなお坂急タクシーを腐らし続けている癌細胞の連中の仲間の運転手がその仲間内からはじかれて坂急タクシーを辞め、清川の入社したタクシー会社に入社することになった。最近耳にする事だが、清川の部下だった坂急タクシーを辞めた真面目で努力する運転手全員の水揚げである給料が信じられないほど稼げていて最低でも坂急タクシーの三倍以上の給料である。その噂を聞きつけ、最近坂急タクシーを辞めて豊外タクシーに入って来るのである。
「清川さん、坂急タクシーの社長が豊外タクシーの会社に「これ以上坂急タクシーの運転手を豊外タクシーに入れないでくれ、」と頼み込んで来ましたよ、坂急タクシーの職場の点呼でも「これ以上会社を辞めないでほしい、」と所長たちが言っているんだと、何をトチ狂っているんや、稼ぎもせん悪さばかり企む腐った連中を大事にしている会社が、己のしている事を反省もしないで多くの真面目な稼ぐ運転手をゴミのごとく辞めさせている癖に笑うよな。それよりも、クソ島真悟の事やが、坂急タクシーの所長が温情退職させた盗人のクソ島真悟をわざわざ頭を下げて豊外タクシーの所長に「クソ島真悟の面倒を見ったってくれないか、」と頼み込んで採用になったんですよ。「頭を下げて盗人を紹介する会社がどこの世界にあるんや、呆れるわ、」と清川の知らなかったそのような事実を清川の同僚の運転手は話した。この話を聞いて清川は今更のようにあんな坂急タクシーにいじめ嫌がらせを受けながらも三十年近くも務めたものだと再度清川は自分に呆れた。時は過ぎ腐った連中も代替わりしているが腐った体質は引き継がれるもので清川が退職した後でも多くの運転手が同じような差別的いじめを経験し阪急の腐った体質の実態に目覚め清川たちを頼って連絡をしてくる。「清川さんの言ってたとおりですわ。ひどいもんですわ。そっちに入れるよう紹介してほしいのですが。」と全員が口を揃えてそう言う。腐った連中にとっては正義的清川は目の上のたん瘤だったにせよ、約三十年も務めた社員を停車中緊急で会社事務所と車内で携帯を使用したとして社内禁止事項に違反したと些細な理由を口実にいとも簡単に清川を陥れ辞めさせた坂急タクシー会社の実態である腐った連中の体質が残り延々と引き継がれているので、真面目に稼ぎたい運転手は些細な理由で振り回されて神経をすり減らし苦しみその内に腐った坂急タクシーの実態にうすうす感づき始め自然とその社内の実態に目覚めて多くの退職者が後を絶たないのである。そしてほとんど全員が再就職した会社に最大の貢献をして実績を上げていると風の便りに清川の耳に入ってる。れでも坂急タクシーの腐った連中は他社に移って稼いでいる真面目な運転手の貢献ぶりや稼ぎを挙げているのが羨ましいらしく会社ぐるみで人が聞けば呆れるようなトチ狂った行動にでるのである。会社の恥を内外に知らしめているのにも気付いていない恥も外聞もない会社に成り下がっているのである。それにしても各タクシー会社同士のつながりもあるようで今後この豊外タクシー会社にも暗雲の雲行きが怪しくなり始めている。すべてには見えない真実や隠れた真実の一部があり後に決められていた運命として造られている事に思い知らされるのである。世の中とはこういうものだ。そして始まりはほっておいた腐敗も地球規模で限界を越えると何らかの修正する動きになるのもまた世の中というものだ。そして運命は清川の思っているように令和の時代の初っ端に世界を巻き込んだ恐怖のウイルスの蔓延による未曾有の死亡被害が中国から始まり世界のあらゆる機能を混乱させて人類を怯えさせ始めている。自然が地球が時代が自然界に対する人類の行動の何らかの良からぬ結果を修正するように人間の運命を操り世の中に悪魔のウイルスを蔓延させたのだろう。約百年前に世界の人口を激減させたスペイン風邪に匹敵するウイルスかそれ以上の恐怖の新型コロナウイルスである。