閑話「ダイキライなあの子」
黒い場所だ。闇が蠢き、誰からも忘れられた世界の果て。
明かりは乏しいが無いわけではないその場所に、彼女が降り立った時、桜色の輝きが僅かに煌めいた。
「…何しに来たのよ」
二本足で立ち、前脚は鋭利な鉤爪が並ぶ。胴から細長く伸びた首に、尖った口先、眼には瞼が二つあり、闇の中でうずくまる少女を見下ろしながら時折、瞬膜という薄い鱗が瞬きをしている。
翼を縁取る様に桜色の鱗が並び、闇の中でも光沢がうかがえる鋼色が大部分を占めていた。
「ねえ、何しにきたのよ」
暗闇に体を預け、苦しそうな表情を浮かべながらも悪魔の少女は威勢良く目の前の竜を睨みつける。
「意外と元気そうですわね」
「お陰様で虫の息程度には元気よ」
少女を見下ろすドラゴンはシルと言って、見下ろされた悪魔の少女がそのシルの妹であるレミアと人間を巻き込んで術を起こしたのだった。
「貴女は何故にそこまでレミアに悪戯をしたがるのですか、私はそれが聞きたくてきましたの」
「別に理由なんてないわよ…ただあいつのことが嫌いなだけ、生きているのに死んだ様な顔して、それでも周りには生きているふりをしているあの馬鹿を見ているとイライラするのよ」
「そう…ありがとう」
シルは小さく頷くと、手に淡い光を発現し悪魔の少女の体へと飛ばした。
「…どういうつもりよ」
シルが少女に送ったものは少女が『本来であれば既に蒼太という人間が夢だよ自覚して、終わっていた』筈の術式を無理に維持した時に使ったエネルギーだった。
それは本来、精霊や悪魔が自身の存在を維持するために必要なものであり、それを大部分使ってしまったからこそ、悪魔の少女は身体を休めるために世界の果てに来ていた。
「…今はレミアはしっかりと生きています。それはそれは楽しそうで少し妬いてしまう程にです…なので、その姿を見てあげてくださいね」
そう言い残してシルは世界の果てから飛び去っていく。悪魔の声など待たず、宙を泳ぐ様に飛んでいった。
生きているのに死んでいる。
それでも周りには生きている様な顔をする。
それはソウタに出会う前のレミアを表すのに最適な言葉だろう。
いつしか泣き止んで、あの岩から出てきた時からレミアは生きているとは呼べなかった。
星を見て、花を見て、雨に打たれて、偶に思い出したかの様に泣いているだけ。
そんなレミアの事は私は勿論の事、両親も大層心配していた。
彼女を学校に行かせたり、最後は人間界に突き落とすまでやってしまう程の心配振りは親バカと言うしかない。
でもそんな荒業を選ぶしかなかったほど、彼と出会う前のレミアは枯れ果てていた。
それは苔に身体を預けるだけの川辺の岩に本当になりかけていたくらいだ。
声をかければ空っぽの笑顔を返し、虚ろな言葉返す、生きている振りをするだけ。
それでもレミアが人間界にいると聞いた時はやりすぎだと思ったが、それでも終わりよければ全て良い。
「なんてのはちょっと甘いですかね」
実際、レミアとソウタの家に行った時、私はレミアが壊れたと思った。
あれだけ拒絶していた人間と一緒にいるなんてついに壊れたのだと心配し、普通に笑い怒り、感情のある言葉を返してきたレミアを見て、純粋にその人間に嫉妬した。
だけど同じくらいに嬉しかった。なんでもないレミアの表情が懐かしかくて愛おしかったのだ。
私にはできない事ができた人間がいた。彼に出会えたおかげだと分かっていても、普通に世界一可愛い笑顔をするあの子とずっと一緒にいるのが彼というのは些か
「妬いてしまいますわね…」
さて、と一息ついてシルは次の方向へ進み始める。
世界の果てから、繋がった別世界『上界』へ。
「それでもお父様には一言文句を言わなければなりませんわね」