始まりは一見物事に関係のなさそうな些細な人間の腐った行動が人類の存亡に関わっているなど誰も想像できないだろう。が現実に清川の奇妙奇天烈な生活の実体験から導き出される答えが正しいと証明するかのように新型コロナウイルスは世界規模で猛威を振るっている。これは人類への警告であり人間個人への警告でもあるが、それでも道徳に属するとでも言える万物の基本原理を理解できない者は被害を拡大させる。この時期清川は空車で営業運転中に速報で新型コロナウイルスのニュースが携帯に入ってきた。人命に関わる重要なニュースとなぜか清川は直感し信号のある空いたスペースに止まって携帯の見にくい画面を時間が掛かって読んでいた。すると突然に大阪タクシーセンターの指導官が来て、この場所はタクシーを止めて営業してはいけない場所で清川は違反で指導を受けて、後日タクシーセンターで一日中缶詰め状態の指導講習を受けることになった。世界は非常事態宣言中で日本政府もようやく非常事態宣言を出し、外出自粛やイベント講習自粛禁止の指導のさなかに清川のもとに大阪タクシーセンターから講習呼び出しの通知が会社に来た。「新型コロナで非常事態宣言が出ているこんな時期に、講習日をずらしてもらえるようにタクシーセンターに言ってもらえませんか、」と清川は会社に頼んだが受けてもらえず、政府の自粛要請の中危険な講習行くことになった。非常事態宣言が出ているさなかの講習に参加する運転手は誰もが「こんな時期に講習の呼び出しか、」と疑問に思うと他の運転手から清川は耳づてに聞く。責任ある立場の者が理解できない安易なのだ。今回は具体的に国内では多くの死者が際限なく今現在進行中に増え続けている。被害を受けている弱者である国民は具体的である故にうすうすはその安易さに気づいているが個人的なレベルを遥かに超えている出来事で「後は運任せ、神だのみである。」。そして偶然は意味あるかのようにいろんな出来事が集中して引き続き起こる。清川の叔父さんに親父が死亡した知らせが同時期に入った。清川の身内で残っているのは兄だけである。すべてに意味があるが無意味に過ぎてやがては何も無かったように時は流れ続ける。
滅びゆく日本人
昭和から平成そして令和になり日本民族を誇りに思わない恥を知らない国民に日本人は成り下がっていることに、還暦を過ぎて古希に近づいている清川は今更のようにその真実に気づいた。敗戦後日本に押し寄せた連中は被害者を装い続けやりたい放題、日本の土地から税金から奪うに足りずあらゆる分野の決定権を持つ地位に付いて日本民族を操り破壊し続けている。ある報道関係の会社に面接に行った日本の学生に、「うちの会社は在日系の会社やから在日しか作用しない。」と言い放ったと、清川の同僚の運転手がそのような話をしているのを聞いたことがある。日本の教育機関も連中に仕切られ政党まで大半が連中のものである。令和二年の国の職員のマイナンバーカードの取得状況は二十五%で日本民族の誇りをなくしいるとしか言えないものである。特に文部省と防衛省と法務省は十%台と驚愕の日本民族を捨てた恥を知らない数字で、すでに日本は消えかかっているようだ。それでも清川は我が道を歩む。
ダッチョモナイト著
現在進行中の現実の物語なので続き物語になっています。この物語に登場している人物なり会社なり役職を持った方々などは日々時と共に事態が変化しています。もおすでに別の場所に移ったり居らなくなっていたりしています。その人たちにも運命がありますが人生つじつまが合うようにできているようで万物の真理の白日の前で幸がありますように願います。人の目に自然や町や地球の放っている何某らのオーラが見えたら幸いです。そして天国のきっぷを得れることができるように願っています。